◯◯しないと出られない部屋
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学園からオンボロ寮へと続く、人通りの少ない渡り廊下の奥。
ななしは完全に立ち往生していた。
いつの間にか周囲の景色が奇妙なほど歪み、気がつけば見覚えのない、天蓋付きの大きなベッドが置かれた豪奢な部屋の真ん中に立っていた。
「な、何、ここ……。オンボロ寮に帰る途中だったのに……」
「騒々しいわね。状況を把握する前に声を上げるのは、三流のすることよ」
部屋の隅、豪奢な一人がけのソファから冷徹なまでに美しい声が響いた。
ポムフィオーレ寮長ヴィル・シェーンハイトが、長い脚を組み替えて不機嫌そうにななしを睨みつけている。
「ヴィ、ヴィル先輩!? どうしてここに……」
「アタシが聞きたいわ。気がついたらこの悪趣味な部屋よ。まったく、今日のルーティンが狂うじゃないの」
ヴィルは美しく整えられた爪先を見つめ、忌々しげに溜息をついた。
その時、部屋の姿見の表面に流麗な金色の文字がじわじわと浮かび上がった。
ヴィルの腕の中で眠らないと出られない部屋
「……眠らないと、出られない……? ヴィル先輩の腕の中……?」
「ふん、下らない魔法ね。誰が仕掛けたか知らないけれど、アタシの時間を奪う罪は重いわよ」
ヴィルはソファから立ち上がりベッドへと近づいた。
彼が動くたびに洗練された香りが、狭い部屋の空気をふわりと満たしていく。
「ヴィル先輩……あの、どうにかして魔法を破る方法は……」
「アタシの魔力でも弾けないわ。となれば、効率を重視するべきね。ななし、ぐずぐずしないでさっさとそのベッドに入りなさい」
「えっ!? で、でも、わたし……そんな、無理です! 先輩の腕の中なんて、緊張して眠れるわけが……」
「アンタの都合なんて聞いていないわ。アタシは一刻も早くここを出て、自室のベッドで横になりたいの。それとも、アタシの隣が不満だとでも言うつもり?」
ヴィルはベッドの端に腰掛け、長い指先でシーツを軽く叩いた。
ななしは資料を握りしめたまま、一歩も動くことができない。
「不満なんて、そんなわけないです! ただ、その……恐れ多いといいますか……」
「アンタね、そんなところで勝手に卑屈になって時間を無駄にする方が、よっぽどアタシの美意識に反するわ。……いいから、早く来なさい」
ヴィルの声音が、わずかに低くなった。
有無を言わせない威圧感に圧され、ななしは震える足で、一歩ずつベッドへと近づいた。
シーツの上に腰を下ろすと、驚くほど滑らかな布の感触が肌に伝わった。
ヴィルがゆっくりと上着を脱ぎ、ベッドのヘッドボードに背を預ける。
「横になりなさい。アタシが腕を貸してあげるから」
「う、腕を……ですか?」
「そう言っているでしょう。ほら、頭をここに」
ヴィルが自身の左腕を差し出す。
ななしは目をきつく閉じ、意を決してその腕の上に頭を乗せた。
触れた瞬間、ヴィルの体温がダイレクトに伝わってきた。
モデルとして完璧に管理された、しなやかで細い、けれど確かに男性であると分かる固い腕。
ななしの心臓は、すでに限界を突破したような音を立てていた。衣服越しに、自分の異常な鼓動がヴィルに伝わっているのではないかと気が気ではない。
「……アンタ、随分と硬くなっているわね。まるで行き倒れの毒林檎の木みたいよ」
「すみません……。でも、本当に、その……」
「分かっているわ。アンタが普段から、アタシと目を合わせるだけで顔を赤くしていることくらい。気づいていないとでも思った?」
