英雄と王
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「翼の付け根の辺りをしっかりと掴んでくださいね。強く掴んで大丈夫です、痛くはありませんから」
「は、はい……」
「そうだ、ペル殿」
落ちないようにレクチャーを受けている私をその場に残して、チャカさんと階段を上りはじめようとしていたクロコダイルが振り返る。ペルさんが顔を上げると、クロコダイルは相変わらず口元にだけ笑みを浮かべて言った。
「彼女はそれ程重くはないから、君に負担をかけることはないだろうが……くれぐれも事故に遭わせないよう、気を付けてくれたまえ」
「──心得ております」
ペルさんの返事を聞いて頷くと、クロコダイルはスタスタとチャカさんと共に階段を上り始めた。ペルさんはその背中を見送りながら、何故かフフッと笑う。私がどうしたんですか、と尋ねようとする前に、行きますよ、と言って、ペルさんはその翼を大きく羽ばたかせた。
地面を強く蹴って、ペルさんは空へと舞い上がる。私は慌てて、彼の言っていた通りに、翼の付け根をしっかりと掴んだ。体が浮き上がる感覚。クロコダイルに連れ出された夜も同じ感覚を味わったはずなのに、抱き留める腕がないだけで、急に不安が増す。自然と私はギュッと目を瞑り、姿勢を低くする形になった。
「ミス・アニヴェルセル様! ご覧下さい!!」
翼を羽ばたかせる音に負けないよう、ペルさんが声を張る。私は恐る恐る目を開けて眼下を見やると、今度は大きく目を見開いた。唇から、思わず感嘆の声が漏れる。ペルさんはそんな私の様子を見て、目を細めて笑った。
見渡す限りの、砂の大地。遠くには大河を望み、川向こうの街並みの灯りが水面に映って幻想的に揺れていた。月明かりに照らされて優しい耀きを放つ大地は、地表を風が駆け抜ける度に違う表情を見せてくれる。私は先程までの恐怖心などはすっかり忘れて、姿勢を起こしてその美しい景色を眺めた。
「いかがです? いい眺めでしょう?」
「ええ、本当に……」
私の言葉に満足して、もっとこの光景を楽しませてくれようと思ったのか、ペルさんはゆっくりと上空を旋回し始める。陽も落ちて冷たくなった砂漠の空気が頬を刺していたが、そんなことは全く気にならないくらいに、私はこの美しい景色に見入っていた。
「素敵……私、この国に来て良かったです」
「おや。ミス・アニヴェルセル様はアラバスタのご出身ではないのですね?」
「あ、はい、そうなんです。私、ここへは今日、クロコダイルに連れられて来たばかりで──」
しまった、と思った。失言だっただろうか。私は慌てて口を噤んだが、ペルさんは気にも留めずに笑った。
「クロコダイル様は、ミス・アニヴェルセル様のことをとても大事に思っていらっしゃるようですね」
「えぇ?! ないない、それはないです! だって私、今日彼に空から放り投げられたんですよ?!」
首をぶんぶんともげんばかりに横に振る私を見て、ペルさんがアハハ、と声を上げて笑う。今まで静かに微笑む姿しか見ていなかったので、その屈託のなさに、こんな一面もあるんだ、と少し驚いた。
「それでも、大事に思っておいでのはずです。そうでなければ、『事故に遭わせるな』などと、わざわざ言うでしょうか?」
「それは、自分で言うのもなんですが、私が店にとって必要な人間だから、ということだと思いますよ? これでも私、彼のカジノの看板ディーラーを名乗らせていただく人間なので……」
「それもあるとは思いますが、ほら、今だって──」
ペルさんの言葉に、ふと眼下の階段に目をやると──その高さにまた目が眩みそうになったが──クロコダイルがこちらを見上げている。表情は窺い知れなかったが、じっとこちらを見た後、すいっと視線を逸らしたのが見えた。
「心配でしょうがないのですね。可愛らしい一面もおありだ」
「そんなこと本人に言ったら何されるか分かったもんじゃないですよ……」
ご冗談を、とペルさんは笑うが、これは冗談じゃない。ペルさんは鰐のくせして猫を被ったクロコダイルしか知らないから、そういうことが言えるんだ……。
「そろそろクロコダイル様も到着するようですね。私達も参りましょう」
「そうですね」
ペルさんに声を掛けられて眼下を見れば、もう間もなく、チャカさんとクロコダイルは階段を上りきろうか、というところまで来ていた。ペルさんはバサリ、と翼を一度羽ばたかせると、頭を少し下げて滑空する姿勢になる。自然と私も前のめりになって、ペルさんの背中にしがみつく格好になった。顔を埋めたその首筋からは、優しいおひさまの香りがした。
地上が近付いてきたところで再び、ペルさんは翼をはためかせる。それがブレーキの役割を果たし、私達はふわりと地上に降り立った。ちょうどチャカさんとクロコダイルも階段の頂上に辿り着いたところだ。
「アラバスタ王国の夜景はいかがでしたか? ミス・アニヴェルセル様」
「とても素晴らしかったです……! 貴重な体験を、どうもありがとうございました!!」
「喜んでいただけて何よりです。さぁ、参りましょう。王がお待ちかねです」
チャカさんとペルさんにお礼を言って、クロコダイルに歩み寄る。その大きな背中の後ろに控えるようにして立つと、クロコダイルは不機嫌さを全く隠す気のない顔で振り返って言った。
「随分と楽しそうじゃァねェか、ミス・アニヴェルセル」
「うん! アラバスタって綺麗な国ね。私、感動しちゃった。連れてきてくれてありがとう、クロコダイル」
「……ふん。自分を攫った相手に礼を言うとは、余裕だな」
私が美しい夜景を見て昂ぶった感情のままに礼を言うと、クロコダイルは毒気を抜かれたような表情になって、つっけんどんに答える。長い階段を上らされて気が立っていたのだろうか? 何にそんなに不機嫌になっていたのかは知らないが、王様の前ではそんな態度取らないでよね、と、私は少し不安になる。
そんな私の不安を余所に、チャカさんとペルさんは私達を伴って王宮の中をスタスタと歩いていく。長い廊下に真っ直ぐに敷かれた深紅の絨毯。毛足の長い滑らかなそれを踏み進める毎に、私の緊張は増していく。
ピタリ、と、先を行くクロコダイルの歩みが止まった。ペルさんとチャカさんが大きな扉の両脇に立ち、私が追い付いたのを見て、ゆっくりとその扉を開ける。私の緊張はピークに達し、心臓が口から飛び出そうな程になっていた。
「やあ、クロコダイル君。よく来てくれたね」
「この度はお招きにあずかり光栄です、王」
「はは、堅苦しいのは無しにしよう。さあ、掛けてくれ。おい、乾杯酒の用意を」