◯◯しないと出られない部屋
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その日は、ナイトレイブンカレッジの校舎裏にある物置の備品整理を学園長から押し付けられていた。ななしは埃っぽい部屋で一人、溜息をつく。
「……はぁ。生活費のためとはいえ、またこういう雑用ばかり回されて……そのうち埃に埋もれそう」
そんな悲観的な独り言を遮るように、背後からひょろりと長い影が伸びた。
「ねぇ、小エビちゃん。何ブツブツ言ってんのぉ? 暗いよぉ」
「……フロイド先輩。暇なら手伝ってください。どうせ退屈してるんですよね?」
「あはっ、正解〜。オレ、今すっごい退屈。だから小エビちゃんで遊ぶことにしたぁ」
フロイド・リーチは、笑みを浮かべて物置に足を踏み入れた。その直後、バタン! と背後で扉が重低音を響かせて閉まる。
ななしが慌ててノブを回そうとするも、扉自体が消えていく。
「……嘘、扉が消えた?」
「消えちゃったねぇ」
フロイドは焦るどころか、壁に浮かび上がった光る文字を指差した。
1時間じっとしていないと出られない部屋
「1時間じっとしてろって?……ねぇ、オレもう飽きたんだけどぉ」
「まだ始まってすらいないのに! 我慢してください、フロイド先輩! 先輩が動いたら、わたし、一生ここで物置の番人として朽ち果てることになるんですから!」
「えー。番人の小エビちゃん? ウケる。……でもさぁ、じっとしてなきゃいけないなら、条件があるんだよねぇ」
「条件……?」
ななしが嫌な予感に身を硬くした瞬間、フロイドの長い腕が伸びてきた。
「こうして、小エビちゃんのことギュッてさせて。そうじゃないと、オレすぐに暴れそう」
フロイドはななしを背後から包み込むように抱き寄せ、そのまま床にどっかと座り込んだ。彼の長い足の間に収められ、ななしの背中はフロイドの広い胸板にぴったりと密着する。
「……っ、近いです! 苦しいし、心臓に悪い……! 死んじゃいます!」
「死なないってぇ。ほら、小エビちゃんが動いたら最初からやり直しだよぉ? じっとしててねぇ」
フロイドの顎がななしの頭の上に乗る。
トクトクと、規則正しい彼の鼓動が背中越しに伝わってきた。
・
10分経過。
「…………」
「…………」
部屋は静まり返っている。
ななしは瞬きすら躊躇われるほどの緊張感の中にいた。
・
15分経過。
「……あー」
フロイドの口から、低く重い声が漏れた。
「飽きたぁ。もう限界ぃ」
「早すぎる……っ! まだ15分ですよ! 我慢してください、先輩!」
「だってぇ、何もすることないじゃん。景色も変わらないし、小エビちゃんも黙ってるしぃ。……ねぇ、ちょっとだけ暴れていい?」
「ダメに決まってるじゃないですか!」
「えー。……ねぇ、もっとこっち向いてよ。小エビちゃんの顔が見えないから飽きるんだよぉ」
「向きを変えるなんて、絶対ダメです! ……ああ、もうリセットされたかもしれない。最初からやり直しだ……」
ななしの絶望的な呟きを聞いて、フロイドは彼女の肩に額を預けた。
「小エビちゃんって、ホント後ろ向きだよねぇ。……オレ、そんなに信用ない?」
「……あると思いますか?」
「あはっ、ないよねぇ。オレも自分でそう思うもん」
フロイドの吐息が首筋にかかり、ななしは肩を強張らせた。
「ねぇ、オレがこうしてギュッてしてるの、嫌?」
「……嫌とかじゃなくて。……ただ、わたしみたいなのと一緒に閉じ込められて、不機嫌になったフロイド先輩に絞め殺されるんじゃないかって……」
「ほんと小エビちゃんってば悲観的〜」
・
30分経過。
折り返し地点。
フロイドの動きが、目に見えて怪しくなってきた。
「ねぇ、小エビちゃん。オレのポケットの中に、キャンディ入ってるんだけどぉ。取ってくんない?」
「ダメです。動けません」
「じゃあ、小エビちゃんがオレの口に放り込んでよぉ。はい、あーん」
「待ってください、あと半分なんです」
「えー。30分もキャンディお預けぇ? やだ。もう飽きた、オレ帰るー」
フロイドが立ち上がろうと身をよじる。
「待って! 待ってください先輩! お願い!」
ななしが反射的にフロイドの腕を掴んで引き止めた。
「……あ」
「あはっ。小エビちゃん、自分から動いたぁ」
フロイドが悪戯っぽく笑い、再びななしを床に引き戻した。
