納品
昔から、何となくあいつのことは気に食わなかった。
大人達からの期待をそつなく受け流す姿。何も知らぬ子供のようでいて、その幼い笑顔の裏に何か得も知れぬものを覗かせる振る舞い。
そしてなにより許せないのは、自分の可愛い妹の婚約者という立場だ。
こんなやつに大事な妹を嫁がせるだなんて、そんな現実を受け入れることなどできるわけがない!
親同士の手によって決められた相手と婚約するのが当たり前の時代とはいえ、もっと他に相手がいるだろう。なんなら妹がもっと大きくなってから……自分のように妹を命に変えてでも守り抜く覚悟を持ち、何よりも妹を大切にしてくれる良い人に出会って、そして恋に落ちたのなら、そのときは兄として全力で応援もしたくなるものなのだが……。
ああでも、そんなことを本気で口にしようものなら、恋愛小説や御伽話にうつつを抜かすなと何かと厳しい母に叱られてしまうのがオチだろう。
けれど、例えそれらが存在はしないフィクションの世界であっても、妹にはあれくらい幸せで満ちたハッピーエンドを掴んで欲しいと思ってしまう。それが妹を大事に思う兄としての性だろう。なんたって俺は目に入れたって痛くないほど、妹のことを溺愛しているのだから。
そんな大切な妹の婚約者であるあいつに、自分は顔を合わせる度に牽制してばかりだった。
……それでも、あいつとは同じ兄という立場として意見が合うことが何度かあったんだ。
思えば、“名門伯爵家を継ぐ長男”ではなく、兄の姿で話すときのあいつはいつも別人のようだった……気がする。同じ兄としての直観的なものだが。
自分と同等のものをもっていたのかはさておき、弟を愛して大切にしているのは側から見ていてもすごくわかりやすかった方だと思う。
ある時は、可愛い妹からの誘いを断ったものだから何事かと思えば、弟が病で倒れ何日も目を覚さないから付き添いたいと言う理由であったり。またあるときは家族ぐるみで出かけた時、帰りの馬車で疲れて眠ってしまっただろう弟のことを寝かしつけていたり。
ああ、お前もちゃんとお兄ちゃんなんだなと、そう思わせる瞬間が何度もあったのだ。
弟の世話を焼くときのあいつの姿を直接見る機会はあまり多くはなかったが、きっと普段からそうだったことは十分に伺えた。
そして弟を見つめる時の一際穏やかになる表情は、不思議と柔らかい印象をこちらに与えた。なんというか、とにかく嬉しそうなのがわかりやすい。妹以外は普段目に入らない自分でさえ、気づいてしまうほどだったといえばとてもわかりやすい表現になるだろう。
顔を合わせれば、可愛い妹を嫁にくれてたまるものかと必死になってしまう自分に、いつの日かあいつは困った顔をしながらも「僕が言ってもエドワードは怒るかもしれないけど」なんて前置きを口にながら……シエルはこう言っていた。
「エドワードの気持ちは、正直言ってすごくわかるんだ。僕も、大切な弟の婚約者が本人の意思に関係なく、勝手に決められてしまったらきっと気が気じゃないし、そんな何処の馬の骨かもわからない誰かを簡単には認められないと思うから。……ましてや本人がそんな策略のような婚約を当たり前のように喜んで、恋だ愛だなんて口にしてはしゃいでいたら、僕はすごく心配になるよ」
シエルの話には、あまりにも同意し過ぎて言葉がすぐには出てこなかったし、結局「お前が言うな!」などとあいつの想定していただろう言葉しか紡げなかった。それなのにシエルは「うん、ごめんね」なんてやはり困ったように笑うのだった。
「でもさ、弟の幸せを願うのは、兄として当然のこと……なんて言いながら、その本心は僕がずっとあの子のそばにいたい、あの子の幸せをずっと守り続けたいっていうわがままな気持ちもあるから。僕達お兄ちゃんは結局のところ、ただのお節介な存在でしかないのかもね」
ーーーーそれでも、あの子が愛おしいから。お節介だとしても、煙たがられても、嫌われてしまっても、僕はあの子の兄で、それはこの先も変わらない事実だから。
……あの子を一番大切にして、守ってあげられるのは、兄であるこの僕だけだと、そう思い続けていたいんだ。例えそれが独りよがりでもね。
