歌詞シリーズ
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営業時間外のモストロ・ラウンジは昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。巨大な水槽から投げかけられる青い光が、誰もいない客席を淡く照らす。
ななしはカウンターの端の席に腰掛け、温かいハーブティーの入ったカップを両手で包み込んでいた。カウンターの向こう側では、ジェイドが慣れた手つきでグラスを磨いている。
「外はずいぶんと激しい雨が降っているようですね、ななしさん」
ジェイドは手元を動かしたまま、低く穏やかな声で呟く。
「そうなんですか? ここにいると、本当に何も聞こえないので全然気づきませんでした。ジェイド先輩よく分かりましたね」
悪戯っぽく微笑みながら、ジェイドがようやく視線をこちらに巡らせる。その瞳が水槽の青い光を反射して、不思議な輝きを帯びて見えた。
「完全に切り離されているみたいで、不思議な感覚です」
「ええ。ですが、この静けさは嫌いではありませんよ。陸にいながらにして、かつての世界の記憶に深く浸れるような、奇妙な心地よさがありますから」
ジェイドは磨き終えたグラスを棚に収めると、カウンターを回り込んでななしの隣の席へと歩み寄る。その所作はどこまでも優雅で足音さえも水に溶けるように静かだった。
「かつての世界、ですか」
「ええ。地上を叩く容赦のない水は、僕たちにとっては心地よい檻を連想させます。……少し、冷えますね」
そう言って、ジェイドはほんの少しだけななしの方へと身体を寄せた。
水槽の向こうで揺らめく魚たちの影が、二人の足元に長い陰影を落とす。外の天候から完全に隔離されたラウンジは、まるで地上のすべてから切り離されたシェルターのようになっていた。
「ななしさん。あなたの手、少し冷たいですね」
ジェイドの指先がカップを握るななしの指に触れるか触れないかの距離でそっと幾度も這う。
「そうですか?」
「無自覚なのは困ったものです。凍えてしまう前に、僕が温めて差し上げましょう」
躊躇いなく重ねられたジェイドの手のひらは驚くほどに熱を持っていた。人魚のイメージとは裏腹な生々しい体温。それが肌を通じてじわじわと伝わってくる。
「ジェイド先輩の手、すごく温かいです」
「意外でしたか?」
「意外でしたけど、心地いいです」
「光栄です。僕のような陸に上がった生き物の体温が、あなたに心地よいと感じていただけるなんて」
ジェイドの親指がななしの甲をゆっくりと撫でるように滑る。そのひと擦りごとに皮膚の裏側がジリジリと熱を帯びていくような感覚が走る。
「まるで鱗の隙間に熱が入り込んでいくようだ」
ジェイドが小さく、誰に言うでもなく呟いた。
「鱗……?」
「なんでもありません。ただ、あなたの呼吸が少し早くなっているのが、手元から伝わってきます」
見上げると、ジェイドの目がいつもより深く、暗い色を湛えていた。その視線に射すくめられると、身体の芯からじわじわと言いようのない熱が湧き上がってくる。逃げ出したいような、もっと近くに寄りたいような、矛盾した感情が胸を支配し始める。
「そんなに、見つめられると……」
「おや、嫌ですか? 僕はただ、あなたをよく観察したいだけなのですが。……いいえ、観察、というのは嘘になりますね」
ジェイドの声のトーンが一段と低くなる。
彼の吐息がななしの頬をかすめた。
空間が濃密な何かに満たされていく。
水槽の水の音すらもう遠い世界の出来事のようにしか聞こえない。耳の奥で鳴っているのは脈打つ自分と、そして目の前の男の血の音のようだった。
ジェイドの手がななしの手首へと滑り、そのままゆっくりと引き寄せられる。
「ななしさん」
名前を呼ぶ声が鼓膜を直接揺らす。
彼の内側にある普段は隠されている剥き出しの何かが、その瞳の奥で揺らめいていた。それは飢えに似た、あるいはもっと深い場所にある独占欲のようなもの。