「……あああ! わたしのせいで、わたしのせいで……! もうここから出られない、一生この暗闇で暮らすんだ……」
「何その想像力、ウケる。……でもさ、小エビちゃんが必死にオレを掴んだのが面白かったから、もうちょっとだけ頑張ってあげてもいいよ?」
・
45分経過。
フロイドの「飽きた」攻撃は、ついに最終段階に達していた。
「ねぇ。小エビちゃんの耳、真っ赤。これ、触っていい?」
「……っ! ダメです、絶対ダメです!」
「なんでぇ? 触るだけじゃん。指一本なら大きな動きじゃないでしょお?」
「だって、絶対指一本じゃないですもん」
「あはは、バレたぁ?」
フロイドは楽しそうに笑いながら、ななしの首筋に鼻先を寄せた。
「小エビちゃん、いい匂いする。……海とは違う匂い。落ち着く…」
「……フロイド、先輩。……顔、近いです」
「いいじゃん。動けないんだから、これくらい許してよ。……ねぇ、小エビちゃん。ここ出たら何したい?」
「……何したいって。……とりあえず深呼吸して、自分がまだ生きてることを確認したいです」
「ふーん。オレはねぇ、小エビちゃんと一緒にジェラート食べに行きたい」
「……え?」
「1時間もいい子にしてたんだから、ご褒美。……小エビちゃんが、オレを独り占めしていいよぉ」
ななしは、目を見開いた。
フロイドの言葉はいつも気まぐれだ。けれど、今の彼の声には不思議と嘘がないように感じられた。
「……わたしなんかと行っても、楽しくないですよ。きっとすぐ飽きられちゃうし」
「飽きないよ。……小エビちゃん、見てて面白いもん。……ねぇ、約束。破ったら、絞めちゃうからねぇ」
「……それ、約束って言います?」
「オレ流の約束。……あ、あと10分」
・
55分経過。
あと、5分。
フロイドは驚くほど静かになった。
ななしの体を包み込む彼の腕は、先ほどよりもずっと優しく、慈しむような強さで固まっていた。
「…………」
「…………」
ななしは、自分の心臓の音がフロイドにまで聞こえているのではないかと不安になった。悲観的な予測ばかりが頭を過る。
「……5、……4、……3、……2、……1」
フロイドが、囁くようにカウントダウンをした。
カウントダウンが終わると、部屋全体を包んでいた白い光が弾け、扉のノブがカチリと音を立てる。
1時間が、経過した。
「……あ、開いた。……開きましたよ、フロイド先輩!」
ななしが歓喜の声を上げ、フロイドの腕から抜け出そうとした。
「……んー。やだ」
しかし、フロイドはさらに力を込めてななしを自分の懐に閉じ込めたまま離さない。
「えっ!? なんでですか! 条件達成したんですよ! 早く出ないと、また扉が閉まるかも……!」
「いいよぉ、閉まったらまた1時間ギュッてするだけだし。……オレ、今これ気に入っちゃった」
「えええええ!?」
「さっきまで飽きたって言ってたじゃないですか!」
「あれは、じっとしてなきゃいけなかったから。……今はもう、動いていいんでしょぉ?」
フロイドはななしの顔を自分の方へ向かせると、満足そう笑った。
「あーあ。小エビちゃん、ホントに泣きそうな顔。……あはは、おもしろぉ」
「笑い事じゃありません! わたし、本当に一生出られないと思って……」
「出られたじゃん。……ほら、約束。ジェラート行くよ」
フロイドはひょいとななしを抱き上げると、そのまま物置の外へと歩き出した。
「あ、降ろしてください! 自分で歩けます!」
「やだ。小エビちゃん、足が震えてるでしょぉ。悲観しすぎて体力使い果たしたんじゃないのぉ?」
「それは……そうですけど」
「あはっ、素直。……ねぇ、小エビちゃん」
「……はい?」
「オレ、1時間も我慢できたの、たぶん初めてかも。これって、小エビちゃんの魔法?」
「……そんなわけないじゃないですか、わたし魔力なんてないですよ」
フロイドは、ななしを腕の中に収めたまま、誇らしげに胸を張った。
夕暮れの廊下に、彼の機嫌の良さそうな鼻歌が響く。ななしは、相変わらず「いつか飽きられる」という不安を抱えながらも、彼の腕の温もりだけは、少しだけ信じてみようと思っていた。
「……ジェラート、何味が好き?」
「……いちご、です」
「……小エビちゃんのイチゴ味、一口ちょーだいね」
「先輩のも、一口ください。……約束、ですよ」
「あはっ、いーよ。食べさせてあげる」
閉じ込められていた一時間は、長く、けれど驚くほどに濃密だった。
