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学生たちが足早に講義室をあとにする。もう冬場だというのに、暦はまだ秋だからという理由でいっこうに暖房がつかない。それに疲れ切った金曜の5限。誰もが冷え切った部屋からさっさと退散して、早く自分の家のこたつにもぐりたいのだ。
だが、人が次々と流れていくなか、机上の荷物を片づける気配もない青年が一人。
「休憩を挟んだほうが集中力が上がるのに、世間の授業は50分とか90分、ぶっ通しでやる。初めて学ぶことを永遠と語られたら、どれが大事なポイントかなんて、わかるわけないと思うんだけどな。授業時間はそのままにして休憩時間をプラスする?でもそれだと帰る時間が遅くなっちゃう。かといって、授業時間けずって休憩時間にすると教えたいこと教えきれないし……」
ノートを机に広げたまま黒板を凝視し、一息で今日考えたことを吐き出す。彼の特徴的なアフロは一切動くことなく、存在を主張している。ふーっと一息ついてから、整は腕を抱えてぶるりと震えた。コートを羽織りマフラーを深く巻く。ようやくノートや筆入れをしまい始める。リュックを閉めようとしたときであった。ふと、左から視線を感じてばっと横を向いた。
可愛らしい女の人がこちらを見つめていた。
「あ……すみません」
またやってしまった。整がブツブツ独り言を言うたび、いつも怪訝な目を向けられ、謝罪の意を含む会釈を返して離れるところまでがいつもの流れだ。整はあわててリュックを背負おうとする。
「い、いえ、そういう意味じゃ」
「えっ」
予想外の反応をされて、整は思わず動きを止めた。
むしろ、この女の人の目線がどこか興味津々なように見えた。このような視線を向けられるのは、数年前になくなった整の恩師以来で、どこか懐かしい気分になった。こんなふうに声をかけられるのは初めてで、整は思わずチャックが空いたままのリュックを持ち上げた。中身がドサドサこぼれた。
テンパってるのを立て続けにさらして恥ずかしい。彼女も一緒にこぼれ出た本やらノートやらを拾ってくれた。整は彼女の横顔をチラチラ見ながら、先ほどの興味ありげな視線を反芻する。
整は一人で考えてきた。考えてごらん、と彼に道を示してくれた恩師は数年前に亡くなり、考えたことを伝える相手が限られた人間しかいなくなっていた。彼女の放った最初の一言でも、彼は自分の考えを受け入れてもらえたような気がした。考えたことを喋りたくなるおしゃべりな自分が出てくる。気づいたら流れるように授業で思ったことをどんどん話していた。彼女は面白そうにうんうんと頷いてくれた。
「あの……一回ここ出ません?」
整はそう声をかけられて、講義室の照明がとっくに消えていたことに気づいた。
玄関を出ると、外はもう真っ暗で、日の暖かさはなくなり冷え込んでいた。
「お名前は?」
「整。久能整」
「名字も名前も初めて聞きますね。私、朝比奈千景と申します。何年生ですか?」
「1年です」
「よかった、歳ちゃんと確認しないと、うっかり先輩にタメ口やっちゃうから。あ、私も1年」
千景。この人をそのまま表したような、きれいな名前だ。
「あれ、何学部?」
整は気になっていた。あまり見覚えのない、彼女の存在に。
「理学部」
「やっぱり。教育学部の人じゃかったね」
「やっぱりって、わかってたの?」
「ここの学部の人は少ないから。僕、記憶力には自信あるんで。でも、教育学部以外向けの心理学ってBがあったよね。わざわざこっちを受けてるの?」
「受けたい心理学の授業が、心理学Bだけだと履修要件を満たせないの。Aが必修って書いてあって……まあ興味もあったし、二度手間のわりには楽しく受けられてるよ」
すごい、どっちもやっているのか。
でも、どうして今まで気づかなかったんだろう。
「今日はたまたま前の席にいただけ。今日の課題簡単だったから、真面目に授業聴けたの」
「なんで今考えてることわかったの!?」
「口に出てたよ」
「あっ……で、課題って?」
「1個前の授業の。夜7時までに提出しなきゃいけなくて。いつも後ろの席でこっそり書いてたの」
それはキツい。聞いてみると別の心理学の授業らしい。整は他の必修科目とかぶっていて取れなかったものだ。
「どうして僕に話しかけたの?」
「え?」
「気持ち悪いって、思わなかった?」
「そんなわけないよ。ちゃんと考えてて、優しそうな人だなーって思った」
優しそう。人からの評価が根暗で定着していた彼にとって、初めて言われたものだ。
「それに、整くんみたいにちゃんと考える人ってそんないないし見たことないから、私はそういう人好きだよ」
「えっ!?」
好き……すき……スキ?
