お誕生日おめでとう
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談話室のソファには静かな空気が流れていた。
シルバーは背もたれに身体を預け、穏やかな表情で正面を見つめている。その向かい側には、一つの小さな包みを抱えたななしの姿があった。
「シルバー先輩、少しだけお時間をいただけますか」
「ななしか。どうした、改まった様子で」
「これ、受け取ってほしくて」
差し出されたリボン付きの包みを、シルバーは両手で丁寧に受け取る。少しだけ意外そうに瞬きをくり返したあと、何かを思い出したように口元を緩めた。
「俺に? ……あ、そうか。今日は俺の誕生日だったな」
「自分の誕生日を忘れるなんて、シルバー先輩らしいです」
「すまない。親父殿やセベクからも朝から祝ってもらったというのに、少し時間が経つと頭から抜けてしまう。……ありがとう、ななし。開けてもいいだろうか」
「もちろんです」
リボンが解かれ、包みの中から現れたのは木製のシンプルな写真立てだった。装飾は控えめだが温かみのある風合いのものだ。
シルバーはそれを手のひらに乗せ、じっと見つめる。
「これは……写真立てか」
「はい。思い出を飾るのにどうかな、と」
「大切に使わせてもらう。親父殿たちとの写真や、それから……お前と撮った写真も、これに飾ろう」
シルバーは嬉しそうに目を細めると、写真立てを愛おしそうに撫でた。
「気に入ってもらえて良かったです」
「……だが、俺ばかり貰ってばかりでは申し訳ないな。何かお返しがしたいのだが」
「お返しだなんて、先輩の誕生日なんですから気にしないでください」
「そうはいかない。お祝いの気持ちを受け取ったのだから、俺からも何かを返したい。それが普通だろう」
シルバーの口調には譲らない頑固さが混ざる。
真っ直ぐな視線がななしへと向けられた。
「じゃあ、そうですね……。お返しというわけではないですけど、少しだけここで一緒にのんびりしてくれませんか」
「のんびり、か。それだけでいいのか?」
「それがいいんです」
「分かった。それならいくらでも付き合おう。ちょうど急ぎの用事もないからな」
シルバーがソファの端へと少しだけ身体をずらす。
空いたスペースを軽く叩き、隣に座るよう促した。
「失礼します」
二人の距離が縮まる。
肩が触れ合わない程度の、けれどお互いの息遣いが届くくらいの距離。
「ななしは、最近忙しくしていたな。体調は崩していないか」
「大丈夫ですよ。シルバー先輩こそ、授業と部活と毎日の鍛錬で疲れていませんか」
「俺は鍛錬が日常の一部になっているからな。疲れるということはない。……ただ少し」
言葉を区切ったシルバーの頭が微かに揺れる。
「……少し?」
「いや、なんでもない。お前の前にいると、どうにも緊張が解けすぎてしまうようだ」
シルバーは自嘲気味に笑うと、背もたれに深く身体を預けた。
彼の長い睫毛が瞬きをするたびにゆっくりと伏せられる。
「いつでも寝ていいですよ。今日は先輩が主役なんですから」
「いや、寝るわけにはいかない。せっかくお前と話しているんだ」
「でも、目が半分閉じかけています」
「閉じていない。……ほら、ちゃんと見えている」
証明するようにシルバーはぐっと目を見開いてみせる。
その仕草がどこか子どもっぽくて、二人の間に小さな笑いがこぼれた。それにつられるようにシルバーの目元も柔らかく緩む。
二人の間に穏やかな沈黙が流れる。
窓の外からは微かに風で葉が擦れ合う音が聞こえてくるだけだ。
静かで満ち足りた時間が談話室を満たしていく。
「ななし」
不意に低い声で名前が呼ばれた。