ヴィルの美しい瞳が、至近距離でななしの顔を覗き込んできた。
部屋の温度が、じわじわと上がり始めているような錯覚を覚える。
ななしは恥ずかしさのあまり、顔をこれ以上近づけられないように、首元までシーツを手繰り寄せた。
「気づかれて、いたんですね……」
「当然よ。アタシを誰だと思っているの? アンタがアタシを見る時の、あの怯えたような、でも、何かを堪えるような視線……。嫌いじゃないわよ」
ヴィルがふっと、艶やかな笑みを漏らした。
彼の右手がななしの頬に触れ、遮るシーツを優しく、けれど拒絶を許さない力で引き下げる。
触れられた肌から、じっとりとした熱が身体の奥へと染み込んでいくようだった。
「……さあ、アタシをこれ以上待たせないで。可愛い迷い子さん」
ヴィルの長い指先が頬から耳の後ろへと滑り落ちるたび、その軌跡をなぞるように肌がじりじりと熱を帯びていく。
ななしはシーツを握りしめたまま、小さく呼吸を震わせた。部屋の隅々まで満ちていくヴィルの香りは、ただ華やかなだけではなく、どこか甘く重い、脳の芯を痺れさせるような毒を含んでいるように感じられた。
「……まだ、アタシの顔を見られないのね」
ヴィルの声は先ほどまでの冷徹なトーンとは異なり、まるで極上の絹を滑らせるような優しさと、微かな愉悦を孕んでいた。左腕に預けられたななしの頭を、彼は逃がさないように自分の胸元へと優しく引き寄せる。
密着した身体を通して、ヴィルの規則正しい、けれど決して冷たくはない心臓の鼓動がダイレクトに伝わってきた。鍛え上げられた胸板の硬さと、衣服越しでもわかる熱。それがななしの、狂ったように脈打つ不規則な鼓動と重なり合い、不協和音となって脳内に響き渡る。
「ヴィル、先輩……。あの、本当に、わたし……眠れそうに、なくて……」
「眠ろうと焦るから余計に目が冴えるのよ。いいから、アタシの身体の音に意識を集中させなさい。ほら、息を吸って、吐いて」
耳元で囁かれる低く美しい声に促され、ななしは不器用に呼吸を繰り返した。吸い込むたびに、ヴィルの体温が混ざった空気が肺の奥まで侵食していく。身体の内側と外側の境界線が、その熱によって曖昧に溶かされていくような奇妙な感覚に襲われた。
ななしが耐えかねて、ほんの少し身を縮めると、ヴィルの右腕がその背中に回され、さらに隙間を埋めるように強く抱きすくめられた。
「逃げるなと言っているでしょう。アンタがそうやって縮こまるたびに、アタシの腕にどれだけ力が加わるか、分かってやってるのかしら?」
「っ……! すみ、ません……」
「謝る言葉が欲しいわけじゃないわ」
ヴィルはななしの顎にそっと指をかけ、無理のない、けれど確実な力で上を向かせた。
否応なしに視線が交差する。
至近距離で見つめるヴィルの瞳は、夕暮れ時のアメジストのように妖しく深い光を湛えていた。それは目の前の少女の反応を一つ残さず観察し、支配しようとする、ひどく男性的で執着に満ちた捕食者の目だった。
「アンタのその、壊れそうなほど速い心臓の音……。アタシの腕に、これでもかっていうくらい響いているわよ。……ねえ、ななし。アンタ、本当はアタシにこんな風に抱きしめられて、ただ緊張しているだけじゃないでしょう?」
「え、あ……」
核心を突かれ、ななしの喉が小さく鳴った。
恥ずかしさの限界を超えたその先で、身体の芯からじわじわと湧き上がってくる別の熱。ヴィルという絶対的な美の化身に、自分のすべてを委ねてしまいたいという甘く濁った欲求が剥き出しにされていく。
