傷とキス
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あ、お帰りなさい」
「……」
夜も更けて、外出から帰り部屋に戻ってきたクロコダイルに声を掛ける。クロコダイルは黙ってコートを脱いでハンガーに掛けると、どっかりとソファに座りこんだ。いつもならああ、とか何か一言だけでも返事が返ってくるのだが、いつもと違う雰囲気に、私はベッドに入って本を読んでいた体を起こして、クロコダイルの傍まで行った。
「明日はいよいよオープンだね」
「……」
「ちょっと緊張するけど、楽しみだなぁ。クロコダイルは?」
「……」
クロコダイルは相変わらず黙ったままだ。何を思っているのか、火をつけた葉巻を持ってその煙の行方をじっと見つめている。考え事だろうか? 煮詰まっているのなら、コーヒーでも飲めば頭がしゃきっとするかもしれない。そう思って、私はそっと部屋を出て、ミニキッチンへと向かった。
「あら、ネーナ。どうしたの? こんな時間に」
「ロビンさん。ちょっとコーヒーを淹れに来たんです」
ミニキッチンでは、ロビンさんが紅茶を淹れていた。ハーブティーの良い香りは、ふんわりと微笑むロビンさんの優雅さを、より一層際立たせる。もしかしたら、ロビンさんなら何か知っているかもしれない。私はサイフォンをセットしながら訊ねてみた。
「あの、ロビンさん。さっきオーナーが帰ってきたんですけど、なんだか様子が変で。何か知ってますか?」
「あら、そうなの? 私には心当たりはないけれど。いつ頃から?」
「えっと……」
よく思い返してみれば、帰って来てからもそうだが、出掛ける前──スモーカーさんと会ったときからずっと、眉間の皺がいつもより多い気がする。ロビンさんにそのことを話すと、彼女は目をぱちくりとさせて笑った。
「あら、そんなことが? ふふ……それなら、様子がおかしいのはきっと貴女のせいね、ネーナ」
「え?! 私、ですか?!」
コーヒーの抽出が終わったのでカップに移しながら、あのときの自分の行動を思い返してみる。何かクロコダイルの機嫌を損ねるようなことがあっただろうか。
「あ」
ふと、思い当る節が1つだけあることに気付く。ロビンさんは何がそんなに楽しいのか分からないが、ずっとにこにこしている。私はトレンチにコーヒーカップを2つ乗せると、失礼します、と言ってコーヒーを零さないように、足早にキッチンを出た。
部屋に戻ると、クロコダイルは変わらずソファに腰掛けて葉巻をふかしていた。私が入ってきたのを一瞥はするが、やはり言葉はない。私はコーヒーの乗ったトレンチをテーブルに置くや否や、クロコダイルに向かい腰を折って深々と頭を下げた。
「クロコダイル、ごめんなさい!」
「……あァ?」
うわ、やっぱり機嫌悪い。私はそのままの姿勢で言葉を続ける。
「F-ワニの準備! 遅くなっちゃったのに私、謝りもせずにそのままで……本当にごめんなさい!」
「……おいおい、何の話だ?」
クロコダイルの声は戸惑いを孕んでいて、逆にこちらが戸惑ってしまう。これじゃなかったのかな……と思いながら恐る恐る顔を上げると、クロコダイルの視線はちゃんと私のことを捕らえていてくれた。謝っても無視されたらどうしよう、と思っていた私は、それだけでも少し安心する。
「いや、なんだかいつもと様子が違ったから。昼間のF-ワニの準備が遅くなったこと、怒ってるのかな、と思って謝ったんだけど……」
「……クッ、ハッハッハッハッハッ!」
突然、クロコダイルが笑い出した。対照的に、私はぽかんとする。こんな風に大笑する姿は初めて見た。思わずドキッとしてしまう微笑みとは違って、なんというか、これは逆に怖い。クロコダイルは一頻り笑うと、息を整えながら口を開いた。
「……お前って奴は、本当に人間が真っ直ぐに出来てるんだな」
「? はぁ……」
褒められているのか馬鹿にされているのかよく分からなくて、私は曖昧に返事をする。クロコダイルはそんな私を見て、右手でポンポン、と自分の隣を軽く叩く。私は誘われるがままに、その隣に腰掛けた。
「コーヒーを淹れてきてくれたのか」
「あ、うん。考え事なら、頭がしゃきっとするかなー、って思って」
「そうか。悪ィな」
「うーん……こういうときは『ありがとう』って言ってほしいんだけど」
