PEACE
初めて、あの子が僕に「愛してる」と伝えてくれた日のことはよく覚えている。
星が煌めき、その煌めく星がときより降り注ぐ空の下、屋敷の外を少し散歩しようと誘われた僕は弟についていった。使用人にも内緒だったはずだけど、後から聞いた話、弟は執事長に人払いを頼んでいたらしい。この弟は抜け目がない。
肌寒いからと最初は手を握って暖を取っていたのに、屋敷からそれなりに離れたところで、その手は突然離された。
そして、弟は僕の顔をじっと見つめた。何を伝えるつもりなのかその時の僕はなんの検討もついていなかった。そんな僕にあの子はまずシンプルな一言だけ告げた。
「……愛してる」
はっきりと愛の言葉を口にした。冗談を言っているわけもない。そもそも口下手なあの子に限ってこんなことを軽々しく口にするわけがなかった。
その上、そこからゆっくりとあの子が語った“愛”は、兄弟間に芽生えるものとして相応しくないものの類で。僕は自分の耳を疑いかけた。何か夢を見ているのではないかとさえ思った。
だけどあの子の一挙一動がそれは紛れもない本心なのだと物語っていた。
そして、あの子の痛みを帯びた瞳を見て、この時間が紛れもない現実であることを理解した。
告白の最中、あの子はずっと苦しそうだった。僕じゃない誰かがその姿を見たら、とてもじゃないけど想い人に愛を伝える姿だとは思わなかっただろう。
……思い返せば、あの姿はまるで懺悔をしているようだった。
今にも泣き出しそうな顔は絶望の色そのもので、自分の胸ぐらを掴むようにぎゅっと抑えて、抑えたその手の指先は力が入りすぎて白くなって、肩だけでなく話す声までずっと震えていた。
堪えて、堪えて、堪えて。理性が効かなくなったその先の愛の言葉を必死に伝える時間は、あの子にとって絶望の淵に立ったも同然だったのだ。
時間をかけて色々なことを考えたんだろうな。聡明で思慮深いあの子は、きっとほとんどのリスクを見通していた。自分の気持ちを伝えることがどれだけ愚かで傲慢なことか。嘘をついて隠すことの方がどれだけ賢い生き方だったことか。
哀れだとか惨めだとか、自分自身を可哀想だと思う余裕すらできないくらい、己を許せない気持ちでいっぱいだったのだろう。
……伝える相手が実の兄である僕でなければ、こんなことにはならなかっただろうに。
そんな意地悪な言葉が頭をよぎってしまった。
けれど、あの子がたくさん思いの言葉を並べてくれている間、僕は何言わずにただその姿を見つめていた。横槍を入れたくなかった。あの子の全てを受け止めたいと思った。
それから、あの子は精一杯の愛の言葉の最後に「ごめん」と口にした。乾いた唇から漏れた消えそうな声。その頃にはもう震えは止まっていて、暗く濁る瞳からはいつの間に涙がこぼれ落ちていた。
「僕はもう、シエルの弟ではいられない」
その言葉はとても冷たくて、重たくて、一種の覚悟を持った一言だった。
祝福された14歳の誕生日の夜、僕は最愛の弟からそんな別れの言葉を突きつけられのだ。
*
「……それ以来、僕たちの間には微妙な距離ができてしまってね、もう二年くらいまともに話も出てきていないんだ」
そんな冬の記憶を語り終えたシエルに、話を聞かされた男はわなわなと震える。さきほどまで彼が握っていたカメラはいつのまに机の上に放置されていて、その代わり彼の手にはいつも被っている帽子が何かを言いたげに握られていた。
さぁ、この男はなんと言うのだろうか?とシエルがニコリと笑いかけると男は我慢の限界だと言いたげに席を立ち大きな声を張り上げた。
「これのどこが“ファントムハイヴ家の一大スクープ”なんスか!!!!」
話を静かに最後まで聞いてくれたと思いきや、この男……記者のピットは相当不満を抱えていたらしい。怒っているというよりは、思っていたネタが手に入らず、入らない上にとんでもないゴシップネタを掴まされてもどかしい気持ちになり文句の一つや二つ言わせてもらわないと気が済まなそうな様子だった。
確かに“お父様さえ知らないファントムハイヴ家の一大スクープを、こっそりピットにだけ教えてあげる”という誘い文句でこの場を設け、写真館を貸切にしてもらい、話をしに出向いたのはシエルのほうだ。それは誘い文句にしてはやりすぎたという自覚もある。
けれど彼がここまで拍子抜けだと言いたげな態度をとるのは想定よりも面白くて、ついシエルは「ごめんごめん」なんて笑顔のまま謝る。
その態度がまたピットをわなわなさせるには十分な材料となった。
「ものはいいようだよね」
「くぅ……本当にそういうところ、パパに似てきましたね、何もそんな悪いところばかり真似しなくたっていいのに!」
パパに似てきた、しかも悪いところばかり。このお小言をシエルはピットから結構な頻度でよく言われる。
「じゃあ逆にピットはお父様のどんなところ“良い”って思うの?」
「ヴィンさんの良いとこ?」
「どうせ似るなら良いところのほうが僕も嬉しいし……それにほら僕って未来のファントムハイヴ伯爵でしょ? お父様が“お友達”とどんな風に良好な関係を築いてるのか、お勉強しておきたいんだ」
ピットは、シエルの父親であるヴィンセントが見つけた“お友達”であり、ヴィンセントが仕事を円滑に進める上で有利となる素敵なパートナーだとシエルは本人から聞いている。
お友達だの、パートナーだの……ヴィンセントは表現をなるべく柔らかくして誤魔化すけれど、正しく言い表すのなら“自慢の一駒”が良いところのような気もしてしまうのはシエルだけではないだろう。それでも実際にウィンウィンな関係づくり……というか、相手にそう思わせることがヴィンセントにとって得意分野だということもまた事実だ。その能力はシエルとしても今後身につけていきたいものだ。
