◯◯しないと出られない部屋
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深い森の奥に迷い込んだような、不思議と澄んだ空気が漂う閉ざされた空間。
ななしは手にした資料をまとめている最中に、唐突な浮遊感に襲われていた。気がついた時には柔らかな光が満ちる、大理石の床で囲まれた見知らぬ部屋の真ん中に立ち尽くしていた。
「ここ、どこだろう」
「……ななしか。怪我はないか」
すぐ傍らから響いた、低く落ち着いた声音。
振り返るとシルバーが、周囲を警戒していた。
「シルバー先輩!? 先輩も巻き込まれたんですか」
「ああ。気がつけばこの場所にいた」
シルバーは鋭い視線で辺りを見回し、部屋の唯一の出口である重厚な扉へと歩み寄った。
彼がその扉に触れようとした瞬間、滑らかな大理石の表面に淡い光を放つ文字が、じわじわと浮かび上がっていく。
30分間お姫様抱っこしないと出られない部屋
「……さんじゅっぷん、お姫様だっこ……?」
ななしはその文字を読み終えた瞬間、思わず半歩ほど後ろに下がった。
「三十分お前を抱き抱える、か。どのような呪術の類かは分からないが、部屋自体に悪意の魔力は感じられないな。しかし、奇妙な条件だ」
シルバーは特に動じる様子もなく、腕を組んでその文字を真っ直ぐに見つめている。
「シルバー先輩、あの……先輩の魔法でこの扉を壊すことはできないんですか」
「一度試してみたが、手応えがない。俺の魔力をそのままいなして、結界の維持に利用しているようだ」
シルバーはゆっくりと腕を解き、ななしの正面へと歩み寄った。
彼が一歩進むたびに、どこか体温のぬくもりを宿した特有の気配が部屋の空気にじわりと混ざり合っていく。
「じゃあ、本当に……その、文字の通りにするしか、ないんですね」
「ああ。嫌かもしれないが、ここを出るためには部屋のルールに従うのが最善だ。お前さえ良ければ、すぐに始めたいのだが……構わないだろうか」
「嫌ではないんですけど、ただ、その……わたし、結構重いと思うので、先輩が大変じゃないかなって」
「問題ない。お前一人を抱えるくらい造作もないことだ。心配いらない」
シルバーがふっと、優しい微々たる笑みを漏らした。
彼は膝を折り、ななしの身体の横へと手を滑り込ませていく。
触れられた衣服の向こうから、鍛え上げられた彼の腕の硬さと尋常ではない頼もしい体温がじわりと染み込んできた。
「……ななし。力を抜いて、俺の首に手を回すといい」
「シルバー先輩……」
「しっかり捕まっていてくれ」
部屋の空気が二人の身体が密着したことで、ほんの少しだけ密度を増したような錯覚を覚える。ななしが意を決して彼の首に腕を回した瞬間、シルバーは軽々とななしの身体を宙へと抱き上げた。
「シルバー先輩、本当に大丈夫、ですか……?」
「ああ。問題ない」
シルバーの声音は、いつもと変わらず至って冷静で、曇りもない。
しかし、密着した衣服越しに直に伝わってくる彼の筋肉の硬さと、規則正しく刻まれる力強い心臓の鼓動が、ななしの意識をじわじわと支配していく。
彼が息を吸い吐き出すたびに、その逞しい胸元がわずかに上下し、ななしの頬に彼の温かい呼吸がかすかに吹きかかった。
「……どうした、ななし。顔がずいぶんと赤いようだが。どこか具合でも悪いのか」
「ち、違います! 体調が悪いんじゃなくて、その……距離が、近すぎるから、で……」
「そうか。確かに、これほど至近距離でお前と接することは滅多にないからな。辛いかもしれないが、あと二十分ほど我慢してくれ」