「フン……そうかよ」
結局言い直すことはしないまま、クロコダイルはカップを手に取りコーヒーを一口飲むと、ふぅ、と短く1つ息を吐く。私もカップに手を伸ばしたところで、クロコダイルが口を開いた。
「俺もお前の真っ直ぐさに倣って、率直に聞かせてもらう。正直に答えろ」
「え? ……うん、分かった」
真剣な様子に私がコクンと頷くのを見ると、クロコダイルは真っ直ぐにこちらを見つめて訊ねた。
「お前、あの男──スモーカーとは、どういう関係なんだ?」
「は……?」
思いもよらなかった言葉に、私は茫然とする。この質問はつまり、彼の様子がどこかおかしかったのは、F-ワニの件を怒っていたわけではなく、私とスモーカーさんとの関係をずっと気にしていたから、ということで間違いないのだろうか。私の頬は、拍子抜けした気持ちと安堵で思わず緩む。
「おい、何をニヤついてやがる」
「あ、ううん! ごめん!!」
ギロリ、と睨み付けられて私は表情を引き締める。だが、どこから話したものか。思案に耽る横顔をじっと見つめる視線の前には、どんな隠し立ても通用しはしないだろう。私は観念して、スモーカーが自分を探していた理由と、それに纏わる過去も全て、包み隠さず訥々と話し始めた。
「──というわけで。スモーカーさんとはどういう関係も何も……まぁ、過去にちょっとした繋がりがあったっていう感じで」
「──成程な。だが、少なくとも……」
話を終えて、一息つこうとコーヒーカップに手を伸ばそうとした私の頬に、クロコダイルの右手が伸びてくる。触れた掌は、左の頬を乱暴に拭った。
「お前が泣きたくなるような相手ではあるわけだ」
「え……」
自分で右頬を拭ってみて、初めて気が付く。私は、泣いていた。なんで、と思うと同時に、溢れ出した涙がパタパタと革張りのソファに落ちて小気味のいい音を立てる。涙というものは、自覚すると止め処なく溢れてくるものらしい。私は声を上げるでもなく、ただ茫然とそれだけを流していた。
「なんで……私、平気だったのに……」
「あの男の前ではな。アイツもひっくるめて、お前の心は過去のこととして捉えたんだろう。だが俺はお前の未来だ。お前と一緒に、これからを生きていく人間だ」
「……」
夜も更けて、外出から帰り部屋に戻ってきたクロコダイルに声を掛ける。クロコダイルは黙ってコートを脱いでハンガーに掛けると、どっかりとソファに座りこんだ。いつもならああ、とか何か一言だけでも返事が返ってくるのだが、いつもと違う雰囲気に、私はベッドに入って本を読んでいた体を起こして、クロコダイルの傍まで行った。
「明日はいよいよオープンだね」
「……」
「ちょっと緊張するけど、楽しみだなぁ。クロコダイルは?」
「……」
クロコダイルは相変わらず黙ったままだ。何を思っているのか、火をつけた葉巻を持ってその煙の行方をじっと見つめている。考え事だろうか? 煮詰まっているのなら、コーヒーでも飲めば頭がしゃきっとするかもしれない。そう思って、私はそっと部屋を出て、ミニキッチンへと向かった。
「あら、ネーナ。どうしたの? こんな時間に」
「ロビンさん。ちょっとコーヒーを淹れに来たんです」
ミニキッチンでは、ロビンさんが紅茶を淹れていた。ハーブティーの良い香りは、ふんわりと微笑むロビンさんの優雅さを、より一層際立たせる。もしかしたら、ロビンさんなら何か知っているかもしれない。私はサイフォンをセットしながら訊ねてみた。
「あの、ロビンさん。さっきオーナーが帰ってきたんですけど、なんだか様子が変で。何か知ってますか?」
「あら、そうなの? 私には心当たりはないけれど。いつ頃から?」
「えっと……」
よく思い返してみれば、帰って来てからもそうだが、出掛ける前──スモーカーさんと会ったときからずっと、眉間の皺がいつもより多い気がする。ロビンさんにそのことを話すと、彼女は目をぱちくりとさせて笑った。
「あら、そんなことが? ふふ……それなら、様子がおかしいのはきっと貴女のせいね、ネーナ」
「え?! 私、ですか?!」
コーヒーの抽出が終わったのでカップに移しながら、あのときの自分の行動を思い返してみる。何かクロコダイルの機嫌を損ねるようなことがあっただろうか。
「あ」