「……………。ヴィンさんの良いとこ………良いところね、良いところ…………顔が可愛くて美人、は怒られそうなんでやっぱ内緒で。……あとはメシが美味い! これは……タナカさんの良いとこか、うーん」
席を立っていたピットは悩んだ様子でその場をぐるぐると回る。シエルからの何気ない質問に相当頭を悩ませているようだ。中々言葉に詰まっているのが見て取れたが、しばらくして椅子に座ったあともうんうんと唸っている姿を見るのはなんだか面白くて、シエルはつい魔がさして彼をからかいたくなった。
「そんなに長考するなんて、お父様が知ったら悲しむだろうなぁ」
「……っ、も〜〜そうやって人の弱みをすぐ握るところ! 君のパパもよくやってたッスよ。ほんとに可愛い顔してやり口までそっくり。相変わらずの悪戯坊ちゃんめ〜」
ピットはまたしてもしてやられたと言った顔をしていて、それがおかしくてシエルは声をあげて笑った。こんな風に笑うのは久しぶりだった。ピットはそんなシエルを怒るのかと思いきやピットはただシエルにつられるように笑ってくれた。
……やはり父親がいうように、彼は裏表や打算という物を一切感じさせない人間だとシエルは思う。どんな立場の相手でも、変に畏まらず自然体でコミニュケーションをとってくれる、貴族社会ではなかなか出会えない逸材だ。ヴィンセントが気にいるのもよくわかる。
そんな彼だから、シエルは今回“話を聞いてもらいたい”と、こっそり屋敷を抜け出してまで彼のいる写真館まで足を運んだのだ。
「そもそも、そうやって人をころころ転がせるだけの優位性を君は持ってるんだから、パパ譲りのそのコミニュケーションで関係構築の類は容易いものでしょ? わざわざ俺なんかにスキャンダルぶちまけてまで相談事を持ち込む必要あったんスか?」
ピットからのその言葉にシエルの笑顔は少しだけ薄れる。痛いところをつかれてしまった。
「解決できてたら二年も仲違いなんてしてないよ。これでも本当に切羽詰まってるんだ。相談しようにも相手を選ばなくちゃだし。それにもう……今日で三年になるから」
目を伏せたシエルが小さな声で三年という単語を口にすると、ピットは何かを思い出したように手のひらに拳を打つ。
「そっか、たしかに今日は君たち双子くんの誕生日ですからね。俺も主役の君たちを写真撮影するために夜には屋敷の方に遊びに行く予定で……
ありゃ、困った。主役からこちらにきてしまってますね?」
「一応置き手紙はちゃんと残してきたんだよ? それでも主役が一人見つからないって、いまごろ屋敷は大騒ぎかもね」
いたずらっ子の顔で笑うシエルにピットはしばらく静止したのち、大きな声で笑ってくれた。
「こりゃもう、超大物になること間違いないッスね!」
——仕方ない、君は未来のファントムハイヴ伯爵なわけだし、それならこの俺も未来の収入のためにいくらでも相談にのっちゃいますよ。
なんなら夜は君のパパが貸してくれた馬車で屋敷に送り届けることも可能ッスからね。時間の許す限り、どんどん話してください。
ようやく相談を引き受けてくれる気になったピットに、シエルは改めて内容を伝え直すことにした。
*
弟から想いを告げられて、それから一方的に避けられるようになり、自分も上手く弟との関わり方がわからなくなった。
わからなくなったまま、寄宿学校での忙しい日々、伯爵になる為の勉強……父親の仕事も少しずつ手伝うようになってきたとなれば関わりはさらに薄くなる。だけど、こんなこと弟も自分も相談する相手なんていない。
それでも一人では解決が困難で、八方塞がりな以上、誰か協力者を用意すべきだとシエルは考えた。少なくとも弟と自分の気持ちをフラットにみてくれる存在から一つ二つの助言くらいは欲しかった。
そこでシエルが選んだのがピットだ。
「さてと。君が本当に困ってるってのはわかったッス。ただ一応確認。なんで白羽の矢が俺に?」
まずはそこが知りたいとピットは言う。そこを疑問に思うのは確かに当然のことだろう。
長い話になりそうだからと彼が用意してくれたお茶を一口味わってからシエルは、勿体つけずに答えを述べた。
「貴族じゃないから、かな」
シエルからのが回答にピットは目を丸くする。この答えは予想していなかったようだ。
「もちろんピットが“いい人”だってお父様から良く聞いていたのもあるけど、一番の理由はそれ」
「ふぅむ、なるほど。でもヴィンさんのお仲間なら基本誰でもいい人じゃないっスか?ディーデリヒさんとか、葬儀屋さんとか」
「……うん。その二人は、僕からの相談をちゃんと聞いてくれると思うよ。でも心配かけちゃうし、優しい人達だからさ」
こういう相談をしたら僕が思っている以上に深刻に受け止められそうで、巻き込むのが忍びないんだと、シエルは眉を下げて笑う。
シエルはまだ二人のことはヴィンセントほどはよく知らない。それでも直感的に彼らを相談相手にするのは気が引けると感じた。
ピットやクラウス、ニナ……ヴィンセントの顔は広く、仕事絡みの付き合いがある“お友達”はあの二人以外にも存在する。
けれど、あの二人だけは少し他の“お友達”とは何かが違うようにシエルは思う。情が深い……といえばいいのか。他の言い方をするなら、他人のことで引きづりやすいタイプだと思う。
そんな部分が、少しだけ弟と思い起こされるような何かを感じたからだろうか。もちろん容姿や性格も言動も似ても似つかないけれど。
「ともあれ……ピットなら兄弟同士のこういう拗れたややこしい事情をフラットに見てくれるんじゃないかって思ったんだ。相談する相手は慎重に選んだつもり。僕達のネームバリューやその将来ばかり気にされても嫌だし、余計な詮索を入れられても気分が悪いし、適当な相手に相談したが最後、相談内容を弱みとして握られて、どこで不必要な場所に漏らされるかもわからない。……その点、ピットはいまやジャーナリストの仕事でしっかり稼いでるし、聞き役としても良い耳と目を持ってる。そうなれば情報の扱いもすごく慣れてるって僕の期待も込みってわけ」
