監督生と体が入替わるはなし
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スカラビア寮が紫紺の闇に包まれる頃。
談話室での宴の片付けを終えたジャミル・バイパーは、奇妙な浮遊感に襲われた。視界が激しく歪み、世界が反転するような感覚。反射的に床を支えようとした腕は、自分のものとは思えないほど細く、頼りなかった。
「……これは、何の冗談だ」
鏡の向こうで困惑の表情を浮かべているのは、オンボロ寮の監督生、ななしの姿だ。ジャミルは、視線の高さの変化や指先の感覚の違和感から、即座に「身体の入れ替わり」という事態を弾き出した。
「あ、あの、ジャミル先輩……? なんでわたしが、先輩の姿でそこに……?」
隣で情けない声を上げたのは、ジャミルの身体をしたななしだった。彼は自分の顔が見たこともないほど不安げに歪んでいるのを見て、舌打ちしたい衝動に駆られる。
「声を出すな。俺の顔でそんな間抜けな顔をするな」
「す、すみません……。でも、どうしたら……」
ジャミルの中身のななしは、長い手足をどう扱っていいか分からず、借りてきた猫のように肩をすくめている。
ジャミルは一呼吸おき、思考を巡らせた。
原因はおそらく、先ほどカリムが持ち込んだ正体不明の魔法薬の霧か、あるいは宴の最中に混じった何らかの魔法的干渉。解決策を探るのが先決だが、それ以上に彼が危惧したのは今この瞬間のリスクだ。
「いいか、ななし。今この瞬間から、お前は俺として振る舞え。明日の朝、カリムの寝起きを襲う暗殺者の警戒、朝食の献立の最終確認、そして学園長への報告……。これらすべてを、俺の完璧な模倣でこなしてもらう」
「ええっ!? そんなの無理ですよ、わたし魔法も使えないし……!」
「無理ではない。やるんだ。お前のその真面目さだけが頼りだ」
ジャミルは自身の姿をした彼女の胸ぐらを掴み、至近距離で睨みつけた。身体は小さくなっても、その瞳に宿る威圧感は変わらない。
「お前が俺になりきれなければ、スカラビアの運営は滞り、カリムの安全は脅かされる。……そして何より、俺の積み上げてきた平穏が崩れる。わかったな?」
「……は、はい。善処します」
ジャミルは彼女を自室へ連れ込み、徹夜で1日のスケジュールを叩き込んだ。ななしは必死にメモを取り、彼の指導に従った。鏡の前で、彼女はジャミルの冷ややかな笑みを練習し、彼はそれを厳しい目で見張る。
夜が更けるにつれ、奇妙な連帯感が二人を包んでいく。
ジャミルは、自分の身体を客観的に見ることで、普段いかに自分が従者として神経を削っているかを再認識していた。そしてそれを健気に、真面目に再現しようとする彼女の姿に、毒気を抜かれていくのを感じる。
「……少しは形になってきたな。だが、眉間の皺が足りない。もっと周囲のすべてが煩わしいという顔をしろ」
「こうですか……? なんだか、ジャミル先輩の苦労が少し分かった気がします」
ジャミルの姿をした彼女が、ふっと寂しげに笑った。その表情は、彼自身が決して人前では見せない、無防備で優しいものだった。
「……余計な分析はいい。さっさと寝ろ。俺はこの身体で、お前のオンボロ寮の寝床を確保しに行く」
◇
翌朝、事態は幸運にも自然解除されていた。
目が覚めた時、ジャミルはいつもの視線の高さから天井を見上げ、深く安堵の息を吐く。
その後、顔を合わせた二人は周囲に悟られないよう、最小限の視線だけを交わした。
「おはよう、ななし。……昨日は、よく頑張ったな」
「おはようございます、ジャミル先輩。……はい。でも、やっぱり先輩は先輩の姿が一番素敵だと思います」
真面目な彼女の言葉に、ジャミルはわずかに目を見開いた後、すぐにいつもの冷徹な仮面を被り直した。
「……当然だ。あんな不格好な模倣、二度と御免だからな」
皮肉を吐きながらも、彼の足取りはどこか軽やかだった。