続けられた言葉にもやはりどこかで同意を示してしまいそうになるから、また気に食わない気持ちが溢れた。自分の妹を嫁にもらう立場でそんな言葉を俺に聞かせるなと苛立ってしまう。本当に憎らしい。腹が立って仕方がない。
まぁでも、もしこいつの弟に婚約者ができて、結婚をしてしまったその日が来たのなら。
そのときはひとしきり哀れな姿を笑って、俺がこうしてシエルが口にする兄としての性を聞いてやるのも悪くないなどと、その時は思っていたのだ。
……残念ながら、その日が訪れることは永遠に無くなってしまったが。
*
「お前だけが来るなんて、珍しいこともあるな」
一体どう言う風の吹き回しだと、家督をすでに継ぎ伯爵となったあいつは仏頂面のまま、じとりとこちらを見つめる。昔と比べるとこいつの態度はもはや別人のそれだ。
昔はもう少し愛想が良かった気もするのだが、こちらに余計な気遣いを向けてこなくなったのは信頼の証なのか何なのか、どちらにしてもその態度は今日も今日とて気に食わない。けれど一々苛立ってはいられないので、ふんと鼻を鳴らすだけにとどめておいた。
「生憎、妹は朝から忙しくしてるんだ。今日は」
「マダム・レッドと街へ出かけるんだろう、新作のドレスを物色するとかなんとか」
「なぜお前が妹の同行を知っている!さてはお前リジーに発信機でも取り付けてるのか?!」
「この間屋敷に来たときそう言っていたのを聞いただけだ。あらぬ誤解を生むんじゃない」
全く、どうしてこうもこの兄妹は揃ってやかましいんだ……と小さな声で小言を口にするシエルを再度怒鳴りつけたいのも山々だが、やはりこのままでは話が進まない。こちらがいくら声を荒げようとも、冷静さを保ったまま淡々と話をする姿は年相応の子供からはかけ離れた大人ぶったものだった。
あの事件があってから、少し雰囲気が変わったと妹も口にしていたが、本当にあの頃とは何もかも違うようにさえ思う。
……それもそうか。両親を奪われて、屋敷を燃やされて、自分も長い間酷い仕打ちを受けて……なによりも、彼はあんなに大切にしていた最愛の弟を傍にいながら守ることができなかったのだから。
全てを奪われた人間がどうなるかなど、未熟な自分にはそう簡単に想像できない。
シエルから事件の話を直接聞いたことはなかった。当時、自分は既に寄宿学校へ身を置いていて、事件のことは母からの手紙で知ったくらい。あの頃の自分は、彼に何もしてあげられなかった。
帰省の時にも直接両親から詳細を聞くことはできていたのに、それでもかけられる言葉がすぐに思いつかなかったことを今さら悔いることなど彼に失礼だろう。
シエルだけでも生きててくれてよかったと涙をこぼす妹を宥めるその傍で、ただ俺はもし自分が同じ目にあったなら、と考えていた。
俺は、彼のようにすぐに立ち直ることができただろうか。何もかもを奪われて、最愛の妹を失った自分はこんな風に平然を装えるのだろうか。尊敬する両親がいなくなってすぐに家督を……伯爵という身分、女王の番犬という責務の重圧に耐えることなど、やはり想像もできない。
自分よりも妹よりも、さらに年下の彼にはどう考えたって荷が重すぎた。
そうして考え込んでいるうちに、妹を取られぬように行うこの牽制でさえ、彼は一体どういう思いで受けているのかと余計なことで頭がいっぱいになりそうで、そんな状態で彼とまともに会話などできるわけがなかった。そもそも、そんな風に気を遣われることをシエルが望まないことなど流石の自分でもわかっていた。
だからこそ、自分は普段通りに接することを選んだ。そうやって楽な方に転がってしまった。
こいつと話していると、こいつと向き合おうすればするほど、自分の未熟な部分が目立つようで、それに否が応でも気付かされる。それがすごく悔しかった。
「それで一体今日は何の用なんだ。僕もあまり暇じゃないんだが」
「……ふん、忙しいところ邪魔して悪かったな。今日は、ただこれを渡しに来ただけだ」
そういって取り出した木製の小箱をシエルの目の前に置くと、彼は訝しげに「なんだこれは」とたずねてきた。開ければわかるだろうと促せば、静かに箱の中身を確かめるシエルの様子を見ていた。