「アタシを特別な目で見ている自覚があるなら、そのすべてをアタシに委ねなさい。アンタのその、今にも泣き出しそうなほど真っ赤な顔も、熱い吐息も……全部アタシの管理下に置いてあげるわ」
ヴィルの指先が、ななしの熱を持った唇の輪郭を、そっとなぞった。
その濃厚な接触に、ななしの全身の力がふっと抜けていく。もはやこの部屋の魔法が解けるかどうかなど、どうでもよくなり始めていた。ただ、この美しい腕の中で、彼の熱に溶かされていたいという本能だけが、身体を支配していく。
静寂が部屋を支配し、ただ二人の重なる呼吸の音だけが濃密な空気の中に溶けていく。
ヴィルの胸元に完全に閉じ込められた状態で、ななしの思考はもはやまともな形を結ばなくなっていた。羞恥の限界を迎えた身体は、彼から絶え間なく注ぎ込まれる体温と、肌を灼くような視線によって、ただ心地よい麻痺に身を委ねている。
「随分と、素直な身体になったじゃない……」
ヴィルの囁きが、ななしの耳裏に直接触れるように響いた。
彼の長い指先が、ななしの細い髪を梳き上げるようにして後頭部を支える。その手のひらは驚くほど熱く、そして強固だった。
ヴィルの内面を占めていたのは、計算された美の演出などではなかった。自分の腕の中で、熱に浮かされたように呼吸を繰り返す少女。その無防備な存在が、彼の完璧な理性にじわじわと甘い毒を注ぎ込んでいく。
誰の目にも触れさせず、このベッドの上で自分のためだけにその体温を変化させる少女を、永遠にこの腕の中に閉じ込めておきたいという、苛烈な独占欲が首をもたげていた。
(アタシをここまで狂わせるのなら、それ相応の覚悟を持ってもらわなければ困るわ――)
ヴィルはゆっくりと顔を近づけ、ななしの震える長い睫毛に、自らの視線を重ねた。
ななしは迫り来る美貌の圧力に圧倒されながらも、もう目を背けることはしなかった。いや、背けるための気力さえ、彼の放つ圧倒的な存在感によって奪い去られていた。
「ななし……。アンタのすべてをアタシに預けなさい。アタシの腕の中でしか、生きられないようにしてあげる」
「ヴィル、先輩……、わたし……」
「何も言わなくていいわ。ただ、アタシだけを感じていればいいのよ」
ヴィルはそう言うと、ななしの顎を愛おしそうに固定し、その熱い唇を深く、密やかに塞いだ。
脳裏が真っ白に染まるほどの衝撃が、ななしの全身を駆け抜ける。
彼の唇から伝わるのは、冷徹な美貌からは想像もつかないほどの、狂おしいまでの熱量だった。
何度も、何度も、拒絶する隙さえ与えずに唇を重ねられ、ななしはただヴィルのしなやかな肩に手を回し、縋り付くことしかできなかった。彼の衣服を掴む指先が、その熱さに馴染んでいく。
深く、深い泥の中に沈んでいくような感覚のなかで、ななしの瞼がじわじわと重くなっていく。
それは恐怖や緊張による疲弊ではなく、ヴィルという完璧な存在にすべてを包み込まれ、完全に魂を委ねたことによる極上の安息だった。彼の胸の鼓動を子守唄のように聴きながら、ななしはついに、深い眠りの底へと落ちていった。
カチリ――。
ななしの意識が完全に途切れた瞬間、部屋の姿見に浮かんでいた金色の文字が弾け、静かに消滅した。
背後の大きな扉が音もなく開き、元の夕暮れ時の渡り廊下の景色が戻ってくる。しかし、ヴィルはその腕を緩めることはしなかった。自分の胸元で、完全に力を抜いて穏やかな寝息を立てているななしの髪を、彼はなおも独占欲に満ちた目で見つめながら、静かに指先で弄り続けている。
「……本当、悪い子ね。アタシをこんなに本気にさせておいて、自分だけ先に眠るなんて」
