歌詞シリーズ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
静まり返ったナイトレイブンカレッジの夜。
オンボロ寮の古びたテラスにはななしの姿があった。
木製の手すりに身を預け、どこか遠くを見るような目で夜空を見上げている。
昼間、学園長から告げられた「元の世界に帰る手がかりの調査が難航している」という言葉が、彼女の心に薄暗い影を落としていた。
自分の知っているものとは星座の並びが違う星空を見上げていると、どうしても孤独な寂しさが足元から這い上がってくるのを止められない。
「……はぁ、そう簡単に帰れるわけないか」
ぽつりと夜の静寂に溶けていく、小さな溜息。
その時、彼女の感傷を破るように暗闇から不思議と安心する声が響いた。
「何しんみりしてんの、ななし」
「えっ!?」
驚いてななしが下を覗き込むと、そこにはハーツラビュルの寮服を着たエースが立っていた。エースは悪戯っぽく口元を歪めると、身軽に壁の突起に足をかけ、ひらりとテラスの柵を飛び越えてななしの隣に着地した。
「エース……!? なんでこんな時間にここにいるの?」
「なんでって、散歩。……って言ったら信じる?」
「信じるわけないでしょ。もう門限とっくに過ぎてるよ? リドル先輩に見つかったら、また首をはねられちゃうよ」
焦るななしに対し、エースは呆れたように肩をすくめてみせる。
「あー、まあ大丈夫っしょ。それよりさ、お前が今にも泣きそうな顔して夜空睨んでるって、グリムから連絡きたんだけど」
「えっ、グリムが?」
「『子分がずっと暗い顔してて気味が悪いんだゾ! オレ様の飯の味が落ちるから様子見てこい!』だって。ったく、人使いが荒いよな」
文句を言いながらも、エースの視線はまっすぐにななしの顔を捉えていた。その瞳にはからかいの色と同時に、彼女を気遣うような確かな温度が宿っている。
「……ごめんね。心配かけちゃって」
「別に心配なんかしてねーし。ただ、お前が暗い顔してるとオレまで調子狂うってだけ」
そう言ってエースはななしの隣にどさりと腰掛けた。
月光に照らされたテラスで二人は並んで夜空を見上げる。けれど今夜の二人の間には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
ななしは膝を抱え込み、迷うように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。
「ねえ、エース。もし、わたしが本当に元の世界に帰れるようになったら……どうする?」
ずっと胸の奥に閉じ込めていた、もしもの未来。
その問いを聞いた瞬間、エースの身体が僅かに硬直した。彼は夜空を見上げたまますぐには言葉を返さない。横顔の輪郭が月光に縁取られ、いつもより少し大人びて見える。
「……どうする、って言われてもね」
少しの沈黙の後、エースはぶっきらぼうに言葉を絞り出した。
「元々お前はそっちの人間なんだし。帰れるなら、それが一番いいんじゃねぇの?」
「……そ、そうだよね。そうだよね、あはは」
ななしは取り繕うように、わざと明るく笑ってみせた。
けれど、その笑顔がどこか痛々しいものであることに、エースはすぐに気づく。彼は頭の後ろで組んでいた手を下ろし、ぐるりと顔をななしへと向けた。
「オレさ、そういうウジウジしたの苦手なんだよね。お前は明るいのが取り柄なんだから、そんな先のことで悩んでないで、今のオレを見てりゃいーの」
「今のエース?」
「そう。今、お前の隣にいるのは誰?」
エースの瞳がまっすぐにななしを見つめる。いたずらっぽく微笑んではいるものの、その視線はどこか真剣で、熱を帯びていた。
「エース、だけど……」
「わかってるならよし。ほら、そんな暗い顔してたら、せっかくの星空がもったいないでしょーが」
エースはそう言うと、ななしの頭を少し乱暴に、けれど慈しむようにクシャクシャと撫でた。ななしは文句を言いつつも、その頬を微かに赤く染めている。
