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知らないふりをしていた
「ありがとね、急だったのに」
「僕のほうこそ。この値段であんな美味しそうな鶏肉が食べられるなんて」
ずっと前に行ったお店のSNSアカウントからのクーポン通知。鶏肉料理が売りの居酒屋だ。手頃なファミレス一食分の値段で、食べ放題飲み放題だというものだった。ちょうど人に近況を話したくてたまらなかったので、誰を誘おうかと迷っていたら、真っ先に浮かんだのが整くんだった。
居酒屋らしいオレンジ色の光のもと、2つのグラスにオレンジジュースを注ぐ。私はお酒を飲めるが、整くんはまだ二十歳に達していないので健全にソフトドリンクでいく。居酒屋なんだからお酒を飲まないと損した感が多少あるものの、私もそこまでお酒が好きではないのでむしろちょうどいい。
二人で乾杯するのもなんだか恥ずかしいので、おもむろに私はジュースを一口つけた。整くんも後を追うようにグラスを口に運ぶ。
「やっぱ安心するー、数少ない一日フリーの日……」
「教育学部じゃない人、やっぱ大変だよね」
「でもすっごく面白いこと学べたから、よかったよ」
そろそろ夏休みが終わる。といっても、私は教職の講義ばかりで短期バイトも詰めていたから、夏休みが全然夏休みじゃなかった。普段は自分の学部の講義を受けて、教職科目は夏休みに回ってしまう。他学部の宿命だ。
「教育制度の授業が、一番面白かったんだよね。課題大変だったけど」
自分の当たり前を疑うことを覚えた。他の人はどのように考えているのか興味が湧いて、本をたくさん読み始めた。読書履歴を見たら、ここ1ヶ月で一日一冊ペースで本を読んでいたのには、さすがに自分でも驚いた。
つい、たくさん喋ってしまう。同じ学部の普通の友達に話しても、「変わってる」「意識高い系」と言われ、忌避の目を向けられるから。目立たないように授業中議論すら参加しない人たちを前にした気まずさも一瞬蘇り、それを振り払うように、私の口は止まらない。こっちが話すと、整くんはもっと深い考えを返してくれる。気づけば、夏休みの詰まったスケジュールをこなしたしんどさは、本当にあったのかと疑いたくなるほどに吹き飛んでいた。
***
「時間って早いねー」
「結局あんま飲まなかったね」
「まあご飯は食べられたからいいじゃん」
もっと喋っていたかったけどさすがに店員さんに追い出された。もちろん会計を済ませたうえで。グラスの中身が一向に減っていなかったのを見て、二人ではっとしたものだ。
「そういえば今度、印象派展が東京で開催されるって」
「いつ?」
整くんはスマホを開いて、親指を動かす。11月の第2土曜日らしい。夜にバイトがあるけど、印象派展は夕方に終わるらしい。スケジュール的には大丈夫、ではあるが。
「うーん正直、絵のこと全然わかんないんだけど大丈夫かなぁ」
なんとなく小学校のときから苦手意識。見たものをなんとか描き写せたかなと思っても、隣の人の写真みたいな出来を見て心が折れたり。高校も音楽を選択して美術から逃げた。昔の人の絵を見て、はたしてその楽しさが私にわかるのか。
「ご、ごめん、その、嫌だったら、僕、一人で行くから……」
「あっ違うの! 嫌とかじゃなくて! 私、一緒に行っても気の利いた感想とか言えない、かも」
「僕だって、わかんないことだらけだから大丈夫だよ。それに……誰だって、最初はわかんないものだから。何度も見れば、少しずつ、わかってくると思う」
たぶん、いや間違いなく、整くんと行ったら楽しいだろう。整くんが好きなものに、私も興味をもちたい。
私は手帳とシャーペンを取り出して、「印象派展」と書き込んだ。
手帳をバッグにしまおうとして、シャーペンが手からするっと抜け落ちた。街灯の光が当たりにくいところなせいで、しかたなく、手を地面に這わして探る。
「あっ」
「はっ」
整くんの手が私の手の甲に触れて、すぐに離れた。そんなに慌てなくてもいいのに。私はそれくらいではあまり気にしないタイプだ。あ、ペン見つかった。それもバッグにしまって、チャックを閉める。
「じゃ、またね」
「う、うん、気をつけて」
整くんの手のひら。あのぬくもりが妙に忘れられなくて、なんか落ち着かない。私もちゃっかり意識してるじゃないか。私は得体のしれないむず痒さを抑えたくて、彼の温かさをごまかすように胸の前で両手を重ねた。