開かれた扉の向こうへ進むことなく、ヴィルは愛おしい迷い子をさらに深く抱き寄せ、その額に誰にも見せることのない甘い口づけを落とした。
ななしは完全に立ち往生していた。
いつの間にか周囲の景色が奇妙なほど歪み、気がつけば見覚えのない、天蓋付きの大きなベッドが置かれた豪奢な部屋の真ん中に立っていた。
「な、何、ここ……。オンボロ寮に帰る途中だったのに……」
「騒々しいわね。状況を把握する前に声を上げるのは、三流のすることよ」
部屋の隅、豪奢な一人がけのソファから冷徹なまでに美しい声が響いた。
ポムフィオーレ寮長ヴィル・シェーンハイトが、長い脚を組み替えて不機嫌そうにななしを睨みつけている。
「ヴィ、ヴィル先輩!? どうしてここに……」
「アタシが聞きたいわ。気がついたらこの悪趣味な部屋よ。まったく、今日のルーティンが狂うじゃないの」
ヴィルは美しく整えられた爪先を見つめ、忌々しげに溜息をついた。
その時、部屋の姿見の表面に流麗な金色の文字がじわじわと浮かび上がった。
ヴィルの腕の中で眠らないと出られない部屋
「……眠らないと、出られない……? ヴィル先輩の腕の中……?」
「ふん、下らない魔法ね。誰が仕掛けたか知らないけれど、アタシの時間を奪う罪は重いわよ」
ヴィルはソファから立ち上がりベッドへと近づいた。
彼が動くたびに洗練された香りが、狭い部屋の空気をふわりと満たしていく。
「ヴィル先輩……あの、どうにかして魔法を破る方法は……」
「アタシの魔力でも弾けないわ。となれば、効率を重視するべきね。ななし、ぐずぐずしないでさっさとそのベッドに入りなさい」
「えっ!? で、でも、わたし……そんな、無理です! 先輩の腕の中なんて、緊張して眠れるわけが……」
「アンタの都合なんて聞いていないわ。アタシは一刻も早くここを出て、自室のベッドで横になりたいの。それとも、アタシの隣が不満だとでも言うつもり?」
ヴィルはベッドの端に腰掛け、長い指先でシーツを軽く叩いた。
ななしは資料を握りしめたまま、一歩も動くことができない。
「不満なんて、そんなわけないです! ただ、その……恐れ多いといいますか……」
「アンタね、そんなところで勝手に卑屈になって時間を無駄にする方が、よっぽどアタシの美意識に反するわ。……いいから、早く来なさい」
ヴィルの声音が、わずかに低くなった。
有無を言わせない威圧感に圧され、ななしは震える足で、一歩ずつベッドへと近づいた。
シーツの上に腰を下ろすと、驚くほど滑らかな布の感触が肌に伝わった。
ヴィルがゆっくりと上着を脱ぎ、ベッドのヘッドボードに背を預ける。
「横になりなさい。アタシが腕を貸してあげるから」
「う、腕を……ですか?」
「そう言っているでしょう。ほら、頭をここに」
ヴィルが自身の左腕を差し出す。
ななしは目をきつく閉じ、意を決してその腕の上に頭を乗せた。
触れた瞬間、ヴィルの体温がダイレクトに伝わってきた。
モデルとして完璧に管理された、しなやかで細い、けれど確かに男性であると分かる固い腕。
ななしの心臓は、すでに限界を突破したような音を立てていた。衣服越しに、自分の異常な鼓動がヴィルに伝わっているのではないかと気が気ではない。
「……アンタ、随分と硬くなっているわね。まるで行き倒れの毒林檎の木みたいよ」
「すみません……。でも、本当に、その……」
「分かっているわ。アンタが普段から、アタシと目を合わせるだけで顔を赤くしていることくらい。気づいていないとでも思った?」
ヴィルの美しい瞳が、至近距離でななしの顔を覗き込んできた。
部屋の温度が、じわじわと上がり始めているような錯覚を覚える。