「あーあ、ななしってば本当に手がかかる。グリムにまで心配されて、オレがこうして夜中にわざわざ来てやったんだから、感謝しろよ?」
いつものような軽口の応酬。
しかし、二人の心の距離は、確実にこれまでの枠を超えようとしていた。
「よし、決めた。今からちょっと出かけるぞ」
エースが勢いよく立ち上がり、ななしに向かって右手を差し出した。
「え!? 出かけるって、どこに? もう0時まわってるよ?」
「いいから。ほら、手貸して」
戸惑うななしの手首を、エースは待ちきれずに自分から掴み、グッと力を込めて引っ張り上げた。
「ちょ、ちょっと、待ってエース!」
「声が大きい。グリムが起きるだろ? ……ほら静かに、行くぞ」
エースは悪戯っぽく唇に人差し指を当てると、ななしの手を引いたまま寮の裏手へと歩き出した。
最初は手首を掴んでいただけだったはずの手。それが夜道を歩くうち、自然と指と指が絡み合う形へと変わっていく。
繋がれた手のひらから互いの体温がダイレクトに伝わり合う。エースはきまり悪そうに前だけを見つめて歩き、ななしは赤くなる顔を隠すように俯きがちにそれに続いた。二人の鼓動は夜の静寂の中で早く、高くなっていく。
やがて二人が辿り着いたのは、植物園の裏手にある少し小高い丘だった。遮るもののない丘の頂上に立った瞬間、ななしの口から小さな歓声が漏れた。
ナイトレイブンカレッジの美しい校舎と、その向こうに広がる街の灯り。そして何よりも、夜空を埋め尽くす満天の星空が一望できた。
「すごいきれい……!」
「だろ? こっそり夜空を眺めるなら、ここが一番なんだよね。オレのお気に入りの場所」
エースは少し照れくさそうに鼻を擦ると、そのまま芝生の上に大の字になって寝転がった。
「ほら、ななしも座れよ」
「うん……」
ななしは少しだけ隙間を空けて、エースの隣に腰掛けた。
風が優しく吹き抜け、二人の髪を揺らす。
「ねえ、エース。本当にきれいだね」
「だな。でも……」
エースは寝転がったまま、ふいに腕を伸ばした。そして隣に座るななしの手首を掴み、自分のほうへとグイと引っ張る。
「わっ!?」
バランスを崩したななしは、エースのすぐ隣に倒れ込むようにして芝生の上に寝転がることになった。驚いて目を見開くななしと、すぐ至近距離で彼女を見つめるエース。
二人の吐息が触れ合いそうなほどの距離に世界の音が消えたかのような錯覚が走る。
「これで、オレと同じ景色が見えるな」
「もう……! びっくりするじゃん」
「いいから、ほら、上見て」
エースに促され、ななしは夜空を見上げた。寝転がって見る星空は、まるで光の海に飛び込んだかのように圧倒的で、美しかった。
「正直さ……」
エースが静かな声で呟いた。
「お前がどこから来たのか、オレにはよくわかんない。魔法も使えないし、頼りないしさ。……でもオレは、今ここにお前がいることが、結構気に入ってんだよね」
ななしがハッと息を呑む。
「だから、その……。オレといる時くらい、オレのことだけ考えてろ」
少しぶっきらぼうで、だけどこれ以上ないくらい真っ直ぐな言葉。
その言葉が、ななしの胸の奥に温かい灯火を宿していく。
「……うん、そうだね。今は、エースのことだけ考える」
ななしが小さく微笑むと、エースは満足そうに、だけど少し照れたように笑った。そして、今度は躊躇わずにななしの手をしっかりと握りしめた。
星空の下、重なる体温と互いの速い鼓動だけが二人の世界を満たしていた。
「ななし」
エースがじっとななしを見つめた。その瞳には満天の星と、そして彼を見つめ返すななしの姿が鮮明に映り込んでいる。
「オレさ、本当は——」
エースがずっと胸の奥に秘めていた言葉を口にしようとした、その時だった。
〜〜〜〜♪
静寂に包まれた丘の上に、あまりにも間の抜けた電子音が鳴り響いた。
「……なんだよ、邪魔すんなよな」