シルバーは真面目な顔でそう言うと、抱き抱える腕の力をわずかに強めた。ずり落ちないようにと配慮されたその細やかな優しさが、逆に二人の物理的な境界線を完全に失わせていく。
彼の首筋に回したななしの指先から、鍛え上げられた項の熱がじわりと全身へ伝播し、頭の芯がぼんやりと熱を帯び始めていく。
シルバーもまた、無言で正面の扉を見据えていたが、その耳の端がななしの体温に引っ張られるようにして、ほんのりと赤みを帯びていくのが見て取れた。
「シルバー先輩も、なんだか、いつもより熱い気がします……」
「そうだな……。お前の体温が心地いい。身体が弛緩していくような、不思議な感覚だ。……いや、これは、まずいな」
シルバーがふっと、長い睫毛を微かに揺らして目を伏せる。
いつもの抗いがたい強烈な眠気が彼を襲い始めている気配が、その表情から微かに滲み出る。
しかし今の彼はななしを両腕に抱いたままだ。もし今ここで彼が眠りに落ちてしまえば、二人の身体は確実に床へと崩れ落ちてしまう。
「シルバー先輩、寝ちゃダメです! 起きてください!」
「分かっている……。だが、お前があまりに暖かくて、まるで陽だまりの中にいるようで……」
シルバーの腕が眠気の微睡みの中でわずかに緩み、ななしの身体がさらに深く彼の胸元へと滑り込んだ。
完全に重なり合った二人の熱量が、静かな部屋のなかで濃厚な甘さを孕みながら溶け合い始めていた。
刻一刻と刻まれる時間のなかで、シルバーの瞼は重く下がりかけていた。
完全に微睡みの淵へと沈みそうな彼の身体を繋ぎ止めているのは、腕の中に残るななしの確かな重みと、首筋に回された細い手のひらのぬくもりだけだった。
「シルバー先輩! あと、もう少しですから……!」
「……すまない、ななし」
シルバーは掠れた声で低く呟くと、抗いがたい睡魔を振り払うように自らの奥歯を強く噛み締めた。
直後、彼は腕の中のななしを押し潰さんばかりの強さで自らの胸元へと強く強く抱きすくめた。
密着した身体のすべてから、彼の強靭な体躯の熱が波のように押し寄せ、ななしの思考を真っ白に塗りつぶしていく。
シルバーの心を占めていたのは、ただ課せられた任務を遂行するという義務感だけではなかった。
自分の腕のなかで同じ呼吸を刻み、頼りなげに自分に縋りついている。庇護欲を遥かに超えた、名前のつかない独占欲と愛おしさが、微睡みかけていた彼の意識を芯から激しく揺さぶっていた。
己の限界を凌駕するほどの強い意志が、シルバーの全身へとみなぎっていく。
ななしは、あまりの抱きしめられる強さに小さく息を呑みながらも、彼の必死な熱量に応えるように、その広い背中へさらに深く手を回した。その微かな信頼の証が、シルバーの瞳に鋭く鮮烈な光を呼び戻す。
「三十分……、経ったぞ」
「シルバー先輩……!」
シルバーの宣言と同時に、扉から淡い光の文字が弾け、静かに消滅した。
カチリ――。
部屋を縛っていたすべての魔力が霧散し、外界へと続く重厚な門が音もなく開かれた。
しかしシルバーはななしを抱きかかえたその腕を、微かにも緩めようとはしなかった。
完全に覚醒した彼の眼差しは胸元ですっかり赤くなって息を整えているななしの顔を、真っ直ぐに、そしてひどく熱く射抜いていた。
「……先輩? 扉、開きましたよ……?」
「ああ、見えている。だが……もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
開かれた扉の向こうの景色など最初から存在しないかのように、シルバーは愛しい少女をさらに深く、逃がさないように抱き寄せた。
