虚像ダイヤモンド
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約束の時間が近づいていた。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返ったハーツラビュル寮の廊下を、■■■はゆっくり歩く。
胸の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。
ケイトの部屋の前で立ち止まり小さく息を整え、何度か深呼吸を繰り返してから扉を叩いた。
「……ケイト先輩、■■■です」
返事はない代わりに、小さく鍵の外れる音がした。
そっと扉を開くと、部屋は思っていた以上に暗く、灯りはデスクの間接照明だけだった。
撮影で使っている眩しいリングライトは、部屋の隅へ無造作に置かれたままだった。
「……本当に来たんだ」
ケイトの静かな声が響く。
「いい子だね、■■■ちゃん」
ソファに深く腰掛けたケイトがこちらを見ていた。
制服は少し着崩れ、緩められたネクタイが昼間とは違う空気をまとわせている。
いつも手放さないスマホも、今日は見当たらなかった。
「こっち」
ケイトが短く手招きをする。
「隣、座って」
「……はい」
■■■は静かに腰を下ろした。
「あの……今日は、お疲れ――」
「そういうの、いいから」
ケイトが言葉を遮るように笑う。
「どうせ今は誰も見てないんだから」
その視線がゆっくり向けられる。
昼間の明るさは欠片もなく、静かな闇だけを映した目だった。
「昼間の話、覚えてる?」
「……はい」
「本物のオレは、君が思ってるほど可愛くないってやつ」
そう言ってテーブルを指差す。
小皿の上には、真っ赤なスパイスがまぶされた刺激の強そうなスナックが盛られていた。
「それ、食べてみて」
「え?」
「いいから」
一つ摘まみ、■■■へ差し出す。
「オレが一番好きなやつ」
戸惑いながら口へ運ぶ。
噛んだ瞬間、舌へ鋭い刺激が走った。
「……っ」
あまりの辛さに思わず目を閉じる。
「からい……」
「あはは、でしょ?」
ケイトも一つ口へ放り込む。
「オレ、本当はこういうのが好きなんだよね」
バリッと音を立てて噛み砕く。
「甘いスイーツなんて昔から苦手」
昼間のような笑顔はない。
ただ淡々と口を動かすだけだった。
「■■■ちゃん」
彼は静かに呼ぶ。
「君が好きなオレはさ、オレが頑張って作った作品なんだよ」
その言葉と同時に、■■■の腕へ手が伸びる。
驚く間もなく、そっと引き寄せられた。
「オレの分身なら優しくできるし、気の利いたことも言える」
「先輩……」
「寂しい時はすぐ駆けつけるし、恋人らしい振る舞いも全部できる」
「……」
「そういう役目を与えてるから」
静まり返った部屋には、二人の呼吸だけが聞こえた。
「でも、ここにいるオレは違う」
ケイトの声はどこまでも静かだった。
「君を喜ばせる言葉なんて思いつかない」
「……」
「気を遣うのも面倒だし、こうして困った顔を見てる方が楽だって思うこともある」
少しだけ自嘲するように笑う。
「最低でしょ」
「……思いません」
震えながらも、■■■は答えた。
「え?」
「分身の先輩も優しいです」
■■■は言葉を選びながら続ける。
「でも……」
腕越しに伝わる体温は、昼間とは比べものにならないほど確かだった。
「笑っていない先輩が、本当の気持ちを話してくれる方が私は嬉しいです」
沈黙が落ちる。
ケイトは何も言わず、■■■を見つめ続けた。
信じられないものを見るような目だった。
「……君ってさ、本当にお人好しだね」
吐き捨てるように笑う。
そのまま肩へ手を添え、ゆっくりソファへ押し倒した。
柔らかなクッションが背中を受け止める。
視界いっぱいに、彼の影が落ちた。
「大人しくしてればいいのに」
「黙って見ていられないです」
「そんなこと言われたらさ、オレ勘違いしちゃうよ」
昼間の軽い口調とは違う。
抑え込んでいた感情が滲むような声だった。
「■■■ちゃんが、そんなに本物がいいって言うなら」
ケイトはゆっくり息を吐く。
「……後悔、するかもしれないよ」
その言葉とともに、彼の指先がそっと■■■のブラウスへ触れる。
熱を帯びた指先は動きを止めたまま、その場に静かに留まっていた。
二人の間には張りつめた空気だけが流れ、誰も次の一言を口にできなかった。