虚像ダイヤモンド
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昨夜の熱は夢だったのではないか。そう思わずにはいられないほど、翌朝からのケイト先輩はいつも通りだった。
「ヤッホー、ななしちゃん! 昨日はよく眠れた? 目の下、ちょっとクマできてるよ、お疲れさま」
中庭で私を出迎えたのは完璧な笑顔を浮かべたケイト先輩……の、分身だった。彼は私の手を取りエスコートするように歩き出す。その手つきは優しく触れ方は丁寧で、けれど昨夜私を押し潰したあの荒々しい熱量は、どこにも存在しない。
「……ケイト先輩。昨日の、夜のこと……」
「ん? ああ、昨日の自撮り? もうアップしといたよ。過去最高の伸び! ほんとありがと」
会話が噛み合わない。
分身の彼はあくまで「ケイト・ダイヤモンド」としての役割に従って動いている。昨夜暗い部屋で私を冷めた瞳で見下ろした本物の記憶は、この分身には共有されていないかのようだった。
その日から奇妙な日々が始まった。
講義の合間の移動、ランチタイム、放課後。
私の隣には常に「ケイト先輩」がいる。
でも、それはすべて分身だった。
ある時は2人、ある時は3人。彼らは代わる代わる私に甘い言葉を囁き、私の好きな紅茶を淹れ、私の顔色を伺って完璧なタイミングで笑いかけてくれる。
「ななしちゃん、疲れた? 膝枕してあげよっか?」
「ねえ、週末はどこのカフェ行く? ななしちゃんが行きたいって言ってた店、予約しといたよ」
彼らは優しい。理想の恋人そのものだ。
けれど彼らからは私の心をざわつかせるような冷たい視線は飛んでこない。彼らの瞳は、プログラムされたように澄んでいて何も映していない。
「……本物の、先輩はどこですか?」
耐えかねて、私は隣に座る分身の腕を掴んだ。
「本物のオレ? ……さあ、どこだろうね? 部屋で休んでるか、次のなんでもない日の打ち合わせでもしてるんじゃない?」
分身は困ったように眉を下げて笑う。
その笑顔さえ完璧に計算された困り顔だ。
私はたまらなくなって分身の手を振り解き、ハーツラビュル寮の彼の部屋へと走った。
◇
「ケイト先輩! 先輩、いますか!?」
ノックも待たずに扉を開ける。
そこには数日前と同じ、薄暗い部屋の中で一人、ソファに寝そべってスマホを眺める本物のケイト先輩がいた。彼は、私が飛び込んできたことに驚きもしない。
「……あーあ。分身たちに、ちゃんと相手するように言っといたんだけどな」
彼はスマホを置かず、画面を見つめたまま、低く気怠げな声で言った。
その声は、分身たちの明るいトーンとは似ても似つかない、重くて冷たい本音の色。
「オレ君たち、何かミスった? ななしちゃんの好きなもの、全部やってくれるように設定したはずなんだけど」
「……あの子たちは、本当の先輩じゃありません」
「同じだよ。だってオレの魔力で動いてるんだから。むしろ、本物のオレよりずっと優しくて、ななしちゃんのこと大事にしてくれるでしょ? ……効率いいと思わない?」
効率。
その言葉が、私の胸を鋭く刺した。
「私は……効率で、先輩を好きになったわけじゃありません」
「……面倒くさいこと言わないでよ」
彼はようやくスマホを放り出しソファから起き上がった。
足元には、またあの激辛のスナックの袋が散らばっている。
彼は私の元へ歩み寄ると、乱暴に私の顎を掬い上げた。
「ななしちゃんって、本当に変わってるよね。わざわざ、こんな可愛げのない本物と向き合いたいなんて」
彼の指先が私の唇をなぞる。
分身たちの柔らかな感触とは違う、節くれだった、少し荒い本物の指。
「いいよ。そんなに本物がいいなら……分身じゃできないこと、してあげよっか」
彼は嘲笑うように言うと、そのまま私を壁に押し付けた。
分身たちの優しさにはない、暴力的で、それでいて縋るような切実さが混じったキス。舌先に広がるのは、彼の苦い拒絶の味。
「……痛い、ですか?」
キスの合間に私は掠れた声で問う。
彼は一瞬、目を見開いた。
「……は?」
「分身をたくさん作って、本物の自分を隠して……。先輩は、一人でここにいて、痛くないですか?」
「……」
ケイト先輩の身体が、微かに震えた。
彼は私を突き放すと、手で顔を覆い、喉の奥で押し殺したような笑い声を上げた。
「……あは、は。……最高。ほんと、ななしちゃんって、……最悪」
