相対する2人
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喫煙の許可を得るや否や、クロコダイルはシガーケースを取り出す。そしてスツールの上でその長い脚を組み換えながら、ふとした疑問を投げ掛けてきた。そういえば、何故煙草ではなく葉巻だと分かったのだろう? 香りが明らかに違った、というのはあるが、それでも「今まで嗅いだことのない『煙草』の香り」ではなく、「葉巻の香り」だと分かったのは。
自分でも疑問に思い、記憶を手繰る。それが分かったのは、「以前に『葉巻の香り』を知っていた」からに他ならない。紫煙を燻らす口元を眺めていると、幼い頃の記憶に、その映像は浮かんできた。
*****
「大丈夫か、嬢ちゃん」
坊主頭に、まだ「正義」の文字を背負うことは許されていない、海兵の制服。雨の中差し出された手。雨で湿気てしまっているのに、その口には葉巻が咥えられ、強い香りを漂わせていた。
(あの海兵さんか)
香りというものは記憶に鮮烈に残るらしい。噂は本当だったな、と思っていると、葉巻の香りを楽しんでいたクロコダイルが口角を上げて、不意に口を開いた。
「そういやァ、ドフラミンゴは息災か?」
喉を、鷲掴みにされたような気がした。
「さぁ……よく存じ上げませんが。同じ王下七武海のクロコダイル様の方がご存知ではないのですか?」
喉がカラカラする。顧客の情報を無闇に漏らしてはいけないので咄嗟に誤魔化したが、そうでなくても、知られて不利益になることなど何一つないはずだ。それなのに、つい朝方まで自分の傍にいた人間の名前が目の前の客の口から出てきたことに、私は酷く動揺していた。
「顧客の情報は漏らせねェ、か? まぁいい──実を言うと、この店のこともお前の評判も、奴から聞いていたもんでな」
「……」
まだ心臓が早鐘を打っているのが分かる。彼は奴から何を聞いているのだろう。私は何を聞かれていたくないというのだろう。何も分からないまま、私はただ、目の前の美しい客を見つめていた。
「そう警戒するな。奴はHeaven's Bellに生意気な看板ディーラーがいる、『王下七武海を喜ばせるために負けてやってる』、と見下していながら、その思惑がバレバレなことには気付いていないのが可愛い、とかなんとか言っていたな」
「……それは」
ドフラミンゴには分かっていたのか。脳裏にあの薄ら笑いが浮かぶ。項をあの舌でなぞられているような感覚がする。この男は何を考えている? 何のために今、この話をしている? 男の鉤爪はテーブルの上にありながら、今まさに私の喉元に突き付けられている。自分の未熟さに歯噛みしたくなる気持ちを押さえつけながら、私は努めて冷静に振る舞おうと、ポーカーテーブルの下で拳をぎゅっと強く握った。
「俺は前に一度ここへ来たことがある。その頃の看板ディーラーはステラだった。奴の話とステラの印象がどうにも噛み合わなくてな。そうしたら、奴が引退してお前に看板を譲っていたことが分かった、というわけだ」
「……左様でしたか」
「──あんまり仕事をなめるんじゃねェぞ、お嬢ちゃん」
──瞬間。ビリッと周囲の空気が張り詰める。今まで貴族のような優雅さを湛えていた瞳が、途端に海賊のそれに変わる。私は背中を氷が伝うような感覚に耐えながら、一層強く拳を握り締めた。その姿を見て、クロコダイルは満足気に口元を綻ばせる。
「ネーナ。俺と一勝負してもらおうか」
私は何を、と言おうとして口を開きかけたが、そこから漏れるのは浅い息だけだった。悔しくて、恥ずかしくて、私は俯く。クロコダイルはフン、と鼻を鳴らすと、言葉を続けた。
「勝負は一度きり、種目は任せよう。賭けるのは──お前の命だ」
──命。成る程、海賊らしい提案だ。顔の傷は伊達ではないらしい。王下七武海の名が権力の下に成り下がった暗愚の象徴ではないことが分かった今、私に出来ることは1つしかない。
逃げても無駄なことは知っている。奴ら海賊は欲しいものは腕ずくで奪う性分だからだ。ならば立ち向かう以外に道はない。戦い、その信念を叩き折る以外には。
「……かしこまりました。その勝負、お受けいたします」
「クハハハハ……いい度胸だな。ただし、『勝たせて喜ばせてやろう』などとは考えるなよ?」
「自分の命が懸かっている以上、そんな悠長なことを申しては居れませんよ」
体が熱くなる。命が懸かったこの状況の中で、私は自分の心臓が今までになく強く脈打つのを感じていた。背筋が粟立つのは恐怖のせいか、それとも興奮か。熱に浮かされたようになりながら、私はポーカーテーブルを離れ、ベストの胸ポケットから小さな白いボールを取り出した。
「ほう──ルーレットを選ぶか」
「ステラは私の師──私も彼女の得意としていたルーレットを、何より得意としておりますので」
「そうか──決まりだな」
クロコダイルはスツールを回転させ、体だけルーレットテーブルへと向ける。ポーカーテーブルからは少し距離があるが、彼は始めろ、と言わんばかりに頷いた。私は一寸躊躇ったが、頷き返して──ノブを回した。
木製のルーレットウィールは軽快な音をあげながら回る。私はそこへ、自分の命運が懸かったボールを投げ入れる。お互い一言も発せず、ただ、ウィールとボールの回る音だけが室内に響く。私達がベットの声を発したのは、ほぼ同時だった。
「
「──
2人の声が重なった瞬間。ボールが転がり落ちる。カロン、と、命が懸かっているにしては軽やかな音を立てて、ボールが収まった、その先は──
──一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ボールが転がり落ち、私が勝負の行方を告げようとした、瞬間。「室内」に「砂と共に」一陣の風が巻き起こった──と思ったら、私はその腰をクロコダイルの鉤爪に攫われていた。突然のことに目を白黒させているうちに、彼はその右手でV.I.P.ルームの石造りの壁に触れる。みるみるうちに壁だったものは砂へと変わり、再び砂塵が彼の足元から巻き上がって──否、「彼自身」が砂へと化し、夜の空を「駆けて」いた。
宙を舞う感覚。
自分の城とも言える場所を、眼下に見下ろす感覚。
触れれば脆く崩れてしまいそうな腕に、強く抱かれている感覚──
その全ての感覚を受け入れたとき、私はボールの行方を目で見たときよりもはっきりと、自分がこの勝負に負けたことを理解した。
「──命は、取らないのですか?」
「誰がいつ、命を『取る』なんて言ったんだ?」