「先輩、あの……」
「言葉は、時に邪魔になります」
ジェイドの片手がななしの頬を包み込む。指先が今は何よりも熱く、触れられた場所から溶けてしまいそうになる。
「あなたの世界には、僕の知らない綺麗なものがたくさんあるのでしょう。ですが、この薄暗い水底のような空間では、あなたが見るものは僕だけでいい。……そう思いませんか?」
その言葉は穏やかながらも、拒絶を許さない絶対的な響きを持っていた。
ジェイドの顔が近づく。彼の長い睫毛が、濡れたように光る瞳が、視界のすべてを覆い尽くしていく。
「ジェイド先輩、わたし――」
「静かに。あなたのすべてを、僕に委ねてください」
互いの境界線が曖昧になるほどの距離で、ジェイドは深く息を吸い込んだ。まるでななしという存在そのものを、自分の肺腑に満たそうとするかのように。
重なり合う互いの吐息だけがラウンジの静寂に溶けていく。
ジェイドの顔がさらに近づき、視界のすべてが彼の端正な輪郭と怪しく揺らめく瞳で満たされた。
「……ジェイド先輩」
「なんでしょう?」
ジェイドは囁きながら、頬を包む手のひらの温度をさらに一段、上げていく。その熱は単なる体温ではない。彼の胸の奥底にくすぶる、ひどく剥き出しで濁った激情そのもののようだった。
陸の上でどれほど紳士的に振る舞おうとも、本質は冷徹で貪欲な捕食者であるという事実が、その手の熱を通じてダイレクトに脳へと流れ込んでくる。
「なんだか、息が……うまくできなくて」
「おや。それは僕のせい、でしょうか」
ジェイドは困ったように眉を下げてみせるが、その瞳は微塵も笑っていない。むしろ狙い通りに絡め取られていく獲物を愉しむような、酷薄でそれでいて狂おしいほどの愛おしさが滲み出ていた。
「もし苦しいのなら、無理に呼吸をしようとしなくていい。僕があなたの息を、すべて引き受けて差し上げますから」
じわりとさらに距離が詰まる。
触れ合う唇の隙間から彼の熱い呼気が流れ込んできた。
それはまるで冷たい水底に引きずり込まれながら、彼の肺にある空気だけで生かされているような奇妙な全能感と恐怖。
「ん……っ」
「深く、力を抜いてください。逆らおうとすればするほど、溺れてしまうだけですよ」
ジェイドの言葉は頭の芯を痺れさせる甘い毒のようだった。
彼の指先が髪をすくい、首筋から鎖骨へとゆっくりと滑り降りていく。触れられた場所が粟立つような感覚とともにじわじわと熱を帯び、自分の輪郭が融解していくような錯覚に囚われる。彼という存在に自分という存在がすべて溶かされ吸収されていく。
「ジェイド、先輩、わたし……」
「言葉はいらないと、先ほど申し上げたはずです。あなたの声はとても愛らしいですが、今は僕の名前を呼ぶためだけに、その唇を使っていただきたい」
ジェイドの声はどこまでも低く、そして酷く独占欲に満ちていた。
彼はななしの身体を壊さないように、けれど決して逃がさないという確固たる意志を込めて強く抱きすくめる。彼の広い胸に顔を埋める形になり、そこから聞こえる規則正しい、けれど激しく脈打つ鼓動の音が耳の奥で爆音のように鳴り響いた。
「ああ、 ななしさん。あなたは本当に、脆くて、暖かくて……美しい」
ジェイドの胸の奥から漏れ出た独白。
それは地上のどんな美しい景色よりも、目の前の異界の存在をただ狂おしく求めている男の内面そのものだった。
「この深い水の底で、僕の腕の中でだけ、呼吸をしていてください」
背中に回されたジェイドの手が、まるで強固な檻のように身体を固定する。その不自由さが今は何よりも心地よく、甘美な諦めに似た感情が胸を満たしていく。
「あなたのすべてを、僕の鱗の隙間にまで、染み込ませてしまいたい」
最後に聞こえたジェイドの囁きは水槽の青い光の中に消えていった。
二人の境界線は完全に失われ、ただ濃密な熱だけが音のない深海をどこまでも満たし続けていた。
