歌詞シリーズ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ナイトレイブンカレッジの放課後は、いつだって騒がしい。
それぞれの寮へと帰路につく生徒たちの賑やかな声、運動部がグラウンドで上げる掛け声、そして時折どこかの校舎から聞こえてくる小さな爆発音。魔法士養成学校としての日常は、異世界から迷い込んできた私にとって、未だに驚きと刺激に満ちたものだった。
しかし、そんな喧騒から少し離れた深い森の奥に佇むオンボロ寮に一歩足を踏み入れれば、そこには周囲とは少し違う、穏やかで、どこか懐かしい時間が流れている。
「ふぁ〜あ……。今日の魔法史、マジで子守唄だったわ。トレイン先生の声、低音のアルファ波かなんか出てるだろ、絶対」
談話室の扉が開くと同時に、愚痴をこぼしながら滑り込んできたのはエース・トラッポラだった。
彼は背負っていた荷物を床に放り出すと、使い古されてスプリングのへたったソファへとダイブするように深く腰掛けた。そのまま長い脚を前のローテーブルに無造作に投げ出す。
「おい、エース。部屋に入るなり行儀が悪いぞ。荷物もちゃんと片付けろ」
その後ろから、生真面目な顔をして入ってきたのはデュース・スペードだ。彼は自分の荷物を丁寧に椅子の背もたれに掛け、エースの行儀の悪さを咎めるように眉をひそめる。
しかし、そう言うデュース自身も、目の下にはうっすらとクマが浮かんでおり、歩き方もどこか重い。
「お前だって頭から煙出そうじゃん、デュース。最後の小テスト、名前書き忘れたことに提出直前で気づいて大パニックになってたの、オレは知ってんだからね?」
「な、何っ!? あれはただ、見直しに集中しすぎて……!」
「はいはい、お疲れさん。どっちにしろ二人とも、今日の居残り免除されたんだからラッキーじゃん」
私は苦笑しながら二人のやり取りをそっと見守り、キッチンへと向かった。トレイに載せたのは、冷たいお茶を満たした大きめのグラスが三つ。それと、購買で買っておいたささやかな焼き菓子だ。
談話室に戻ると、ソファの大きなクッションに顔を埋めていた灰色の毛並みが、むくりと起き上がった。
「オレ様はもう限界なんだゾ! オレ様の偉大な胃袋が、完全にツナ缶を欲しているんだゾ〜!」
オンボロ寮の相棒であるグリムが、短い足をばたつかせながら、私の足元にすり寄ってくる。青い炎を揺らす耳をパタパタとさせながら、あからさまに「お腹が空いた」とアピールしていた。
「グリム、さっきハーツラビュルの先輩からもらったデニッシュを丸ごと一つ食ってただろ」
エースが片目を細めて呆れたように言う。
「あんなの食ったうちに入らないんだゾ!」
私は笑いながらグラスをテーブルに並べ、グリムの前にクッキーを置いてやった。グリムは「ふなっ!」と歓声を上げ、すぐさま両手でクッキーを掴んで口に放り込む。その満足そうな顔を見ているだけで、今日一日の疲れが少しだけ吹き飛ぶような気がした。
「はい、ふたりも。冷たいのあるよ」
「お、サンキュ。生き返るわ……」
エースがグラスを受け取り、喉を鳴らして一気に飲み干す。
デュースも「ありがとう、ななし」と律儀に頭を下げてから、グラスに手を伸ばした。冷たいお茶が喉を潤していく感覚に、二人は同時にふぅ、と深い溜息をつく。
夕方の光が、オンボロ寮の古びた窓ガラスを通して床に長い影を落としていた。埃が光の粒のようにキラキラと舞う中、時計の秒針が刻む音だけが静かに響く。
思えば、ここに最初に来たばかりの頃は、毎日が不安で仕方がなかった。
魔法なんて使えない。元の世界に帰る方法もわからない。学園長には便利屋のように扱われ、周囲の生徒たちは一癖も二癖もある問題児ばかり。
だけど気がつけば、この騒がしくて、まとまりがなくて、けれどどこか温かい空間が、私にとっての日常になっていた。
「……ななし、何ぼーっとしてんの?」
不意にエースがグラスを置く音とともに私を覗き込んできた。
その赤みがかった瞳が、私の顔をじっと見つめている。
「いや、なんでもないよ。みんな、本当にお疲れ様だなと思って」
「ふーん? 怪しい。なんか隠し事してない?」
「してないってば」
「ななし」
