交差点
“戦闘の理念は柔軟に”
“敵との接近戦は避けるように”
ミカは、それらをノートに書き連ねる。いずれも西風騎士団の大団長ファルカからかけられた大事な言葉だ。
西風騎士団に所属してしばらく経つ頃、遠征任務に向けた壮行会で、ミカはファルカと手合わせする機会に恵まれ、そういったアドバイスをもらった。
入団してからというもの、ミカは様々な人からもらった大切な助言をこうしてノートに書き留めることにしている。
壮行会では、武器の種類を複数入れ替えて手合わせをしてもらった。結果として分かったのは、小柄で体力の優位がないミカには近接で戦う武器よりも、距離を測って戦える武器の方が向いているということ。その上で、戦闘理念……いわばスタイルを柔軟にすべきだと教えられた。
ファルカの言うことは尤もで、まだまだ自分にも伸び代があると思えるきっかけでもあった。
ミカはファルカからの助言を書き留めたノートを改めて読み返してから閉じる。そして目を瞑り、ゆっくりと思考を回す。
戦闘面において、訓練も任務もそれなりにこなしてきたミカは入団前に比べれば力はついてきているだろう。あの神の目まで手に入れて、遊撃小隊のコアメンバーとさえなった。そうやって得てきたものは着実に身についている。……それでもまだきっと、全然足りないのだとミカは己に喝を入れた。
今の自分に必要なのは、距離感を一定に保つことが出来て小回りの効く武器、そしてそれらの扱い方をマスターし、柔軟な戦闘スタイルを身につけること。
そういった武器の代表格は、やはり長槍や弓といったところだろう。どちらも一通り訓練で扱ったことのあるものだが、それらを使って新しい戦闘スタイルを作れないか、明日からは自主訓練を行うことにしよう。そう決めたミカは目を開き再びノートを開くと、今度はその計画を立てていくのだった。
なによりミカも参加する大規模な遠征任務は二週間後、もう間近に迫っているのだ。このタイミングでファルカから有益な助言をもらえたのは良いものの、あまり時間はかけられないだろう。
……今夜中に、武器のメンテナンスだけでもしておこうかな。
計画を書き留めたミカは席を立つと、部屋においてるある自分の武器を確認しにいく。
片手剣に弓に槍……並んでいるそれらを一瞥して、ふと、ミカは思い出したように近くの箱の中を確認する。
箱の中には、木製のクロスボウが一張。丁寧に包まれて保管してある。
これはミカが西風騎士団に入団する前に手に入れた代物なのだが、それは戦闘でまだ一度も使ったことがなければ、たまに手入れをして眺めるだけの置き物のようになっていた。
だけど……今日のファルカからのアドバイスを受けた時に、どんな武器が自分に合うかと考えたあの瞬間に、一番最初に頭をよぎったのは間違いなくこのクロスボウだった。
ミカは手に取ったクロスボウを撫でて、構えてみる。扱い慣れていないため、様にはならないが……もし自分がこれを使えるようになったらと考えると不思議と高揚感を覚えた。
何せ自分はかつて、このクロスボウに助けられたのだから。
そのままクロスボウを見つめながら、ミカは少し昔のことを思い出しはじめた。
それは、ミカがまだ西風騎士団に入団する前のこと。
テイワット中を旅して世界地図を描くことを夢見ていた当時のミカは、毎日のように図書館へと足を運び、測量方法から描き方まで、それらに関わるありとあらゆることについて学んでいた。
図書館で学びを得た次は、実践として郊外で実際に測量を行い、地形を把握して、正確な地図を書き上げる。そして書き上げたものを見返して、修正して、次の測量に生かす。
その繰り返しの日々の中で、ミカはモンド城周辺の地図を精密に書き上げることができたのだった。
当時のミカを見守ってくれていたのは図書館司書であるリサで、地図の出来栄えをいつも褒めてくれたのをミカは覚えている。