エースは露骨に嫌そうな顔をして舌打ちをすると、ななしと繋いでいた手を一度離し、ポケットからスマホを取り出した。画面に表示されているのは『デュース・スペード』の文字だ。
「もしもし、デュース? お前さあ……」
『エース! お前、今どこにいる!?』
漏れ出るデュースの声は、夜中だというのにやけに血相を変えていた。
『さっきリドル寮長が部屋の見回りに出て行ったらしいんだ。僕たちの部屋ももうすぐチェックされるぞ!』
「はぁあ!? マジで言ってんの!?」
エースはガタッと勢いよく起き上がった。その顔からは、さっきまでの甘い雰囲気が一瞬で吹き飛んでいる。
『とにかく早く戻れ、首をはねられたくなかったらな!』
ツー、ツー、と無情にも切れる通話。
エースは頭を抱え、天を仰いだ。
「あー、もう!」
隣で座り直したななしは、エースの慌てぶりに驚きつつも、どこか可笑しそうにクスクスと笑い声を漏らした。
「ふふ、あはは! 大変じゃんエース、早く戻らないと本当に首をはねられちゃうよ」
「笑い事じゃねーっての! ……あーあ、せっかく良い雰囲気だったのに、全部台無し」
エースは不貞腐れたように唇を尖らせると、芝生を払って立ち上がり、ななしに向かって再び手を差し伸べた。
「ほら、ななし、ダッシュで戻るから遅れんなよ」
「うん、いこう!」
ななしがその手を握ると、エースは包み込むようにギュッと強く握りしめた。二人は夜の学園を全力で走り抜けた。
◇
息を切らしながら、二人はオンボロ寮まで戻ってきた。ハーツラビュル寮まではここからまだ距離があるが、ひとまずななしを送り届けることが最優先だった。
ななしが肩で息をしながらテラスの手すりに寄りかかる。
エースもまた、前髪をラフにかき上げながら荒い呼吸を整えていた。走ったせいで、二人の体温はさっきよりも一段と上がっている。
「……ったく、ハーツラビュルまでまた走んなきゃいけないとか、マジ勘弁」
口ではそう文句を言いつつも、エースの目はじっとななしを見つめていた。走ったことで彼女の頬は上気し、瞳は潤んでいる。月光を浴びたその姿は、エースの理性を少しずつ削り取っていく。
「ねえ、エース」
ななしが一歩、エースのほうへ足を進めた。
「さっき丘の上で何か言いかけてたよね? 続き、何だったの?」
真っ直ぐなななしの瞳。彼女の中に誤魔化しや冗談は一切通用しない。
エースは一瞬視線を泳がせた。
いつもなら笑って煙に巻くところだ。それが一番、自分らしくて楽だから。
しかし今夜のななしの寂しそうな笑顔を思い出すと、どうしてもこれ以上、格好をつけてはいられなかった。
「……お前さ、本当に鈍感」
エースは小さく溜息をつくと、一歩距離を詰めた。
エースの手がそっとななしの細い腰へと回される。グイと引き寄せられ、二人の身体が密着した。
「え、エース……?」
「お前が一人で悩んでんの見てるの、マジでイライラすんだよね」
エースの声は普段の軽いトーンとは打って変わって、低く、少し掠れていた。
「……オレ、お前がどっか行くの絶対に嫌だから」
エースの腕に、さらにギュッと力がこもる。
ななしの胸に、エースの速く力強い鼓動が直接伝わってきた。それはななし自身の心音と重なり、頭がどうにかなりそうなほどのビートを刻んでいる。
「帰ってほしくない。ずっとここにいろって、魔法で縛り付けてやろうかって思うくらいには……オレ、お前のこと好きなんだけど」
告げられた、あまりにもストレートで独占欲の滲む告白。
ななしの瞳が驚きで大きく見開かれる。
「エース……それ、本気……?」
「本気に決まってんじゃん。オレがこんな夜中に、好きでもねー奴のために門限破ってダッシュするわけねーだろ」
エースは照れ隠しにふいっと顔を背けたが、その耳の先まで真っ赤に染まっている。ななしの胸の奥にあった寂しさは、甘い熱によって完全に溶かされて消えていった。
「……ずるいよ、エース」
ななしは小さく呟くと、エースの胸元にそっと額を預けた。