いやいや、友達としての好きとか普通にあるじゃん! なんでそっちのほうを想像したんだ僕……。
「あっLINE交換しよー」
教育学部の友達いなかったからうれしー、と言いながら彼女は慣れた手つきで画面にQRコードを出す。整もあわててスマホを出した。
「じゃ、私こっちだから。またねー」
「え!? あっ、う、うん……」
いつの間にか連絡先の交換が済んで彼が混乱しているうちに、千景はあっさりと家に向かっていた。恩師以外にまたねと言われるのが久しぶりで、そっけない返事と小さな手の振りしかできなかった。数秒後にはすでに角に面したアパートに足を踏み入れた。
「わっ向かいじゃん」
整が自分の家へ足を向ける前に、彼女はアパートの階段を登っていた。
こんな近くに住んでたんだ。今まで会わなかったのが不思議だ。
整は千景の連絡先が入った端末を見つめる。
「初対面の人とこんなすぐ連絡先を交換するなんて、初めてだ」
また、会えるかな。また、同じ席に座ろうかな。千景ちゃんもまた、あそこに座ってくれるかな。
「僕のことうざいって言わない人、初めて」
整は再び千景の入っていった2階のドアに目をやる。向こうの夜空で、いつもは見えない小さな星も、またたいて見えた気がした。
だが、人が次々と流れていくなか、机上の荷物を片づける気配もない青年が一人。
「休憩を挟んだほうが集中力が上がるのに、世間の授業は50分とか90分、ぶっ通しでやる。初めて学ぶことを永遠と語られたら、どれが大事なポイントかなんて、わかるわけないと思うんだけどな。授業時間はそのままにして休憩時間をプラスする?でもそれだと帰る時間が遅くなっちゃう。かといって、授業時間けずって休憩時間にすると教えたいこと教えきれないし……」
ノートを机に広げたまま黒板を凝視し、一息で今日考えたことを吐き出す。彼の特徴的なアフロは一切動くことなく、存在を主張している。ふーっと一息ついてから、整は腕を抱えてぶるりと震えた。コートを羽織りマフラーを深く巻く。ようやくノートや筆入れをしまい始める。リュックを閉めようとしたときであった。ふと、左から視線を感じてばっと横を向いた。
可愛らしい女の人がこちらを見つめていた。
「あ……すみません」
またやってしまった。整がブツブツ独り言を言うたび、いつも怪訝な目を向けられ、謝罪の意を含む会釈を返して離れるところまでがいつもの流れだ。整はあわててリュックを背負おうとする。
「い、いえ、そういう意味じゃ」
「えっ」
予想外の反応をされて、整は思わず動きを止めた。
むしろ、この女の人の目線がどこか興味津々なように見えた。このような視線を向けられるのは、数年前になくなった整の恩師以来で、どこか懐かしい気分になった。こんなふうに声をかけられるのは初めてで、整は思わずチャックが空いたままのリュックを持ち上げた。中身がドサドサこぼれた。
テンパってるのを立て続けにさらして恥ずかしい。彼女も一緒にこぼれ出た本やらノートやらを拾ってくれた。整は彼女の横顔をチラチラ見ながら、先ほどの興味ありげな視線を反芻する。
整は一人で考えてきた。考えてごらん、と彼に道を示してくれた恩師は数年前に亡くなり、考えたことを伝える相手が限られた人間しかいなくなっていた。彼女の放った最初の一言でも、彼は自分の考えを受け入れてもらえたような気がした。考えたことを喋りたくなるおしゃべりな自分が出てくる。気づいたら流れるように授業で思ったことをどんどん話していた。彼女は面白そうにうんうんと頷いてくれた。