「なんですか?」
「こうして二人で過ごしていると不思議と心が落ち着く。お前が隣にいるだけで、普段の騒がしさが遠くへ行ってしまうようだ」
「わたしも同じです。先輩の隣は安心します」
「そうか。お前もそう思ってくれているなら、良かった」
シルバーは満足そうに頷くと、視線を窓の外へと向けた。
差し込む光が彼の横顔を淡く照らし出す。
「シルバー先輩」
「なんだ?」
「お誕生日、本当におめでとうございます。生まれてきてくれて、出会ってくれてありがとうございます」
真っ直ぐに紡がれた言葉にシルバーは一瞬だけ目を見張った。それから、言葉を探すように視線を彷徨わせたあと、ゆっくりと正面を見つめ直す。
「……出会ってくれて、か」
「はい」
「それは俺のセリフだな。お前がここへ来てくれて、俺たちの前に現れてくれたから、俺はこうして温かい誕生日を迎えることができている。お前のおかげだ、ななし」
そう言って向けられた微笑みは、いつになく熱を孕んでいるように見える。ほんの少しだけ、部屋の空気が変わる。
「あ……」
シルバーの手がソファの上に置かれていたななしの手に向けて、触れるか触れないかの距離までゆっくりと近づいていく。
ソファの上の距離は、もうほとんど残されていなかった。
触れ合うか触れ合わないかの境目で彷徨っていたシルバーの手が微かに動き、指先がななしの手の甲に触れた。
「……温かいな」
シルバーが、ぽつりと呟いた。
「シルバー先輩の手が、ですか?」
「いや、お前の手だ。俺の手が冷たく感じられるほどに」
「なんだか、意外です」
「鍛錬の後は血が巡るが、こうして静かにしていると、指先から冷えていくのかもしれない」
シルバーはそう言って触れていた指先をそっと重ね合わせた。
「ななし」
「なんですか?」
「お前とこうしていると、手の先から身体の奥へ温かいものが染み込んでいくような気がする。とても心地いい」
「それは、眠くなっているだけではないですか?」
「否定はできない。だが、それだけではないはずだ」
シルバーの言葉は少しずつ掠れた響きを帯びていく。
その長い睫毛が重そうに伏せられた。
抗えない眠気が再び彼を包み込もうとしている。
「……迷惑でなければ、少し寄りかかってもいいだろうか」
「どうぞ。先輩の誕生日ですから、好きなようにしてください」
「ありがとう」
シルバーの頭が、ゆっくりと傾いていく。
正式にななしの肩の上へとその重みが預けられた。
シルバーの柔らかな髪が首筋に微かに触れ、擽ったいような、胸の奥がくすぐられるような感覚がその場に生まれる。
「想像してたより、重いですね」
「すまない。重いか」
「いいえ、嬉しいです」
「そうか。なら、このままでいさせてくれ」
シルバーの呼吸は、次第に深く規則正しいものへと変わっていく。
けれど、完全に意識を手放しているわけではなかった。
肩に預けられた頭のすぐ近くで彼の呼吸の音が聞こえる。
その吐息が首元に微かな熱風を送るたび、二人の皮膚が粟立つような緊張感が走る。
「シルバー先輩」
「ん……」
「眠ってしまいましたか?」
「いや、まだ起きている。お前の声が聞こえるうちは、眠りたくない」
「無理しなくていいのに」
「無理はしていない。ただ、お前とこうして話している時間が、惜しいだけだ」
シルバーの声は、いつになく甘やかで低く響く。
お互いの距離が近すぎるせいで、相手の小さな変化がダイレクトに伝わってくる。肩に伝わるシルバーの心音。ドクドクと少しずつ早くなっていくその拍動に応じるように、もう一つの鼓動もまた、静かに速度を上げていった。
「シルバー先輩の、心臓の音が聞こえます」