あのスメールの教令院に受かるかもと、よりによって実際に教令院を卒業した、“200年に1人の天才”とまで名高いあのリサに言われたのだから。それでも、彼女からの言葉にミカは首を素早く横に振って謙遜することしかできなかった。
そして地図の完成は、図書館でよく顔を合わせていたもう一人から、初めての仕事の依頼を受けることにも繋がる。
依頼人の名前は、ヒルチャールの言語を研究しているエラ・マスクだった。エラはミカよりも幼い少女だったが、研究への熱量は人一倍熱く、目指すものは違えど、ミカはその少女の熱心な姿を尊敬していた。
そんなエラからヒルチャールの言語理解を深めるためのフィールドワークをしたいから、モンド城周辺の道案内をお願いしたいと頼まれたミカは二つ返事で了承した。
しかし、その初めての仕事は失敗に終わることになる。
途中まではよかったのだ。少なくともヒルチャールの住処に向かうまでは、スムーズな道案内ができていたと思う。けれど、残念ながら肝心のヒルチャールとのコミュニケーションがうまくいかず……立ち向かう武器を持たない二人はヒルチャールから攻撃でコテンパンにやられてしまったのだ。
ミカは、なんとか依頼人のエラだけでもと、地形の情報を頼りに彼女をその場から逃げるように誘導したものの、そうこうしてるうちに仲間を呼んだヒルチャールに囲まれ、取り残された。
隙を見て全力で走り出せば、逃げ切ることができるだろうか。ミカは乱された頭の中で何度もルートを探していたものの……戦闘の経験などないミカには中々予測を立てられない。
思考が停止するその次の瞬間、美しい線を描いたボルトがミカの背後からヒルチャールに向けて放たれた。ボルトは間髪入れずに、迅速に、確実に放たれていき、次々とヒルチャールを倒していった。
「……おいお前、武器も持たずに丸腰でここまできたのか?」
背後からかけられた声にミカが振り返ると、そこにいたのはクロスボウを持った一人の青年だった。歳はあまりミカと変わらないように見えた彼は、その風貌からして冒険者なのだろうとミカは悟った。
「すみません、助けていただきありがとうございます!」
ミカは命の恩人に頭を深々と下げてお礼を言う。お礼を言われた冒険者は「気にすんな、たまたま狙ってた獲物が一箇所に集まってるのを見て、やりやすいと思っただけだからな」とぶっきらぼうに返すのだった。
「にしても、研究者か何かか? モンド城から結構な距離があっただろ? こんなところまでくるんなら冒険者協会で護衛くらい探した方がいいぞ。ここは普段から魔物が彷徨いてるからな」
冒険者は周辺を再度警戒しながら、ミカに親切な助言をくれた。ミカは最もすぎるその言葉に、表情を曇らせる。
「……返す言葉もないです。ただ、この辺りに生息する魔物は主にヒルチャールがほとんどで、それも午後三時から夕方にかけて眠りにつく個体が多かったので……まさか、ここまで大ごとになると思っていなかったんです」
なんて、言い訳になってしまうのですがとミカが持っていた地図を見返しながらため息をつくと、そばまで近づいてきた冒険者はその地図をミカから拝借してその内容をしばらく見ていた。
「見たことない地図だ。これ、お前が描いたのか?」
「え、あ、はい。自作のものですが……」
「よくできてるな。これがあれば狩りもだいぶ楽になる」
感心した冒険者はしばらくミカの地図を見ては、たまに独り言を漏らしては何やら満足げな笑みを浮かべる。その姿は少し奇妙ではあったものの、ミカはその姿から思いついたまま言葉を紡いだ。
「あの、よろしければその地図差し上げます」
「は、まじで? いいのかよ、大事なもんだろ」
「いえ、控えはとってありますし、えっと、……その、助けていただいたお礼になればと」
「ふぅん。そういうことなら遠慮なくいただくぜ」
……たまにはいいこともするもんだな。
含みのある笑顔で何やら要らぬ一言を付け足した彼は、ミカの地図をしばらく眺めると、地図を使ってみたいからと、そのままミカのことをモンド城まで送り届けてくれることになった。