「わたしだって、元の世界のこと考えると寂しかったけど……エースがそうやって言ってくれるなら、もう怖くないよ」
ななしの手がエースの背中に回る。
「わたしも、エースが好き。エースの隣にいたい」
その言葉を聞いた瞬間、エースの身体がびくりと震えた。
エースはななしの肩を掴んで少しだけ身体を離すと、彼女の顔を覗き込んだ。その瞳には、今までに見たことがないほどの愛おしさと、喜びが満ち溢れている。
「……お前それ、マジで言ってる?」
「冗談でこんなこと言わないよ。わたしが好きでもない男の子と手を繋いで散歩するわけないでしょ」
エースの口調を真似て微笑むななしを見て、エースは堪らなくなったように吹き出した。
「はは! お前、言うじゃん」
愛おしさが限界を超えたように、エースの顔が近づいてくる。
ななしがそっと目を閉じると、唇に柔らかくて、少しだけ夜風の冷たさを纏った熱いものが触れた。
ほんの数十秒の、だけど永遠のようにも感じられる甘いキス。
離れた時、お互いの顔はこれ以上ないほど赤くなっていた。
「……あー、マジで寮長とかどうでもよくなってきた。このまま朝までここにいたいんだけど」
エースはななしの髪に指を絡めながら、未練たらたらに呟く。
「ダメだよ。本当に首をはねられちゃう。ほら、早く戻って」
ななしがエースの胸を優しく押すと、エースは「ちぇー」と子供のように唇を尖らせてみせた。
「わーったよ。戻ればいいんだろ、戻れば」
エースはテラスの柵に足をかけると、もう一度ななしのほうを振り返った。夜空の星々を背負った彼は、世界で一番格好良くて、愛おしい、彼女だけの特別な存在になっていた。
「じゃあな、ななし。……また明日、な」
「うん。また明日、エース」
エースは最後にもう一度だけ悪戯っぽく微笑み、夜の闇の中へと軽快に走り去っていった。
一人残されたテラスで、ななしは自分の唇にそっと触れる。
見上げる夜空の星は、先ほどまでとは違って、まるで二人を祝福するようにキラキラとどこまでも優しく輝いていた。
---
Song by SHAKALABBITS
オンボロ寮の古びたテラスにはななしの姿があった。
木製の手すりに身を預け、どこか遠くを見るような目で夜空を見上げている。
昼間、学園長から告げられた「元の世界に帰る手がかりの調査が難航している」という言葉が、彼女の心に薄暗い影を落としていた。
自分の知っているものとは星座の並びが違う星空を見上げていると、どうしても孤独な寂しさが足元から這い上がってくるのを止められない。
「……はぁ、そう簡単に帰れるわけないか」
ぽつりと夜の静寂に溶けていく、小さな溜息。
その時、彼女の感傷を破るように暗闇から不思議と安心する声が響いた。
「何しんみりしてんの、ななし」
「えっ!?」
驚いてななしが下を覗き込むと、そこにはハーツラビュルの寮服を着たエースが立っていた。エースは悪戯っぽく口元を歪めると、身軽に壁の突起に足をかけ、ひらりとテラスの柵を飛び越えてななしの隣に着地した。
「エース……!? なんでこんな時間にここにいるの?」
「なんでって、散歩。……って言ったら信じる?」
「信じるわけないでしょ。もう門限とっくに過ぎてるよ? リドル先輩に見つかったら、また首をはねられちゃうよ」
焦るななしに対し、エースは呆れたように肩をすくめてみせる。
「あー、まあ大丈夫っしょ。それよりさ、お前が今にも泣きそうな顔して夜空睨んでるって、グリムから連絡きたんだけど」
「えっ、グリムが?」
「『子分がずっと暗い顔してて気味が悪いんだゾ! オレ様の飯の味が落ちるから様子見てこい!』だって。ったく、人使いが荒いよな」
文句を言いながらも、エースの視線はまっすぐにななしの顔を捉えていた。その瞳にはからかいの色と同時に、彼女を気遣うような確かな温度が宿っている。
「……ごめんね。心配かけちゃって」
「別に心配なんかしてねーし。ただ、お前が暗い顔してるとオレまで調子狂うってだけ」