今度はデュースが、少し真面目なトーンで私の名前を呼んだ。
「さっきから少し顔色が悪い気がするんだが……体調でも崩しているんじゃないか? 魔法が使えないお前は、僕たちよりもずっと精神的な疲労が大きい。無理は禁物だぞ」
「あー、やっぱりデュースも気づいた? オレもさっきから思ってたわ」
エースがソファの背もたれに腕を回し、少しだけ身体をこちらに傾ける。
「なんかさ、最近のななし、ちょっと張り切りすぎ。学園長から押し付けられた雑用もそうだけど、なんでもかんでも一人で抱え込もうとするじゃん。そういうの、マジでよくないって」
二人の言葉は、決して責めるようなものではなかった。
むしろ、不器用ながらも必死に私のことを気遣おうとしてくれているのが、その視線や声のトーンから痛いほど伝わってくる。
「……ありがと。でも、本当に大丈夫。みんながこうして一緒にいてくれるだけで、結構元気出てるから」
私がそう言うと、エースは一瞬だけきょとんとした顔をした。
それからすぐに何かを誤魔化すように、ふいっと顔を背けて首の後ろをガシガシとかき始める。
「……あっそ。まぁ、ななしがそう言うならいいけど。ただの自己管理の心配だし」
「エース、そこは素直に心配だと言えばいいだろう。お前はいつも一言多いんだ」
「うっせ! デュースはストレートすぎて逆に暑苦しいんだよ!」
またいつもの小競り合いが始まる。その様子を見ながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
言葉にしなくても、私たちがここで過ごしている時間には、確かに確かな意味がある。――どんな時も、どんな場所にいたって、この繋がりは変わらない。
「ふな……。オレ様はもう、眠くなってきたんだゾ……」
クッキーを食べ終えたグリムが、トントンと私の膝の上に飛び乗ってきた。丸い身体を丸めて、当然のような顔をして私の太ももを枕にする。
その柔らかくて温かい重みを感じながら、私は二人の言い合いをBGMに、窓の外のオレンジ色に染まる空を眺めていた。
・
太陽が完全に西の地平線へと沈み、ナイトレイブンカレッジは深い藍色の夜に包まれていった。昼間の賑やかさが嘘のように、静まり返る校内。時折、遠くの森から夜行性の魔獣の鳴き声が聞こえてくるが、それすらもこの静寂を深くするためのエッセンスのようだった。
オンボロ寮の談話室では、古いランプがひとつ、オレンジ色の柔らかな光を灯している。
昼間の小競り合いに疲れたのか、グリムは私の膝の上からソファへと移動し、完全にへそを出して熟睡していた。スースーと規則正しい寝息が、静かな部屋に響いている。
「……よし、これで今日の魔法史のレポート、最低限の文字数はクリアだな」
静寂を破ったのは、ペンを置くデュースの小さな声だった。
彼の目の前には、インクの染みがいくつか点在する羊皮紙が広がっている。文字は決して綺麗とは言えないが、一文字一文字が驚くほど丁寧に、まっすぐに並んでいた。彼の生真面目な性格がそのまま映し出されたようなレポートだ。
「お、終わった? じゃ、次はオレのな。ちょっと写させて」
「ダメに決まっているだろう、エース! これは僕が必死に教科書をひっくり返して書いたんだ。自分の分は自分でやれ!」
「ケチ。ちょっと参考にするだけだって。な、ななしからも言ってよ」
エースは机に突っ伏したまま、上目遣いで私を見てくる。
昼間の制服のジャケットはすでに脱ぎ捨てられており、白いシャツの袖が肘のあたりまで無造作に捲り上げられていた。普段のスマートな立ち振る舞いとは少し違う、リラックスした姿がそこにあった。
「だめだよ、エース。トレイン先生、写したやつは一発で見抜くって言ってたし」
「ちぇー。ななしまでデュースの味方すんのかよ。……まぁ、わかってたけどね」
エースはわざとらしく大きなため息をつくと、のそりと身体を起こし、自分のバッグからくしゃくしゃになった羊皮紙を取り出した。文句を言いながらも、ちゃんとペンを握って課題に取り組み始める。
私はそんな二人を見ながら、新しく淹れたハーブティーをそれぞれの前に置いた。
ハーツラビュル寮のトレイ先輩から「リラックスできるから」と分けてもらった、カモミール主体のハーブの香りが、湯気とともにふわりと部屋に広がる。