だから選んだんだよ。そう語るシエルにピットは目を少し逸らしながらへらりと笑う。
「信頼されてるところアレなんスけど、俺はその、結構口は軽いほうだと思うッスよ?」
「……ピットの口が本当に軽いなら今頃僕はお父様な弱みの一つや二つ引き出せてるはずだよ。でも出来てないってことはそうじゃないってこと、大事なことはちゃんと隠す術をもっている」
「まぁでも嘘をつく時に視線を動かす癖はわかりやすいから、気をつけたほうがいいかもね」と、シエルから付け足された一言に、ピットの肩は跳ねる。図星なのがわかりやすいことを指摘するかシエルは悩んだが、そこまでいう必要ないだろうと目を閉じて、本題に入ることにした。
「プレッシャー感じますけど……要はこれ、恋愛相談ってやつッスよね」
「…………。うん、そんなところ……それくらい軽いものだと思って聞いてもらったほうが僕も気が楽だな」
「はいはい! じゃあまずは質問ッス!」
——ぶっちゃけ、シエル坊ちゃんは弟くんをどう思っているんですか?
さすがは特大スクープをいくつも抑えてきた記者といったところ。一発でこちらが答えづらいと思う鋭い質問を仕掛けてくるなんて、中々のやり手だ。それでもシエルはその質問を楽しむように答えを返す。
「愛しているよ。命に変えても良いくらい大切な存在だと思ってる」
「へえ! それなら答えは弟くんと気持ちは通じ合ってるわけですね」
「……それは少し違う。僕とあの子の“愛している”の意味は同じなようで、そうじゃないと思うんだ」
形も重さも覚悟もそこに詰まっている何もかもが違う。だからあの夜、シエルは弟に「自分も同じ気持ちだ」なんて無責任なことを言いそうになってやめたのだ。その判断は今でも後悔していないし、そればかりはあれでよかったのだと思うことにしていた。
「ま。愛の種類は色々ですからね、そこはあえて言及しないでおくッスよ。それなら次に……」
——シエル坊ちゃんは、弟くんとどんな関係になりたいんスか?
「ああ、意地悪な質問だ」
「すみませんね、あいにく重要なカットは撮り逃さないって決めてるんで」
「……そうだね、ここが一番需要な大見出しになるのは確かだ」
……弟とどんな関係になりたいか。
それはシエルがここ二年以上悩み続けて、それでもまだ答えが出てないものだった。弟から向けられた恋心にこたえることで何もかも解決するわけじゃない。かといってシエルが一方的に弟からの愛情を無碍にして、元通りの仲良し兄弟に戻ろうなんて、そんな自己中心的な幻想を抱くほど子供でもいられなかった。
そのどちらも、あまりに現実味がなかった。第三の選択肢をつくろうにも、シエルにとってそれは簡単にはいかないと感じている部分だ。
「相談を受けた以上はっきりと言います。これはシエル坊ちゃんもわかっていると思いますけど、円満解決は望めないと思うッスよ」
ピット視線も言葉も鋭くて、シエルは無意識に合わせていた目を逸らす。
「弟くんのことはこれでもちゃんと昔から見てきたんスよ。小さい頃は内気でいつもヴィンさんやシエル坊ちゃんの後ろに隠れてた。そもそも部屋に引きこもりがちで、大きくなってからもそれがあるからか口下手で。自信はある程度身についてきたように見えるけど、自分のことをあまり多くは話さないタイプッスよね。
だからいまの話を聞いただけでも……弟くんは相当な覚悟でシエル坊ちゃんに自分の気持ちを打ち明けたことがわかるし、“もう弟ではいられない”ってはっきり拒絶の言葉まで口にしたんスから」
「それも、単なる自暴自棄の類ではないから尚更だって言いたいんでしょ?……そんな相手を下手な言葉で説得したり丸め込もうったって意味はないし、だからこれは僕のコミュニケーション能力の高さでどうこうできる問題じゃないんだ」
本当に打つ手が無くて困っていると、助けを求める目でピットを再び見つめれば、彼はこれは答えが出る前に日が暮れそうだと言いたげに窓の外を見つめる。
日が暮れそうだといっても、冬の寒い空はずっと薄辛くて、そこからすでにどれだけ時間が過ぎたかを読み取ることはできそうもない。
「難しいとわかっていて、やっぱりシエル坊ちゃんは円満な解決を望んでいるんでしょ?」
「……傲慢だよね。それも、弟にとっても僕にとっても円満な解決じゃなくちゃ嫌だ、そしてこれ以上に停滞が続くことも嫌だ。
弟と向き合うこともできずに、ずっとこんな関係が続いていくのだと思うと……もう全部諦めて消えてしまいたいくらいだね」
それくらい弟の存在は僕にとって必要不可欠で大きものなんだと、振り絞るような声でシエルが告げるとそれきりピットは少し黙り込んでいた。
微妙な沈黙が流れていくのにそれを不思議と心地悪いだなんてシエルは思わなかった。
そうして、それなりに長く続いた沈黙を破ったのは、ピットなくしゃみが一つだけ。魔が悪かったとピットが困った顔で笑うものだから、おかげで少しだけ場は和んだ。
「考え続けても答えは出ないッスね。ならもういっそそうやって難しく考えるのを一旦やめてみましょうか」
「……」
「シエル坊ちゃんもいいましたよね、軽いものとして相談乗って欲しいって」
「そう、だったね」
さきほどまで少しずつ視線が下のほうへと下がっていくシエルの顔色良くなると、ピットはその姿を見てなるべく明るい声色で、とびきりの笑顔で質問をした。
「じゃあそんなシエル坊ちゃんに最後に一つ、質問です!」
——いま、弟くんと一番したいことはなんですか? あるいは君が弟くんにしたいことってなんですか?