「……お前のも聞こえる。少し、早いな」
「先輩のせいです」
「俺のせい、か。確かに、そうかもしれない。俺も今、胸の奥が酷く騒がしい」
シルバーはそう言うと重ねていた手を少しだけ動かした。
指の隙間に自分の指をゆっくりと滑り込ませていく。
指と指が絡み合い手のひらがぴったりと密着した。
逃げ場を失った熱が、お互いの手のひらの中で急激に膨らんでいく。
「ななし」
「はい」
「温かいな」
「先輩の手も温かいです」
「お前の熱が、俺に乗り移ったのだろう」
シルバーは繋いだ手に少しだけ力を込めた。
ぎゅっと握り返されるその強さは、彼が確かにそこにいるという実感を、強く深く植え付ける。
視界を覆う夕暮れの光が二人の影を濃くしていく。
光と影の中に溶け込むようにして、二人の輪郭は曖昧になっていった。
「……不思議だな」
シルバーが肩に頭を乗せたまま小さな声で呟く。
「何がですか?」
「お前と出会う前も、俺はここで、親父殿やみんなと過ごしていた。それはとても幸せな日々だった」
「はい」
「けれど、お前が隣にいる今は、それとはまた違う、胸の奥が焦がれるような……そんな熱を感じる。この熱は何なのだろうな」
シルバーの言葉には、確かな戸惑いと、それ以上の深い情愛が滲んでいた。
自分の胸の中で育っている感情の正体をまだ測りかねている彼の熱は、隣にいる存在へとしっかりと伝わっている。
「それは、きっと……」
言葉を紡ごうとした瞬間、シルバーの身体が微かに揺れた。
彼の身体の力が、さらに抜けていく。
「……すまない、ななし。少しだけ、目を閉じさせてくれ。……手を、離さないでいてくれるか」
「はい。離しません」
「ありがとう。お前が隣にいると、本当に、心地いい……」
シルバーの呟きは、やがて静かな寝息へと変わっていった。
完全に眠りに落ちた彼の顔は非常に穏やかだ。
けれど、繋がれた手の力は決して緩むことはなかった。
二人の体温が混ざり合い、静かな談話室の中で、その温もりだけが確かに息づいていた。
・
談話室を照らしていた夕暮れの朱色は、いつの間にか深い藍色へと移り変わっていた。
カーテンの隙間から滑り込む月光が、微睡みの中に沈む二人を静かに照らし出している。
シルバーの規則正しい寝息は、しばらくの間静寂の中に溶け込んでいた。
肩に預けられた確かな重みと指先から伝わる絶え間ない熱。
時間の感覚が曖昧になるほどの静けさの中で、不意にシルバーの指先が微かに動いた。
繋がれた手に、もう一度ぎゅっと力が込められる。
「……ん」
小さな呟きとともにシルバーの長い睫毛がゆっくりと持ち上がった。
まだ眠気の残る眼差しが、すぐ近くにある輪郭を捉える。
彼は頭を肩に預けたまま、しばらくの間その距離を測るようにじっと動きを止めていた。
「シルバー先輩、目が覚めましたか」
「……ああ」
掠れた低い声が首元に直接響く。
シルバーは頭を離そうとはせず、むしろ自身の額を肩口へ押し付けるようにして深く息を吐き出した。
「すまない。随分と長く眠ってしまった気がする」
「いいえ。とても気持ちよさそうに眠っていましたよ」
「お前が隣にいてくれたからだろうな」
ゆっくりと頭を持ち上げたシルバーの顔が、目と鼻の先にある。
遮るもののない至近距離で互いの呼吸が混ざり合う。
吐き出される吐息の熱が、互いの唇を微かに掠め、そのたびに胸の奥が締め付けられるような錯覚が生まれる。
どちらからともなく視線が離せなくなっていた。
「シルバー先輩」
「何だ、ななし」
「繋いだ手、まだ温かいですね」
シルバーは視線を落とし、絡み合わせたままの互いの指先を見つめた。
