1.Over the Rainbow

 見慣れない山道を進むバスに揺られながら、香奈かなはひたすら単語帳をめくっていた。
 この春から一人暮らしを始めたアパートと大学を結ぶ通学路は、バスを使えばそれほど遠くはない距離だったが、今の香奈にとってはそんな僅かな時間さえ無駄に出来ない貴重なものだ。
 地元の大学に進学するよう望んでいた両親を何とか説得して、実家からこんなに遠く離れた大学に通う事を決めたのも、希望大学に受かった後でさえ、滑り止め代わりに受けた地元の私大に行くよう強く勧めてきた両親や姉妹に、それでも頑なに首を縦に振らなかったのも、香奈にとってどうしても譲れない想いがあるからだ。
 とは言え、思い描いていたような大学生活とは程遠い日常に、香奈の心身はほとほと疲れていた。
 予想以上にレベルが高い授業について行くため、ともすれば受験の時よりも必死にならざるを得ない勉強。我が儘を通すため無理を言ったのだから、せめて少しでも生活費の足しになればと始めたアルバイト。その両方に追われる毎日。
 いつもあっという間に時が過ぎ、ぐったり疲れ果てて家路に着く。誰も待つ人のない静まり返ったワンルームの部屋で、気が付けば予定の半分も進んでいない事に焦る日々の連続。サークル活動をする時間も、週末に遊びに出かける余裕もなく、入学式から二か月近くが過ぎようというのに、香奈にはまだ友達と呼べる相手が一人もいなかった。
 高校時代は授業と部活を楽しく両立させ、生徒会にも所属して、いつも大勢の友達に囲まれていた香奈にとって、今の生活は何とも言えず味気なく寂しいものだった。
(でも、夢を叶えるまでは、絶対に弱音は吐けない)
 特に家族には。
 そんな切羽詰まった気持ちで単語帳に集中していたせいか、周りの景色がどんどん変わっていく事に、香奈はまったく気が付いていなかった。
 それでも、バスが繁華街を離れ、住宅街を通り抜け、山道を進むうちに、どうも様子がおかしいなと思いはした。だが、単にいつもとは違うルートを通るバスに乗ってしまったのだろうと、大して気にしないまま乗り続けてしまったのだ。さすがにこれは不味いのではないかと焦り始めた頃には、既に終点近くだった。しかも見た事もないような緑深い山の中。
 こうなったら折り返しのバスに乗って戻ろうと思っていたのに、
「すみませんが、このバスは回送になりますので降りてもらえませんか」
 運転手は素っ気なく言った。

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