その質問をされたとき、シエルの停止していた思考はようやく回り始めたような気がした。
答えなんて見つからないと思っていたのに、この質問には不思議とすぐに答えられる。
衝動のまま口を開いて望みを口にしようとしたシエルだったが、ピットに「それは俺に教えてくれなくても良いッスよ」と静止されてしまった。
「せっかくなら、いま思いついたことを今夜にでも仕掛けてしまえばいい。そうそう、君のパパは仕掛けるのも上手だから、きっと君の目論み
も上手くいく!」
何の根拠でそんな言葉が出てくるのか。本当に彼は面白いとシエルは数時間ぶりにまた笑った。そんなシエルの笑顔をみたピットはもっと大きな声で笑いとばした。
「今日はぜひ、双子くんの笑顔溢れるツーショットを撮らせてくださいね!」
その見出しはゴシップやスキャンダルの類の一大のスクープなんかじゃない。それだけはピットにも断言できる。
*
その後、彼らは善は急げとロンドンを出発し、日が暮れる前には屋敷戻ることができた。
そして屋敷につくなり、シエルはすぐにでも弟の姿を探しにいこうとする。
——早く、弟に会いたい。
その一心だった。しかし、そうは簡単に物事は進まない。
書き置き一つでいきなり屋敷から姿を消して、好き放題ピットのところで遊んでいたことを両親と執事長にはすでにばれており、説教を受けることになってしまった。シエルは説教の間、せっかくの誕生日なのに今日に限ってついていないなんて思いつつも、冷静に考えれば当然の報いだろうとも思った。
それに隣では一緒にピットまで説教を受ける羽目になっており、自分よりもついていない様子だ。これは流石にシエルも同情せざるを得ず……だけど、庇おうとすれば話が拗れるのも目に見えていたので助け舟を出したり、擁護ことはできなかった。
でも彼は本当に“良い人”で、シエルの相談内容を決して口にしなかったし、シエルが執事長であるタナカから厳しい言葉をかけられてもヘラヘラと笑いながら庇ってくれさえした。シエルは改めて心の中で彼に感謝の言葉を送った。
……少し長めのお説教が終わるなり、シエルは弟がいる部屋へと急いで向かう。
けれど、そこには弟の姿はすでに無く……近くにいた使用人に確認すれば、パーティー用の服装へ着替えた後は外の空気を吸いにいくと屋敷の外に出てからまだ戻ってきてないのだという。使用人は今日は主役である二人ともすぐに姿を消してばかりで困ると苦笑していた。
弟の行動を聞いたシエルは、行き先としてすぐに思いついた場所があった。確信とまではいかずとも、可能性として最も高い場所。その場所を思い浮かべるなり、シエルは走り出した。
まだお召し替えが済んでおりませんぞ!!と後ろから執事長のタナカが声を張り上げているのに気づいていながら、シエルは絶対に足を止めない。また怒られるかもしれないとシエルは頭の中でわかっていたけど、今だけは止まれなかった。
外に飛び出したシエルが向かった先は、あの日、弟が自分に想いを伝えてくれた場所だ。
屋敷からそう遠くはないが、少し離れた場所に位置する見晴らしのいいその場所は、冬の空に浮かぶ星々がよく見える。
本来であれば、夕方を過ぎ、暗闇に包まれるこの時間帯に人の気配などするはずがない。
けれどシエルが辿り着いたその静かな場所には、人影が一つ、確かに存在していた。
「……やっぱりここにいた」
息を切らしたシエルが声を漏らすと、そっとその人物はこちらを振り返る。
せっかく今夜のパーティー用に仕立てられた衣装を身に纏っていながら地べたに座り込んでただ空を眺めいた弟は、シエルを視界に入れるなり「……放っておいてくれ」なんてそっけないことを言う。
しかしシエルはそんな言葉は耳に入れず、問答無用で弟の隣に腰を下ろすことにした。
なんで、こんなところにいるんだ。
いまにもそう文句を言いたそうな弟をシエルはただ無言で見つめた。弟はきっとシエルがこの場所に来ることも、隣に座ることも予想していなかったのだろう。早々に距離を取ろうとしてきている。
そして当然色々と吹っ切れてようやく弟と向き合うためにきたシエルは、ここで弟を逃すわけにはいかない。しかし意思の強さは弟も同じようだ。
今にも立ち上がってこの場を去ってしまいそうな弟をシエルが引き留めようとすれば、弟はそれを振り払ってでも立ちあがろうとする。……だからシエルは負けじとそれを引き留めるべく、思い切ってわざと弟がここを離れられない状況をつくることにした。
引き留めた腕は簡単に振り払われて、弟はすぐに立ち上がる。だからシエルもその背中を追いかけるようと立ち上がった。しかし方向転換がうまくいかず体勢を崩してしまう。
シエルはその場に倒れ込んだ、もちろんこの流れは全部わざとだ。それでもその場を去ろうとしていた弟はすぐにこちらを振り返った。
シエルは畳み掛けるために、倒れた身体を起こし、立ちあがろうとした瞬間にまたその場にへたり込んで見せる。顔をほんの少し歪めて足を押さえている姿を見せつければこんなの弟には効果抜群だ。