そう言ってエースはななしの隣にどさりと腰掛けた。
月光に照らされたテラスで二人は並んで夜空を見上げる。けれど今夜の二人の間には、どこか落ち着かない空気が流れていた。
ななしは膝を抱え込み、迷うように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。
「ねえ、エース。もし、わたしが本当に元の世界に帰れるようになったら……どうする?」
ずっと胸の奥に閉じ込めていた、もしもの未来。
その問いを聞いた瞬間、エースの身体が僅かに硬直した。彼は夜空を見上げたまますぐには言葉を返さない。横顔の輪郭が月光に縁取られ、いつもより少し大人びて見える。
「……どうする、って言われてもね」
少しの沈黙の後、エースはぶっきらぼうに言葉を絞り出した。
「元々お前はそっちの人間なんだし。帰れるなら、それが一番いいんじゃねぇの?」
「……そ、そうだよね。そうだよね、あはは」
ななしは取り繕うように、わざと明るく笑ってみせた。
けれど、その笑顔がどこか痛々しいものであることに、エースはすぐに気づく。彼は頭の後ろで組んでいた手を下ろし、ぐるりと顔をななしへと向けた。
「オレさ、そういうウジウジしたの苦手なんだよね。お前は明るいのが取り柄なんだから、そんな先のことで悩んでないで、今のオレを見てりゃいーの」
「今のエース?」
「そう。今、お前の隣にいるのは誰?」
エースの瞳がまっすぐにななしを見つめる。いたずらっぽく微笑んではいるものの、その視線はどこか真剣で、熱を帯びていた。
「エース、だけど……」
「わかってるならよし。ほら、そんな暗い顔してたら、せっかくの星空がもったいないでしょーが」
エースはそう言うと、ななしの頭を少し乱暴に、けれど慈しむようにクシャクシャと撫でた。ななしは文句を言いつつも、その頬を微かに赤く染めている。
「あーあ、ななしってば本当に手がかかる。グリムにまで心配されて、オレがこうして夜中にわざわざ来てやったんだから、感謝しろよ?」
いつものような軽口の応酬。
しかし、二人の心の距離は、確実にこれまでの枠を超えようとしていた。
「よし、決めた。今からちょっと出かけるぞ」
エースが勢いよく立ち上がり、ななしに向かって右手を差し出した。
「え!? 出かけるって、どこに? もう0時まわってるよ?」
「いいから。ほら、手貸して」
戸惑うななしの手首を、エースは待ちきれずに自分から掴み、グッと力を込めて引っ張り上げた。
「ちょ、ちょっと、待ってエース!」
「声が大きい。グリムが起きるだろ? ……ほら静かに、行くぞ」
エースは悪戯っぽく唇に人差し指を当てると、ななしの手を引いたまま寮の裏手へと歩き出した。
最初は手首を掴んでいただけだったはずの手。それが夜道を歩くうち、自然と指と指が絡み合う形へと変わっていく。
繋がれた手のひらから互いの体温がダイレクトに伝わり合う。エースはきまり悪そうに前だけを見つめて歩き、ななしは赤くなる顔を隠すように俯きがちにそれに続いた。二人の鼓動は夜の静寂の中で早く、高くなっていく。
やがて二人が辿り着いたのは、植物園の裏手にある少し小高い丘だった。遮るもののない丘の頂上に立った瞬間、ななしの口から小さな歓声が漏れた。
ナイトレイブンカレッジの美しい校舎と、その向こうに広がる街の灯り。そして何よりも、夜空を埋め尽くす満天の星空が一望できた。
「すごいきれい……!」
「だろ? こっそり夜空を眺めるなら、ここが一番なんだよね。オレのお気に入りの場所」
エースは少し照れくさそうに鼻を擦ると、そのまま芝生の上に大の字になって寝転がった。
「ほら、ななしも座れよ」
「うん……」
ななしは少しだけ隙間を空けて、エースの隣に腰掛けた。
風が優しく吹き抜け、二人の髪を揺らす。
「ねえ、エース。本当にきれいだね」
「だな。でも……」
