シエシエ ワンライ詰め





「明日の夜会に行きたくない……?」

 目の前にいたシエルにそう聞き返された弟は小さく頷いてから少し気まずそうに視線を逸らす。シエルと揃いの青い瞳が僅かに揺れていて、弟がそう言い出すのには何か理由があることが見て取れた。
 明日郊外で開かれる夜会は、シエル達の父親であるヴィンセントのお友達とやらが主催で、どうやら仕事絡みの案件で参加するらしい。カモフラージュとしてシエル達も同行し、ついでに父親の仕事を遠目で見学することになっていた。
 けれどシエル達はあくまでもパーティを無邪気に楽しむ子供として参加すればいいだけの至ってシンプルな役割を与えられている。何も難しいことはないし、気負う事もない。
 それなのに、あの真面目な弟が前日になって「行きたくない」だなんて口にするのだから……これにはシエルも驚かざるを得ない。

「お前がそんなわがままを言うなんて珍しいね、何か理由があるの?」

 シエルが理由を聞こうとすると弟の肩が跳ねる。もしかすると理由はあまり口にしたくないのかもしれない。弟が理由を口にしたくないのであれば無理に聞くべきではないだろう。シエルはすぐに言いたくないなら答えなくてもいいよとなるべく柔らかい笑顔で伝えようとしたけれど、その前に弟のの口が僅かに動いた。

「……理由を聞いても、笑わない?」

 瞳を揺らしながらそう聞いてくる弟のにシエルは真剣な眼差しで「笑わないよ」と頷く。すると弟は唇を振るわせた後に、小さな声で行きたくない理由をシエルに教えてくれた。

「踊るのが、苦手なんだ」

 そう告げた弟は羞恥からか僅かに頬を染めて視線をシエルから逸らしてしまう。弟から語られた理由は至ってシンプルなものだった。シンプルであり、とても可愛らしい悩みでもある。シエルが思わず「そんな理由でいきたくないの?」とつい反射的に返してしまいそうになるくらいの、小さな小さな悩み。それでも弟にとってそれは、行きたくないだなんて口にしてしまうくらい大きな悩みだった。
 笑わないで欲しいと言われていたのに、シエルは弟が口にした予想外の理由に、つい笑みをこぼしてしまう。もちろんその音を聞き逃さなかった弟には下を向いていた視線をすぐさまシエルに戻してムッとした顔をする。

「わ、笑わないって約束したのに。シエルの嘘つき」
「ごめん、ごめんね。つい……だって、まさかそんな」
「わかってるよ……! そんな理由でって思われるのも無理ないって」

——それでも、僕は踊れないんだ。夜会では最低限ステップやターンができないと笑い物にされるってアンおばさまも言ってたし……笑い物になるくらいなら……。
 
 思わず笑みをこぼしてしまったシエルだったけれど、弟が困った顔で悩みを打ち明けてくれているのにいつまでもいじわるをするつもりはない。弟はいま本気で不安を感じているのだから。

 実は、夜会への参加はシエル達にとってはじめてとなる。

 その緊張も少なからずあるだろうし……何より弟は目立つことを得意としておらず、その上失敗することや不出来なことを指摘されることに弱く、劣等感を覚えやすいタイプだ。それはいつも弟を隣で見てきたシエルだからこそわかる。弟の悩みは「踊ることができない」という確かにシンプルなものだけれど、それよりもきっと“ 夜会で恥を晒すこと”が嫌なのだろう。もしかすると、ヴィンセントから夜会に同行する話を受けた時からずっとワルツさえ上手く踊れずに周りから笑われてしまう自分自身を想像してしまっていたのかもしれない。もしそうだとするのなら、それはとても辛かっただろうと。シエルは目の前の弟に同情する。

「大丈夫だよ、夜会はなにもダンスが全てじゃないし……この際ダンスは遠慮して、ただ飲み物を口にしながら、知らない人とおしゃべりするのだってきっと楽しいと思うな」
「……それも自信ない。僕はシエルみたいに知らない人とも上手く話せない。シエルと違って何もできない僕はただ恥を晒すことになる。だから……行かないほうがいいに決まってるんだ」

 ああ、弟の悪い癖が出ている。シエルはすっかり俯いてしまった弟の頭を見つめる。ダンスも知らない人との会話も、弟からすれば苦手なことで、たまたまシエルはそれが苦手じゃなかっただけなのに。それが自信の喪失に繋がってしまうのはよろしくない。まるで自分が何も持たないと、そんなことを言い出しかねない弟の姿にシエルは胸がちくりと痛むのを感じた。

——ねぇ、ただの得手不得手の話なんだよ。気に止む必要なんてないんだから……そんな顔しないで。お前は十分素敵なものをたくさん持ってるんだよ。

 そう口にしたいけれど、経験上、そういった言葉はきっといま思い詰めてしまっている弟に言ってもきっと届かないから。シエルは開きかけた口を閉ざした。

 こういう時の弟にはもっと意表をついたものの方が効果があるんだよね。

「じゃあ、僕と一緒に踊って、僕と一緒に話して……二人きりでいようよ! それならいつもと何も変わらないから問題ないよね」
「え……ええ!?」

 シエルの提案に弟は目を見開いて驚いている。まさか他の参加者と交流することがメインとされる夜会の場で「二人きりでいようよ」などと提案されるとは思いも寄らなかったのだろう。おかげでさっきまで思い詰めた表情もどこへやらだ。
 シエルは穏やかな笑みを浮かべたまま弟の手をとって、くるくると回るように踊った。突然のことについていけない弟だけれど、シエルのリードは弟が合わせやすいものとなっており、踊る二人の姿はちゃんと形になっていた。

「お前の踊りの癖、僕は全部知ってるからリードできるし、もし知らない誰かが話しかけてきても僕が上手く巻いてあげる!」
「シエル……どうしてそこまで」
「……だって僕はお前と一緒にいたいんだもの」

——それでもお前が夜会に行かないっていうなら、僕だって行かないから。お前と一緒に屋敷に残るよ。……僕を一人にしないで。

 シエルがその言葉を最後に弟の身体を強く抱きしめると、抵抗せずにその抱擁を受け入れてくれた弟はシエルを抱きしめ返してくれた。

「ずるいよ。シエルにそう言われたら、もう“行きたくない”なんていえないじゃないか」

 耳元に聞こえてきたその声に、シエルは嬉しそうな声で弟の名前を呼ぶ。さらに抱きしめる腕を強めると、弟はくすくすと笑ってくれた。
 しばらくしてから抱擁を解いて、シエルは弟の両手を絡めとるように握る。合わせられた瞳は揃って弧を描いた。


「僕にまかせて、ちゃんと全部リードするから」
「それなら僕は、僕にできるフォローを頑張る」







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