海に行きたい!
「海に行きたい」
真っ直ぐに大和を見据える綾瀬川は、その言葉と共にドンッと音を立てて腕に抱えていたものをテーブルに置いた。ツルツルとした材質はプラスチックだろう。色は白、黒、黄色で構成されていて、形は円柱。下部は大きく空洞になっていて前面に口ばし、頭頂部にハンドルが刺さっている。
ペンギンである。ペンギンの、かき氷機だ。
「どっちから聞けばええの?」
大和には海に行きたいという言葉と目の前に鎮座するチープなかき氷機の関連性がわからなかった。全く別の話題であるなら一つひとつ処理しなければならない。
綾瀬川は大和の言葉を、まあ待てと手で制する。
「俺はさぁ、大学に行かずに高卒からそのままプロになったでしょ?」
お前のせいでね、と付け加えてじとりと睨む綾瀬川に、大和は満足げに頷いた。口癖のように野球を辞めると言って憚らなかったこの男を二年もプロで待たせる事ができたのは、大和の大きな功績だった。当然この先の人生もしっかり繋ぎ止めておくつもりである。
「海開きの時期は、ずっと野球漬けで遊びに行くどころじゃないじゃん。海なんてもう何年も行ってないわけ」
それもそうだろうと大和はさらに頷く。学業が本分の学生をまとまった期間拘束する必要がある大きな大会は、どうしたってそもそも授業がない長期休みにぶつけられる。夏の高校野球選手権は八月に全国大会が行われるので地方予選はそれに間に合うように七月の土日や夏休みにみっちり予定が組まれるのだ。当然大会が始まる前から練習も待ち構えているし、大会に勝ち進めば勝ち進むほど海開きがされる七月から八月ごろに海に遊びに行けるような余裕はなかった。プロになれば尚更シーズン真っ只中で、今日のようにわずかな時間縫って逢瀬を楽しむくらいならまだしも、一日がけで遊びにいくことは到底できない。大和も小さい時は両親が世界各国いろんな場所に連れ回してくれたが、練習が増えるにつれてその数は減り、最近は年に一度新年に旅行に行くのが定番になっていた。
「だから海に行きたいの。あっつい砂浜を急いで走り抜けてさぁ、どっちが先にブイロープまで泳げるか競争したりして」
「ちょお待って、それ誰と一緒に行く想定で言っとるん」
自分以外と行くと言われるのは納得できないが、波があって足もつかないだろう環境で綾瀬川と競えと言うのは大和には荷が重かった。綾瀬川は、お前はビート板持ってきていいよと言って話を続ける。
「そうは言っても無理なことは分かってるから、せめて大和も巻き込もうと思って、これ買っといたんだよね」
そう言って綾瀬川はペンギンの頭をぺしぺしと叩いた。大和に海のイメージを刷り込み、行きたくても行けない不満を共有しようと言う訳だが、名案だと笑顔の綾瀬川と対照的に大和は未だ腑に落ちない顔をしていた。
「かき氷って、そんな海とイコールのイメージなん?」
大和はそもそもかき氷自体をそれほど良く食べる訳ではなく、あるとすれば暑くてしょうがない日にカフェでデザートとして頼むかどうかと言ったところだが、それだって数える程度だ。
「まぁ、かき氷自体が海のイメージと言うよりは、海の家のイメージ? 焼きそばとかでも良かったんだけどさ、あのもさもさの焼きそばは海で食べるから美味いんであって正気で食べるのはどうかなって言うか……。じゃあかき氷で良いかなって」
綾瀬川の言葉に大和は、海の家、と呟いた。尚も気の抜けた声に綾瀬川はある疑念を抱く。
「もしかして、大和って海水浴行ったことないの?」
先ほどから綾瀬川の思う海や海水浴のイメージになかなかピンときていない様子の大和であったが、そもそも海で遊んだ事がなければ当然の反応と言えた。
「あんまし無いなぁ。おとんもおかんも、歳やから人混みは疲れるわぁ言うとって」
綾瀬川は、海水浴場での両親の姿を思い出した。歳の離れた姉たちが自分やまゆに付き添って海に入って遊んでくれたが、両親は砂浜に設置したパラソルの下から動かなかった記憶がある。綾瀬川の両親は大和の両親とそう大きく歳は変わらないはずなので、二人もあの芋洗い状態の海で遊ぶ気力はなかったのかもしれない。
「せやから、行ったことあるんはホテルとかについとるプライベートビーチくらいやなぁ」
プライベートビーチ、と綾瀬川は呟く。今度は綾瀬川がピンとこない番だった。
「プライベートビーチって海の家ないの?」
「無いなぁ」
熱の篭らない大和の言葉に綾瀬川は目を丸くして、まじかぁと呟く。
「じゃあかき氷食べても海行きたくならない?」
「ならへんと思う」
せっかく買ってきたのに!とショックを受ける綾瀬川であったが、しかしすぐに気を取り直して席を立ち、キッチンに向かう。そして、リビングから綾瀬川を目で追う大和向かって、冷凍庫から取り出した袋いっぱいのロックアイスを抱えて宣言する。
「今にお前に海に行きたいって言わせてやるよ」
