微睡の淵の銀鎖
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ナイトレイブンカレッジの放課後。
夕闇が廊下の隅々にまで長い影を落とし、マジカルホイールの音や生徒たちの喧騒も遠ざかる時間帯。オンボロ寮の監督生であるななしは、学園長から頼まれた書類を抱え、ディアソムニア寮へと続く長い廊下を歩いていた。
「……あ。……えっと、シルバー先輩?」
廊下のちょうど真ん中。
窓から差し込むオレンジ色の光の中に、一人の生徒が立っていた。
ディアソムニア寮の二年生、シルバーだ。彼はまるで衛兵のように背筋をピンと伸ばし、教科書を胸に抱えたまま一歩も動かずにそこに佇んでいる。
「(本当に、立ったまま寝てる……!)」
ななしは足を止め、その姿をまじまじと見つめた。
シルバーの端正な顔立ちは、眠っている間はいっそう浮世離れして見える。長く密な睫毛が頬に影を落とし、薄い唇からは規則正しく、穏やかな寝息が漏れていた。まるで古いおとぎ話に出てくる、呪いにかけられた騎士のようだ。
「(でも、ここで寝てたら誰かにぶつかっちゃうかも……。勇気を出して起こさなきゃ)」
ななしは深呼吸をして、一歩近づいた。
「あの、シルバー先輩? シルバー先輩、起きてください」
「…………」
「……先輩? 朝じゃないですよ、もうすぐ夜になっちゃいます」
肩を指先でツンとつつく。しかし、シルバーは微動だにしない。
ななしは困り果ててしまった。彼は、一度深い眠りに落ちるとなかなか起きないことで有名だ。
「……しょうがないなあ。……あ、耳元で呼べば起きるかな。……シルバー先輩っ!」
「……っ……。……む、敵襲か……!?」
ガバッ、とシルバーの瞼が開き、鋭い光を宿した瞳がななしを捉えた。とっさに身構えるシルバー。だが、目の前にいるのが困り顔のななしだと気づくと、その険しい表情は一瞬で霧散し、いつもの穏やかな……というより、少し寝ぼけた表情に戻った。
「…………ななし、か。……すまない、少し、夢を見ていたようだ」
「少しじゃないですよ。廊下の真ん中で直立不動で寝てたんですから」
「そうか。……また、やってしまったか。……セベクに叱られたばかりなのだが……」
シルバーは申し訳なさそうに眉を下げ、ふらりと体を揺らした。まだ意識が完全には戻っていないのか、足元が危うい。
「危ないですよ! まだ眠いなら、寮まで送りますから」
「……ああ、感謝する。……すまないな、ななし。お前はいつも俺を助けてくれる」
「助けてるっていうか、見放せないだけですよ。ほら、行きましょう?」
ななしが彼の袖を引こうとしたその時、シルバーがふと足を止めた。彼はじっと、ななしの手元……抱えている書類を見つめている。
「それは、学園長に頼まれた仕事か?」
「あ、はい。ディアソムニア寮に届け物なんです」
「……そうか。……なら、俺が持とう。……眠気を覚ますためにも、それくらいの役には立ちたい」
「えっ、でも先輩、まだフラフラしてますよ?」
「大丈夫だ。……ほら、貸してくれ」
シルバーはななしの手からひょいと書類の束を受け取った。
その際、指先がかすかに触れ合う。ななしは、心臓が跳ねるのを感じた。シルバーの手は、冬の夕暮れの中でも驚くほど温かかったからだ。
「……シルバー先輩。重くないですか?」
「……。……。……ふ……」
「えっ!? ちょっと、先輩! 持ちながら寝ないでください!」
書類を抱えたまま、再び舟を漕ぎ始めるシルバー。ななしは慌てて彼の腕を支えた。
「もー! やっぱりわたしが持ちますから!」
「……いや、これは俺の騎士としての矜持だ。……ななしに重いものを持たせたまま、眠るわけにはいかない……」
「台詞はカッコいいのに、目が閉じてますよ!」
「……次は、目を開けたまま寝る修行をするべきだろうか……」
「それは無理ですって!」
ななしのツッコミに、シルバーは「ふふっ」と小さく、けれど幸せそうに笑った。
彼の笑い声は低く、心地よい。夕闇が深まる廊下で、二人の押し問答が続く。
「……ななし」
「なんですか?」
「お前の声を聞いていると、不思議と……眠気が、心地よいものに変わる気がする」
「……それ、褒めてます?」
「ああ。……最大限の賛辞だ」
シルバーは少しだけ瞼を持ち上げ、まっすぐにななしを見つめた。
その瞳には、夕日の残り香のような優しい光が宿っている。ななしは、あわてて視線を逸らした。
「……もう。……早く行かないと、門限になっちゃいますよ」
「……そうだな。……行こう、ななし。……お前の隣なら俺ももう少し、起きていられそうだ」
シルバーはゆっくりと歩き出す。
彼の歩幅は少し大きく、ななしは小走りでそれに付いていく。時折、シルバーの肩がななしの肩に触れる。そのたびに、ななしの胸の奥が甘く疼いた。