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Song by ストレイテナー
ななしはカウンターの端の席に腰掛け、温かいハーブティーの入ったカップを両手で包み込んでいた。カウンターの向こう側では、ジェイドが慣れた手つきでグラスを磨いている。
「外はずいぶんと激しい雨が降っているようですね、ななしさん」
ジェイドは手元を動かしたまま、低く穏やかな声で呟く。
「そうなんですか? ここにいると、本当に何も聞こえないので全然気づきませんでした。ジェイド先輩よく分かりましたね」
悪戯っぽく微笑みながら、ジェイドがようやく視線をこちらに巡らせる。その瞳が水槽の青い光を反射して、不思議な輝きを帯びて見えた。
「完全に切り離されているみたいで、不思議な感覚です」
「ええ。ですが、この静けさは嫌いではありませんよ。陸にいながらにして、かつての世界の記憶に深く浸れるような、奇妙な心地よさがありますから」
ジェイドは磨き終えたグラスを棚に収めると、カウンターを回り込んでななしの隣の席へと歩み寄る。その所作はどこまでも優雅で足音さえも水に溶けるように静かだった。
「かつての世界、ですか」
「ええ。地上を叩く容赦のない水は、僕たちにとっては心地よい檻を連想させます。……少し、冷えますね」
そう言って、ジェイドはほんの少しだけななしの方へと身体を寄せた。
水槽の向こうで揺らめく魚たちの影が、二人の足元に長い陰影を落とす。外の天候から完全に隔離されたラウンジは、まるで地上のすべてから切り離されたシェルターのようになっていた。
「ななしさん。あなたの手、少し冷たいですね」
ジェイドの指先がカップを握るななしの指に触れるか触れないかの距離でそっと幾度も這う。
「そうですか?」
「無自覚なのは困ったものです。凍えてしまう前に、僕が温めて差し上げましょう」
躊躇いなく重ねられたジェイドの手のひらは驚くほどに熱を持っていた。人魚のイメージとは裏腹な生々しい体温。それが肌を通じてじわじわと伝わってくる。
「ジェイド先輩の手、すごく温かいです」
「意外でしたか?」
「意外でしたけど、心地いいです」
「光栄です。僕のような陸に上がった生き物の体温が、あなたに心地よいと感じていただけるなんて」
ジェイドの親指がななしの甲をゆっくりと撫でるように滑る。そのひと擦りごとに皮膚の裏側がジリジリと熱を帯びていくような感覚が走る。
「まるで鱗の隙間に熱が入り込んでいくようだ」
ジェイドが小さく、誰に言うでもなく呟いた。
「鱗……?」
「なんでもありません。ただ、あなたの呼吸が少し早くなっているのが、手元から伝わってきます」
見上げると、ジェイドの目がいつもより深く、暗い色を湛えていた。その視線に射すくめられると、身体の芯からじわじわと言いようのない熱が湧き上がってくる。逃げ出したいような、もっと近くに寄りたいような、矛盾した感情が胸を支配し始める。
「そんなに、見つめられると……」
「おや、嫌ですか? 僕はただ、あなたをよく観察したいだけなのですが。……いいえ、観察、というのは嘘になりますね」
ジェイドの声のトーンが一段と低くなる。
彼の吐息がななしの頬をかすめた。
空間が濃密な何かに満たされていく。
水槽の水の音すらもう遠い世界の出来事のようにしか聞こえない。耳の奥で鳴っているのは脈打つ自分と、そして目の前の男の血の音のようだった。
ジェイドの手がななしの手首へと滑り、そのままゆっくりと引き寄せられる。
「ななしさん」
名前を呼ぶ声が鼓膜を直接揺らす。
彼の内側にある普段は隠されている剥き出しの何かが、その瞳の奥で揺らめいていた。それは飢えに似た、あるいはもっと深い場所にある独占欲のようなもの。
「先輩、あの……」
「言葉は、時に邪魔になります」