その道中で逃げ切っていたエラとも合流できると、ミカはようやくほっと一息つくことができた。
地図を頼りにモンド城までミカ達を送り届けた冒険者は、地図についてとても興味を示して、純粋にミカを褒めてくれた。
が、ミカは今回の一件で己の無力さを知り、満足に仕事をこなせず、初めての挫折を味わったばかりで、素直にその言葉を受け止めることができずにいた。
地図が描けるだけでは、このままではだめだ。自分を守る術を身につけなければ、この先見知らぬエリアを探索することもできないのだから。
そんな、思い詰めた顔をしたまま黙り込んでしまっているミカに冒険者は、自分が使っていたクロスボウをミカに渡してきた。
「地図の礼にやる」
そう言い残して、冒険者はミカの返事も聞かずに行ってしまったのだった。
結局その後このクロスボウを使う場面はなく、色々な事柄が重なる中で騎士団に入団するための訓練を心掛けるようになってしまったし、あの冒険者にもあれっきり一度も会っていない。
もし会えたなら、あの時のお礼を言いたいものだ。
「……僕にも、使いこなせるかな」
構えていたクロスボウをミカはじっと見つめる。
あんな風に追い詰められた仲間を迅速に、確実に矢を放ち敵を仕留めて助けられたらと考えたら、それは間違いなく自分の憧れる姿に他ならない。しかし、一定の距離を詰めるのには長槍を使うのも捨てがたい。……となれば、併用か。
なにも武器を一つに絞る必要はない。槍とクロスボウ、もし戦場で自由にこの二つの武器を使いこなせるようになれば、接近戦を避けながらより柔軟な戦闘スタイルを手に入れることができるはずだ。
その夜、ミカの中で方針が固まった。
次の日から、ミカは普段の訓練のほか、クロスボウと槍を合わせて使う新たな戦闘スタイルの自主訓練に励むようになった。
槍は入団前後から訓練し、愛用してきたものの、併用しようと決めたクロスボウに関して、弓はさておき素人も同然だった。
そんなミカに、クロスボウは普通の弓よりも幾分か扱いやすいものだと教えてくれたのは、たまたま自主訓練に付き添ってくれたアンバーだ。
この“たまたま”とはいうのも、実際は戦闘スタイルに悩むミカの姿を見兼ねた彼の上司にあたる隊長のエウルアが、こっそりアンバーに声をかけ、手を回してくれていたのだが……それはミカがしばらくしてから知った話だ。
アンバーはミカの新しい戦闘スタイルについて肯定的で、クロスボウはミカの集中力を活かした精密な射撃が行えればそれで大丈夫だから、槍との併用もきっと慣れよ慣れ!と笑顔で応援してくれた。
彼女の指導は本当に手厚かった。ボルトや弦の扱いから手入れまで、ミカが遠征任務につくことを知ればサバイバル術まで、どれも時間をかけて手厚く指導してくれた。この自主訓練において、ミカはアンバーに対して感謝してもしきれない。
長槍とクロスボウの併用は訓練から実践へ、場数を踏み、経験を積み重ね、その度に修正や改良案を組み立てることで、ミカは自身の身体にその戦闘スタイルを覚えさせていった。
そして、遠征任務へと旅立つ日は訪れた。
遠征任務が始まってからもファルカは時間を見つけては、騎士団メンバーと手合わせを行い、指導してくれていた。
ミカが再びファルカとの手合わせの機会に恵まれたとき、身につけた新しい戦闘スタイルで挑んだのだ。
やはり一本取ることは無理だったが、手合わせの後にファルカから向けられたあの笑顔。余計な言葉など要らなかった。それだけでミカは胸がいっぱいになった。
もちろん、その手合わせによりまた新たな課題は見えてきて、小さな成功体験の積み重ねはミカにとって大事なものだった。
遠征任務におけるミカの主な役割は、前進測量士として未開拓な土地を切り開き、仲間に共有しながらサポートも行っていく……その傍でファルカの事務的補佐を任されていた。
献身的で実直に任務にあたるその姿勢は、誰もが“あいつはよくやっている”と評価するものだった。