夕闇が廊下の隅々にまで長い影を落とし、マジカルホイールの音や生徒たちの喧騒も遠ざかる時間帯。オンボロ寮の監督生であるななしは、学園長から頼まれた書類を抱え、ディアソムニア寮へと続く長い廊下を歩いていた。
「……あ。……えっと、シルバー先輩?」
廊下のちょうど真ん中。
窓から差し込むオレンジ色の光の中に、一人の生徒が立っていた。
ディアソムニア寮の二年生、シルバーだ。彼はまるで衛兵のように背筋をピンと伸ばし、教科書を胸に抱えたまま一歩も動かずにそこに佇んでいる。
「(本当に、立ったまま寝てる……!)」
ななしは足を止め、その姿をまじまじと見つめた。
シルバーの端正な顔立ちは、眠っている間はいっそう浮世離れして見える。長く密な睫毛が頬に影を落とし、薄い唇からは規則正しく、穏やかな寝息が漏れていた。まるで古いおとぎ話に出てくる、呪いにかけられた騎士のようだ。
「(でも、ここで寝てたら誰かにぶつかっちゃうかも……。勇気を出して起こさなきゃ)」
ななしは深呼吸をして、一歩近づいた。
「あの、シルバー先輩? シルバー先輩、起きてください」
「…………」
「……先輩? 朝じゃないですよ、もうすぐ夜になっちゃいます」
肩を指先でツンとつつく。しかし、シルバーは微動だにしない。
ななしは困り果ててしまった。彼は、一度深い眠りに落ちるとなかなか起きないことで有名だ。
「……しょうがないなあ。……あ、耳元で呼べば起きるかな。……シルバー先輩っ!」
「……っ……。……む、敵襲か……!?」
ガバッ、とシルバーの瞼が開き、鋭い光を宿した瞳がななしを捉えた。とっさに身構えるシルバー。だが、目の前にいるのが困り顔のななしだと気づくと、その険しい表情は一瞬で霧散し、いつもの穏やかな……というより、少し寝ぼけた表情に戻った。
「…………ななし、か。……すまない、少し、夢を見ていたようだ」
「少しじゃないですよ。廊下の真ん中で直立不動で寝てたんですから」
「そうか。……また、やってしまったか。……セベクに叱られたばかりなのだが……」
シルバーは申し訳なさそうに眉を下げ、ふらりと体を揺らした。まだ意識が完全には戻っていないのか、足元が危うい。
「危ないですよ! まだ眠いなら、寮まで送りますから」
「……ああ、感謝する。……すまないな、ななし。お前はいつも俺を助けてくれる」
「助けてるっていうか、見放せないだけですよ。ほら、行きましょう?」
ななしが彼の袖を引こうとしたその時、シルバーがふと足を止めた。彼はじっと、ななしの手元……抱えている書類を見つめている。
「それは、学園長に頼まれた仕事か?」
「あ、はい。ディアソムニア寮に届け物なんです」
「……そうか。……なら、俺が持とう。……眠気を覚ますためにも、それくらいの役には立ちたい」
「えっ、でも先輩、まだフラフラしてますよ?」
「大丈夫だ。……ほら、貸してくれ」
シルバーはななしの手からひょいと書類の束を受け取った。
その際、指先がかすかに触れ合う。ななしは、心臓が跳ねるのを感じた。シルバーの手は、冬の夕暮れの中でも驚くほど温かかったからだ。
「……シルバー先輩。重くないですか?」
「……。……。……ふ……」
「えっ!? ちょっと、先輩! 持ちながら寝ないでください!」
書類を抱えたまま、再び舟を漕ぎ始めるシルバー。ななしは慌てて彼の腕を支えた。
「もー! やっぱりわたしが持ちますから!」
「……いや、これは俺の騎士としての矜持だ。……ななしに重いものを持たせたまま、眠るわけにはいかない……」
「台詞はカッコいいのに、目が閉じてますよ!」
「……次は、目を開けたまま寝る修行をするべきだろうか……」
「それは無理ですって!」
ななしのツッコミに、シルバーは「ふふっ」と小さく、けれど幸せそうに笑った。
彼の笑い声は低く、心地よい。夕闇が深まる廊下で、二人の押し問答が続く。
「……ななし」
「なんですか?」
「お前の声を聞いていると、不思議と……眠気が、心地よいものに変わる気がする」
「……それ、褒めてます?」
「ああ。……最大限の賛辞だ」
シルバーは少しだけ瞼を持ち上げ、まっすぐにななしを見つめた。
その瞳には、夕日の残り香のような優しい光が宿っている。ななしは、あわてて視線を逸らした。
「……もう。……早く行かないと、門限になっちゃいますよ」
「……そうだな。……行こう、ななし。……お前の隣なら俺ももう少し、起きていられそうだ」
シルバーはゆっくりと歩き出す。
彼の歩幅は少し大きく、ななしは小走りでそれに付いていく。時折、シルバーの肩がななしの肩に触れる。そのたびに、ななしの胸の奥が甘く疼いた。
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