◯◯しないと出られない部屋
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冷徹な空気が漂う閉ざされた空間。
ななしは手に持っていたスマホの画面に気を取られているうちに、いつの間にか窓のない無機質な金属壁に囲まれた不気味な部屋へと迷い込んでいた。
「あれ? わたし、さっきまで別の場所にいたはずなのに……」
「ヒッ!? な、ななな何これ!? 拙者、自室でネトゲのレイド戦に参戦中だったはずでは!?」
部屋の隅で悲痛な叫び声が響いた。
イグニハイド寮長イデア・シュラウドが青い髪を激しく揺らしながら、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
「イデア先輩!? どうしてここに……」
「拙者が聞きたいでござるよ! というか、なんでななし氏もいるわけ!?」
イデアはガタガタと震えながら、部屋の唯一の出口である重厚な電子ロック式の扉を睨みつけた。その扉の液晶画面に、禍々しい紫色の文字がシステムログのようにじわじわと浮かび上がっていく。
ブラウザの履歴を見せ合わないと出られない部屋
「……ブラウザの履歴を見せ合う?」
ななしは画面の文字をそのまま口に出し小首を傾げた。
特に見られて困るような怪しいサイトを見ているわけでもないため、これといって危機感を抱く要素が見当たらない。
「なっ、何言ってるのこの部屋! 狂ってる! 完全にシステムバグってるよ!?」
しかし隣のイデアは、この世の終わりを迎えたかのように顔面を蒼白にさせ懐の端末をぎゅっと胸元に隠した。
「イデア先輩……あの、どうにかしてこの扉を開ける方法は……」
「無理に決まってるでしょ!? 拙者の魔力も完全に遮断されてるんだってば! はぁー、詰んだ、完全に詰んだこれ。拙者のデジタルプライバシーが今ここで爆散する未来しか見えない……」
イデアの髪が彼の絶望に比例するようにシュルシュルと縮むように見えた。ななしは自分のスマホをポケットから取り出し、気楽にイデアへと差し出した。
「わたしは別に、イデア先輩に見られて困るような履歴はないですよ? 先にどうぞ」
「いやいやいや! ななし氏、検索履歴っていうのはね、人間の脳内エロティシズムとか、コンプレックスとか、人に見せられない業の結晶なわけ! それをそんな簡単にどうぞって、どんだけセキュリティ意識ガバガバなんだよ!」
「そうですか? 魔法薬学の課題の調べ物とか、新作お菓子の発売日くらいしか載ってないと思いますけど……」
「それが眩しいって言ってるの! 陽キャの健全なライフログなんて、拙者のような陰キャが見たら網膜が焼かれて即死するわ!」
イデアは壁に背中を預け、長い前髪の隙間から恨みがましそうにななしを睨みつけた。
部屋の空調が彼の焦燥に呼応するように、じわじわと温度を上げ始めているような錯覚を覚える。
「でも見せ合わないとここから出られないんですよね? 諦めてスマホ交換しましょう、イデア先輩」
「う、動くな! 拙者にそれ以上近づくなし……! 君がそうやって無自覚にパーソナルスペースを侵食してくるの、拙者の心臓に負荷がかかって熱暴走するから本当にやめて!?」
イデアがそう叫びながらも、端末を握る指先をきつく震わせる。
彼の長い指が画面のバックライトに照らされて怪しく浮かび上がっていた。触れ合ってもいないのに、二人の間の空気がじっとりとした妙な熱を帯び始めていた。
イデアが懐にスマホを死守したまま一歩後退するのと、ななしが画面を差し出しながらもう一歩にじり寄るのと言葉の応酬は完全に平行線をたどっていた。狭い室内の気圧がじわじわと高まるような、奇妙な熱気が二人の間に滞留し始める。
「いいから早く見せてくださいよ。大体、イデア先輩がそんなに拒絶するほどの履歴って何なんですか。まさか犯罪の計画とかじゃないですよね?」
「違うわ! 拙者は至って善良な一般ネット市民でござる! ただその、他人に覗かれたら尊厳が塵となって消滅するタイプの、こう、特殊なこだわりというか、推し活のログとかがだね……!」
イデアの声は焦りで上ずりながらも、どこか必死な響きを帯びていた。
彼が防衛本能のままにスマホを抱え込むため、二人の距離は皮肉にもあり得ないほどに急接近している。