「あの……一回ここ出ません?」
整はそう声をかけられて、講義室の照明がとっくに消えていたことに気づいた。
玄関を出ると、外はもう真っ暗で、日の暖かさはなくなり冷え込んでいた。
「お名前は?」
「整。久能整」
「名字も名前も初めて聞きますね。私、朝比奈千景と申します。何年生ですか?」
「1年です」
「よかった、歳ちゃんと確認しないと、うっかり先輩にタメ口やっちゃうから。あ、私も1年」
千景。この人をそのまま表したような、きれいな名前だ。
「あれ、何学部?」
整は気になっていた。あまり見覚えのない、彼女の存在に。
「理学部」
「やっぱり。教育学部の人じゃかったね」
「やっぱりって、わかってたの?」
「ここの学部の人は少ないから。僕、記憶力には自信あるんで。でも、教育学部以外向けの心理学ってBがあったよね。わざわざこっちを受けてるの?」
「受けたい心理学の授業が、心理学Bだけだと履修要件を満たせないの。Aが必修って書いてあって……まあ興味もあったし、二度手間のわりには楽しく受けられてるよ」
すごい、どっちもやっているのか。
でも、どうして今まで気づかなかったんだろう。
「今日はたまたま前の席にいただけ。今日の課題簡単だったから、真面目に授業聴けたの」
「なんで今考えてることわかったの!?」
「口に出てたよ」
「あっ……で、課題って?」
「1個前の授業の。夜7時までに提出しなきゃいけなくて。いつも後ろの席でこっそり書いてたの」
それはキツい。聞いてみると別の心理学の授業らしい。整は他の必修科目とかぶっていて取れなかったものだ。
「どうして僕に話しかけたの?」
「え?」
「気持ち悪いって、思わなかった?」
「そんなわけないよ。ちゃんと考えてて、優しそうな人だなーって思った」
優しそう。人からの評価が根暗で定着していた彼にとって、初めて言われたものだ。
「それに、整くんみたいにちゃんと考える人ってそんないないし見たことないから、私はそういう人好きだよ」
「えっ!?」
好き……すき……スキ?
いやいや、友達としての好きとか普通にあるじゃん! なんでそっちのほうを想像したんだ僕……。
「あっLINE交換しよー」
教育学部の友達いなかったからうれしー、と言いながら彼女は慣れた手つきで画面にQRコードを出す。整もあわててスマホを出した。
「じゃ、私こっちだから。またねー」
「え!? あっ、う、うん……」
いつの間にか連絡先の交換が済んで彼が混乱しているうちに、千景はあっさりと家に向かっていた。恩師以外にまたねと言われるのが久しぶりで、そっけない返事と小さな手の振りしかできなかった。数秒後にはすでに角に面したアパートに足を踏み入れた。
「わっ向かいじゃん」
整が自分の家へ足を向ける前に、彼女はアパートの階段を登っていた。
こんな近くに住んでたんだ。今まで会わなかったのが不思議だ。
整は千景の連絡先が入った端末を見つめる。
「初対面の人とこんなすぐ連絡先を交換するなんて、初めてだ」
また、会えるかな。また、同じ席に座ろうかな。千景ちゃんもまた、あそこに座ってくれるかな。
「僕のことうざいって言わない人、初めて」
整は再び千景の入っていった2階のドアに目をやる。向こうの夜空で、いつもは見えない小さな星も、またたいて見えた気がした。