「あ、いい匂い……。サンキュ、ななし」
エースが温かいカップを両手で包み込み、細い目をさらに細める。
「すまない、いつも気を遣わせてしまって」
デュースも恐縮したようにカップを受け取った。
「ううん、私が好きでやってることだから。二人がここにいてくれると、この広い寮も寂しくないし」
私の言葉に、二人は一瞬だけ動きを止めた。
窓の外で、夜風がガタガタと古い窓枠を揺らす。いつもなら少し不気味に聞こえるその音も、不思議と今は怖くなかった。
「……寂しい、か」
エースがハーブティーを一口すすり、ランプの炎を見つめながら呟いた。
「そりゃそうだよな。お前、急にこんなわけわかんない世界に放り出されてさ。周りは魔法だの魔獣だの、物騒な奴らばっかだし。オレらみたいに、実家に帰れば家族がいるってわけでもねーし。……ぶっちゃけ、泣きたくなる夜とかあんの?」
ストレートな問いかけだった。いつもは意地悪な軽口で本心を隠すエースが、驚くほど真剣な、ストレートな眼差しを私に向けている。
「……最初の頃はね」
私は正直に答えた。
「誰も私の言葉を信じてくれないんじゃないかって、すごく怖かった。でも、エースとデュースに出会って、グリムと一緒に過ごすようになってから、不思議と帰りたいって泣くことはなくなったかな。今はこの場所が、すごく安心できるから」
私の告白を聞いていたデュースがカップを置き、拳をぎゅっと握りしめた。
「ななし。僕は……いや、僕たちは、お前のその言葉にどれだけ救われているか分からない」
「え……?」
「本当だぞ」
デュースの瞳には、強い光が宿っていた。
「僕は、ここに来る前は……その、お前も知っての通り、お世辞にも褒められた生徒じゃなかった。今でこそ立派な魔法士になって、今度こそ母親を安心させたいと思ってはいるけれど、時々、自分の不甲斐なさに押し潰されそうになる」
彼は自分の大きな手を見つめる。
「だけど、ここに来て『誰かのために真っ当でありたい』と思えたんだ。魔法が使えないななしが、誰よりも勇敢に問題に立ち向かう姿を見て、僕も逃げちゃダメだと思わされた。お前が僕たちを居場所だと言ってくれるなら、僕は全力でお前の味方になる。いつでも、どこにいたって、お前が呼べばすぐに駆けつける」
熱を帯びたデュースの言葉は、少し気恥ずかしいほどに真っ直ぐだった。
しかし、その不器用な誠実さが、私の胸の奥を激しく揺さぶる。
「ちょっと、デュース。お前真面目トーンで語りすぎ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ」
エースが顔を赤くしながら、あえて茶化すように口を挟んだ。
しかしそのエースも、私から視線を外そうとはしなかった。
「……でもさ、まぁ、珍しくデュースと同意見。オレも本当の本当に飾らない自分でいられる時間って、結構貴重だし」
エースはふっと柔らかく笑った。その笑顔は、普段学校で見せるものよりもずっと幼く、そして温かい。
「ななしがどこから来たのか、オレらには分かんない。いつか元の世界に帰る方法が見つかるのかも、分かんない。……でもさ、もしその日が来ても、あるいは来なくても。オレらが出会ったこと、ここでこうしてくだらない話をして笑い合ってる時間は、絶対に無くなんないから。お前がどんな遠くに行っても、オレはななしのこと見つけ出してやるし、お前がここで迷ってるなら、ずっと隣にいてやるよ」
特別な血縁があるわけでもない。
同じ世界の出身でもない。
だけど、この夜の底で交わされる言葉には、どんな強固な魔法の契約よりも強い絆が宿っているように感じられた。
「ふな……。なんか、いい匂いがするんだゾ……」
ソファの上で丸くなっていたグリムが、ハーブティーの香りに誘われたのか、片目を開けてむにゃむにゃと呟いた。
寝ぼけ眼のまま、よろよろと私の足元まで歩いてきて裾を小さな肉球で引っ張る。
「オレ様を置いて、美味いものを飲んでるな? ずるいんだゾ、子分……」
「ふふ、起きたの、グリム。グリムの分もちゃんとあるよ」
「たく、相変わらず食い意地だけは一丁前だな」