光の戻った空間のなかで、ようやく事の重大さに気づいて腕の中で縮こまるななしを、シルバーはいつもより少しだけ低くなった声音で優しく、けれど絶対に離さないという確かな意思を込めていつまでも見つめ続けていた。
ななしは手にした資料をまとめている最中に、唐突な浮遊感に襲われていた。気がついた時には柔らかな光が満ちる、大理石の床で囲まれた見知らぬ部屋の真ん中に立ち尽くしていた。
「ここ、どこだろう」
「……ななしか。怪我はないか」
すぐ傍らから響いた、低く落ち着いた声音。
振り返るとシルバーが、周囲を警戒していた。
「シルバー先輩!? 先輩も巻き込まれたんですか」
「ああ。気がつけばこの場所にいた」
シルバーは鋭い視線で辺りを見回し、部屋の唯一の出口である重厚な扉へと歩み寄った。
彼がその扉に触れようとした瞬間、滑らかな大理石の表面に淡い光を放つ文字が、じわじわと浮かび上がっていく。
30分間お姫様抱っこしないと出られない部屋
「……さんじゅっぷん、お姫様だっこ……?」
ななしはその文字を読み終えた瞬間、思わず半歩ほど後ろに下がった。
「三十分お前を抱き抱える、か。どのような呪術の類かは分からないが、部屋自体に悪意の魔力は感じられないな。しかし、奇妙な条件だ」
シルバーは特に動じる様子もなく、腕を組んでその文字を真っ直ぐに見つめている。
「シルバー先輩、あの……先輩の魔法でこの扉を壊すことはできないんですか」
「一度試してみたが、手応えがない。俺の魔力をそのままいなして、結界の維持に利用しているようだ」
シルバーはゆっくりと腕を解き、ななしの正面へと歩み寄った。
彼が一歩進むたびに、どこか体温のぬくもりを宿した特有の気配が部屋の空気にじわりと混ざり合っていく。
「じゃあ、本当に……その、文字の通りにするしか、ないんですね」
「ああ。嫌かもしれないが、ここを出るためには部屋のルールに従うのが最善だ。お前さえ良ければ、すぐに始めたいのだが……構わないだろうか」
「嫌ではないんですけど、ただ、その……わたし、結構重いと思うので、先輩が大変じゃないかなって」
「問題ない。お前一人を抱えるくらい造作もないことだ。心配いらない」
シルバーがふっと、優しい微々たる笑みを漏らした。
彼は膝を折り、ななしの身体の横へと手を滑り込ませていく。
触れられた衣服の向こうから、鍛え上げられた彼の腕の硬さと尋常ではない頼もしい体温がじわりと染み込んできた。
「……ななし。力を抜いて、俺の首に手を回すといい」
「シルバー先輩……」
「しっかり捕まっていてくれ」
部屋の空気が二人の身体が密着したことで、ほんの少しだけ密度を増したような錯覚を覚える。ななしが意を決して彼の首に腕を回した瞬間、シルバーは軽々とななしの身体を宙へと抱き上げた。
「シルバー先輩、本当に大丈夫、ですか……?」
「ああ。問題ない」
シルバーの声音は、いつもと変わらず至って冷静で、曇りもない。
しかし、密着した衣服越しに直に伝わってくる彼の筋肉の硬さと、規則正しく刻まれる力強い心臓の鼓動が、ななしの意識をじわじわと支配していく。
彼が息を吸い吐き出すたびに、その逞しい胸元がわずかに上下し、ななしの頬に彼の温かい呼吸がかすかに吹きかかった。
「……どうした、ななし。顔がずいぶんと赤いようだが。どこか具合でも悪いのか」
「ち、違います! 体調が悪いんじゃなくて、その……距離が、近すぎるから、で……」
「そうか。確かに、これほど至近距離でお前と接することは滅多にないからな。辛いかもしれないが、あと二十分ほど我慢してくれ」
シルバーは真面目な顔でそう言うと、抱き抱える腕の力をわずかに強めた。ずり落ちないようにと配慮されたその細やかな優しさが、逆に二人の物理的な境界線を完全に失わせていく。