シエルはあえて声はあげない。けれど、足を挫いたととられるには十分なその動きから情報は十分に出揃っているし、頭の回転の速い弟には状況整理など容易いだろう。
けれどここまでしては、流石にあからさますぎて逆に見抜かれるかもしれない。内心うまくいくか不安に思うシエルだが、その不安は一瞬で掻き消された。
「……シエル…っ……!!」
久しぶりに聞いた、弟が自分を呼ぶ声はどこまでも優しい。その事実にシエルは自分の目頭が熱く、そして口角が緩みそうになるのを堪えた。
弟はすぐにシエルの元に戻ってきて、転んだ際にシエルの頬についた汚れを拭いながら「足を挫いたのか」と聞いてきた。心配の一色で染まったその瞳に見つめられるのは少し罪悪感を感じたが、シエルは「大したことないよ、これくらい平気」と笑顔を返して見せた。これはもちろん、そんな風に言われた弟が“余計に放って置けなくなる”とわかっていた上での発言だ。シエルの行いはどこまでも非紳士的だ。それでも、弟とちゃんと話ができるこの機会をつくりあげた。
……あとでいくら怒られたって構わないから、だから、いまだけはごめんね。卑怯な僕を許してね。
「屋敷まで戻って見てもらおう。今日はアン叔母様もくるし、屋敷までは僕が支えるから」
「…………」
「シエル?おい、聞いてるのか……シエル?」
あの日を境にシエルは弟とまともに会話ができなかった。弟はシエルを避けて目さえあまり合わせてくれなくて。日々の挨拶でさえおざなりで。目を見て話す機会なんて全然なくて、それなのに話しかけようとするたびに「弟ではいられない」と言われたあの一言が頭をよぎって、全然上手くいかなくて。
だからこんな些細なきっかけで弟が自分の名前を何度も呼んでくれることにやっぱり、自分の表情をうまく隠せなかった。
「なんで、そんな顔をするんだ」
シエルの隠せなかった表情を、涙に濡れるその姿を見て狼狽える弟に、シエルはもう止まることなどできず、衝動的に弟に飛びついた。
咄嗟のことだったのに弟はそれを抱き止めてくれる。小さな頃だったらすんなりシエルに押し負けて後ろに倒れしまっていただろうに。いつのまに大きくなってしまったのだろうか。
溢れる涙の止め方がわからなくて、シエルは弟を強く抱き締めた。
「ごめん。急に泣かれたって意味がわからないよね、ごめんね……ちゃんと、話そうって決めてたのに。お前を困らせるようなことしたくなかったのに、ごめんね」
震えた声で泣きながらシエルがごめんねと何度も謝る中、抱き締められるままだった弟は何も言わなかった。何も言わなかったけれど、いつの間に弱々しく震えるその背中に手を回して、シエルが泣き止むまで優しく撫でて、抱きしめてくれた。
なんで弟がそんなことをしてくれるのか、シエルにはわからなかった。考える暇なんてない。けれどあともう少しだけと、涙が落ち着いたあともシエルはしばらく弟に甘えていた。
それでも、時間は有限で、いつまでもこうしているわけにはいかないので、シエルはなんとか気持ちを切り替えて、鼻を小さく鳴らして咳払いをする。
するとそれを合図にシエルを抱きしめていた弟の力は緩み、それが名残惜しくてたまらな気持ちをシエルはぐっと堪えて、弟の瞳を見つめる。今度こそ感情的にならず、ちゃんと弟と話をするために。ちゃんと向き合うために。
まずは大好きな弟の名前を、久しぶりに口にした。
「ーーーー。ーーーー」
シエルが噛み締めるように、その名前を呼ぶと弟は少し居心地が悪そうに目を逸らす。だけどその瞳にはちゃんとシエルが映る。それだけでシエルは十分だと柔らかい笑みをこぼした。その仕草こそ弟らしいのだから。
「……僕はお前を、誰よりも愛しているよ」
シエルの愛の告白は、その凜とした声色と曇りのない穏やかな表情が嘘でないことを引き立てていた。まだ薄く涙の膜が張って煌めく瞳はどんな星空よりも美しく、その瞳はただ弟だけを見つめていた。目を逸らしていた弟は、告白を受け、そしてその瞳に釘付けとなる。
けれどその告白を簡単には受けいられない様子で、今にもシエルの言葉を否定しそうな険しい表情に変わっていく。しかしシエルもそんな否定をする時間など絶対に与えないと強い意志で行動する。
行き場を失っていた弟の両手をすくって、絡めるように握れば逃げ場なんてもうない。それだけに飽き足らず、シエルもう一歩弟と距離を縮めた。目を逸らそうたってこの距離感からは逃れられないだろう。
逃げ場を失った弟は、小さくて苦しそうな声で「今さら何を」と一言だけ告げた。シエルはそれに「遅くなってごめんね」と返す。
「だけど信じて欲しい。この言葉に嘘偽りはないよ。お前のことを本当に愛しているんだ。……あの日も本当はお前にそう言いたかった……ずっと言いたかった」
——だけど、言えなかった。
シエルが弟に一番したかったこと、それはこの告白だった。愛していると伝えることだ。
今から言うことを弟に告げたら、弟を傷つけてしまうのではないかとあの日と同じ迷いがシエルに重くのしかかる。けれど、もうあの日の自分じゃない。どんな関係になりたいかじゃない、僕が弟に何をしたいか、弟とこれから何をしていきたいかその方が重要だと気づかせてもらったから。