中に入っているのは銀細工が施してある指輪が一つだけ。貴族が着けるような煌びやかさはないものの、控えめだからこその美しさがある。ワンポイントとして飾られた小ぶりの青い宝石が印象的な指輪だ。……確か内側には彼の弟のイニシャルが彫られていた。
しかし、当の本人はこの指輪のことを覚えていないのか、指輪をじっと見つめたまま黙り込んでしまう。
「覚えていないのか?数年前、お前が注文した品だぞ」
それは以前、妹の誕生日プレゼントを選ぶとき、たまたま一緒に街に着いてくることになったシエルが目を止めて購入していたものだ。人気があったのか、その場にはサンプル品しか置いておらず、それならば職人に直接注文したいなどと言い出すほどそのデザインを彼は気に入っていた。
けれど幼い子どもが買うには少し不相応で、まさかそれを自分の妹に送ろうとしているのかと嫌な勘ぐりまで働いていたが……注文をする際に口にしていたイニシャルは彼の弟のもので間違いなかった。いやそれでも、当時は九つの子供が弟へ贈るプレゼントが指輪なのは益々どうかとも思ったが。
金額だってそれなりにするのを同伴の父親に「出世払いする」だのとせがんでまで購入したがるのだから、余計な指摘をするものはもういなかった。幸い、貴族としてそれなり甘やかされてはいた彼は無事に注文と先払いで会計を済ませると上機嫌だった。
その指輪を手がける職人の都合で、出来上がるには数ヶ月ほどかかることになっていたが、ちょうど彼らが十歳を迎える誕生月になるらしく、彼は良いタイミングで渡せたら嬉しいなんて口にしていた。
ーーーー将来的に、僕とお揃いになる予定なんだよ。
そう語るシエルに、隣にいる彼の父親は「ああ、なるほどね」と自分の指に嵌められている青い指輪を見ていた。自分も口にはしなかったが、なぜそんな年齢に不相応な代物を欲しがったのかようやく合点がいったのを覚えている。
だが、その数週間後、例の職人が病にふせて倒れてしまったのだ。当然納期は遅れることとなり、彼らの誕生日にも間に合わなくなってしまった。
そして、彼らの誕生日もまたあの事件のせいで台無しとなり、依頼主の生死は不明のまま、ただ時間だけが流れていく中、皮肉にもたまたまあの指輪が完成したのだった。
しかし受取人の生死が不明かつ屋敷も燃えてしまったとなればあの指輪は行く宛を失ってしまう。困っていた職人から当時それを預かることになったのが自分だった。自分が妹に送る髪飾りを購入した際に書き残した連絡先を頼りに、あの日、あの場へ一緒にいた自分に預かってもらえないかと店の店主が届け来てくれたのだ。
かといって、自分も普段は寄宿学校に身を置いているから、なかなかこれを届けにいく機会はないままさらに時間ばかり過ぎてしまった。正直そんなのはただの言い訳で、この指輪を注文する時の彼の様子を見ていたからこそ、弟に贈るのをいまがいまかと楽しみにしていた彼を知っていたからこそ、これを渡したら彼を余計に傷つけてしまうのではないかと躊躇ってしまっていた。
それでも……やはりこれは、自分が持っているものでもないのだ。
自分が預かったいたことも含め、彼が忘れているのかもしれないと当時のことの経緯を説明するのをシエルは黙って聞いていた。
「弟に、贈りたかったんだろう。いまさら渡すのもどうかと思ったんだが……お前にとってはきっと大切なものだろうから」
今日の用事はそれだけだと、そのままあとは立ち去るだけの自分にシエルは声をかけた。やはりどこか動揺している様子なのが気がかりで振り返れば、彼は見たこともない顔をしていた。まるで今にも泣き出すのではと思うほど張り詰めた何かを浮かべていた。
「……ありがとう」
シエルはただお礼を言った。その一言だけであとは何も言わないまま、手の何ある指輪を静かに見つめていた。思うことは色々あるに決まっている。
これ以上長居をする理由など見つけられず、足早にその場を去ることにした。
彼のいる部屋を離れる時、小さく聞こえた嗚咽がどうしてか耳に張り付いて、しばらく離れなかった。
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