エースが呆れたように笑いながら、グリムの頭を優しく撫でた。グリムは「うるさいんだゾ」と言いたげに耳をパタパタさせたが、拒絶はしなかった。
ランプの光に照らされた四人の影が、壁に大きく重なり合っている。
不揃いな影。けれど、それは不思議と、ひとつの大きな温かい塊のように見えた。
「夜も更けてきたし、レポートの続きは明日の朝にするか。な、エース」
「賛成。これ以上文字見たら、マジで目が充血しそう」
そんな些細なやり取りに、また部屋の中に小さな笑い声が弾ける。
外の冷たい夜風がガタガタと古い窓枠を揺らしているけれど、今のこの部屋の中の温かさを脅かせるものは何一つなかった。
私は、空になったハーブティーのカップをトレイにまとめようと立ち上がった。すると、「あ、オレやるわ」とエースがひょいとトレイを取り上げる。
「え、珍しいね。エースが片付け手伝ってくれるなんて」
「なんだよ、それ。オレだってたまには気の利く男アピールくらいするし」
「お前、そうやって口を開くから下心が透けて見えるんだ。ななし、僕も手伝おう」
「いや、デュースはすぐ皿割りそうだから座ってろって」
結局二人で狭いキッチンへとトレイを運び、並んで洗い物を始めようとする。古いシンクに水が流れる音が、心地よいリズムとなって談話室まで聞こえてきた。
私はその様子を、談話室の入り口からそっと眺めていた。
ランプのオレンジ色の光に照らされた、二人の背中。
異世界にやってきて、右も左も分からなくて、毎日が不安で押しつぶされそうだった。だけど、今私の目の前にあるのは、何気なくて、不器用で、けれどどうしようもなく愛おしい私たちの日常だ。
・
二人が洗い物を終えて、お互いに手を拭きながら談話室に戻ってきた。
「……何? またぼーっとして。本当、今日のお前、なんか変」
エースが私の顔を覗き込み、悪戯っぽく眉をひそめる。
「なんでもないよ。ただ……二人がこうして、ここにいてくれて良かったな、と思って」
私のストレートな言葉に、エースは一瞬だけきょとんとした顔をした。それから、すぐに何かを誤魔化すように、ふいっと顔を背けて首の後ろをガシガシとかき始める。ランプの光のせいだけではない、彼の耳が少し赤くなっているのが分かった。
「……あのさ、お前、そういうセリフ、男二人の前で平気で言うのやめた方がいいよ? 勘違いすっから」
「エース、不謹慎なことを言うな!」
デュースがすかさず声を荒げる。しかし当のデュースも、私と視線が合うと、どこか照れくさそうにはにかんだ。
「でも……そうだな。僕も、ここにいられて良かったと思っている。ななしとエースと、グリムと出会えて……僕は、少しだけ変われた気がするんだ。だから、その……これからも、よろしくな、ななし」
「……うん。こちらこそ、よろしくね」
時計の針が21時を回ったことを告げるように、小さくボーン、ボーンと鳴り響いた。
「よし、じゃあそろそろ門限だし、今度こそ本当に解散!」
エースが伸びをしながら、自分の荷物を手にもつ。
「あぁ、そうだな。ななし、グリムをベッドまで運ぶのを手伝おうか?」
「大丈夫、一人で運べるよ。二人とも、本当に遅くまでありがとう。気をつけて帰ってね」
「おう、じゃーね」
「あぁ、また明日、教室で」
二人はそう言って、オンボロ寮の重い玄関の扉を開けた。
外には、吸い込まれそうなほどに深い藍色の夜空が広がり、満天の星が優しく瞬いている。
二人の足音が、静かな森の奥へと遠ざかっていく。
その背中を見送りながら、私は確信していた。
これから先、どんな困難が待ち受けていようとも。
いつか私が、元の世界に帰る方法を見つけて、この場所を去る日が来るとしても。あるいは、彼らがそれぞれの未来へと羽ばたき、別々の道を歩むことになるとしても。
この古い談話室で、みんなで笑い合ったという記憶は、決して消えない。
彼らがくれた「いつでもお前の味方だ」という言葉は、私の心の中で、ずっと、ずっと輝き続ける。
扉を閉め、鍵をかける。
冷たい夜風の音は、もう怖くなかった。
ソファで丸くなって眠るグリムをそっと抱き上げると、むにゃむにゃと温かい寝息が首筋に当たった。
「おやすみ、みんな。――また、明日ね」
私たちはいつだって、どこにいたって、繋がっている。
愛おしい日常の余韻を胸に、私はそっと部屋の明かりを消した。