「推し活のログくらい、わたし気にしませんよ。アニメとかゲームのことでしょ?」
「君ねぇ! その無防備な光属性100%の精神が、拙者みたいなド陰キャの精神をガリガリ削る特効なんだって気付いて!? そもそも、直近一カ月のログって言ったら……あ、待って。一カ月ってことは……」
何かに気づいた瞬間、イデアの動きが完全に凍りついた。前髪の隙間から覗く瞳が、驚愕とそれを遥かに凌駕するほどの戦慄に大きく見開かれる。
「……イデア先輩?」
「嫌だ嫌だ嫌だ死んでも見せられない! ギブギブギブ! 拙者ここで生涯を終える! この部屋の地縛霊として余生を過ごす所存! ななし氏、悪いことは言わないから君だけ力ずくで脱出しなされ!」
「無茶言わないでください。どうしたんですか、急に顔まで真っ赤にして」
「赤くなってない!」
イデアは半狂乱になりながらもななしの顔が至近距離まで迫っていることに気づき、あからさまに視線を彷徨わせた。
彼の長い指が端末の音量ボタンをギチギチと軋ませる。その指先から伝わるじっとりとした熱と、普段の冷静なオタク口調を忘れて取り乱す彼の態度にななしは不思議な緊張感を覚え始めていた。
「そんなに頑なだと、逆に気になります。……見せてくれないなら、わたし、先輩の手から無理やり奪っちゃいますよ?」
「ヒエッ……! 待って、急な物理攻撃は規約違反っ……! ちょ、ななし氏、マジで近、近いってば……っ!」
逃げ場のない壁の前にイデアを追い詰めた形になり、二人の距離はついに数センチの境界線を越えようとしていた。イデアの髪が、まるで彼の内心の動揺をそっくりそのまま映し出すように激しくそして妖しくゆらゆらと燃え上がっていた。
「……っ、もう、勘弁してくだされ……」
イデアの声は先ほどまでの大声を嘘のように潜め、ひどく掠れた消え入りそうな低音へと変わっていた。
スマホを胸元で死守する彼の長い両腕が、まるでななしを拒絶するのではなく、その身体を自らの腕の中に閉じ込めるような歪な檻の形を成していく。
イデアの内側を占めていたのは、データが流出することへの恐怖などではなかった。至近距離から真っ直ぐに見つめてくる、どこまでも無防備で、邪気のない瞳。
その存在そのものが彼の冷徹な理性をじわじわと甘い熱で侵食していた。直近の検索履歴――そこに並ぶ『三次元 女性 接し方』『手土産 女性 喜ぶ』『異世界人 体調不良 対処法』といった、目の前の少女に関する無数のログを覗かれることは、自らの歪んだ独占欲と恋情を剥き出しにされることに他ならなかった。
(こんな近距離で……拙者の醜い執着の塊を見られたら、もうネットの影から見守ることすらできなくなる……!)
「イデア先輩……そこまで嫌なら、もう無理には言いません。でも何がそんなに駄目なんですか?」
「……君のせいに決まってるでしょ、バカ……」
「え……?」
「もう嫌だ、拙者の負け。……全部見せるから、その代わり責任取ってよね」
イデアは観念したように自嘲気味に呟くとスマホを握っていた力をふっと抜き、その長い右腕をそのままななしの背中へと回した。
ドンと鈍い音が響き、ななしの身体がイデアの細くも引き締まった胸板へと強く引き寄せられる。
脳裏が真っ白に染まるほどの衝撃のなかで、ななしの視界は彼の青い残像と至近距離に迫った瞳でいっぱいになった。
イデアはななしのスマホを持つ左手を自らの手ごと包み込み、そのままお互いの画面を強引に重なり合わせるようにスクロールさせた。触れ合う指先から電子回路のような痺れるような熱が全身へと駆け抜けていく。
「ほら、見てくだされ。拙者の脳内メモリの最重要隠しフォルダを。……全部、君のことしか入ってないんすわ」
その濃厚な告白の瞬間、カチリ――と部屋の電子ロックが静かに解錠される。重厚な金属の扉が音もなく開き、見慣れた学園の廊下の景色が向こう側に広がった。
しかし、イデアはななしを抱きすくめた腕を微かにも緩めようとはしなかった。
「……あ、あの、イデア先輩? 扉、開きましたよ……?」
「開いたから何だって言うわけ? 拙者のプライバシーをここまで暴いておいて、ログアウトして逃げられると思ったら大間違いだから」
開かれた扉の向こうへ進むことなく、イデアはななしをさらに深く逃がさないように抱き寄せた。
