5.Change the world
「どうしたらいいんだ」
何と返信したらいいのか分からず、陽一郎が途方に暮れていると、目の前にダージリンの入ったティーカップが差し出された。更に、カップの隣に小さな皿を置かれる。
「これは注文していないが?」
陽一郎が不審そうに尋ねると、ハルはにこりと笑って見せた。
「つい今しがた焼き上がったパウンドケーキです。商品ではなく、俺が勝手に焼いたものなので代金はいりません。紅茶によく合うと思いますので、よろしければどうぞ」
そんな事を言う。
そう言われれば、この店に足を踏み入れた時から、コーヒーの香りのほかに、甘い香りがしていた。バターと砂糖が溶けるような、香ばしくて甘いふんわりとした、どこか懐かしい匂い。
「パウンドケーキか」
陽一郎は切り分けられた焼き菓子をじっと見た。
一般にお店で売られているものに比べると、色も香りも少しばかり違う気がする。
外側はこんがり艶々したきつね色で、中の方は茶色がかった濃い卵色をしている。バニラエッセンスの甘い香りではなく、バターの強い匂いの中に何か甘い蜜のような香りが混じっていた。
(焼き過ぎ……とも違うような?)
料理などした事のない陽一郎にはよく分からないが、とにかく普段食べているものとは違っている。ただ何故か、この色にも匂いにも覚えがあるような気がした。
とりあえず一口かじる。
口に入れた途端、パウンドケーキはほろほろと崩れ落ちた。
(何て柔らかいんだ。それにこの味)
食べた瞬間、陽一郎の脳裏に蘇ったのは、二十年以上も昔の子供時代の思い出だ。
母がまだ専業主婦だった頃、秋になるとパウンドケーキを焼いてくれた。その事を唐突に思い出した。
「お母さんの焼くパウンドケーキは、売っているものとも、友達のお母さんが焼いたものとも違ってるね。柔らかくて甘くて、すごく美味しい」
陽一郎が褒めると、母は本当に嬉しそうに笑った。
「そうなのよ。これにはね、お母さんだけの秘密があるの」
あの時、母は何と言っていただろうか。
陽一郎が遠い記憶の糸を手繰り寄せていると、
「砂糖は、グラニュー糖ではなくきび砂糖を使っています。バニラエッセンスの香りが俺には強すぎるので、それは使わず、代わりにほんの少しメープルシロップを入れてあるんです。お口に合うといいんですが」
ハルに言われて、陽一郎はハッとして顔を上げた。
何と返信したらいいのか分からず、陽一郎が途方に暮れていると、目の前にダージリンの入ったティーカップが差し出された。更に、カップの隣に小さな皿を置かれる。
「これは注文していないが?」
陽一郎が不審そうに尋ねると、ハルはにこりと笑って見せた。
「つい今しがた焼き上がったパウンドケーキです。商品ではなく、俺が勝手に焼いたものなので代金はいりません。紅茶によく合うと思いますので、よろしければどうぞ」
そんな事を言う。
そう言われれば、この店に足を踏み入れた時から、コーヒーの香りのほかに、甘い香りがしていた。バターと砂糖が溶けるような、香ばしくて甘いふんわりとした、どこか懐かしい匂い。
「パウンドケーキか」
陽一郎は切り分けられた焼き菓子をじっと見た。
一般にお店で売られているものに比べると、色も香りも少しばかり違う気がする。
外側はこんがり艶々したきつね色で、中の方は茶色がかった濃い卵色をしている。バニラエッセンスの甘い香りではなく、バターの強い匂いの中に何か甘い蜜のような香りが混じっていた。
(焼き過ぎ……とも違うような?)
料理などした事のない陽一郎にはよく分からないが、とにかく普段食べているものとは違っている。ただ何故か、この色にも匂いにも覚えがあるような気がした。
とりあえず一口かじる。
口に入れた途端、パウンドケーキはほろほろと崩れ落ちた。
(何て柔らかいんだ。それにこの味)
食べた瞬間、陽一郎の脳裏に蘇ったのは、二十年以上も昔の子供時代の思い出だ。
母がまだ専業主婦だった頃、秋になるとパウンドケーキを焼いてくれた。その事を唐突に思い出した。
「お母さんの焼くパウンドケーキは、売っているものとも、友達のお母さんが焼いたものとも違ってるね。柔らかくて甘くて、すごく美味しい」
陽一郎が褒めると、母は本当に嬉しそうに笑った。
「そうなのよ。これにはね、お母さんだけの秘密があるの」
あの時、母は何と言っていただろうか。
陽一郎が遠い記憶の糸を手繰り寄せていると、
「砂糖は、グラニュー糖ではなくきび砂糖を使っています。バニラエッセンスの香りが俺には強すぎるので、それは使わず、代わりにほんの少しメープルシロップを入れてあるんです。お口に合うといいんですが」
ハルに言われて、陽一郎はハッとして顔を上げた。