力を抜けばすぐにでも解けてしまうような、けれど決して離れることのない強さで結ばれた手。
「お前の熱が、ずっと俺の中に留まっている。……いや、お前の熱と俺の熱が、もう混ざり合って区別がつかないのかもしれないな」
シルバーの声音には、いつもの冷静さを揺るがすような微かな熱が混ざっている。
彼はもう片方の手をゆっくりと持ち上げ、その頬にそっと触れた。指先が肌を滑り、耳の後ろから髪をすくい上げる。
「お前と出会ってから、俺は少し変わったかもしれない」
「変わった?」
「ああ。お前と過ごす一分一秒が、これほどまでに惜しく愛おしいと感じる。……この胸の焦がれるような熱を、お前も同じように感じてくれているだろうか」
「わたしも感じています。言葉にできないくらい、ずっと」
その言葉が呼び水となったように、シルバーの顔がさらに近づいた。
触れ合うか触れ合わないかの限界まで近づいた唇から甘い囁きがこぼれ落ちる。
「なら、このまま、もう少しだけ甘えさせてくれ。今日は俺の誕生日なのだろう?」
「はい。ですから、好きなだけ」
「ありがとう」
シルバーは優しく目を閉じると、自身の額を相手の額へと重ね合わせた。
コツンと軽い音がして、互いの体温が額を通じて頭の奥へと染み込んでいく。
繋いだ手にはさらに強い力が込められ、決して離さないという無言の意思が伝わってきた。
二人の心臓の鼓動が暗闇の中で完全に重なり合って一つのリズムを刻む。
静寂に満ちた談話室には、もう言葉は必要なかった。
ただお互いの熱を感じ、お互いの存在を深く確かめ合うだけで胸の奥にある感情のすべてが伝わっていく。
「来年も、その先も、こうしてお前といたい」
「はい。一番近くでお祝いさせてください」
シルバーは嬉しそうに、けれどどこか愛おしさに耐えかねたように深く笑い、頬を包み込む手に力を込めた。
月明かりに照らされた二人の影は、いつまでも一つに重なり合ったまま揺れていた。
シルバーは背もたれに身体を預け、穏やかな表情で正面を見つめている。その向かい側には、一つの小さな包みを抱えたななしの姿があった。
「シルバー先輩、少しだけお時間をいただけますか」
「ななしか。どうした、改まった様子で」
「これ、受け取ってほしくて」
差し出されたリボン付きの包みを、シルバーは両手で丁寧に受け取る。少しだけ意外そうに瞬きをくり返したあと、何かを思い出したように口元を緩めた。
「俺に? ……あ、そうか。今日は俺の誕生日だったな」
「自分の誕生日を忘れるなんて、シルバー先輩らしいです」
「すまない。親父殿やセベクからも朝から祝ってもらったというのに、少し時間が経つと頭から抜けてしまう。……ありがとう、ななし。開けてもいいだろうか」
「もちろんです」
リボンが解かれ、包みの中から現れたのは木製のシンプルな写真立てだった。装飾は控えめだが温かみのある風合いのものだ。
シルバーはそれを手のひらに乗せ、じっと見つめる。
「これは……写真立てか」
「はい。思い出を飾るのにどうかな、と」
「大切に使わせてもらう。親父殿たちとの写真や、それから……お前と撮った写真も、これに飾ろう」
シルバーは嬉しそうに目を細めると、写真立てを愛おしそうに撫でた。
「気に入ってもらえて良かったです」
「……だが、俺ばかり貰ってばかりでは申し訳ないな。何かお返しがしたいのだが」
「お返しだなんて、先輩の誕生日なんですから気にしないでください」
「そうはいかない。お祝いの気持ちを受け取ったのだから、俺からも何かを返したい。それが普通だろう」
シルバーの口調には譲らない頑固さが混ざる。
真っ直ぐな視線がななしへと向けられた。