光の戻った空間の中で、ようやく事の重大さに気づいて赤くなっていくななしの顔を、イデアは前髪の隙間からいつまでも見つめていた。
ななしは手に持っていたスマホの画面に気を取られているうちに、いつの間にか窓のない無機質な金属壁に囲まれた不気味な部屋へと迷い込んでいた。
「あれ? わたし、さっきまで別の場所にいたはずなのに……」
「ヒッ!? な、ななな何これ!? 拙者、自室でネトゲのレイド戦に参戦中だったはずでは!?」
部屋の隅で悲痛な叫び声が響いた。
イグニハイド寮長イデア・シュラウドが青い髪を激しく揺らしながら、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
「イデア先輩!? どうしてここに……」
「拙者が聞きたいでござるよ! というか、なんでななし氏もいるわけ!?」
イデアはガタガタと震えながら、部屋の唯一の出口である重厚な電子ロック式の扉を睨みつけた。その扉の液晶画面に、禍々しい紫色の文字がシステムログのようにじわじわと浮かび上がっていく。
ブラウザの履歴を見せ合わないと出られない部屋
「……ブラウザの履歴を見せ合う?」
ななしは画面の文字をそのまま口に出し小首を傾げた。
特に見られて困るような怪しいサイトを見ているわけでもないため、これといって危機感を抱く要素が見当たらない。
「なっ、何言ってるのこの部屋! 狂ってる! 完全にシステムバグってるよ!?」
しかし隣のイデアは、この世の終わりを迎えたかのように顔面を蒼白にさせ懐の端末をぎゅっと胸元に隠した。
「イデア先輩……あの、どうにかしてこの扉を開ける方法は……」
「無理に決まってるでしょ!? 拙者の魔力も完全に遮断されてるんだってば! はぁー、詰んだ、完全に詰んだこれ。拙者のデジタルプライバシーが今ここで爆散する未来しか見えない……」
イデアの髪が彼の絶望に比例するようにシュルシュルと縮むように見えた。ななしは自分のスマホをポケットから取り出し、気楽にイデアへと差し出した。
「わたしは別に、イデア先輩に見られて困るような履歴はないですよ? 先にどうぞ」
「いやいやいや! ななし氏、検索履歴っていうのはね、人間の脳内エロティシズムとか、コンプレックスとか、人に見せられない業の結晶なわけ! それをそんな簡単にどうぞって、どんだけセキュリティ意識ガバガバなんだよ!」
「そうですか? 魔法薬学の課題の調べ物とか、新作お菓子の発売日くらいしか載ってないと思いますけど……」
「それが眩しいって言ってるの! 陽キャの健全なライフログなんて、拙者のような陰キャが見たら網膜が焼かれて即死するわ!」
イデアは壁に背中を預け、長い前髪の隙間から恨みがましそうにななしを睨みつけた。
部屋の空調が彼の焦燥に呼応するように、じわじわと温度を上げ始めているような錯覚を覚える。
「でも見せ合わないとここから出られないんですよね? 諦めてスマホ交換しましょう、イデア先輩」
「う、動くな! 拙者にそれ以上近づくなし……! 君がそうやって無自覚にパーソナルスペースを侵食してくるの、拙者の心臓に負荷がかかって熱暴走するから本当にやめて!?」
イデアがそう叫びながらも、端末を握る指先をきつく震わせる。
彼の長い指が画面のバックライトに照らされて怪しく浮かび上がっていた。触れ合ってもいないのに、二人の間の空気がじっとりとした妙な熱を帯び始めていた。
イデアが懐にスマホを死守したまま一歩後退するのと、ななしが画面を差し出しながらもう一歩にじり寄るのと言葉の応酬は完全に平行線をたどっていた。狭い室内の気圧がじわじわと高まるような、奇妙な熱気が二人の間に滞留し始める。
「いいから早く見せてくださいよ。大体、イデア先輩がそんなに拒絶するほどの履歴って何なんですか。まさか犯罪の計画とかじゃないですよね?」
「違うわ! 拙者は至って善良な一般ネット市民でござる! ただその、他人に覗かれたら尊厳が塵となって消滅するタイプの、こう、特殊なこだわりというか、推し活のログとかがだね……!」
イデアの声は焦りで上ずりながらも、どこか必死な響きを帯びていた。
彼が防衛本能のままにスマホを抱え込むため、二人の距離は皮肉にもあり得ないほどに急接近している。
「推し活のログくらい、わたし気にしませんよ。アニメとかゲームのことでしょ?」