彼の首筋に回したななしの指先から、鍛え上げられた項の熱がじわりと全身へ伝播し、頭の芯がぼんやりと熱を帯び始めていく。
シルバーもまた、無言で正面の扉を見据えていたが、その耳の端がななしの体温に引っ張られるようにして、ほんのりと赤みを帯びていくのが見て取れた。
「シルバー先輩も、なんだか、いつもより熱い気がします……」
「そうだな……。お前の体温が心地いい。身体が弛緩していくような、不思議な感覚だ。……いや、これは、まずいな」
シルバーがふっと、長い睫毛を微かに揺らして目を伏せる。
いつもの抗いがたい強烈な眠気が彼を襲い始めている気配が、その表情から微かに滲み出る。
しかし今の彼はななしを両腕に抱いたままだ。もし今ここで彼が眠りに落ちてしまえば、二人の身体は確実に床へと崩れ落ちてしまう。
「シルバー先輩、寝ちゃダメです! 起きてください!」
「分かっている……。だが、お前があまりに暖かくて、まるで陽だまりの中にいるようで……」
シルバーの腕が眠気の微睡みの中でわずかに緩み、ななしの身体がさらに深く彼の胸元へと滑り込んだ。
完全に重なり合った二人の熱量が、静かな部屋のなかで濃厚な甘さを孕みながら溶け合い始めていた。
刻一刻と刻まれる時間のなかで、シルバーの瞼は重く下がりかけていた。
完全に微睡みの淵へと沈みそうな彼の身体を繋ぎ止めているのは、腕の中に残るななしの確かな重みと、首筋に回された細い手のひらのぬくもりだけだった。
「シルバー先輩! あと、もう少しですから……!」
「……すまない、ななし」
シルバーは掠れた声で低く呟くと、抗いがたい睡魔を振り払うように自らの奥歯を強く噛み締めた。
直後、彼は腕の中のななしを押し潰さんばかりの強さで自らの胸元へと強く強く抱きすくめた。
密着した身体のすべてから、彼の強靭な体躯の熱が波のように押し寄せ、ななしの思考を真っ白に塗りつぶしていく。
シルバーの心を占めていたのは、ただ課せられた任務を遂行するという義務感だけではなかった。
自分の腕のなかで同じ呼吸を刻み、頼りなげに自分に縋りついている。庇護欲を遥かに超えた、名前のつかない独占欲と愛おしさが、微睡みかけていた彼の意識を芯から激しく揺さぶっていた。
己の限界を凌駕するほどの強い意志が、シルバーの全身へとみなぎっていく。
ななしは、あまりの抱きしめられる強さに小さく息を呑みながらも、彼の必死な熱量に応えるように、その広い背中へさらに深く手を回した。その微かな信頼の証が、シルバーの瞳に鋭く鮮烈な光を呼び戻す。
「三十分……、経ったぞ」
「シルバー先輩……!」
シルバーの宣言と同時に、扉から淡い光の文字が弾け、静かに消滅した。
カチリ――。
部屋を縛っていたすべての魔力が霧散し、外界へと続く重厚な門が音もなく開かれた。
しかしシルバーはななしを抱きかかえたその腕を、微かにも緩めようとはしなかった。
完全に覚醒した彼の眼差しは胸元ですっかり赤くなって息を整えているななしの顔を、真っ直ぐに、そしてひどく熱く射抜いていた。
「……先輩? 扉、開きましたよ……?」
「ああ、見えている。だが……もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
開かれた扉の向こうの景色など最初から存在しないかのように、シルバーは愛しい少女をさらに深く、逃がさないように抱き寄せた。
光の戻った空間のなかで、ようやく事の重大さに気づいて腕の中で縮こまるななしを、シルバーはいつもより少しだけ低くなった声音で優しく、けれど絶対に離さないという確かな意思を込めていつまでも見つめ続けていた。