ななしは恥ずかしさのあまり、顔をこれ以上近づけられないように、首元までシーツを手繰り寄せた。
「気づかれて、いたんですね……」
「当然よ。アタシを誰だと思っているの? アンタがアタシを見る時の、あの怯えたような、でも、何かを堪えるような視線……。嫌いじゃないわよ」
ヴィルがふっと、艶やかな笑みを漏らした。
彼の右手がななしの頬に触れ、遮るシーツを優しく、けれど拒絶を許さない力で引き下げる。
触れられた肌から、じっとりとした熱が身体の奥へと染み込んでいくようだった。
「……さあ、アタシをこれ以上待たせないで。可愛い迷い子さん」
ヴィルの長い指先が頬から耳の後ろへと滑り落ちるたび、その軌跡をなぞるように肌がじりじりと熱を帯びていく。
ななしはシーツを握りしめたまま、小さく呼吸を震わせた。部屋の隅々まで満ちていくヴィルの香りは、ただ華やかなだけではなく、どこか甘く重い、脳の芯を痺れさせるような毒を含んでいるように感じられた。
「……まだ、アタシの顔を見られないのね」
ヴィルの声は先ほどまでの冷徹なトーンとは異なり、まるで極上の絹を滑らせるような優しさと、微かな愉悦を孕んでいた。左腕に預けられたななしの頭を、彼は逃がさないように自分の胸元へと優しく引き寄せる。
密着した身体を通して、ヴィルの規則正しい、けれど決して冷たくはない心臓の鼓動がダイレクトに伝わってきた。鍛え上げられた胸板の硬さと、衣服越しでもわかる熱。それがななしの、狂ったように脈打つ不規則な鼓動と重なり合い、不協和音となって脳内に響き渡る。
「ヴィル、先輩……。あの、本当に、わたし……眠れそうに、なくて……」
「眠ろうと焦るから余計に目が冴えるのよ。いいから、アタシの身体の音に意識を集中させなさい。ほら、息を吸って、吐いて」
耳元で囁かれる低く美しい声に促され、ななしは不器用に呼吸を繰り返した。吸い込むたびに、ヴィルの体温が混ざった空気が肺の奥まで侵食していく。身体の内側と外側の境界線が、その熱によって曖昧に溶かされていくような奇妙な感覚に襲われた。
ななしが耐えかねて、ほんの少し身を縮めると、ヴィルの右腕がその背中に回され、さらに隙間を埋めるように強く抱きすくめられた。
「逃げるなと言っているでしょう。アンタがそうやって縮こまるたびに、アタシの腕にどれだけ力が加わるか、分かってやってるのかしら?」
「っ……! すみ、ません……」
「謝る言葉が欲しいわけじゃないわ」
ヴィルはななしの顎にそっと指をかけ、無理のない、けれど確実な力で上を向かせた。
否応なしに視線が交差する。
至近距離で見つめるヴィルの瞳は、夕暮れ時のアメジストのように妖しく深い光を湛えていた。それは目の前の少女の反応を一つ残さず観察し、支配しようとする、ひどく男性的で執着に満ちた捕食者の目だった。
「アンタのその、壊れそうなほど速い心臓の音……。アタシの腕に、これでもかっていうくらい響いているわよ。……ねえ、ななし。アンタ、本当はアタシにこんな風に抱きしめられて、ただ緊張しているだけじゃないでしょう?」
「え、あ……」
核心を突かれ、ななしの喉が小さく鳴った。
恥ずかしさの限界を超えたその先で、身体の芯からじわじわと湧き上がってくる別の熱。ヴィルという絶対的な美の化身に、自分のすべてを委ねてしまいたいという甘く濁った欲求が剥き出しにされていく。
「アタシを特別な目で見ている自覚があるなら、そのすべてをアタシに委ねなさい。アンタのその、今にも泣き出しそうなほど真っ赤な顔も、熱い吐息も……全部アタシの管理下に置いてあげるわ」