「じゃあ、そうですね……。お返しというわけではないですけど、少しだけここで一緒にのんびりしてくれませんか」
「のんびり、か。それだけでいいのか?」
「それがいいんです」
「分かった。それならいくらでも付き合おう。ちょうど急ぎの用事もないからな」
シルバーがソファの端へと少しだけ身体をずらす。
空いたスペースを軽く叩き、隣に座るよう促した。
「失礼します」
二人の距離が縮まる。
肩が触れ合わない程度の、けれどお互いの息遣いが届くくらいの距離。
「ななしは、最近忙しくしていたな。体調は崩していないか」
「大丈夫ですよ。シルバー先輩こそ、授業と部活と毎日の鍛錬で疲れていませんか」
「俺は鍛錬が日常の一部になっているからな。疲れるということはない。……ただ少し」
言葉を区切ったシルバーの頭が微かに揺れる。
「……少し?」
「いや、なんでもない。お前の前にいると、どうにも緊張が解けすぎてしまうようだ」
シルバーは自嘲気味に笑うと、背もたれに深く身体を預けた。
彼の長い睫毛が瞬きをするたびにゆっくりと伏せられる。
「いつでも寝ていいですよ。今日は先輩が主役なんですから」
「いや、寝るわけにはいかない。せっかくお前と話しているんだ」
「でも、目が半分閉じかけています」
「閉じていない。……ほら、ちゃんと見えている」
証明するようにシルバーはぐっと目を見開いてみせる。
その仕草がどこか子どもっぽくて、二人の間に小さな笑いがこぼれた。それにつられるようにシルバーの目元も柔らかく緩む。
二人の間に穏やかな沈黙が流れる。
窓の外からは微かに風で葉が擦れ合う音が聞こえてくるだけだ。
静かで満ち足りた時間が談話室を満たしていく。
「ななし」
不意に低い声で名前が呼ばれた。
「なんですか?」
「こうして二人で過ごしていると不思議と心が落ち着く。お前が隣にいるだけで、普段の騒がしさが遠くへ行ってしまうようだ」
「わたしも同じです。先輩の隣は安心します」
「そうか。お前もそう思ってくれているなら、良かった」
シルバーは満足そうに頷くと、視線を窓の外へと向けた。
差し込む光が彼の横顔を淡く照らし出す。
「シルバー先輩」
「なんだ?」
「お誕生日、本当におめでとうございます。生まれてきてくれて、出会ってくれてありがとうございます」
真っ直ぐに紡がれた言葉にシルバーは一瞬だけ目を見張った。それから、言葉を探すように視線を彷徨わせたあと、ゆっくりと正面を見つめ直す。
「……出会ってくれて、か」
「はい」
「それは俺のセリフだな。お前がここへ来てくれて、俺たちの前に現れてくれたから、俺はこうして温かい誕生日を迎えることができている。お前のおかげだ、ななし」
そう言って向けられた微笑みは、いつになく熱を孕んでいるように見える。ほんの少しだけ、部屋の空気が変わる。
「あ……」
シルバーの手がソファの上に置かれていたななしの手に向けて、触れるか触れないかの距離までゆっくりと近づいていく。
ソファの上の距離は、もうほとんど残されていなかった。
触れ合うか触れ合わないかの境目で彷徨っていたシルバーの手が微かに動き、指先がななしの手の甲に触れた。
「……温かいな」
シルバーが、ぽつりと呟いた。
「シルバー先輩の手が、ですか?」
「いや、お前の手だ。俺の手が冷たく感じられるほどに」
「なんだか、意外です」
「鍛錬の後は血が巡るが、こうして静かにしていると、指先から冷えていくのかもしれない」
シルバーはそう言って触れていた指先をそっと重ね合わせた。
「ななし」
「なんですか?」
「お前とこうしていると、手の先から身体の奥へ温かいものが染み込んでいくような気がする。とても心地いい」