エースは寝転がったまま、ふいに腕を伸ばした。そして隣に座るななしの手首を掴み、自分のほうへとグイと引っ張る。
「わっ!?」
バランスを崩したななしは、エースのすぐ隣に倒れ込むようにして芝生の上に寝転がることになった。驚いて目を見開くななしと、すぐ至近距離で彼女を見つめるエース。
二人の吐息が触れ合いそうなほどの距離に世界の音が消えたかのような錯覚が走る。
「これで、オレと同じ景色が見えるな」
「もう……! びっくりするじゃん」
「いいから、ほら、上見て」
エースに促され、ななしは夜空を見上げた。寝転がって見る星空は、まるで光の海に飛び込んだかのように圧倒的で、美しかった。
「正直さ……」
エースが静かな声で呟いた。
「お前がどこから来たのか、オレにはよくわかんない。魔法も使えないし、頼りないしさ。……でもオレは、今ここにお前がいることが、結構気に入ってんだよね」
ななしがハッと息を呑む。
「だから、その……。オレといる時くらい、オレのことだけ考えてろ」
少しぶっきらぼうで、だけどこれ以上ないくらい真っ直ぐな言葉。
その言葉が、ななしの胸の奥に温かい灯火を宿していく。
「……うん、そうだね。今は、エースのことだけ考える」
ななしが小さく微笑むと、エースは満足そうに、だけど少し照れたように笑った。そして、今度は躊躇わずにななしの手をしっかりと握りしめた。
星空の下、重なる体温と互いの速い鼓動だけが二人の世界を満たしていた。
「ななし」
エースがじっとななしを見つめた。その瞳には満天の星と、そして彼を見つめ返すななしの姿が鮮明に映り込んでいる。
「オレさ、本当は——」
エースがずっと胸の奥に秘めていた言葉を口にしようとした、その時だった。
〜〜〜〜♪
静寂に包まれた丘の上に、あまりにも間の抜けた電子音が鳴り響いた。
「……なんだよ、邪魔すんなよな」
エースは露骨に嫌そうな顔をして舌打ちをすると、ななしと繋いでいた手を一度離し、ポケットからスマホを取り出した。画面に表示されているのは『デュース・スペード』の文字だ。
「もしもし、デュース? お前さあ……」
『エース! お前、今どこにいる!?』
漏れ出るデュースの声は、夜中だというのにやけに血相を変えていた。
『さっきリドル寮長が部屋の見回りに出て行ったらしいんだ。僕たちの部屋ももうすぐチェックされるぞ!』
「はぁあ!? マジで言ってんの!?」
エースはガタッと勢いよく起き上がった。その顔からは、さっきまでの甘い雰囲気が一瞬で吹き飛んでいる。
『とにかく早く戻れ、首をはねられたくなかったらな!』
ツー、ツー、と無情にも切れる通話。
エースは頭を抱え、天を仰いだ。
「あー、もう!」
隣で座り直したななしは、エースの慌てぶりに驚きつつも、どこか可笑しそうにクスクスと笑い声を漏らした。
「ふふ、あはは! 大変じゃんエース、早く戻らないと本当に首をはねられちゃうよ」
「笑い事じゃねーっての! ……あーあ、せっかく良い雰囲気だったのに、全部台無し」
エースは不貞腐れたように唇を尖らせると、芝生を払って立ち上がり、ななしに向かって再び手を差し伸べた。
「ほら、ななし、ダッシュで戻るから遅れんなよ」
「うん、いこう!」
ななしがその手を握ると、エースは包み込むようにギュッと強く握りしめた。二人は夜の学園を全力で走り抜けた。
◇
息を切らしながら、二人はオンボロ寮まで戻ってきた。ハーツラビュル寮まではここからまだ距離があるが、ひとまずななしを送り届けることが最優先だった。
ななしが肩で息をしながらテラスの手すりに寄りかかる。
エースもまた、前髪をラフにかき上げながら荒い呼吸を整えていた。走ったせいで、二人の体温はさっきよりも一段と上がっている。
「……ったく、ハーツラビュルまでまた走んなきゃいけないとか、マジ勘弁」
口ではそう文句を言いつつも、エースの目はじっとななしを見つめていた。走ったことで彼女の頬は上気し、瞳は潤んでいる。月光を浴びたその姿は、エースの理性を少しずつ削り取っていく。