だからこそ……とある先輩から、戦闘面において目をつけられるのはミカにとって予想外のこととなる。
「よぉ、ミカ。お前最近、面白い戦闘スタイルを身につけたらしいな? 詳しく聞かせろよ」
「……っ、ろ、ローエン さん…………」
ある日拠点に戻ってきたミカは、背後から突然そう声をかけられ、振り返った先のローエンの裏のありそうな笑顔を見ると、ミカは思わず息が止まりそうになった。
彼は西風騎士団第5小隊副隊長。歳が近いこの先輩にミカは、以前から測量士としての腕を買われ、目をつけられていた。
このローエンが、強さを求め、より過激な戦闘に身を投じることに楽しさを覚えている故に……子細な探索により精密な地図と情報を記し作り上げたミカの地図は、彼が好む危険な場所を手っ取り早く見つけられるのである。
素直に自分の仕事について評価されているのは確かでも、だからこそ利用されているとも言い換えられてしまう。
その上、ローエンはときに手段を選ばず、ミカのノートをこっそり偽のノートと入れ替えてまで情報を手に入れようとするのだから。ミカにとっては距離を測りかねる存在だと感じていた。
そうなのだ。本来であれば、このローエンが自分に興味を持つとしたら測量の方面であり、戦闘において彼の何かを満たす心当たりがミカにはない。
だからこそ、危険な信号を察知して距離を取ろうとしたのだが……相手がそう簡単に逃がしてくれるわけもなく、あっさり彼に捕まってしまった。
誰かに助けを求めようにも、今夜も浴びるように酒を飲んではお互いを労い合う遠征隊は賑やかで……すっかり酔いが回って、歌まで歌い始める賑やかさの中では、小鳥の囀りなどまるで意味をなさない。
ローエンに連れて行かれるまま、拠点の中ではそこそこ静かな場所に隣同士で腰を下ろすことになった。
こうなってしまってはミカも抵抗するのを諦め、なるべくポジティブに考えることにする。きっとすぐに何かをされるわけではないしと、身につけた戦闘スタイルについてぽつぽつと話を始めた。
きっかけはファルカからのアドバイスがあったことで、クロスボウを扱うようになったのは過去の経験から。そして併用を決めて、その際に面倒を見てくれのはアンバーだったこと。
なるべく簡潔にまとめたミカにローエンは「ふぅん」と何か言いたげな相槌を打つので、案外興味を持たれなかったのかもしれないと少し安堵した。
しかしその安堵は束の間だった。
「俺もクロスボウの扱いには心得があってな。槍との併用にも慣れてるし、同じ氷元素の神の目も持ってる……何かアドバイス出来るかも知れねぇし、ちょっと見せてみろよ」
「見せるって、まさか今からですか?!」
「ああ、別に良いだろ、減るもんじゃねぇし」
「いやでも」
——御託はいいから、ほら、とっとと武器を持て。
笑顔のローエンにそう急かされたミカは、こうなった彼から逃れる術はきっとないだろうと何かを悟ると、武器を手に取り、潔く応じることにした。
手合わせが始まってから、ローエンはしばらくミカの動きを誘っては観察し、受け身で攻撃を流すばかりだったが、このままでは当然終わるわけもなく。
受け身だったローエンから、ミカが詰めすぎた距離を戻そうとした瞬間を狙うように、ローエンは至近距離でクロスボウをミカに向けてくる。思わぬ展開に、大袈裟に避けようとしたところで、ボルトが放たれた。
間一髪ではあったものの確かにミカはそのボルトを避けたはずだった。しかし、気がついたときにはその場に尻餅をつき、ローエンが使う長槍の刃がミカの首元に当てられていた。
「ここまでだな」
そう言って槍を下ろしたローエンに、ミカは何が起こっているのかわからないまま立ちあがろうとしたところで、何かが地面に引っ掛かり、上手く立ち上がれないことに気づく。
慌てて引っ掛かる部分を確認すれば、装備をしているベルト状のハーネスの、足元に垂れ下がっていた部分が、ローエンの放ったボルトにより地面に磔られていた。