真っ直ぐに大和を見据える綾瀬川は、その言葉と共にドンッと音を立てて腕に抱えていたものをテーブルに置いた。ツルツルとした材質はプラスチックだろう。色は白、黒、黄色で構成されていて、形は円柱。下部は大きく空洞になっていて前面に口ばし、頭頂部にハンドルが刺さっている。
ペンギンである。ペンギンの、かき氷機だ。
「どっちから聞けばええの?」
大和には海に行きたいという言葉と目の前に鎮座するチープなかき氷機の関連性がわからなかった。全く別の話題であるなら一つひとつ処理しなければならない。
綾瀬川は大和の言葉を、まあ待てと手で制する。
「俺はさぁ、大学に行かずに高卒からそのままプロになったでしょ?」
お前のせいでね、と付け加えてじとりと睨む綾瀬川に、大和は満足げに頷いた。口癖のように野球を辞めると言って憚らなかったこの男を二年もプロで待たせる事ができたのは、大和の大きな功績だった。当然この先の人生もしっかり繋ぎ止めておくつもりである。
「海開きの時期は、ずっと野球漬けで遊びに行くどころじゃないじゃん。海なんてもう何年も行ってないわけ」
それもそうだろうと大和はさらに頷く。学業が本分の学生をまとまった期間拘束する必要がある大きな大会は、どうしたってそもそも授業がない長期休みにぶつけられる。夏の高校野球選手権は八月に全国大会が行われるので地方予選はそれに間に合うように七月の土日や夏休みにみっちり予定が組まれるのだ。当然大会が始まる前から練習も待ち構えているし、大会に勝ち進めば勝ち進むほど海開きがされる七月から八月ごろに海に遊びに行けるような余裕はなかった。プロになれば尚更シーズン真っ只中で、今日のようにわずかな時間縫って逢瀬を楽しむくらいならまだしも、一日がけで遊びにいくことは到底できない。大和も小さい時は両親が世界各国いろんな場所に連れ回してくれたが、練習が増えるにつれてその数は減り、最近は年に一度新年に旅行に行くのが定番になっていた。
「だから海に行きたいの。あっつい砂浜を急いで走り抜けてさぁ、どっちが先にブイロープまで泳げるか競争したりして」
「ちょお待って、それ誰と一緒に行く想定で言っとるん」
自分以外と行くと言われるのは納得できないが、波があって足もつかないだろう環境で綾瀬川と競えと言うのは大和には荷が重かった。綾瀬川は、お前はビート板持ってきていいよと言って話を続ける。
「そうは言っても無理なことは分かってるから、せめて大和も巻き込もうと思って、これ買っといたんだよね」
そう言って綾瀬川はペンギンの頭をぺしぺしと叩いた。大和に海のイメージを刷り込み、行きたくても行けない不満を共有しようと言う訳だが、名案だと笑顔の綾瀬川と対照的に大和は未だ腑に落ちない顔をしていた。
「かき氷って、そんな海とイコールのイメージなん?」
大和はそもそもかき氷自体をそれほど良く食べる訳ではなく、あるとすれば暑くてしょうがない日にカフェでデザートとして頼むかどうかと言ったところだが、それだって数える程度だ。
「まぁ、かき氷自体が海のイメージと言うよりは、海の家のイメージ? 焼きそばとかでも良かったんだけどさ、あのもさもさの焼きそばは海で食べるから美味いんであって正気で食べるのはどうかなって言うか……。じゃあかき氷で良いかなって」
綾瀬川の言葉に大和は、海の家、と呟いた。尚も気の抜けた声に綾瀬川はある疑念を抱く。
「もしかして、大和って海水浴行ったことないの?」
先ほどから綾瀬川の思う海や海水浴のイメージになかなかピンときていない様子の大和であったが、そもそも海で遊んだ事がなければ当然の反応と言えた。
「あんまし無いなぁ。おとんもおかんも、歳やから人混みは疲れるわぁ言うとって」
綾瀬川は、海水浴場での両親の姿を思い出した。歳の離れた姉たちが自分やまゆに付き添って海に入って遊んでくれたが、両親は砂浜に設置したパラソルの下から動かなかった記憶がある。綾瀬川の両親は大和の両親とそう大きく歳は変わらないはずなので、二人もあの芋洗い状態の海で遊ぶ気力はなかったのかもしれない。
「せやから、行ったことあるんはホテルとかについとるプライベートビーチくらいやなぁ」
プライベートビーチ、と綾瀬川は呟く。今度は綾瀬川がピンとこない番だった。
「プライベートビーチって海の家ないの?」
「無いなぁ」
熱の篭らない大和の言葉に綾瀬川は目を丸くして、まじかぁと呟く。
「じゃあかき氷食べても海行きたくならない?」
「ならへんと思う」
せっかく買ってきたのに!とショックを受ける綾瀬川であったが、しかしすぐに気を取り直して席を立ち、キッチンに向かう。そして、リビングから綾瀬川を目で追う大和向かって、冷凍庫から取り出した袋いっぱいのロックアイスを抱えて宣言する。
「今にお前に海に行きたいって言わせてやるよ」
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