虚像ダイヤモンド
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約束の時間に差し掛かろうとしていた。
ハーツラビュル寮の長い廊下は、日中の賑やかさが嘘のように静まり返っている。私は自分の胸の鼓動が、静寂を壊してしまいそうなほど大きく鳴り響いているのを感じていた。
ケイト先輩の部屋の前。
何度も深呼吸をしてから、控えめに扉をノックする。
「……ケイト先輩、ななしです」
返事はない。けれど、鍵の開く音が小さく響いた。
おそるおそる扉を押し開けると、部屋の中は驚くほど暗かった。
唯一の光源は、デスクの上に置かれた小さな間接照明だけ。マジカメの撮影で使うような、あの白くて眩しいリングライトは、部屋の隅で無機質に転がっている。
「……本当に来たんだ。いい子だね、ななしちゃん」
部屋の奥、ソファに深く腰掛けたケイト先輩がいた。
制服を崩し、ネクタイを緩めた姿。
その膝の上には、いつも肌身離さず持っているはずのスマホがない。
「そこに座って。……近くに」
言われるがまま、彼の隣に座る。
「……あの、ケイト先輩。その、お疲れ……」
「お疲れさま、なんて言わなくていいよ。……今は、誰も見てないんだから」
彼は顔を上げ、私の顔をじっと見つめた。
その瞳は、昼間に見た瞳よりもずっと深くて暗い。光を反射しない、夜の底のような瞳の色。
「ねえ、ななしちゃん。昼間言ったこと、覚えてる? ……本物のオレは、君が思ってるよりずっと可愛くないって話」
彼はそう言うと、テーブルの上に置かれた小皿を指差した。
そこには、真っ赤なスパイスがまぶされた、見るからに刺激の強そうなスナックが山盛りになっていた。
「これ、食べてみて」
「えっ……」
「いいから。オレが一番好きなやつ。……ほら」
差し出された一切れを、恐る恐る口に運ぶ。
噛んだ瞬間、舌が焼けるような激痛が走った。
「っ……! か、からい……」
「あはは、でしょ? ……オレ、本当はこういうのしか受け付けないんだ。みんなが『可愛い〜』って言ってる甘いスイーツなんて、本当は大嫌い」
彼は自嘲気味に笑い、自分の口にもそのスナックを放り込んだ。
バリバリと音を立てて痛みを味わうように噛み砕く。
その表情には、マジカメで見せるあのキラキラとした高揚感なんて、微塵もなかった。
「ななしちゃん。君が好きな『ケイト先輩』は、オレが作った最高の作品なんだよ」
彼は不意に、私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
驚いて顔を上げると、至近距離に彼の冷めた瞳があった。
「魔法で増やした分身は、君を優しくエスコートする。君が喜ぶ言葉を言うし、君が寂しい時はすぐに駆けつける。……だって、そういう役割を与えてるから」
掴まれた腕に、じわりと力がこもる。
「でも、ここにいるオレは……君を喜ばせる言葉なんて一つも持ってない。君に気を遣うのも面倒だし、ただ黙って、こうやって君が困ってる顔を見ていたいだけ。……最低だと思わない?」
「……思いません」
私は、震える声で答えた。
先輩の腕の中は、想像していたよりもずっとずっと熱い。
昼間の分身の先輩が、どれだけ完璧にエスコートしてくれても感じられなかった、生々しい人間の温度。
「……先輩が、笑わないで……そうやって、本当の気持ちを話してくれる方が。私は……嬉しいです」
「……」
ケイト先輩の動きが止まった。
彼は信じられないものを見るような目で、私を見つめている。
人の顔色を伺ってばかりの私が、初めて彼の闇に対して、真っ向から肯定の言葉を投げた。
「……君、本当にお人好しだね」
彼は吐き捨てるように言うと、そのまま私をソファに押し倒した。
背中に感じるクッションの柔らかさと、目の前に迫る彼の影。
「おとなしくしてればいいのに。……そんなこと言ったら、オレ、調子に乗っちゃうよ?」
彼の低い声が、今度は耳元で熱く響いた。
昼間の軽薄なトーンじゃない。
獲物を追い詰めた肉食動物のような、獰猛で、歪な熱。
「ななしちゃんが、そんなに本物がいいって言うなら。……後悔させてあげる」
彼の指先が、私のブラウスのボタンに掛かる。