「それから、これもちゃんと話しておかなくちゃいけないんだ。……僕がお前に伝えたいこの気持ちは、“お前が僕に伝えてくれたものとは少し違う”」
それがシエルが弟にこの気持ちを伝えるか躊躇った理由だ。
「お前は、こんな告白望んでないかもしれないって思った。同じ気持ちを返さないのに、愛してるなんて身勝手に伝えたらお前を傷つけるかもしれないし、お前を困らせたくなかった」
「……さきにシエルを困らせたのは僕の方だ、シエルがそんなことを気にする必要なんてないし、シエルが僕に合わせてそんな告白をする必要もないだろう」
シエルの言葉に弟はついてきてくれているが、まだどこかそっけない。シエルの言葉はちゃんと伝わっているはずなのに、まだ弟は向き合ってくれそうにない。あともう少しの歩みが足りない。焦りそうになるシエルだったが、気を早めないように、少しだけ弟の背にある空を見つめた。
そして自分達の様子を空の上から見守るばかりの星々に祈った。どうかこの子が少しだけでも僕を見て、心を開いてくれるようにと。
「確かにお前の言う通り、こんな回りくどいことをする必要はなかったのかもね。……それでも、僕が誰よりもお前のことを愛していることをお前に知って欲しかった。
お前も、そう思ったからあの日僕に“愛してる”ってそう言ってくれたんじゃないの……?」
——僕は、あの日お前からもらった“愛してる”って一言が、いままで生きてきた中で一番嬉しかったよ。
弟はようやくシエルを見た。シエルと同じお揃いの青い瞳を見開いて、驚いた顔をしていた。シエルの言葉が多少なり図星だったのだろう。頭の中では理解しているだろうに、まだ感情のコントロールがうまくいっていないような、その姿がシエルは愛おしいと思った。
「ねえ、ーーーー。いまのお前の気持ちを教えて。……僕はその全てを肯定する、お前の気持ちを否定しない。お前を愛しているこの気持ちだって、絶対に揺らがないから」
繋いだ手をもう一度に握り直して笑顔で弟の言葉を待っていると、弟は「僕は、」と話し出したところで、弟の瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
それは弟にとって不可抗力なものだったみたいで、何が起きているのかわからないらしく、「ちがう、これは、」と慌てているその姿にシエルは自然と笑みがこぼれた。
「泣いてる」
「っ……泣いてなんかない!!」
否定する必要なんてないのに、泣きながら泣いてないだなんて言う弟はなんといじらしいことか。けれど、泣いてばかりでは格好がつかないと泣いたままでもすぐに切り替えようとして、シエルの方を負けじにじっと見つめるその姿は勇敢だった。
「僕は……今でも、シエルに対しての気持ちは変わらない。だけどやっぱり肯定なんてされたくない。実の兄にこんな感情を抱く僕を、僕は自分自身が許せないんだ、それに」
「もう、そうじゃないでしょ、ばか」
「は……はぁ!?」
口を尖らせて文句を言うシエルに弟は涙も引っ込んでしまう。この兄は一体何を言うのだと今度は弟からシエルに文句が飛んできそうだ。しかしさきに口を開いのはシエルの方だった。
「僕は“いまのお前の気持ちを教えて”ってそう言ったんだよ?」
「それ、は…………。……っ…」
「だめ、ここで逃げるなんて絶対に許さないから。ちゃんと、教えて」
顔をグッと近づけて絶対に逃さないと視線を決して外さないシエルに弟はしばらく言葉を閉ざしている。しかし、その長く続きそうな攻防戦の勝敗はすぐについてしまうことになる。
あまりにも近すぎるその距離は曲がりなりにもシエルに恋心を抱いている弟には刺激が強すぎた。じわじわと頬が赤く染まっていた。
その姿にシエルがキュンとしたのはほんの一瞬で「可愛い顔をしている」などと口を開くことはできなかった。
……自分の気持ちを言葉にすることを拒んだ弟が、まさか行動で示してくるだなんてシエルには予想外だ。
ただでさえ近い距離にあった二人の唇は弟から身を乗り出せばすぐに重なってしまった。唇が触れ合う瞬間、キッとこちらを睨みつける弟の瞳が視界いっぱいに広がった。
そして弟はそれだけでは飽き足らず、何度も何度も角度を変えてキスを繰り返した。そのせいで何か言おうにもシエルの思考はうまく回らないず、現在進行形でされているキスのことでいっぱいだ。
キスの合間に弟の名前を呼ぼうものなら、開いたその口を更に塞がれて、シエルからはぐぐもった声と鼻にかかった小さな喘ぎだけが漏れ出す。口の中を好き勝手に舐められたりなぞられたりされた。シエルがこんなことをされるのはもちろん初めてで、初めての相手がこの弟だ。
けれど不思議と不快感は一切なく逃げ出そうとも思わず、弟からのそれを最後まで抵抗なく受け入れてしまった。嫌じゃないどころじゃない。弟からの愛情を、身をもって解らされてシエルは深く満たされてしまっていた。