これのせいで、先ほどはボルトを確かに避けたはずなのにミカは体勢を崩すことになったのだ。
ローエンはミカの動きを見越して、不規則に揺れるベルト状のハーネスをここまで精密に射止めて、相手の動きを封じて見せた。まぐれなわけが無い。全部全部、彼が計算した動きだろう。
ローエンの戦闘スタイルは側から見れば荒々しく見えるものの、こうして実際に対峙するとその節々から冷静で器用な一面が見えてくる。
きっと手合わせをしなければ、気づかなかっただろう。
「動き自体は悪くなかった。けど応用力がまだ足りねぇな」
突き刺さったボルトを抜いたローエンから手を差し出されたミカは、素直にその手を取り立ち上がった。
「……手合わせ、ありがとうございます。勉強になりました、すごく」
ミカはローエンの洗練されたスタイルに、ただ圧倒されていて、言葉がすぐには降りてこなかった代わりに、尊敬の眼差しで彼を見つめる。
ローエンはミカから視線に面白いものを見たと満足したように笑うと、それからミカに戦闘におけるクロスボウの応用についてアドバイスをいくつか残してくれた。
どれもミカには思いつかなかった意表を突いた斬新な方法ばかりだったが、ローエンの持っている手数からすればそれはほんの些細なものに過ぎず、まだ他にも隠し持っている狡猾なやり方はたくさんあるという。何やら笑顔のままとんでもないことを言い放ちそうなローエンの聞きたいような聞きたくないような話にミカは苦笑いを返すばかりだ。
兎にも角にも、応用の引き出しは持っておくに越したことはないものの、実際の戦闘でそれを持ってこれないのでは意味がないから、様々な敵に対して臨機応変に対応できるアドリブ能力も鍛えておくようにと締めくくられた。
ミカは彼からのアドバイスを簡単にノートにまとめ終えると、再度お礼の言葉を口にした。
突然手合わせをすることになったときは、本当に驚いたし不安だったものの、彼は本当に観察眼に長けていて、それは敵であれば頭を悩ませる存在だし、味方であれば本当にとても頼りになる存在なのだとミカは改めて感じさせるものだった。
「じゃあ、アドバイス料をもらおうか」
「え、え……あの、僕一体いくら払えば」
「モラなんていらねえよ、俺が欲しいものくらいわかってんだろ」
ローエンがそう言って指差したのはミカの仕事道具である測量装置のノートだ。彼が何を言おうとしているか一瞬でわかったミカは反射で自分のノートを守ろうとすると、獲物の狩るようなローエンに見つめられる。
この話の流れでさりげなく今日の地形記録もとい魔物の密集地や敵の情報を聞き出そうとするのは相変わらずと言ったところだが……。
一周回って、ミカは彼のそういう一面をだんだん好ましく思うようになってきていた。
それにこうやってローエンが自分に与えてくれたことに対して何も返さないのは不義理だろう。ミカは困ったように笑ってからノートを自分からローエンに渡すと、こんなあっけなく渡されるとは思っていなかったのか、彼は少し意外だと言いたげな顔でそれを受け取った。
そしてノートを開いたローエンにミカは細く情報を自分の口から説明していく。
「今日は、拠点からさらに北の方角へと向かいました。この辺りに人気はなく、かと言って魔物も確認できませんでしたが……さらに少し西に進んだ地点。この数日で地形に大きな変化があります、もしかすると」
「大型の魔物が出現してる可能性がある」
「はい、その通りです。ふふ、さすがですね、ローエンさん」
一瞬でこちらの情報を言い当てるローエンにミカは何気なくそう声をかけると、ローエンは少しの間ミカを見て、何も言わないまま地図に再び視線を戻した。
「で、もう調査は進んでるのか?」
「いいえ、この地点は遠征の進路から大きく離れた場所ですからこれ以上の調査予定は立っていません……いまは他に優先すべきことがたくさんありますから」
仮に大型の魔物が潜んでるとしても現地の生物を必要以上に刺激すべきではない。ミカはその場に居合わせたメンバーとそういう話をつけてきたのだ。