ふと、思い当る節が1つだけあることに気付く。ロビンさんは何がそんなに楽しいのか分からないが、ずっとにこにこしている。私はトレンチにコーヒーカップを2つ乗せると、失礼します、と言ってコーヒーを零さないように、足早にキッチンを出た。
部屋に戻ると、クロコダイルは変わらずソファに腰掛けて葉巻をふかしていた。私が入ってきたのを一瞥はするが、やはり言葉はない。私はコーヒーの乗ったトレンチをテーブルに置くや否や、クロコダイルに向かい腰を折って深々と頭を下げた。
「クロコダイル、ごめんなさい!」
「……あァ?」
うわ、やっぱり機嫌悪い。私はそのままの姿勢で言葉を続ける。
「F-ワニの準備! 遅くなっちゃったのに私、謝りもせずにそのままで……本当にごめんなさい!」
「……おいおい、何の話だ?」
クロコダイルの声は戸惑いを孕んでいて、逆にこちらが戸惑ってしまう。これじゃなかったのかな……と思いながら恐る恐る顔を上げると、クロコダイルの視線はちゃんと私のことを捕らえていてくれた。謝っても無視されたらどうしよう、と思っていた私は、それだけでも少し安心する。
「いや、なんだかいつもと様子が違ったから。昼間のF-ワニの準備が遅くなったこと、怒ってるのかな、と思って謝ったんだけど……」
「……クッ、ハッハッハッハッハッ!」
突然、クロコダイルが笑い出した。対照的に、私はぽかんとする。こんな風に大笑する姿は初めて見た。思わずドキッとしてしまう微笑みとは違って、なんというか、これは逆に怖い。クロコダイルは一頻り笑うと、息を整えながら口を開いた。
「……お前って奴は、本当に人間が真っ直ぐに出来てるんだな」
「? はぁ……」
褒められているのか馬鹿にされているのかよく分からなくて、私は曖昧に返事をする。クロコダイルはそんな私を見て、右手でポンポン、と自分の隣を軽く叩く。私は誘われるがままに、その隣に腰掛けた。
「コーヒーを淹れてきてくれたのか」
「あ、うん。考え事なら、頭がしゃきっとするかなー、って思って」
「そうか。悪ィな」
「うーん……こういうときは『ありがとう』って言ってほしいんだけど」
「フン……そうかよ」
結局言い直すことはしないまま、クロコダイルはカップを手に取りコーヒーを一口飲むと、ふぅ、と短く1つ息を吐く。私もカップに手を伸ばしたところで、クロコダイルが口を開いた。
「俺もお前の真っ直ぐさに倣って、率直に聞かせてもらう。正直に答えろ」
「え? ……うん、分かった」
真剣な様子に私がコクンと頷くのを見ると、クロコダイルは真っ直ぐにこちらを見つめて訊ねた。
「お前、あの男──スモーカーとは、どういう関係なんだ?」
「は……?」
思いもよらなかった言葉に、私は茫然とする。この質問はつまり、彼の様子がどこかおかしかったのは、F-ワニの件を怒っていたわけではなく、私とスモーカーさんとの関係をずっと気にしていたから、ということで間違いないのだろうか。私の頬は、拍子抜けした気持ちと安堵で思わず緩む。
「おい、何をニヤついてやがる」
「あ、ううん! ごめん!!」
ギロリ、と睨み付けられて私は表情を引き締める。だが、どこから話したものか。思案に耽る横顔をじっと見つめる視線の前には、どんな隠し立ても通用しはしないだろう。私は観念して、スモーカーが自分を探していた理由と、それに纏わる過去も全て、包み隠さず訥々と話し始めた。
「──というわけで。スモーカーさんとはどういう関係も何も……まぁ、過去にちょっとした繋がりがあったっていう感じで」
「──成程な。だが、少なくとも……」
話を終えて、一息つこうとコーヒーカップに手を伸ばそうとした私の頬に、クロコダイルの右手が伸びてくる。触れた掌は、左の頬を乱暴に拭った。
「お前が泣きたくなるような相手ではあるわけだ」
「え……」
自分で右頬を拭ってみて、初めて気が付く。私は、泣いていた。なんで、と思うと同時に、溢れ出した涙がパタパタと革張りのソファに落ちて小気味のいい音を立てる。涙というものは、自覚すると止め処なく溢れてくるものらしい。私は声を上げるでもなく、ただ茫然とそれだけを流していた。
「なんで……私、平気だったのに……」
「あの男の前ではな。アイツもひっくるめて、お前の心は過去のこととして捉えたんだろう。だが俺はお前の未来だ。お前と一緒に、これからを生きていく人間だ」