ヴィルの指先が、ななしの熱を持った唇の輪郭を、そっとなぞった。
その濃厚な接触に、ななしの全身の力がふっと抜けていく。もはやこの部屋の魔法が解けるかどうかなど、どうでもよくなり始めていた。ただ、この美しい腕の中で、彼の熱に溶かされていたいという本能だけが、身体を支配していく。
静寂が部屋を支配し、ただ二人の重なる呼吸の音だけが濃密な空気の中に溶けていく。
ヴィルの胸元に完全に閉じ込められた状態で、ななしの思考はもはやまともな形を結ばなくなっていた。羞恥の限界を迎えた身体は、彼から絶え間なく注ぎ込まれる体温と、肌を灼くような視線によって、ただ心地よい麻痺に身を委ねている。
「随分と、素直な身体になったじゃない……」
ヴィルの囁きが、ななしの耳裏に直接触れるように響いた。
彼の長い指先が、ななしの細い髪を梳き上げるようにして後頭部を支える。その手のひらは驚くほど熱く、そして強固だった。
ヴィルの内面を占めていたのは、計算された美の演出などではなかった。自分の腕の中で、熱に浮かされたように呼吸を繰り返す少女。その無防備な存在が、彼の完璧な理性にじわじわと甘い毒を注ぎ込んでいく。
誰の目にも触れさせず、このベッドの上で自分のためだけにその体温を変化させる少女を、永遠にこの腕の中に閉じ込めておきたいという、苛烈な独占欲が首をもたげていた。
(アタシをここまで狂わせるのなら、それ相応の覚悟を持ってもらわなければ困るわ――)
ヴィルはゆっくりと顔を近づけ、ななしの震える長い睫毛に、自らの視線を重ねた。
ななしは迫り来る美貌の圧力に圧倒されながらも、もう目を背けることはしなかった。いや、背けるための気力さえ、彼の放つ圧倒的な存在感によって奪い去られていた。
「ななし……。アンタのすべてをアタシに預けなさい。アタシの腕の中でしか、生きられないようにしてあげる」
「ヴィル、先輩……、わたし……」
「何も言わなくていいわ。ただ、アタシだけを感じていればいいのよ」
ヴィルはそう言うと、ななしの顎を愛おしそうに固定し、その熱い唇を深く、密やかに塞いだ。
脳裏が真っ白に染まるほどの衝撃が、ななしの全身を駆け抜ける。
彼の唇から伝わるのは、冷徹な美貌からは想像もつかないほどの、狂おしいまでの熱量だった。
何度も、何度も、拒絶する隙さえ与えずに唇を重ねられ、ななしはただヴィルのしなやかな肩に手を回し、縋り付くことしかできなかった。彼の衣服を掴む指先が、その熱さに馴染んでいく。
深く、深い泥の中に沈んでいくような感覚のなかで、ななしの瞼がじわじわと重くなっていく。
それは恐怖や緊張による疲弊ではなく、ヴィルという完璧な存在にすべてを包み込まれ、完全に魂を委ねたことによる極上の安息だった。彼の胸の鼓動を子守唄のように聴きながら、ななしはついに、深い眠りの底へと落ちていった。
カチリ――。
ななしの意識が完全に途切れた瞬間、部屋の姿見に浮かんでいた金色の文字が弾け、静かに消滅した。
背後の大きな扉が音もなく開き、元の夕暮れ時の渡り廊下の景色が戻ってくる。しかし、ヴィルはその腕を緩めることはしなかった。自分の胸元で、完全に力を抜いて穏やかな寝息を立てているななしの髪を、彼はなおも独占欲に満ちた目で見つめながら、静かに指先で弄り続けている。
「……本当、悪い子ね。アタシをこんなに本気にさせておいて、自分だけ先に眠るなんて」
開かれた扉の向こうへ進むことなく、ヴィルは愛おしい迷い子をさらに深く抱き寄せ、その額に誰にも見せることのない甘い口づけを落とした。
