ひとりごと

ようやく決断して答えを見つけられた話

2025/12/13 10:18
先日pixivの作品を非公開にしました。
(追記:2026年1月アカウント自体削除しました)

pixivへの作品投稿は、4月に個人サイトを初めたときから継続させるか悩んでいたところではあるのですが、年末前に気持ちの整理もついてきたこともこのような決断しました。

二次創作するのは自己満と言いながら、自分が作ったものを誰かに見てもらいたい気持ちはあって。読んでもらいやすい場所としてpixivは本当にありがたい場所でした。
けれど、いまの自分の価値観であらためて現在のpixivの状況や母数、システムを振り返った時に……色々あるにはあるのですが、いくつかあげるなら、「人気至上主義の評価文化」「二次創作を消費する文化の加速」「検索機能の弱さ(+するなら近年母数が増えたことによる全体的なモラルやマナーの低下)」ってところが特に合わなくなってしまったなぁと思った次第です。

並べると不満のようにも聞こえてしまうかもしれないし、気持ち的にも3割くらいはたしかに事実として不満を感じているのですが……
大きい理由として、価値観が合わないと感じた場所からできるだけ距離を置きたいと思ったこと、いわゆる自衛ですね。それが今回の決断のいちばんの要因です。

4月から徐々に個人サイトを動かしてく中でいちばん不安だったのが見つけてくれる人はいるのかなってところでした……でも実際には見つけてくださった方がいるし、その上で自分の作品を気に入ってくださった方もいて、それが本当にありがたくて温かくて、いまではここに来れてよかったと思っています。

……自分も他人も含め、情報として視覚に入ってしまう故に、大きなプラットフォームやSNSでは人間扱いをされにくく、人格を尊重されづらい社会になってきているからこそ。
自分のことを守れるのは自分だけであり、つまるところ自衛が本当に大事なんです。

この自衛も昔のわたしは突き放すとか拒絶することでしか出来ませんでしたし、その意味を履き違えていたと反省しています。
自衛とは、生息する環境を見つけて、それを整えることが目的あり、尊厳や価値観を外的要素から守っていくことで確立させることだといまのわたし思っています。

個人サイトに来てから価値観、価値観ってうるさいかもしれませんが、本当に大事なことなんです。
わたしなりの解釈や熱量・思想ってところが良くも悪くも尖ってしまったことも原因だと思っていますし、だからこそ自分でもびっくりしながらたくさん価値観について学んできたのですが……結論としてある比喩を見つけました。

「二次創作社会は大海原、そしてそこに住まう創作者はいろんな種類の生き物なのだ」

この例え方は、伝わりづらいかもしれないのですが……魚って本当にたくさん種類が存在しますよね。そして、その種類によって生息できる環境が細かく分かれているものです。

浜辺の浅いところに住まうもの、逆に深海に住まうもの、冷たい海にだけ生息できる、温かい海にだけ生息できる……川を登って辺鄙な土地に住んでる生物もいますよね。未確認なものも沢山存在します。
それでもみんな魚であることには変わりなく生息地が違くとも、案外食してるものの好みは似ていたりもします。

二次創作社会もとい二次創作を好む人達のあり方ってまさにこんな感じじゃないでしょうか。
そう、わたしはこの広くて大きな海で、創作者や創作を好む魚たちは「住み心地の良い場所」と「美味しいご飯にありつける場所」に生きていると解を導き出したんです。

美味しいご飯は誰かの作った料理かもしれないし、自分がこだわり抜いた自作料理かもしれないし。
どの料理で満たされるかもお魚さんしだい。
でも料理に使われる食材って、味付けが違うだけで元の素材は同じことが多かったりして。
だけど、お魚さんの好みは十人十色だから、これは好き、あれは嫌……と別れてしまうことも多々あります。

何が言いたいかというと、
「同じ食べものが好きな同じ人間(魚)だとしても、すべてお魚さんの生息域が同じとは限らない。だからこそ、カテゴリーを大雑把にせず、とにかく細かく細かく、細かく分けること」がとっても大事だということです。

お魚さんは日々食事をします。

そのまま軽く味付けをしただけの自然の状態……ようは原作設定を重視しつつ、そこに少し自分が好きな要素をふりかけるシンプルな二次創作が好きなお魚さん。

色々な足し算引き算をしたオリジナリティある状態……いわば原作にはない要素を自分の好みで盛り込んだり、パロディした自由度の高い二次創作が好きなお魚さん。

(そのどちらの料理も好きだというお魚さんももしかしたらいるかもしれませんが、その話はまた後ほど)

今回例をあげるのは2種類のお魚さんだけですが、この2匹は食べている食材……版権元じたいは同じなのに、味の好みにより出来上がってくる料理、そしてその料理へのこだわりは全くの別物なわけなんです。魚は魚でも、食べるものは同じでも違う種類のお魚さんなんです。

食のこだわりは、いわば価値観の違いですね。
そして価値観の違いは生息域をわけることでしか確立されない。どちらかが妥協したり、理解をしようとすると破綻してしまうものです。
各々の価値観を尊重するためには、この2種類の魚も同じ場所に居続けるわけにはいきません。

だから本来は交わらない場所で、各々が好きなものを食べて安心して暮らせる場所を用意して、必要だと感じる場合にかぎりコミュニティを形成したり群れをなしたりしていくのでしょう。

海はとてもとても広いのだから本来であれば棲み分けは本当はとっても簡単。
ではなぜ、わたしのように苦しむ人間がいるのか。……原因は混じらなくていい外的要素から確立する術を身につけられていないから。