「ありがとね、急だったのに」
「僕のほうこそ。この値段であんな美味しそうな鶏肉が食べられるなんて」
ずっと前に行ったお店のSNSアカウントからのクーポン通知。鶏肉料理が売りの居酒屋だ。手頃なファミレス一食分の値段で、食べ放題飲み放題だというものだった。ちょうど人に近況を話したくてたまらなかったので、誰を誘おうかと迷っていたら、真っ先に浮かんだのが整くんだった。
居酒屋らしいオレンジ色の光のもと、2つのグラスにオレンジジュースを注ぐ。私はお酒を飲めるが、整くんはまだ二十歳に達していないので健全にソフトドリンクでいく。居酒屋なんだからお酒を飲まないと損した感が多少あるものの、私もそこまでお酒が好きではないのでむしろちょうどいい。
二人で乾杯するのもなんだか恥ずかしいので、おもむろに私はジュースを一口つけた。整くんも後を追うようにグラスを口に運ぶ。
「やっぱ安心するー、数少ない一日フリーの日……」
「教育学部じゃない人、やっぱ大変だよね」
「でもすっごく面白いこと学べたから、よかったよ」
そろそろ夏休みが終わる。といっても、私は教職の講義ばかりで短期バイトも詰めていたから、夏休みが全然夏休みじゃなかった。普段は自分の学部の講義を受けて、教職科目は夏休みに回ってしまう。他学部の宿命だ。
「教育制度の授業が、一番面白かったんだよね。課題大変だったけど」
自分の当たり前を疑うことを覚えた。他の人はどのように考えているのか興味が湧いて、本をたくさん読み始めた。読書履歴を見たら、ここ1ヶ月で一日一冊ペースで本を読んでいたのには、さすがに自分でも驚いた。
つい、たくさん喋ってしまう。同じ学部の普通の友達に話しても、「変わってる」「意識高い系」と言われ、忌避の目を向けられるから。目立たないように授業中議論すら参加しない人たちを前にした気まずさも一瞬蘇り、それを振り払うように、私の口は止まらない。こっちが話すと、整くんはもっと深い考えを返してくれる。気づけば、夏休みの詰まったスケジュールをこなしたしんどさは、本当にあったのかと疑いたくなるほどに吹き飛んでいた。
***
「時間って早いねー」
「結局あんま飲まなかったね」
「まあご飯は食べられたからいいじゃん」
もっと喋っていたかったけどさすがに店員さんに追い出された。もちろん会計を済ませたうえで。グラスの中身が一向に減っていなかったのを見て、二人ではっとしたものだ。
「そういえば今度、印象派展が東京で開催されるって」
「いつ?」
整くんはスマホを開いて、親指を動かす。11月の第2土曜日らしい。夜にバイトがあるけど、印象派展は夕方に終わるらしい。スケジュール的には大丈夫、ではあるが。
「うーん正直、絵のこと全然わかんないんだけど大丈夫かなぁ」
なんとなく小学校のときから苦手意識。見たものをなんとか描き写せたかなと思っても、隣の人の写真みたいな出来を見て心が折れたり。高校も音楽を選択して美術から逃げた。昔の人の絵を見て、はたしてその楽しさが私にわかるのか。
「ご、ごめん、その、嫌だったら、僕、一人で行くから……」
「あっ違うの! 嫌とかじゃなくて! 私、一緒に行っても気の利いた感想とか言えない、かも」
「僕だって、わかんないことだらけだから大丈夫だよ。それに……誰だって、最初はわかんないものだから。何度も見れば、少しずつ、わかってくると思う」
たぶん、いや間違いなく、整くんと行ったら楽しいだろう。整くんが好きなものに、私も興味をもちたい。
私は手帳とシャーペンを取り出して、「印象派展」と書き込んだ。
手帳をバッグにしまおうとして、シャーペンが手からするっと抜け落ちた。街灯の光が当たりにくいところなせいで、しかたなく、手を地面に這わして探る。
「あっ」
「はっ」
整くんの手が私の手の甲に触れて、すぐに離れた。そんなに慌てなくてもいいのに。私はそれくらいではあまり気にしないタイプだ。あ、ペン見つかった。それもバッグにしまって、チャックを閉める。
「じゃ、またね」
「う、うん、気をつけて」
整くんの手のひら。あのぬくもりが妙に忘れられなくて、なんか落ち着かない。私もちゃっかり意識してるじゃないか。私は得体のしれないむず痒さを抑えたくて、彼の温かさをごまかすように胸の前で両手を重ねた。
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