5th. さよなら

 「いやっ!!」
 少女は悲鳴を上げた。
 仔犬を助けようと海に入ったが、波の力は思いがけず強くて、少女の不自由な足をもつれさせた。その間にも、仔犬と帽子はどんどん岸から遠ざかって行く。
 「いやだぁ!お願い、連れて行かないで!!」
 少女が悲痛な叫びを上げたときだった。

 突然、黒い影が少女の脇をすり抜け、ものすごい勢いで海に向かって走っていった。
 そして、あっと言う間に仔犬に近づくと、その小さな体を波間から拾い上げた。

 少女はがくがくと膝を震わせた。
 先ほどまでの恐怖と、助かったという安堵感とがごちゃまぜになって、少女は声を上げて泣き出してしまった。
 「うっ、うっ、良かったぁ」
 そんな少女に、仔犬を抱きかかえた青年がゆっくりと近づいてくる。
 「はい」
 青年は笑いながら少女に仔犬を手渡す。
 仔犬はびしょ濡れになって震えているが、その口にはしっかりと少女の帽子が咥えられていた。
 少女はそれを見て、呆れたように笑った。涙をこぼしながら。
 「もう、あんたってば。あんなにもみくちゃにされたのに、それ離さなかったの?」
 「アン」
 ぶるぶると全身を震わせながら、それでも嬉しそうに仔犬は吠え、そして夢中でしっぽを振った。
 少女は仔犬をぎゅっと抱き締めると、自分の着ているカーディガンの中に抱え込んで、震える小さな体を温めてやった。仔犬のぬくもりを感じて、やっと心から安心できた。
 それから、少女は青年に向き直ると、
 「ありがとうございました」
 そう言って丁寧に頭を下げた。
 青年の優しい茶色い瞳が、じっと少女を見つめる。そして少女の腕の中にいる小さな白い仔犬を。

 (あれ?)
 少女はふと違和感を覚えた。
 仔犬を助けるために、青年は首まで海水に浸かったはずである。それなのに、彼が着ている黒いセーターも黒いジーンズも少しも濡れていない。
 (いったいどうして?)
 少女は不思議に思いながら顔を上げると、青年の顔をまじまじと見つめた。
 おだやかな笑顔、優しい茶色い瞳。
 以前にどこかで逢ったような……
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