それでも初めて弟と交わしたキスは思ったよりも濃厚なものになってしまって、シエルはキスが終わったあとも少し惚けてしまう。予想外のことで体温も上がり、頬が赤らんでさえいた。ぼうっとしたまま、シエルが自分の唇をなぞりながら弟を見ていると、弟も同じように頬の色を薄桃色に染めている姿が目に入る。シエルよりは落ち着いていて、案外すっきりした顔をしていた。
「僕の気持ちは、いま行動で示した通りだ」
はっきりと弟はそう告げた。ただ“愛している”ともう一度その言葉を聞きたかっただけだったシエルとしては想定していなかった展開だが、不思議と悪い気持ちにもならず文句を言いたい気分にもならない。行動で示されたものも、そこにある気持ちの大きさもすっかり理解させられてしまっただろう。ずるい弟だ、とシエルはそう思いながら笑った。
「……言葉で、教えてくれたらいいのに」
「…………。シエルは何か勘違いをしていそうだから、こうした方が手っ取り早いと思っただけだ。それなのに、」
——なんで、そんな平気そうな顔をするんだよ。
弟は苦しさを吐き出すようにそう話す。
しかし当のシエルは何を一体勘違いするというのだと、そう言いたげに目を丸くした。そんなシエルを余計弟は睨みつける。それでも尚、シエルは何もわかっていない様子なのが気に入らないらしく、弟は苛立った様子でシエルの肩を掴んだ。
「自分が何をされたかわかってないのか? 恋人でもない、ましてや血の繋がった兄弟に、こんな感情抱かれて、あんな穢らわしいことをされておいて、どうしてそんな満たされたみたいな顔……っ……確かにシエルは僕のことを愛してくれているのかも知れない。でも、ただの弟だとしか思ってないくせに、簡単に僕のことを受け入れようとするな!!」
怒っている。弟がすごく怒っている。
シエルは、まさか弟にここまで強く怒られるとは思っておらず、その勢いに押し負けそうになる。けれど、ここで謝罪しても意味はなく、沈黙を貫いてもまたこれも意味はない。
話を要約すると、恐らく弟は、シエルが弟と同じ恋心を抱いているわけでもないのに、簡単にさきほどの熱烈なキスを受け入れたり、満足した顔をしたことが不満らしい。確かに同じ気持ちを返してない。だけどそれが不誠実な行い……になるのは納得がいかないとシエルは思う。キスをしてきたのは弟の方だし、僕は可愛い弟から何をされたって喜んでしまう、それだけなのに、とシエルは頭を悩ませた。
長く考えても結局出せる答えはひとつ。弟が正直に自分の感情をぶつけてくれているのなら僕もそれに返すだけだと、シエルは弟を強気に見つめ返した。
「僕はお前のことがただ愛おしいだけだよ。確かにお前を恋愛対象として見てないし、それを今すぐどうこうはできないけど……。
それでもお前から向けられる感情はどんなものでも嬉しいし、何をされたって喜んでしまうよ」
この兄は一体何を言い出すのだと弟は怒りの中に困惑を浮かべた表情を浮かべる。一般的な価値観では、恋愛対象にならない相手からのキスを平気で受け入れて喜ぶだなんてまず訳がわからない。弟にとってシエルの言葉は得体が知れず、気味の悪ささえ感じるものだった。それでもシエルからの言葉に嘘偽りは感じられなかった。だからこそ弟はシエルのいうことが益々理解できそうにない。
そんないまいちわかっていない様子の弟にシエルは不満げな顔をした。
「……じゃあ意地悪なことを聞くけど。
お前は、僕がお前のことを拒絶する姿を望んでいたの? だからあんなことをしたっていうの?」
——他人を自分の納得の為に使うなんて、非紳士的にほどがあるよ。
その言葉に弟は多少なら自覚があったのか、目を伏せる。その方が幾分か都合がいいと弟が思ってしまうのは無理はない。シエルからはっきりと拒絶されてしまったほうが、弟は幾分かすっきりした気持ちになれるだろうから。
それでもシエルは、そんな弟を認めない。
鋭い瞳を弟に向けると、そっと顔上げた弟は“あの日”によく似た今にも泣きそうなに顔をしていた。
「シエルは、僕に何を望んでるんだ」
訳がわからないと弟は言いたげだった。だからシエルはもう一度、弟の手をとってなるべく優しく握る。長く外にいるせいでお互いの手はすっかり冷え切っていた。
「僕はお前に何も望んでないよ、ただお前にはお前のままでいて欲しいだけ。自分を否定しないで、ついでに僕のことも拒絶しないで、願うなら僕に愛されて、僕を愛してくれるままでいてほしい」
「なんだそれ……めちゃくちゃだ」
「お前だって僕に負けないくらいめちゃくちゃなことを言ってたよ…………でも仕方がないよね」
シエルは弟の顔を見て、そっとおでこをくっつけて微笑む。
——僕たちは写し鏡みたいに姿がそっくりな双子なのに、考えてることも抱えているものも何もかも違う、一人と一人なんだから。
——だけどさ、一人と一人に分かれているからこそ、一緒にいられることがすごく幸せだと思ったし、愛おしいと思い募らせて、相手に伝えるこの時間が何よりも尊いものだと思えたんだよ。
——僕達がお互いに向ける感情は、別に同じじゃなくたっていいでしょ?