---
Song by edhiii boi,RUI,TAIKI
それぞれの寮へと帰路につく生徒たちの賑やかな声、運動部がグラウンドで上げる掛け声、そして時折どこかの校舎から聞こえてくる小さな爆発音。魔法士養成学校としての日常は、異世界から迷い込んできた私にとって、未だに驚きと刺激に満ちたものだった。
しかし、そんな喧騒から少し離れた深い森の奥に佇むオンボロ寮に一歩足を踏み入れれば、そこには周囲とは少し違う、穏やかで、どこか懐かしい時間が流れている。
「ふぁ〜あ……。今日の魔法史、マジで子守唄だったわ。トレイン先生の声、低音のアルファ波かなんか出てるだろ、絶対」
談話室の扉が開くと同時に、愚痴をこぼしながら滑り込んできたのはエース・トラッポラだった。
彼は背負っていた荷物を床に放り出すと、使い古されてスプリングのへたったソファへとダイブするように深く腰掛けた。そのまま長い脚を前のローテーブルに無造作に投げ出す。
「おい、エース。部屋に入るなり行儀が悪いぞ。荷物もちゃんと片付けろ」
その後ろから、生真面目な顔をして入ってきたのはデュース・スペードだ。彼は自分の荷物を丁寧に椅子の背もたれに掛け、エースの行儀の悪さを咎めるように眉をひそめる。
しかし、そう言うデュース自身も、目の下にはうっすらとクマが浮かんでおり、歩き方もどこか重い。
「お前だって頭から煙出そうじゃん、デュース。最後の小テスト、名前書き忘れたことに提出直前で気づいて大パニックになってたの、オレは知ってんだからね?」
「な、何っ!? あれはただ、見直しに集中しすぎて……!」
「はいはい、お疲れさん。どっちにしろ二人とも、今日の居残り免除されたんだからラッキーじゃん」
私は苦笑しながら二人のやり取りをそっと見守り、キッチンへと向かった。トレイに載せたのは、冷たいお茶を満たした大きめのグラスが三つ。それと、購買で買っておいたささやかな焼き菓子だ。
談話室に戻ると、ソファの大きなクッションに顔を埋めていた灰色の毛並みが、むくりと起き上がった。
「オレ様はもう限界なんだゾ! オレ様の偉大な胃袋が、完全にツナ缶を欲しているんだゾ〜!」
オンボロ寮の相棒であるグリムが、短い足をばたつかせながら、私の足元にすり寄ってくる。青い炎を揺らす耳をパタパタとさせながら、あからさまに「お腹が空いた」とアピールしていた。
「グリム、さっきハーツラビュルの先輩からもらったデニッシュを丸ごと一つ食ってただろ」
エースが片目を細めて呆れたように言う。
「あんなの食ったうちに入らないんだゾ!」
私は笑いながらグラスをテーブルに並べ、グリムの前にクッキーを置いてやった。グリムは「ふなっ!」と歓声を上げ、すぐさま両手でクッキーを掴んで口に放り込む。その満足そうな顔を見ているだけで、今日一日の疲れが少しだけ吹き飛ぶような気がした。
「はい、ふたりも。冷たいのあるよ」
「お、サンキュ。生き返るわ……」
エースがグラスを受け取り、喉を鳴らして一気に飲み干す。
デュースも「ありがとう、ななし」と律儀に頭を下げてから、グラスに手を伸ばした。冷たいお茶が喉を潤していく感覚に、二人は同時にふぅ、と深い溜息をつく。
夕方の光が、オンボロ寮の古びた窓ガラスを通して床に長い影を落としていた。埃が光の粒のようにキラキラと舞う中、時計の秒針が刻む音だけが静かに響く。
思えば、ここに最初に来たばかりの頃は、毎日が不安で仕方がなかった。
魔法なんて使えない。元の世界に帰る方法もわからない。学園長には便利屋のように扱われ、周囲の生徒たちは一癖も二癖もある問題児ばかり。
だけど気がつけば、この騒がしくて、まとまりがなくて、けれどどこか温かい空間が、私にとっての日常になっていた。
「……ななし、何ぼーっとしてんの?」
不意にエースがグラスを置く音とともに私を覗き込んできた。
その赤みがかった瞳が、私の顔をじっと見つめている。
「いや、なんでもないよ。みんな、本当にお疲れ様だなと思って」
「ふーん? 怪しい。なんか隠し事してない?」
「してないってば」
「ななし」
今度はデュースが、少し真面目なトーンで私の名前を呼んだ。