ジェイドの片手がななしの頬を包み込む。指先が今は何よりも熱く、触れられた場所から溶けてしまいそうになる。
「あなたの世界には、僕の知らない綺麗なものがたくさんあるのでしょう。ですが、この薄暗い水底のような空間では、あなたが見るものは僕だけでいい。……そう思いませんか?」
その言葉は穏やかながらも、拒絶を許さない絶対的な響きを持っていた。
ジェイドの顔が近づく。彼の長い睫毛が、濡れたように光る瞳が、視界のすべてを覆い尽くしていく。
「ジェイド先輩、わたし――」
「静かに。あなたのすべてを、僕に委ねてください」
互いの境界線が曖昧になるほどの距離で、ジェイドは深く息を吸い込んだ。まるでななしという存在そのものを、自分の肺腑に満たそうとするかのように。
重なり合う互いの吐息だけがラウンジの静寂に溶けていく。
ジェイドの顔がさらに近づき、視界のすべてが彼の端正な輪郭と怪しく揺らめく瞳で満たされた。
「……ジェイド先輩」
「なんでしょう?」
ジェイドは囁きながら、頬を包む手のひらの温度をさらに一段、上げていく。その熱は単なる体温ではない。彼の胸の奥底にくすぶる、ひどく剥き出しで濁った激情そのもののようだった。
陸の上でどれほど紳士的に振る舞おうとも、本質は冷徹で貪欲な捕食者であるという事実が、その手の熱を通じてダイレクトに脳へと流れ込んでくる。
「なんだか、息が……うまくできなくて」
「おや。それは僕のせい、でしょうか」
ジェイドは困ったように眉を下げてみせるが、その瞳は微塵も笑っていない。むしろ狙い通りに絡め取られていく獲物を愉しむような、酷薄でそれでいて狂おしいほどの愛おしさが滲み出ていた。
「もし苦しいのなら、無理に呼吸をしようとしなくていい。僕があなたの息を、すべて引き受けて差し上げますから」
じわりとさらに距離が詰まる。
触れ合う唇の隙間から彼の熱い呼気が流れ込んできた。
それはまるで冷たい水底に引きずり込まれながら、彼の肺にある空気だけで生かされているような奇妙な全能感と恐怖。
「ん……っ」
「深く、力を抜いてください。逆らおうとすればするほど、溺れてしまうだけですよ」
ジェイドの言葉は頭の芯を痺れさせる甘い毒のようだった。
彼の指先が髪をすくい、首筋から鎖骨へとゆっくりと滑り降りていく。触れられた場所が粟立つような感覚とともにじわじわと熱を帯び、自分の輪郭が融解していくような錯覚に囚われる。彼という存在に自分という存在がすべて溶かされ吸収されていく。
「ジェイド、先輩、わたし……」
「言葉はいらないと、先ほど申し上げたはずです。あなたの声はとても愛らしいですが、今は僕の名前を呼ぶためだけに、その唇を使っていただきたい」
ジェイドの声はどこまでも低く、そして酷く独占欲に満ちていた。
彼はななしの身体を壊さないように、けれど決して逃がさないという確固たる意志を込めて強く抱きすくめる。彼の広い胸に顔を埋める形になり、そこから聞こえる規則正しい、けれど激しく脈打つ鼓動の音が耳の奥で爆音のように鳴り響いた。
「ああ、 ななしさん。あなたは本当に、脆くて、暖かくて……美しい」
ジェイドの胸の奥から漏れ出た独白。
それは地上のどんな美しい景色よりも、目の前の異界の存在をただ狂おしく求めている男の内面そのものだった。
「この深い水の底で、僕の腕の中でだけ、呼吸をしていてください」
背中に回されたジェイドの手が、まるで強固な檻のように身体を固定する。その不自由さが今は何よりも心地よく、甘美な諦めに似た感情が胸を満たしていく。
「あなたのすべてを、僕の鱗の隙間にまで、染み込ませてしまいたい」
最後に聞こえたジェイドの囁きは水槽の青い光の中に消えていった。
二人の境界線は完全に失われ、ただ濃密な熱だけが音のない深海をどこまでも満たし続けていた。
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Song by ストレイテナー
