微睡の淵の銀鎖
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
馬術部の厩舎には、乾いた藁の香りと馬たちの穏やかな鼻鳴きが満ちていた。
放課後、■■■は学園長から預かった馬用の特製ブラシを届けるため、厩舎を訪れる。
「失礼します」
特に返事はない。
その代わり、奥から馬の足音が聞こえてきた。
奥をのぞくと、愛馬にまたがるシルバーの姿が目に入る。
「練習中ですか?」
そう声をかけようとして、■■■は思わず息を止めた。
背筋はまっすぐ伸び、手綱を持つ手も乱れていない。
けれど頭だけがゆっくり揺れ、瞼は完全に閉じられていた。
「馬の上で寝てる?」
驚きの声が漏れる。
どこでも眠ってしまうとは聞いていたが、さすがに馬上で居眠りをするとは思ってもみなかった。
■■■は慌てて柵の近くまで駆け寄る。
「シルバー先輩! 危ないですよ!」
「……ん……セベク、少し静かに……」
「セベクくんじゃありません! ■■■です!」
必死に呼びかけると、シルバーがわずかに身じろぎする。
その瞬間だった。
体勢が崩れ、大きく右へ傾く。
「あっ!」
馬の背から体が滑り落ちていく。
考えるより早く、■■■の足が動いた。
柵を越え、積み上げられた藁の山へ駆け込む。
「シルバー先輩!」
鈍い音とともに二人は藁の上へ転がり込んだ。
◇
「いたた……」
ふわりと舞い上がった藁が視界いっぱいに広がる。
くらくらする頭を押さえながら目を開けると、すぐ目の前にシルバーの顔があった。
いつの間にか目を覚ましていたらしい。
驚きと焦りを隠せない表情で、■■■を見つめている。
「■■■、大丈夫か。どうしてここに」
「どうしてじゃないですよ。先輩が落ちそうだったからです」
息を整えながら笑う。
「先輩は大丈夫ですか?」
「ああ、俺は平気だ」
シルバーはすぐに答えたが、その視線は■■■から離れない。
「それより、お前はどこか打っていないか」
「大丈夫です。藁のおかげで助かりました」
少し考えてから苦笑する。
「ちょっと頭がぼんやりするくらいです」
「……そうか、よかった」
張りつめていた表情がようやく和らぐ。
シルバーからは、心から安堵した気持ちが滲んでいた。
「お前に怪我をさせていたら、俺は自分を許せなかった」
その声は静かだったが、震えるような切実さがあった。
■■■は返事をしようとして、握られた手に気づく。
いつの間にか、シルバーはその手を包むように握っていた。
「先輩?」
「少しだけ、このままで」
視線を伏せたまま、小さく息を吐く。
「お前が落ちてくるのが見えた時、本当に肝が冷えた」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「お前が巻き込まれたと思った瞬間、何も考えられなくなった」
真っ直ぐな言葉に、■■■の頬が熱くなる。
「シルバー先輩って、心配性ですか?」
「そうかもしれない」
照れ隠しのように笑った、その次の瞬間だった。
「…………」
「あれ?」
返事がない。
見上げると、シルバーは安心しきった表情で、また静かな寝息を立て始めていた。
「ちょっと、こんなところでまた寝るんですか」
思わず吹き出してしまう。
先ほどまであんなに真剣だったのに、気が抜けた途端に眠ってしまうらしい。
「本当にしょうがない人ですね」
空いた手を伸ばし、髪についた藁をそっと払う。
さらりと指の間を流れる髪に触れると、眠る横顔はいっそう穏やかだった。
「……■■■」
寝言のように、小さく名前がこぼれる。
■■■は少しだけ目を丸くしてから、そっと額へ指先を添えた。
「おやすみなさい、シルバー先輩」
小さく笑って続ける。
「今度はちゃんとベッドで寝てくださいね」
馬たちは静かに鼻を鳴らし、厩舎には穏やかな時間だけが流れていた。
◇
しばらくして、シルバーはゆっくりと目を覚ます。
最初に目に入ったのは、まだ握ったままになっている■■■の手だった。
「……これは」
状況を理解した途端、耳まで赤く染まる。
「■■■、その……誤解しないでほしい」
「大丈夫ですよ」
■■■はくすっと笑う。
「寝ぼけてただけですよね」
「それは否定できない」
真面目な顔でうなずいたあと、小さく言葉を続ける。
「だが……離したくないと思ったのも、本当だ」
「え?」
あまりにも自然に言われてしまい、■■■は言葉を失った。
シルバーは何事もなかったように立ち上がり、そのまま手を差し出す。
「立てるか」
「はい」
手を借りて立ち上がると、服には藁がたくさんついていた。
「払おう」
「あっ、自分でできます!」
「遠慮はいらない」
シルバーは丁寧な手つきで肩や背中についた藁を払っていく。
「俺のせいで巻き込んでしまったんだ、これくらいはさせてくれ」
服越しに指先が触れるたび、■■■の胸は落ち着かなくなる。
横顔を見上げると、そこには照れも駆け引きもない。
ただ心から心配している、それだけの表情だった。
「……よし」
最後の藁を払うと、シルバーは満足そうにうなずく。
「帰りは俺が送ろう」
「また寝たりしません?」
「……善処する」
真面目な返事に、■■■は思わず笑ってしまう。
「約束ですよ」
「ああ。今度こそ最後まで起きている」
そう言って歩き出したシルバーの隣へ、■■■も自然と並んだ。
夕暮れの道を歩く二人の影はゆっくりと伸び、ときどき肩が触れそうな距離で揺れていた。