シエシエ ワンライ詰め





「……っ……けほ……」

 小さな咳をした弟は、口元を抑えていた手を外し読書する手を止めた。咳は朝に比べればまだ酷いものではないけれど、喉がむず痒いような気がする。軽く咳払いをしてみたけれど、治る気配もないそれに弟はため息をつく。
 日中は悪さしていなかった症状が、陽の落ちた夕暮れ時になるとたまにこうして酷くなることは、弟にとってよくあることといえばそうだっが、せっかく治りかけた風邪がまた悪化してしまうのだろうかと嫌気がさす。

——水を飲めば、少しはよくなるかな。あ、厨房には確かのど飴があったよね。蜂蜜とレモンの。あれがいいかもしれない。

 嫌な気分になってしまったせいか、気になって仕方ない喉のむず痒さを解消するべく、本に栞を挟んだ弟は、部屋の外に出ようと立ちあがる。そのままドアノブに手をかけると、扉は弟が開ける前に向こう側の人物によって開かれた。

「びっくりした、誰かと思ったらシエルか」
「僕も驚いたよ、こんなこともあるんだね」

 扉の前にいたのはシエルだった。ちょうど外から戻ってきていたらしい。さきほどまで庭で飼い犬のセバスチャンと遊んでいたようだけど、日も暮れたいい時間だしきっと誰かから部屋に入るように言われたのだろう。

「それで、お前はどこにいこうとしてたの?」
「少し喉が……喉が渇いたから水をもらいにいこうかなって」

 弟は目の前のシエルに心配されるのを躊躇い、咄嗟に自分の発言に小さな嘘を紛れ込ませる。ほとんど無意識に、自の口から勝手に出てしまう誤魔化しの言葉はつい最近の癖だった。

 だってシエルに心配をかけたくない。

 昨日までだってたくさん心配をかけた。ベッドから起き上がれなかった弟に、シエルは何かして欲しいことはないかと何処にも行かずに看病してくれた。

 ……いつもそうだ。シエルは優しいから。いつもそうやって不甲斐ない僕のそばにいようとしてくれる。

 シエルがずっとそばにいてくれることは、弟にとって嬉しいことに変わり無い。けれど自分の体調のせいで、シエルが本来過ごすはずの有意義な時間を奪ってしまうのが幼いながらに嫌だった。シエルにはシエルのしたいことをしてほしい。自分に対する好意を無下にしてしまうとわかっていても弟はそう願ってしまう。

 とはいっても、嘘をついた罪悪感はやはりそれなりにあるもので。弟において何かと鋭いシエルに嘘が見抜かれる前にと、弟はそのまま部屋を後にしようとする。

 それなのに。
 
「僕も喉乾いたからついていく!」
「……じゃあ一緒に行こっか」

 突然のシエルの同行に、弟はほんの僅かに目を大きくさせたが、なるべくすぐに平然を装った。たまたまシエルも喉が渇いていただけ。何もそんなに焦ることはないし、目的が一緒ならとそのまま厨房まで歩いていると、弟は遠くに世話係のハウスメイドがいるのを見つけた。厨房にいかなくても彼女に声をかければ、部屋に白湯を運んでくれるかもしれない。頼めばのど飴もつけてくれるだろう。
 
 善は急げと、弟が彼女に声をかけようとすると隣のシエルがそれを静止して弟の手を引く。それもかなりの勢いで。

「……シエル?どうしたの」

 弟が声をかけてもシエルは何も言わない。ただ弟の手を引いて厨房までの足を止めなかった。様子がおかしいのはわかっていたけれど、足取りの早いシエルについて行くのが精一杯で、それ以上は何もいえなかった。

 厨房に向かうはずだった二人は気付けば全然違う道を通っていた。
 誰の視界にも入らない廊下の隅まで、弟を連れてくると、シエルは弟の顔をじっと見つめる。青い二つのその瞳に見つめられると全てを見透かされたような気分になってしまうのはなぜだろうと、言葉を紡げずにいる弟にシエルは口を開く。

「目を閉じて」
「え……っと。こうすればいい?」
「うん、そのまま。僕がいいよっていうまで目を開けちゃだめだよ」

 シエルの言う通りに目を閉じた弟は何だか落ち着かない気分になる。弟には何も見えないが、シエルが何かをする音は聞こえる。一体何をされるんだろう。これから起こることを考えると、弟は自分の鼓動が早くなるような気がする。

「少しだけ口開けて」
「……ぁ……っ、んん!?」

 言われるがまま口を開けると、唇に柔らかいもの触れて、それでも何の抵抗もしない弟の口の中にはそのまま何かが入ってくる。柔らかくてあたたかいもの。他にももう一つ何か甘いものがある。

——これは蜂蜜とレモンの、飴……?

 いまにもシエルにそう聞きたかったけれど、目を閉じるように言われた以上どうすることもできなくて、そのまま弟はシエルが「いいよ」といってくれるまでシエルの好きなようにさせた。
 最初は驚いたものの、しばらくするうちにキスをされていることも、口移しに飴を渡されたこともわかっていた。それでも止めないのは、これが初めてではないし、弟はシエルにそうされることが嫌ではないからだ。

「……もう、いいよ。」
「……。……シエル」
「わかってるってば、急にごめんね」

 嫌ではないからといって、誰かに見つかるかもしれない廊下でこんなことをするなんて。そう咎めようとした弟にシエルはすぐに謝る。けれど、その目はどこか満足気なようにも見える。

「だって、お前が本当に欲しかったものってこれでしょ?」

 ばれていた。隠すことなど無意味で、喉に違和感があることも、それが欲しくて外に出ようとしていたこともすべてシエルにはお見通しだった。弟はキスの余韻で色づいていた頬をさらに赤めることになった。

「どうしてわかったの」
「ふふん、僕はお前のことならなんでもわかるからね」

 あんなメイドよりも。確かにそう付け足された言葉はあまりにも小さな声だった為、弟には届かない。
 それよりも「何でもわかる」と言いきってしまうシエルの姿に、弟は思わず笑った。シエルは本当にそうだと思ったから。自分の拙い嘘も誤魔化しもなにも通じないと言われているのも同然だけれど、なぜか悲しくも悔しくもなかった。


「だいたいお前のほうこそ、どうして僕に嘘をつくの?」
「だってシエルに余計な心配かけたらって……」
「もうやっぱり!心配くらいさせてよ、何でいつも嫌がるの」

 頬を軽く膨らませて不満な顔をするシエルに、弟は少し悩んで、それでも自分の口から本音を話すのは少し気が引けた。

 だから、僕のことを何でもわかるといったシエルに任せてしまおう。


「……僕のこと、なんでもわかるんだろ?じゃあ当てて見せて」





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