「さっきから少し顔色が悪い気がするんだが……体調でも崩しているんじゃないか? 魔法が使えないお前は、僕たちよりもずっと精神的な疲労が大きい。無理は禁物だぞ」
「あー、やっぱりデュースも気づいた? オレもさっきから思ってたわ」
エースがソファの背もたれに腕を回し、少しだけ身体をこちらに傾ける。
「なんかさ、最近のななし、ちょっと張り切りすぎ。学園長から押し付けられた雑用もそうだけど、なんでもかんでも一人で抱え込もうとするじゃん。そういうの、マジでよくないって」
二人の言葉は、決して責めるようなものではなかった。
むしろ、不器用ながらも必死に私のことを気遣おうとしてくれているのが、その視線や声のトーンから痛いほど伝わってくる。
「……ありがと。でも、本当に大丈夫。みんながこうして一緒にいてくれるだけで、結構元気出てるから」
私がそう言うと、エースは一瞬だけきょとんとした顔をした。
それからすぐに何かを誤魔化すように、ふいっと顔を背けて首の後ろをガシガシとかき始める。
「……あっそ。まぁ、ななしがそう言うならいいけど。ただの自己管理の心配だし」
「エース、そこは素直に心配だと言えばいいだろう。お前はいつも一言多いんだ」
「うっせ! デュースはストレートすぎて逆に暑苦しいんだよ!」
またいつもの小競り合いが始まる。その様子を見ながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
言葉にしなくても、私たちがここで過ごしている時間には、確かに確かな意味がある。――どんな時も、どんな場所にいたって、この繋がりは変わらない。
「ふな……。オレ様はもう、眠くなってきたんだゾ……」
クッキーを食べ終えたグリムが、トントンと私の膝の上に飛び乗ってきた。丸い身体を丸めて、当然のような顔をして私の太ももを枕にする。
その柔らかくて温かい重みを感じながら、私は二人の言い合いをBGMに、窓の外のオレンジ色に染まる空を眺めていた。
・
太陽が完全に西の地平線へと沈み、ナイトレイブンカレッジは深い藍色の夜に包まれていった。昼間の賑やかさが嘘のように、静まり返る校内。時折、遠くの森から夜行性の魔獣の鳴き声が聞こえてくるが、それすらもこの静寂を深くするためのエッセンスのようだった。
オンボロ寮の談話室では、古いランプがひとつ、オレンジ色の柔らかな光を灯している。
昼間の小競り合いに疲れたのか、グリムは私の膝の上からソファへと移動し、完全にへそを出して熟睡していた。スースーと規則正しい寝息が、静かな部屋に響いている。
「……よし、これで今日の魔法史のレポート、最低限の文字数はクリアだな」
静寂を破ったのは、ペンを置くデュースの小さな声だった。
彼の目の前には、インクの染みがいくつか点在する羊皮紙が広がっている。文字は決して綺麗とは言えないが、一文字一文字が驚くほど丁寧に、まっすぐに並んでいた。彼の生真面目な性格がそのまま映し出されたようなレポートだ。
「お、終わった? じゃ、次はオレのな。ちょっと写させて」
「ダメに決まっているだろう、エース! これは僕が必死に教科書をひっくり返して書いたんだ。自分の分は自分でやれ!」
「ケチ。ちょっと参考にするだけだって。な、ななしからも言ってよ」
エースは机に突っ伏したまま、上目遣いで私を見てくる。
昼間の制服のジャケットはすでに脱ぎ捨てられており、白いシャツの袖が肘のあたりまで無造作に捲り上げられていた。普段のスマートな立ち振る舞いとは少し違う、リラックスした姿がそこにあった。
「だめだよ、エース。トレイン先生、写したやつは一発で見抜くって言ってたし」
「ちぇー。ななしまでデュースの味方すんのかよ。……まぁ、わかってたけどね」
エースはわざとらしく大きなため息をつくと、のそりと身体を起こし、自分のバッグからくしゃくしゃになった羊皮紙を取り出した。文句を言いながらも、ちゃんとペンを握って課題に取り組み始める。
私はそんな二人を見ながら、新しく淹れたハーブティーをそれぞれの前に置いた。
ハーツラビュル寮のトレイ先輩から「リラックスできるから」と分けてもらった、カモミール主体のハーブの香りが、湯気とともにふわりと部屋に広がる。
「あ、いい匂い……。サンキュ、ななし」