その笑い声は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。
深い深い、目に見えないひびが入った音がした。
「ヤッホー、ななしちゃん! 昨日はよく眠れた? 目の下、ちょっとクマできてるよ、お疲れさま」
中庭で私を出迎えたのは完璧な笑顔を浮かべたケイト先輩……の、分身だった。彼は私の手を取りエスコートするように歩き出す。その手つきは優しく触れ方は丁寧で、けれど昨夜私を押し潰したあの荒々しい熱量は、どこにも存在しない。
「……ケイト先輩。昨日の、夜のこと……」
「ん? ああ、昨日の自撮り? もうアップしといたよ。過去最高の伸び! ほんとありがと」
会話が噛み合わない。
分身の彼はあくまで「ケイト・ダイヤモンド」としての役割に従って動いている。昨夜暗い部屋で私を冷めた瞳で見下ろした本物の記憶は、この分身には共有されていないかのようだった。
その日から奇妙な日々が始まった。
講義の合間の移動、ランチタイム、放課後。
私の隣には常に「ケイト先輩」がいる。
でも、それはすべて分身だった。
ある時は2人、ある時は3人。彼らは代わる代わる私に甘い言葉を囁き、私の好きな紅茶を淹れ、私の顔色を伺って完璧なタイミングで笑いかけてくれる。
「ななしちゃん、疲れた? 膝枕してあげよっか?」
「ねえ、週末はどこのカフェ行く? ななしちゃんが行きたいって言ってた店、予約しといたよ」
彼らは優しい。理想の恋人そのものだ。
けれど彼らからは私の心をざわつかせるような冷たい視線は飛んでこない。彼らの瞳は、プログラムされたように澄んでいて何も映していない。
「……本物の、先輩はどこですか?」
耐えかねて、私は隣に座る分身の腕を掴んだ。
「本物のオレ? ……さあ、どこだろうね? 部屋で休んでるか、次のなんでもない日の打ち合わせでもしてるんじゃない?」
分身は困ったように眉を下げて笑う。
その笑顔さえ完璧に計算された困り顔だ。
私はたまらなくなって分身の手を振り解き、ハーツラビュル寮の彼の部屋へと走った。
◇
「ケイト先輩! 先輩、いますか!?」
ノックも待たずに扉を開ける。
そこには数日前と同じ、薄暗い部屋の中で一人、ソファに寝そべってスマホを眺める本物のケイト先輩がいた。彼は、私が飛び込んできたことに驚きもしない。
「……あーあ。分身たちに、ちゃんと相手するように言っといたんだけどな」
彼はスマホを置かず、画面を見つめたまま、低く気怠げな声で言った。
その声は、分身たちの明るいトーンとは似ても似つかない、重くて冷たい本音の色。
「オレ君たち、何かミスった? ななしちゃんの好きなもの、全部やってくれるように設定したはずなんだけど」
「……あの子たちは、本当の先輩じゃありません」
「同じだよ。だってオレの魔力で動いてるんだから。むしろ、本物のオレよりずっと優しくて、ななしちゃんのこと大事にしてくれるでしょ? ……効率いいと思わない?」
効率。
その言葉が、私の胸を鋭く刺した。
「私は……効率で、先輩を好きになったわけじゃありません」
「……面倒くさいこと言わないでよ」
彼はようやくスマホを放り出しソファから起き上がった。
足元には、またあの激辛のスナックの袋が散らばっている。
彼は私の元へ歩み寄ると、乱暴に私の顎を掬い上げた。
「ななしちゃんって、本当に変わってるよね。わざわざ、こんな可愛げのない本物と向き合いたいなんて」
彼の指先が私の唇をなぞる。
分身たちの柔らかな感触とは違う、節くれだった、少し荒い本物の指。
「いいよ。そんなに本物がいいなら……分身じゃできないこと、してあげよっか」
彼は嘲笑うように言うと、そのまま私を壁に押し付けた。
分身たちの優しさにはない、暴力的で、それでいて縋るような切実さが混じったキス。舌先に広がるのは、彼の苦い拒絶の味。
「……痛い、ですか?」
キスの合間に私は掠れた声で問う。
彼は一瞬、目を見開いた。
「……は?」
「分身をたくさん作って、本物の自分を隠して……。先輩は、一人でここにいて、痛くないですか?」
「……」
ケイト先輩の身体が、微かに震えた。
彼は私を突き放すと、手で顔を覆い、喉の奥で押し殺したような笑い声を上げた。
「……あは、は。……最高。ほんと、ななしちゃんって、……最悪」
その笑い声は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいた。
深い深い、目に見えないひびが入った音がした。