自分の内側を知られ、それでもなお素敵だと言い切る彼女の真面目さが、彼の中のトゲをわずかに溶かしていた。
談話室での宴の片付けを終えたジャミル・バイパーは、奇妙な浮遊感に襲われた。視界が激しく歪み、世界が反転するような感覚。反射的に床を支えようとした腕は、自分のものとは思えないほど細く、頼りなかった。
「……これは、何の冗談だ」
鏡の向こうで困惑の表情を浮かべているのは、オンボロ寮の監督生、ななしの姿だ。ジャミルは、視線の高さの変化や指先の感覚の違和感から、即座に「身体の入れ替わり」という事態を弾き出した。
「あ、あの、ジャミル先輩……? なんでわたしが、先輩の姿でそこに……?」
隣で情けない声を上げたのは、ジャミルの身体をしたななしだった。彼は自分の顔が見たこともないほど不安げに歪んでいるのを見て、舌打ちしたい衝動に駆られる。
「声を出すな。俺の顔でそんな間抜けな顔をするな」
「す、すみません……。でも、どうしたら……」
ジャミルの中身のななしは、長い手足をどう扱っていいか分からず、借りてきた猫のように肩をすくめている。
ジャミルは一呼吸おき、思考を巡らせた。
原因はおそらく、先ほどカリムが持ち込んだ正体不明の魔法薬の霧か、あるいは宴の最中に混じった何らかの魔法的干渉。解決策を探るのが先決だが、それ以上に彼が危惧したのは今この瞬間のリスクだ。
「いいか、ななし。今この瞬間から、お前は俺として振る舞え。明日の朝、カリムの寝起きを襲う暗殺者の警戒、朝食の献立の最終確認、そして学園長への報告……。これらすべてを、俺の完璧な模倣でこなしてもらう」
「ええっ!? そんなの無理ですよ、わたし魔法も使えないし……!」
「無理ではない。やるんだ。お前のその真面目さだけが頼りだ」
ジャミルは自身の姿をした彼女の胸ぐらを掴み、至近距離で睨みつけた。身体は小さくなっても、その瞳に宿る威圧感は変わらない。
「お前が俺になりきれなければ、スカラビアの運営は滞り、カリムの安全は脅かされる。……そして何より、俺の積み上げてきた平穏が崩れる。わかったな?」
「……は、はい。善処します」
ジャミルは彼女を自室へ連れ込み、徹夜で1日のスケジュールを叩き込んだ。ななしは必死にメモを取り、彼の指導に従った。鏡の前で、彼女はジャミルの冷ややかな笑みを練習し、彼はそれを厳しい目で見張る。
夜が更けるにつれ、奇妙な連帯感が二人を包んでいく。
ジャミルは、自分の身体を客観的に見ることで、普段いかに自分が従者として神経を削っているかを再認識していた。そしてそれを健気に、真面目に再現しようとする彼女の姿に、毒気を抜かれていくのを感じる。
「……少しは形になってきたな。だが、眉間の皺が足りない。もっと周囲のすべてが煩わしいという顔をしろ」
「こうですか……? なんだか、ジャミル先輩の苦労が少し分かった気がします」
ジャミルの姿をした彼女が、ふっと寂しげに笑った。その表情は、彼自身が決して人前では見せない、無防備で優しいものだった。
「……余計な分析はいい。さっさと寝ろ。俺はこの身体で、お前のオンボロ寮の寝床を確保しに行く」
◇
翌朝、事態は幸運にも自然解除されていた。
目が覚めた時、ジャミルはいつもの視線の高さから天井を見上げ、深く安堵の息を吐く。
その後、顔を合わせた二人は周囲に悟られないよう、最小限の視線だけを交わした。
「おはよう、ななし。……昨日は、よく頑張ったな」
「おはようございます、ジャミル先輩。……はい。でも、やっぱり先輩は先輩の姿が一番素敵だと思います」
真面目な彼女の言葉に、ジャミルはわずかに目を見開いた後、すぐにいつもの冷徹な仮面を被り直した。
「……当然だ。あんな不格好な模倣、二度と御免だからな」
皮肉を吐きながらも、彼の足取りはどこか軽やかだった。
自分の内側を知られ、それでもなお素敵だと言い切る彼女の真面目さが、彼の中のトゲをわずかに溶かしていた。