自由気ままなフロイドが、鼻歌混じりに学園の階段を降りていく。二人の距離は、閉じ込められる前よりもほんの少しだけ近づいていた。
「……はぁ。生活費のためとはいえ、またこういう雑用ばかり回されて……そのうち埃に埋もれそう」
そんな悲観的な独り言を遮るように、背後からひょろりと長い影が伸びた。
「ねぇ、小エビちゃん。何ブツブツ言ってんのぉ? 暗いよぉ」
「……フロイド先輩。暇なら手伝ってください。どうせ退屈してるんですよね?」
「あはっ、正解〜。オレ、今すっごい退屈。だから小エビちゃんで遊ぶことにしたぁ」
フロイド・リーチは、笑みを浮かべて物置に足を踏み入れた。その直後、バタン! と背後で扉が重低音を響かせて閉まる。
ななしが慌ててノブを回そうとするも、扉自体が消えていく。
「……嘘、扉が消えた?」
「消えちゃったねぇ」
フロイドは焦るどころか、壁に浮かび上がった光る文字を指差した。
1時間じっとしていないと出られない部屋
「1時間じっとしてろって?……ねぇ、オレもう飽きたんだけどぉ」
「まだ始まってすらいないのに! 我慢してください、フロイド先輩! 先輩が動いたら、わたし、一生ここで物置の番人として朽ち果てることになるんですから!」
「えー。番人の小エビちゃん? ウケる。……でもさぁ、じっとしてなきゃいけないなら、条件があるんだよねぇ」
「条件……?」
ななしが嫌な予感に身を硬くした瞬間、フロイドの長い腕が伸びてきた。
「こうして、小エビちゃんのことギュッてさせて。そうじゃないと、オレすぐに暴れそう」
フロイドはななしを背後から包み込むように抱き寄せ、そのまま床にどっかと座り込んだ。彼の長い足の間に収められ、ななしの背中はフロイドの広い胸板にぴったりと密着する。
「……っ、近いです! 苦しいし、心臓に悪い……! 死んじゃいます!」
「死なないってぇ。ほら、小エビちゃんが動いたら最初からやり直しだよぉ? じっとしててねぇ」
フロイドの顎がななしの頭の上に乗る。
トクトクと、規則正しい彼の鼓動が背中越しに伝わってきた。
・
10分経過。
「…………」
「…………」
部屋は静まり返っている。
ななしは瞬きすら躊躇われるほどの緊張感の中にいた。
・
15分経過。
「……あー」
フロイドの口から、低く重い声が漏れた。
「飽きたぁ。もう限界ぃ」
「早すぎる……っ! まだ15分ですよ! 我慢してください、先輩!」
「だってぇ、何もすることないじゃん。景色も変わらないし、小エビちゃんも黙ってるしぃ。……ねぇ、ちょっとだけ暴れていい?」
「ダメに決まってるじゃないですか!」
「えー。……ねぇ、もっとこっち向いてよ。小エビちゃんの顔が見えないから飽きるんだよぉ」
「向きを変えるなんて、絶対ダメです! ……ああ、もうリセットされたかもしれない。最初からやり直しだ……」
ななしの絶望的な呟きを聞いて、フロイドは彼女の肩に額を預けた。
「小エビちゃんって、ホント後ろ向きだよねぇ。……オレ、そんなに信用ない?」
「……あると思いますか?」
「あはっ、ないよねぇ。オレも自分でそう思うもん」
フロイドの吐息が首筋にかかり、ななしは肩を強張らせた。
「ねぇ、オレがこうしてギュッてしてるの、嫌?」
「……嫌とかじゃなくて。……ただ、わたしみたいなのと一緒に閉じ込められて、不機嫌になったフロイド先輩に絞め殺されるんじゃないかって……」
「ほんと小エビちゃんってば悲観的〜」
・
30分経過。
折り返し地点。
フロイドの動きが、目に見えて怪しくなってきた。
「ねぇ、小エビちゃん。オレのポケットの中に、キャンディ入ってるんだけどぉ。取ってくんない?」
「ダメです。動けません」
「じゃあ、小エビちゃんがオレの口に放り込んでよぉ。はい、あーん」
「待ってください、あと半分なんです」
「えー。30分もキャンディお預けぇ? やだ。もう飽きた、オレ帰るー」
フロイドが立ち上がろうと身をよじる。
「待って! 待ってください先輩! お願い!」
ななしが反射的にフロイドの腕を掴んで引き止めた。
「……あ」
「あはっ。小エビちゃん、自分から動いたぁ」
フロイドが悪戯っぽく笑い、再びななしを床に引き戻した。
「……あああ! わたしのせいで、わたしのせいで……! もうここから出られない、一生この暗闇で暮らすんだ……」