「ねえ、エース」
ななしが一歩、エースのほうへ足を進めた。
「さっき丘の上で何か言いかけてたよね? 続き、何だったの?」
真っ直ぐなななしの瞳。彼女の中に誤魔化しや冗談は一切通用しない。
エースは一瞬視線を泳がせた。
いつもなら笑って煙に巻くところだ。それが一番、自分らしくて楽だから。
しかし今夜のななしの寂しそうな笑顔を思い出すと、どうしてもこれ以上、格好をつけてはいられなかった。
「……お前さ、本当に鈍感」
エースは小さく溜息をつくと、一歩距離を詰めた。
エースの手がそっとななしの細い腰へと回される。グイと引き寄せられ、二人の身体が密着した。
「え、エース……?」
「お前が一人で悩んでんの見てるの、マジでイライラすんだよね」
エースの声は普段の軽いトーンとは打って変わって、低く、少し掠れていた。
「……オレ、お前がどっか行くの絶対に嫌だから」
エースの腕に、さらにギュッと力がこもる。
ななしの胸に、エースの速く力強い鼓動が直接伝わってきた。それはななし自身の心音と重なり、頭がどうにかなりそうなほどのビートを刻んでいる。
「帰ってほしくない。ずっとここにいろって、魔法で縛り付けてやろうかって思うくらいには……オレ、お前のこと好きなんだけど」
告げられた、あまりにもストレートで独占欲の滲む告白。
ななしの瞳が驚きで大きく見開かれる。
「エース……それ、本気……?」
「本気に決まってんじゃん。オレがこんな夜中に、好きでもねー奴のために門限破ってダッシュするわけねーだろ」
エースは照れ隠しにふいっと顔を背けたが、その耳の先まで真っ赤に染まっている。ななしの胸の奥にあった寂しさは、甘い熱によって完全に溶かされて消えていった。
「……ずるいよ、エース」
ななしは小さく呟くと、エースの胸元にそっと額を預けた。
「わたしだって、元の世界のこと考えると寂しかったけど……エースがそうやって言ってくれるなら、もう怖くないよ」
ななしの手がエースの背中に回る。
「わたしも、エースが好き。エースの隣にいたい」
その言葉を聞いた瞬間、エースの身体がびくりと震えた。
エースはななしの肩を掴んで少しだけ身体を離すと、彼女の顔を覗き込んだ。その瞳には、今までに見たことがないほどの愛おしさと、喜びが満ち溢れている。
「……お前それ、マジで言ってる?」
「冗談でこんなこと言わないよ。わたしが好きでもない男の子と手を繋いで散歩するわけないでしょ」
エースの口調を真似て微笑むななしを見て、エースは堪らなくなったように吹き出した。
「はは! お前、言うじゃん」
愛おしさが限界を超えたように、エースの顔が近づいてくる。
ななしがそっと目を閉じると、唇に柔らかくて、少しだけ夜風の冷たさを纏った熱いものが触れた。
ほんの数十秒の、だけど永遠のようにも感じられる甘いキス。
離れた時、お互いの顔はこれ以上ないほど赤くなっていた。
「……あー、マジで寮長とかどうでもよくなってきた。このまま朝までここにいたいんだけど」
エースはななしの髪に指を絡めながら、未練たらたらに呟く。
「ダメだよ。本当に首をはねられちゃう。ほら、早く戻って」
ななしがエースの胸を優しく押すと、エースは「ちぇー」と子供のように唇を尖らせてみせた。
「わーったよ。戻ればいいんだろ、戻れば」
エースはテラスの柵に足をかけると、もう一度ななしのほうを振り返った。夜空の星々を背負った彼は、世界で一番格好良くて、愛おしい、彼女だけの特別な存在になっていた。
「じゃあな、ななし。……また明日、な」
「うん。また明日、エース」
エースは最後にもう一度だけ悪戯っぽく微笑み、夜の闇の中へと軽快に走り去っていった。
一人残されたテラスで、ななしは自分の唇にそっと触れる。
見上げる夜空の星は、先ほどまでとは違って、まるで二人を祝福するようにキラキラとどこまでも優しく輝いていた。
---
Song by SHAKALABBITS