外的要素は大きくわけて二つあります。
「なんでも食べれてどこでも暮らせるお魚さん」
「交わらない海域をひとつに纏めた安定安心水族館」

ひとつずつ説明をしていきます。

さきほど()内の記載がありましたが、第3種類目のお魚さん。シンプルな味付けも、オリジナリティ溢れる味付けも、どちらも好きだというお魚さんの存在です。どんな料理を美味しくいただけてしまうお魚さん……この言い方、いまでは好きくない呼称なのですが、雑食と呼ばれる方々を指します。
このお魚さんのすごいところは生息区域がとにかく広い。色んな種類のお魚さんと過ごすことができます。
でも生息地を確立させて守っている第1種、第2種のお魚さんは、第3種のお魚さんとはやはり別の生き物です。あくまでも外的要素にあたる第3種のお魚さんを生息地に招くかは、その生息地のお魚さんしだい。選択権は生息地を確立させて守っている側にあるべきです。
だから第3種のお魚さんが生きやすいかといわれれば、可否を問うことはできません。

彼らにもしマナーとしてやってはいけないことは、招かれざる場所に現れて食べ物を食い散らかしたり、生息地を無闇に荒らすことですね。
でもこれは第1種、第2種のお魚さんか自衛できることでもあります。招いてから生息地が荒らされたと被害者ぶるのではなく、それは生息地を確立させ続けなかったことに問題もあります。だから第3種のお魚さんに全ての罪を擦り付けることは許されません。

同じ食材が好きという点で同じ部分はたしかにあります。でも本来は同じ世界を生きてはいません。魚類であっても違う生き物です。本当に違うんです。
この3種はそれぞれの主張を通そうとすれば、一緒にはいられない。それが現実です。
一緒に生きることを選んで死んでしまうのは自分かもしれない。……だから距離をとり、居場所を確立させる。自衛って本当に大切です。

でもお魚さんには自分の料理をもっと見てもらいたい、自分を見て欲しいと冒険したくなる気持ちもあります。
だからさきほど水族館と例えた……プラットフォームやSNSへ足を運んでしまうんです。これが第二の外的要素です。

その場所は見てもらえるという大きな反面、危険もたくさんうじゃうじゃ眠ってます。
本来は生息域が微妙に違う生き物でも、同じ大きな水槽に入れられてしまう。

それでもお魚さんにとって水族館はもっとも活発な動きがある場所です。料理を食べる観客が増えること、料理を色んな観客に美味しいと食べてもらえること、新しい味に出会えること。どれもが新鮮で楽しいことですから。

しっかり体制のあるお魚さんは、例え住む場所が変わっても自分を保って守れるお魚さん。
そんなお魚さんにとってはウィンウィンを築けてメリットも大きい、もっとも生き生きと泳ぐことができる環境になりえるでしょう。

でも全部のお魚さんがそうだとは限らないんです。

楽しさに満たされたお魚さんは、いつの日か好奇心や興奮で自分の価値観を確立することを忘れてしまう。
だから……自分の住処を失っていることに気づかず、少しずつ呼吸が正しく行われなくなって苦しんでいることに気づかないお魚さんはいっぱい生まれます。
しかし楽しかった記憶は確かにあることから……すぐには原因を究明できなくなる。苦しくてもここにいればまた楽しくなるって思ってしまうんです。

そういうデリケートなお魚さんにとって、水族館って、SNSって、そういうドラッグ要素のある場所なんですよ。
気づいた時にはもうボロボロで、自分の作った料理は美しい自慢の料理だったはずなのに、その面影もないようにさえ見えて。

それでも毎日新しいキラキラしたお魚さんは元気に自分の自慢の料理を振舞って、さらにはそこに「どの料理がいちばん食べてもらえているか」「どの食材を掛け合わせたらいちばん人気なのか」っていう数字化された評価基準まで設けられえいたとするなら……。
それで闘争心をくすぐられて燃えるお魚さんならいいでしょう。

でもやはり全てのお魚がそうだとは限られない。それなのに水族館にいる限り無理矢理その場の引き合いに出されて可視化されてしまう。中には拒絶反応を起こして攻撃的になったり不安定になるお魚さんも出てくる。それに触発されてしまうお魚さんも出てきたら……争いが生まれたら、どちらかがねじ伏せられたら……。
とても恐ろしいことになってしまう。

自慢の料理を誰かに振る舞いたかったことは事実。食べた誰かに「美味しい」と言ってもらいたかったことも事実。だから憧れてやってきた。
でも……それを叶える場所として選んだそこはあまりにも広すぎて、広いのにぎゅって圧縮されたような窮屈さのある環境。息が詰まる場所。

苦しい思いをしてまでその場所にいちゃいけない。価値観を守る。自分を守る。守るために確立する。拒絶したって意味はない。だからその場を自分から去る必要がある。

楽しい記憶も、苦しい記憶も事実だから忘れなくなっていい。でも痛い思いはもうしないように、教訓にしていけばいいってところ。

「二次創作社会は大海原、そしてそこに住まう創作者はいろんな種類の生き物なのだ」

これに尽きるなぁという、わたしの見解のお話でした。だいぶ長くなってしまいましたね。
でもちゃんと自分なり答えが出せたな、一年以上解けない意地悪な問題を一生懸命、無謀だと思いながらも解き続けた集大成です。

ここまで読んでくれた方がいましたら、ありがとうございました。

これからわたしも1匹のお魚として、この個人サイトである生息地を確立して、守って、大事にしていきたいなと思います。
もしわたしの自慢の料理、二次創作作品を見ててくれる方……「好きだ」と言ってくれる方がいたら……もうそれだけで幸せです。

改めて、この場所を見つけてくださった方に感謝です。ありがとうございます。





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