その指は、昼間よりもずっと強く、私の肌を焦がすほどに熱かった。
ハーツラビュル寮の長い廊下は、日中の賑やかさが嘘のように静まり返っている。私は自分の胸の鼓動が、静寂を壊してしまいそうなほど大きく鳴り響いているのを感じていた。
ケイト先輩の部屋の前。
何度も深呼吸をしてから、控えめに扉をノックする。
「……ケイト先輩、ななしです」
返事はない。けれど、鍵の開く音が小さく響いた。
おそるおそる扉を押し開けると、部屋の中は驚くほど暗かった。
唯一の光源は、デスクの上に置かれた小さな間接照明だけ。マジカメの撮影で使うような、あの白くて眩しいリングライトは、部屋の隅で無機質に転がっている。
「……本当に来たんだ。いい子だね、ななしちゃん」
部屋の奥、ソファに深く腰掛けたケイト先輩がいた。
制服を崩し、ネクタイを緩めた姿。
その膝の上には、いつも肌身離さず持っているはずのスマホがない。
「そこに座って。……近くに」
言われるがまま、彼の隣に座る。
「……あの、ケイト先輩。その、お疲れ……」
「お疲れさま、なんて言わなくていいよ。……今は、誰も見てないんだから」
彼は顔を上げ、私の顔をじっと見つめた。
その瞳は、昼間に見た瞳よりもずっと深くて暗い。光を反射しない、夜の底のような瞳の色。
「ねえ、ななしちゃん。昼間言ったこと、覚えてる? ……本物のオレは、君が思ってるよりずっと可愛くないって話」
彼はそう言うと、テーブルの上に置かれた小皿を指差した。
そこには、真っ赤なスパイスがまぶされた、見るからに刺激の強そうなスナックが山盛りになっていた。
「これ、食べてみて」
「えっ……」
「いいから。オレが一番好きなやつ。……ほら」
差し出された一切れを、恐る恐る口に運ぶ。
噛んだ瞬間、舌が焼けるような激痛が走った。
「っ……! か、からい……」
「あはは、でしょ? ……オレ、本当はこういうのしか受け付けないんだ。みんなが『可愛い〜』って言ってる甘いスイーツなんて、本当は大嫌い」
彼は自嘲気味に笑い、自分の口にもそのスナックを放り込んだ。
バリバリと音を立てて痛みを味わうように噛み砕く。
その表情には、マジカメで見せるあのキラキラとした高揚感なんて、微塵もなかった。
「ななしちゃん。君が好きな『ケイト先輩』は、オレが作った最高の作品なんだよ」
彼は不意に、私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。
驚いて顔を上げると、至近距離に彼の冷めた瞳があった。
「魔法で増やした分身は、君を優しくエスコートする。君が喜ぶ言葉を言うし、君が寂しい時はすぐに駆けつける。……だって、そういう役割を与えてるから」
掴まれた腕に、じわりと力がこもる。
「でも、ここにいるオレは……君を喜ばせる言葉なんて一つも持ってない。君に気を遣うのも面倒だし、ただ黙って、こうやって君が困ってる顔を見ていたいだけ。……最低だと思わない?」
「……思いません」
私は、震える声で答えた。
先輩の腕の中は、想像していたよりもずっとずっと熱い。
昼間の分身の先輩が、どれだけ完璧にエスコートしてくれても感じられなかった、生々しい人間の温度。
「……先輩が、笑わないで……そうやって、本当の気持ちを話してくれる方が。私は……嬉しいです」
「……」
ケイト先輩の動きが止まった。
彼は信じられないものを見るような目で、私を見つめている。
人の顔色を伺ってばかりの私が、初めて彼の闇に対して、真っ向から肯定の言葉を投げた。
「……君、本当にお人好しだね」
彼は吐き捨てるように言うと、そのまま私をソファに押し倒した。
背中に感じるクッションの柔らかさと、目の前に迫る彼の影。
「おとなしくしてればいいのに。……そんなこと言ったら、オレ、調子に乗っちゃうよ?」
彼の低い声が、今度は耳元で熱く響いた。
昼間の軽薄なトーンじゃない。
獲物を追い詰めた肉食動物のような、獰猛で、歪な熱。
「ななしちゃんが、そんなに本物がいいって言うなら。……後悔させてあげる」
彼の指先が、私のブラウスのボタンに掛かる。
その指は、昼間よりもずっと強く、私の肌を焦がすほどに熱かった。