——僕はお前が大好きで、お前も僕が大好きなだけ。一人で深く考えすぎて、自分や相手を否定したり拒絶するより、たくさん二人で時間をかけて向き合って、お互いのことを理解して受け入れたほうがよっぽど建設的だと思うしね。
「……ねぇ、お前はどう思う? やっぱり僕の言っていることはめちゃくちゃで、理解できない?」
シエルの言葉に弟はすぐに首を振ってくれた。その姿に思わずシエルが瞳に涙を浮かべると、弟はそれを見て困ったように笑う。
「シエルの言ってることはやっぱりめちゃくちゃだ。めちゃくちゃ過ぎて、こんなの常人には絶対理解できないだろうな……」
「“常人”には、ね?」
「そう、“常人”には」
——あいにく、僕はめちゃくちゃな兄をもつ、めちゃくちゃな弟だから。同類として多少は理解及ぶところもある……ってところだな。
ふんと鼻を鳴らす弟にシエルは笑い声を上げた。その笑い声を聞いたシエルも同じように笑う。
そうやって、たくさん笑い飛ばしたその後は、お互いの目を見合わせた。
「もう“弟ではいられない”なんて二度と言わせないからね、お前は僕だけの可愛い弟で、僕はお前だけの“最高のお兄様”だって事実をこれから何度だってわからせてあげるよ」
「ふん、望むところだ。シエルの方こそ覚悟しろよ。僕のことを“ただの可愛い弟”だと思えなくなるくらい振り回してみせるから。いつまで余裕のあるお兄様でいられるか見ものだ」
お互いに向けた言葉の中身は全然違うのに、挑戦的なその表情だけは鏡を見ているようにそっくりだった。
三年越しの二人の告白と仲直りの姿を見届けた空の上の星々は、彼らを祝福するように何度も降り注ぐ。
その美しい景色の中、二人はもう一度くだけた笑顔で笑い合った。
……そして、楽しげな二人の笑い声の後には、可愛らしいくしゃみが重なる。
あまりの白熱した会話ですっかり寒さを忘れた二人だったが、それよりもお互いのことを見合わせて、同じように微妙な顔を浮かべる。
「「まずい、屋敷早く戻らないと」」
全く同じ言葉を口にした二人は、屋敷の方へと駆け出した。
*
「やっぱりさっき足を挫いたのは演技だったんだな……」
「心配させてごめんね、でもお前がすぐにそばまで来てくれて本当に嬉しかったよ。久しぶりに名前も呼んでもらえたし」
「……名前なんて、これからいくらでも」
「〜〜〜〜っ!!」
「そんな期待の眼差しでこっちを見るな、もう、ほらケーキ、いちごのやつ食べるんだろ!」
パーティーホールでくすくすと笑い合いながらケーキを食べさせ合うその姿は二年ぶりに見る光景で、父親であるヴィンセントにとっては不思議なものだった。
「……あの子達、いつのまに仲直りしたんだろう」
どうやら喧嘩をしてしまったようだと彼らの母親のレイチェルはずっと心配をしていたが、二人も既に年頃だったこともあり、変に親が間に入って余計に拗れるようなことになるのはよくないからと。しばらくは様子を見ようと提案したのはヴィンセントだ。
けれど、今回の寄宿学校のホリデーによる帰省でも一向に仲違いしたままの二人を見て、三年も経ってしまうのでは流石に二人だけの問題しておくの良くないだろうと、助け舟としてそろそろタナカに仲裁を頼むべきかと考えていたところだった。
それなのに少し目を離していただけの間に、二人は元通り……いや元の関係よりももっと自然体ないい距離感の仲良し兄弟になっているではないか。
少なくとも、朝まではお互いに思い詰めた表情をしていて、話しかけづらそうな雰囲気を出していたはずなのに。屋敷を勝手に抜け出して、戻ってきたタナカからこっぴどく叱られた後からすでにあの状態だ。
我が子ながら本当に不思議でならないとヴィンセントは目を丸くしたまま瞬かせた後、目を細める。
「もしかして君は何か知ってるんじゃないの、ピット」
パーティーで出されるごちそうを味わっていたピットは突然話を振られたことに慌てて喉を詰まらせた。そして今にも苦しそうに胸元を抑えるその姿を見かねた屋敷のハウスメイドから、差し出された水をぐっと飲み干すと、大きな息を吐いた。
「わかりやすいくらい図星だね。それにしても珍しいこともあるもんだ、君があの子達の仲裁をするなんて」
「いやいや、仲裁なんてそんな大したことしてないッスよ」
誤魔化すようにへらりと笑って、目を僅かに逸らしたその“嘘をついている”動きはあっさりとヴィンセントに見抜かれた。
「ふぅん、俺に隠し事するなんてピットも随分偉くなったものだね?」
「ちょ、ちょっと! 隠し事ってほどのことでも……その怖い目はやめて、そんな目で見ないでくださいってば〜〜〜!!」
「はは、冗談だよ」
ニコニコと笑って両手を上げるヴィンセントに、この人の冗談は半分以上は洒落にならないことの方が多いのに……!!とピットは頭の中で叫ぶ。決して口にはしないけれど、本当に英国にいる限り一番敵には回したくない相手だ。
「おおよそ、シエルから何かいい報酬でもちらつかされたんだろうけど」
「あ、そうそう、シエル坊ちゃん! 本当にヴィンさんの悪いところばっかり似てきてて」
「へえ〜〜悪いところ」
「じょ、冗談ッスよ、もちろん!!」
ピットが何か失言をするたびにヴィンセントはニコニコと笑みを深くする。ひばりが一匹で慌てふためく姿を見るのは誰だって面白くて飽きないからだ。
しかしこのままヴィンセントと話を続けるボロばかり出てしまいそうなピットは、咳払いをして話を逸らすことにした。
「さて、俺はそろそろ報酬をもらいにいってきますかね」
「……本当に報酬をもらうんだ。一体どんな報酬を?」
ヴィンセントの問いにピットはにっこりと歯を見せた笑顔で返した。
「それは当然、“双子くんの笑顔溢れるツーショット”ッス!」
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