「何その想像力、ウケる。……でもさ、小エビちゃんが必死にオレを掴んだのが面白かったから、もうちょっとだけ頑張ってあげてもいいよ?」
・
45分経過。
フロイドの「飽きた」攻撃は、ついに最終段階に達していた。
「ねぇ。小エビちゃんの耳、真っ赤。これ、触っていい?」
「……っ! ダメです、絶対ダメです!」
「なんでぇ? 触るだけじゃん。指一本なら大きな動きじゃないでしょお?」
「だって、絶対指一本じゃないですもん」
「あはは、バレたぁ?」
フロイドは楽しそうに笑いながら、ななしの首筋に鼻先を寄せた。
「小エビちゃん、いい匂いする。……海とは違う匂い。落ち着く…」
「……フロイド、先輩。……顔、近いです」
「いいじゃん。動けないんだから、これくらい許してよ。……ねぇ、小エビちゃん。ここ出たら何したい?」
「……何したいって。……とりあえず深呼吸して、自分がまだ生きてることを確認したいです」
「ふーん。オレはねぇ、小エビちゃんと一緒にジェラート食べに行きたい」
「……え?」
「1時間もいい子にしてたんだから、ご褒美。……小エビちゃんが、オレを独り占めしていいよぉ」
ななしは、目を見開いた。
フロイドの言葉はいつも気まぐれだ。けれど、今の彼の声には不思議と嘘がないように感じられた。
「……わたしなんかと行っても、楽しくないですよ。きっとすぐ飽きられちゃうし」
「飽きないよ。……小エビちゃん、見てて面白いもん。……ねぇ、約束。破ったら、絞めちゃうからねぇ」
「……それ、約束って言います?」
「オレ流の約束。……あ、あと10分」
・
55分経過。
あと、5分。
フロイドは驚くほど静かになった。
ななしの体を包み込む彼の腕は、先ほどよりもずっと優しく、慈しむような強さで固まっていた。
「…………」
「…………」
ななしは、自分の心臓の音がフロイドにまで聞こえているのではないかと不安になった。悲観的な予測ばかりが頭を過る。
「……5、……4、……3、……2、……1」
フロイドが、囁くようにカウントダウンをした。
カウントダウンが終わると、部屋全体を包んでいた白い光が弾け、扉のノブがカチリと音を立てる。
1時間が、経過した。
「……あ、開いた。……開きましたよ、フロイド先輩!」
ななしが歓喜の声を上げ、フロイドの腕から抜け出そうとした。
「……んー。やだ」
しかし、フロイドはさらに力を込めてななしを自分の懐に閉じ込めたまま離さない。
「えっ!? なんでですか! 条件達成したんですよ! 早く出ないと、また扉が閉まるかも……!」
「いいよぉ、閉まったらまた1時間ギュッてするだけだし。……オレ、今これ気に入っちゃった」
「えええええ!?」
「さっきまで飽きたって言ってたじゃないですか!」
「あれは、じっとしてなきゃいけなかったから。……今はもう、動いていいんでしょぉ?」
フロイドはななしの顔を自分の方へ向かせると、満足そう笑った。
「あーあ。小エビちゃん、ホントに泣きそうな顔。……あはは、おもしろぉ」
「笑い事じゃありません! わたし、本当に一生出られないと思って……」
「出られたじゃん。……ほら、約束。ジェラート行くよ」
フロイドはひょいとななしを抱き上げると、そのまま物置の外へと歩き出した。
「あ、降ろしてください! 自分で歩けます!」
「やだ。小エビちゃん、足が震えてるでしょぉ。悲観しすぎて体力使い果たしたんじゃないのぉ?」
「それは……そうですけど」
「あはっ、素直。……ねぇ、小エビちゃん」
「……はい?」
「オレ、1時間も我慢できたの、たぶん初めてかも。これって、小エビちゃんの魔法?」
「……そんなわけないじゃないですか、わたし魔力なんてないですよ」
フロイドは、ななしを腕の中に収めたまま、誇らしげに胸を張った。
夕暮れの廊下に、彼の機嫌の良さそうな鼻歌が響く。ななしは、相変わらず「いつか飽きられる」という不安を抱えながらも、彼の腕の温もりだけは、少しだけ信じてみようと思っていた。
「……ジェラート、何味が好き?」
「……いちご、です」
「……小エビちゃんのイチゴ味、一口ちょーだいね」
「先輩のも、一口ください。……約束、ですよ」
「あはっ、いーよ。食べさせてあげる」
閉じ込められていた一時間は、長く、けれど驚くほどに濃密だった。
自由気ままなフロイドが、鼻歌混じりに学園の階段を降りていく。二人の距離は、閉じ込められる前よりもほんの少しだけ近づいていた。