「それは、眠くなっているだけではないですか?」
「否定はできない。だが、それだけではないはずだ」
シルバーの言葉は少しずつ掠れた響きを帯びていく。
その長い睫毛が重そうに伏せられた。
抗えない眠気が再び彼を包み込もうとしている。
「……迷惑でなければ、少し寄りかかってもいいだろうか」
「どうぞ。先輩の誕生日ですから、好きなようにしてください」
「ありがとう」
シルバーの頭が、ゆっくりと傾いていく。
正式にななしの肩の上へとその重みが預けられた。
シルバーの柔らかな髪が首筋に微かに触れ、擽ったいような、胸の奥がくすぐられるような感覚がその場に生まれる。
「想像してたより、重いですね」
「すまない。重いか」
「いいえ、嬉しいです」
「そうか。なら、このままでいさせてくれ」
シルバーの呼吸は、次第に深く規則正しいものへと変わっていく。
けれど、完全に意識を手放しているわけではなかった。
肩に預けられた頭のすぐ近くで彼の呼吸の音が聞こえる。
その吐息が首元に微かな熱風を送るたび、二人の皮膚が粟立つような緊張感が走る。
「シルバー先輩」
「ん……」
「眠ってしまいましたか?」
「いや、まだ起きている。お前の声が聞こえるうちは、眠りたくない」
「無理しなくていいのに」
「無理はしていない。ただ、お前とこうして話している時間が、惜しいだけだ」
シルバーの声は、いつになく甘やかで低く響く。
お互いの距離が近すぎるせいで、相手の小さな変化がダイレクトに伝わってくる。肩に伝わるシルバーの心音。ドクドクと少しずつ早くなっていくその拍動に応じるように、もう一つの鼓動もまた、静かに速度を上げていった。
「シルバー先輩の、心臓の音が聞こえます」
「……お前のも聞こえる。少し、早いな」
「先輩のせいです」
「俺のせい、か。確かに、そうかもしれない。俺も今、胸の奥が酷く騒がしい」
シルバーはそう言うと重ねていた手を少しだけ動かした。
指の隙間に自分の指をゆっくりと滑り込ませていく。
指と指が絡み合い手のひらがぴったりと密着した。
逃げ場を失った熱が、お互いの手のひらの中で急激に膨らんでいく。
「ななし」
「はい」
「温かいな」
「先輩の手も温かいです」
「お前の熱が、俺に乗り移ったのだろう」
シルバーは繋いだ手に少しだけ力を込めた。
ぎゅっと握り返されるその強さは、彼が確かにそこにいるという実感を、強く深く植え付ける。
視界を覆う夕暮れの光が二人の影を濃くしていく。
光と影の中に溶け込むようにして、二人の輪郭は曖昧になっていった。
「……不思議だな」
シルバーが肩に頭を乗せたまま小さな声で呟く。
「何がですか?」
「お前と出会う前も、俺はここで、親父殿やみんなと過ごしていた。それはとても幸せな日々だった」
「はい」
「けれど、お前が隣にいる今は、それとはまた違う、胸の奥が焦がれるような……そんな熱を感じる。この熱は何なのだろうな」
シルバーの言葉には、確かな戸惑いと、それ以上の深い情愛が滲んでいた。
自分の胸の中で育っている感情の正体をまだ測りかねている彼の熱は、隣にいる存在へとしっかりと伝わっている。
「それは、きっと……」
言葉を紡ごうとした瞬間、シルバーの身体が微かに揺れた。
彼の身体の力が、さらに抜けていく。
「……すまない、ななし。少しだけ、目を閉じさせてくれ。……手を、離さないでいてくれるか」
「はい。離しません」
「ありがとう。お前が隣にいると、本当に、心地いい……」
シルバーの呟きは、やがて静かな寝息へと変わっていった。
完全に眠りに落ちた彼の顔は非常に穏やかだ。
けれど、繋がれた手の力は決して緩むことはなかった。