エースが温かいカップを両手で包み込み、細い目をさらに細める。
「すまない、いつも気を遣わせてしまって」
デュースも恐縮したようにカップを受け取った。
「ううん、私が好きでやってることだから。二人がここにいてくれると、この広い寮も寂しくないし」
私の言葉に、二人は一瞬だけ動きを止めた。
窓の外で、夜風がガタガタと古い窓枠を揺らす。いつもなら少し不気味に聞こえるその音も、不思議と今は怖くなかった。
「……寂しい、か」
エースがハーブティーを一口すすり、ランプの炎を見つめながら呟いた。
「そりゃそうだよな。お前、急にこんなわけわかんない世界に放り出されてさ。周りは魔法だの魔獣だの、物騒な奴らばっかだし。オレらみたいに、実家に帰れば家族がいるってわけでもねーし。……ぶっちゃけ、泣きたくなる夜とかあんの?」
ストレートな問いかけだった。いつもは意地悪な軽口で本心を隠すエースが、驚くほど真剣な、ストレートな眼差しを私に向けている。
「……最初の頃はね」
私は正直に答えた。
「誰も私の言葉を信じてくれないんじゃないかって、すごく怖かった。でも、エースとデュースに出会って、グリムと一緒に過ごすようになってから、不思議と帰りたいって泣くことはなくなったかな。今はこの場所が、すごく安心できるから」
私の告白を聞いていたデュースがカップを置き、拳をぎゅっと握りしめた。
「ななし。僕は……いや、僕たちは、お前のその言葉にどれだけ救われているか分からない」
「え……?」
「本当だぞ」
デュースの瞳には、強い光が宿っていた。
「僕は、ここに来る前は……その、お前も知っての通り、お世辞にも褒められた生徒じゃなかった。今でこそ立派な魔法士になって、今度こそ母親を安心させたいと思ってはいるけれど、時々、自分の不甲斐なさに押し潰されそうになる」
彼は自分の大きな手を見つめる。
「だけど、ここに来て『誰かのために真っ当でありたい』と思えたんだ。魔法が使えないななしが、誰よりも勇敢に問題に立ち向かう姿を見て、僕も逃げちゃダメだと思わされた。お前が僕たちを居場所だと言ってくれるなら、僕は全力でお前の味方になる。いつでも、どこにいたって、お前が呼べばすぐに駆けつける」
熱を帯びたデュースの言葉は、少し気恥ずかしいほどに真っ直ぐだった。
しかし、その不器用な誠実さが、私の胸の奥を激しく揺さぶる。
「ちょっと、デュース。お前真面目トーンで語りすぎ。聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ」
エースが顔を赤くしながら、あえて茶化すように口を挟んだ。
しかしそのエースも、私から視線を外そうとはしなかった。
「……でもさ、まぁ、珍しくデュースと同意見。オレも本当の本当に飾らない自分でいられる時間って、結構貴重だし」
エースはふっと柔らかく笑った。その笑顔は、普段学校で見せるものよりもずっと幼く、そして温かい。
「ななしがどこから来たのか、オレらには分かんない。いつか元の世界に帰る方法が見つかるのかも、分かんない。……でもさ、もしその日が来ても、あるいは来なくても。オレらが出会ったこと、ここでこうしてくだらない話をして笑い合ってる時間は、絶対に無くなんないから。お前がどんな遠くに行っても、オレはななしのこと見つけ出してやるし、お前がここで迷ってるなら、ずっと隣にいてやるよ」
特別な血縁があるわけでもない。
同じ世界の出身でもない。
だけど、この夜の底で交わされる言葉には、どんな強固な魔法の契約よりも強い絆が宿っているように感じられた。
「ふな……。なんか、いい匂いがするんだゾ……」
ソファの上で丸くなっていたグリムが、ハーブティーの香りに誘われたのか、片目を開けてむにゃむにゃと呟いた。
寝ぼけ眼のまま、よろよろと私の足元まで歩いてきて裾を小さな肉球で引っ張る。
「オレ様を置いて、美味いものを飲んでるな? ずるいんだゾ、子分……」
「ふふ、起きたの、グリム。グリムの分もちゃんとあるよ」
「たく、相変わらず食い意地だけは一丁前だな」
エースが呆れたように笑いながら、グリムの頭を優しく撫でた。グリムは「うるさいんだゾ」と言いたげに耳をパタパタさせたが、拒絶はしなかった。