「君ねぇ! その無防備な光属性100%の精神が、拙者みたいなド陰キャの精神をガリガリ削る特効なんだって気付いて!? そもそも、直近一カ月のログって言ったら……あ、待って。一カ月ってことは……」
何かに気づいた瞬間、イデアの動きが完全に凍りついた。前髪の隙間から覗く瞳が、驚愕とそれを遥かに凌駕するほどの戦慄に大きく見開かれる。
「……イデア先輩?」
「嫌だ嫌だ嫌だ死んでも見せられない! ギブギブギブ! 拙者ここで生涯を終える! この部屋の地縛霊として余生を過ごす所存! ななし氏、悪いことは言わないから君だけ力ずくで脱出しなされ!」
「無茶言わないでください。どうしたんですか、急に顔まで真っ赤にして」
「赤くなってない!」
イデアは半狂乱になりながらもななしの顔が至近距離まで迫っていることに気づき、あからさまに視線を彷徨わせた。
彼の長い指が端末の音量ボタンをギチギチと軋ませる。その指先から伝わるじっとりとした熱と、普段の冷静なオタク口調を忘れて取り乱す彼の態度にななしは不思議な緊張感を覚え始めていた。
「そんなに頑なだと、逆に気になります。……見せてくれないなら、わたし、先輩の手から無理やり奪っちゃいますよ?」
「ヒエッ……! 待って、急な物理攻撃は規約違反っ……! ちょ、ななし氏、マジで近、近いってば……っ!」
逃げ場のない壁の前にイデアを追い詰めた形になり、二人の距離はついに数センチの境界線を越えようとしていた。イデアの髪が、まるで彼の内心の動揺をそっくりそのまま映し出すように激しくそして妖しくゆらゆらと燃え上がっていた。
「……っ、もう、勘弁してくだされ……」
イデアの声は先ほどまでの大声を嘘のように潜め、ひどく掠れた消え入りそうな低音へと変わっていた。
スマホを胸元で死守する彼の長い両腕が、まるでななしを拒絶するのではなく、その身体を自らの腕の中に閉じ込めるような歪な檻の形を成していく。
イデアの内側を占めていたのは、データが流出することへの恐怖などではなかった。至近距離から真っ直ぐに見つめてくる、どこまでも無防備で、邪気のない瞳。
その存在そのものが彼の冷徹な理性をじわじわと甘い熱で侵食していた。直近の検索履歴――そこに並ぶ『三次元 女性 接し方』『手土産 女性 喜ぶ』『異世界人 体調不良 対処法』といった、目の前の少女に関する無数のログを覗かれることは、自らの歪んだ独占欲と恋情を剥き出しにされることに他ならなかった。
(こんな近距離で……拙者の醜い執着の塊を見られたら、もうネットの影から見守ることすらできなくなる……!)
「イデア先輩……そこまで嫌なら、もう無理には言いません。でも何がそんなに駄目なんですか?」
「……君のせいに決まってるでしょ、バカ……」
「え……?」
「もう嫌だ、拙者の負け。……全部見せるから、その代わり責任取ってよね」
イデアは観念したように自嘲気味に呟くとスマホを握っていた力をふっと抜き、その長い右腕をそのままななしの背中へと回した。
ドンと鈍い音が響き、ななしの身体がイデアの細くも引き締まった胸板へと強く引き寄せられる。
脳裏が真っ白に染まるほどの衝撃のなかで、ななしの視界は彼の青い残像と至近距離に迫った瞳でいっぱいになった。
イデアはななしのスマホを持つ左手を自らの手ごと包み込み、そのままお互いの画面を強引に重なり合わせるようにスクロールさせた。触れ合う指先から電子回路のような痺れるような熱が全身へと駆け抜けていく。
「ほら、見てくだされ。拙者の脳内メモリの最重要隠しフォルダを。……全部、君のことしか入ってないんすわ」
その濃厚な告白の瞬間、カチリ――と部屋の電子ロックが静かに解錠される。重厚な金属の扉が音もなく開き、見慣れた学園の廊下の景色が向こう側に広がった。
しかし、イデアはななしを抱きすくめた腕を微かにも緩めようとはしなかった。
「……あ、あの、イデア先輩? 扉、開きましたよ……?」
「開いたから何だって言うわけ? 拙者のプライバシーをここまで暴いておいて、ログアウトして逃げられると思ったら大間違いだから」
開かれた扉の向こうへ進むことなく、イデアはななしをさらに深く逃がさないように抱き寄せた。
光の戻った空間の中で、ようやく事の重大さに気づいて赤くなっていくななしの顔を、イデアは前髪の隙間からいつまでも見つめていた。