二人の体温が混ざり合い、静かな談話室の中で、その温もりだけが確かに息づいていた。
・
談話室を照らしていた夕暮れの朱色は、いつの間にか深い藍色へと移り変わっていた。
カーテンの隙間から滑り込む月光が、微睡みの中に沈む二人を静かに照らし出している。
シルバーの規則正しい寝息は、しばらくの間静寂の中に溶け込んでいた。
肩に預けられた確かな重みと指先から伝わる絶え間ない熱。
時間の感覚が曖昧になるほどの静けさの中で、不意にシルバーの指先が微かに動いた。
繋がれた手に、もう一度ぎゅっと力が込められる。
「……ん」
小さな呟きとともにシルバーの長い睫毛がゆっくりと持ち上がった。
まだ眠気の残る眼差しが、すぐ近くにある輪郭を捉える。
彼は頭を肩に預けたまま、しばらくの間その距離を測るようにじっと動きを止めていた。
「シルバー先輩、目が覚めましたか」
「……ああ」
掠れた低い声が首元に直接響く。
シルバーは頭を離そうとはせず、むしろ自身の額を肩口へ押し付けるようにして深く息を吐き出した。
「すまない。随分と長く眠ってしまった気がする」
「いいえ。とても気持ちよさそうに眠っていましたよ」
「お前が隣にいてくれたからだろうな」
ゆっくりと頭を持ち上げたシルバーの顔が、目と鼻の先にある。
遮るもののない至近距離で互いの呼吸が混ざり合う。
吐き出される吐息の熱が、互いの唇を微かに掠め、そのたびに胸の奥が締め付けられるような錯覚が生まれる。
どちらからともなく視線が離せなくなっていた。
「シルバー先輩」
「何だ、ななし」
「繋いだ手、まだ温かいですね」
シルバーは視線を落とし、絡み合わせたままの互いの指先を見つめた。
力を抜けばすぐにでも解けてしまうような、けれど決して離れることのない強さで結ばれた手。
「お前の熱が、ずっと俺の中に留まっている。……いや、お前の熱と俺の熱が、もう混ざり合って区別がつかないのかもしれないな」
シルバーの声音には、いつもの冷静さを揺るがすような微かな熱が混ざっている。
彼はもう片方の手をゆっくりと持ち上げ、その頬にそっと触れた。指先が肌を滑り、耳の後ろから髪をすくい上げる。
「お前と出会ってから、俺は少し変わったかもしれない」
「変わった?」
「ああ。お前と過ごす一分一秒が、これほどまでに惜しく愛おしいと感じる。……この胸の焦がれるような熱を、お前も同じように感じてくれているだろうか」
「わたしも感じています。言葉にできないくらい、ずっと」
その言葉が呼び水となったように、シルバーの顔がさらに近づいた。
触れ合うか触れ合わないかの限界まで近づいた唇から甘い囁きがこぼれ落ちる。
「なら、このまま、もう少しだけ甘えさせてくれ。今日は俺の誕生日なのだろう?」
「はい。ですから、好きなだけ」
「ありがとう」
シルバーは優しく目を閉じると、自身の額を相手の額へと重ね合わせた。
コツンと軽い音がして、互いの体温が額を通じて頭の奥へと染み込んでいく。
繋いだ手にはさらに強い力が込められ、決して離さないという無言の意思が伝わってきた。
二人の心臓の鼓動が暗闇の中で完全に重なり合って一つのリズムを刻む。
静寂に満ちた談話室には、もう言葉は必要なかった。
ただお互いの熱を感じ、お互いの存在を深く確かめ合うだけで胸の奥にある感情のすべてが伝わっていく。
「来年も、その先も、こうしてお前といたい」
「はい。一番近くでお祝いさせてください」
シルバーは嬉しそうに、けれどどこか愛おしさに耐えかねたように深く笑い、頬を包み込む手に力を込めた。
月明かりに照らされた二人の影は、いつまでも一つに重なり合ったまま揺れていた。