ランプの光に照らされた四人の影が、壁に大きく重なり合っている。
不揃いな影。けれど、それは不思議と、ひとつの大きな温かい塊のように見えた。
「夜も更けてきたし、レポートの続きは明日の朝にするか。な、エース」
「賛成。これ以上文字見たら、マジで目が充血しそう」
そんな些細なやり取りに、また部屋の中に小さな笑い声が弾ける。
外の冷たい夜風がガタガタと古い窓枠を揺らしているけれど、今のこの部屋の中の温かさを脅かせるものは何一つなかった。
私は、空になったハーブティーのカップをトレイにまとめようと立ち上がった。すると、「あ、オレやるわ」とエースがひょいとトレイを取り上げる。
「え、珍しいね。エースが片付け手伝ってくれるなんて」
「なんだよ、それ。オレだってたまには気の利く男アピールくらいするし」
「お前、そうやって口を開くから下心が透けて見えるんだ。ななし、僕も手伝おう」
「いや、デュースはすぐ皿割りそうだから座ってろって」
結局二人で狭いキッチンへとトレイを運び、並んで洗い物を始めようとする。古いシンクに水が流れる音が、心地よいリズムとなって談話室まで聞こえてきた。
私はその様子を、談話室の入り口からそっと眺めていた。
ランプのオレンジ色の光に照らされた、二人の背中。
異世界にやってきて、右も左も分からなくて、毎日が不安で押しつぶされそうだった。だけど、今私の目の前にあるのは、何気なくて、不器用で、けれどどうしようもなく愛おしい私たちの日常だ。
・
二人が洗い物を終えて、お互いに手を拭きながら談話室に戻ってきた。
「……何? またぼーっとして。本当、今日のお前、なんか変」
エースが私の顔を覗き込み、悪戯っぽく眉をひそめる。
「なんでもないよ。ただ……二人がこうして、ここにいてくれて良かったな、と思って」
私のストレートな言葉に、エースは一瞬だけきょとんとした顔をした。それから、すぐに何かを誤魔化すように、ふいっと顔を背けて首の後ろをガシガシとかき始める。ランプの光のせいだけではない、彼の耳が少し赤くなっているのが分かった。
「……あのさ、お前、そういうセリフ、男二人の前で平気で言うのやめた方がいいよ? 勘違いすっから」
「エース、不謹慎なことを言うな!」
デュースがすかさず声を荒げる。しかし当のデュースも、私と視線が合うと、どこか照れくさそうにはにかんだ。
「でも……そうだな。僕も、ここにいられて良かったと思っている。ななしとエースと、グリムと出会えて……僕は、少しだけ変われた気がするんだ。だから、その……これからも、よろしくな、ななし」
「……うん。こちらこそ、よろしくね」
時計の針が21時を回ったことを告げるように、小さくボーン、ボーンと鳴り響いた。
「よし、じゃあそろそろ門限だし、今度こそ本当に解散!」
エースが伸びをしながら、自分の荷物を手にもつ。
「あぁ、そうだな。ななし、グリムをベッドまで運ぶのを手伝おうか?」
「大丈夫、一人で運べるよ。二人とも、本当に遅くまでありがとう。気をつけて帰ってね」
「おう、じゃーね」
「あぁ、また明日、教室で」
二人はそう言って、オンボロ寮の重い玄関の扉を開けた。
外には、吸い込まれそうなほどに深い藍色の夜空が広がり、満天の星が優しく瞬いている。
二人の足音が、静かな森の奥へと遠ざかっていく。
その背中を見送りながら、私は確信していた。
これから先、どんな困難が待ち受けていようとも。
いつか私が、元の世界に帰る方法を見つけて、この場所を去る日が来るとしても。あるいは、彼らがそれぞれの未来へと羽ばたき、別々の道を歩むことになるとしても。
この古い談話室で、みんなで笑い合ったという記憶は、決して消えない。
彼らがくれた「いつでもお前の味方だ」という言葉は、私の心の中で、ずっと、ずっと輝き続ける。
扉を閉め、鍵をかける。
冷たい夜風の音は、もう怖くなかった。
ソファで丸くなって眠るグリムをそっと抱き上げると、むにゃむにゃと温かい寝息が首筋に当たった。
「おやすみ、みんな。――また、明日ね」
私たちはいつだって、どこにいたって、繋がっている。
愛おしい日常の余韻を胸に、私はそっと部屋の明かりを消した。
---
Song by edhiii boi,RUI,TAIKI