だから測量士の仕事としてはここで終わり。この地形がどうしてこの数日で変化が繰り返され、どんな魔物が潜んでいるのか、わからないままになったのだ。
こういったことは任務の中ではよくあることだったが……測量士としては、いや、一人の地図作りを好む人間としてはやや消化不良だと感じてしまう部分なのは確かだった。
無意識にもそんな風に思っていたからだろうか。ミカは口はうっかり滑ってしまう。
「この地点において、もし誰かがたまたま魔物と遭遇して、そのまま倒してしまっても問題にはならない……と思います、たぶん」
目を逸らし、小さな声で珍しい発言をするミカに、ローエンは僅かに目を丸くしたが、その瞳はすぐに弧を描く。そして、次の瞬間には機嫌が良さそうな声が聞こえてきた。
「ミカ〜、お前いいのか? 俺にそんなタレコミしてるなんてファルカやジン団長が聞いたら泡吹いて倒れちまうぞ」
「タレコミって……っ、別にそんなんじゃありません。ただ僕は、この辺りの地図をちゃんと完成させたかっただけで……ぁ」
「へぇ、そうか、そうなのかぁ〜」
「も、もう! ローエンさん!!」
ミカがローエンの名前を口にしようと彼はその態度を改めるつもりはないらしく、ニヤついた表情はそのまま、何やら考え事を始めているようだった。
まさかとは思うが、この流れでこの真夜中に、このまま魔物を狩りに行くだなんて言い出しかねないのでは……とミカがそわそわとした態度でローエンを見ていると、彼はその期待に応えるようににっこりと笑う。
「よし、じゃあ行くか、ミカ」
「やっぱり今から……って、僕もですか?」
「当たり前だろ、前進測量士の地図作りに協力するのは至極真っ当な任務だからなぁ」
その辺からランプを拝借したローエンが、地図で示されている地点に歩き始めるのを、ミカは慌てたように追いかけた。
「待ってくださいローエンさん、これは任務外のことですし、今夜は自由行動が許されてるとはいえ勝手に拠点を離れるのは」
「不満か? お前が嫌なら副隊長命令ってことにすればいいし、それも嫌なら無理についてこいとは言わねぇけど」
——完成させたいんじゃなかったのか、それ。
ローエンはミカが持っているノートをとんと指で突かれ、ミカはその場に立ち止まって考える。
地図を作りたいのは本心だ。許されるなら最後までちゃんと完成させたい。だからこそ無意識にあくまでもお礼というていでローエンが興味の持ちそうな情報を渡したのも、自分の地図作りに利用しようとしたのも事実だ。……いやでも、今日こうしてローエンと話したのはただの偶然で、ああでもやっぱりそれでも最終的に情報をこうして漏らしたの自分で。しかし、これはローエンにとっても自分にとってもウィンウィンな話であって……でもやっぱり任務外のことを、こんな……こんな……。
ぐるぐるとそんなことを考えている間に、ミカは小さな声で「これはきっと僕の私利私欲による、無意識な計画的犯行だったんです」と項垂れると、それを見たローエンは声を出して笑う。
ミカにはそんな笑い声など関係ない。好奇心に負けてしまった自分に落ち込んでいたし、何なら少し恥ずかしいくらいだったのだ。
「僕は……卑怯者かもしれません」
「おいおい、お前が卑怯だったら世の中の人間が悪魔か何かになっちまうだろ」
ローエンはひとしきり笑い飛ばしたあと、改めてミカに問いかける。
「で、結局お前はどうすんだ?」
「……っ、行きます、ご一緒させてください!」
迷いのないミカの返事にローエンは満足したように目を細め、先を歩いていくので、その後をミカも間を空けずについていった。
ミカは楽しそうに前を歩く彼の背中を見つめながらふと、なんとなく思いついた言葉を投げかけてみた。
「こういうのを、共犯っていうんでしょうか?」
「フフ、そうかもな。お前には無縁だったはずだ」
「……確かに、こんなことしようだなんて思ったこともありません」
——でも、ちょっと楽しくなってきました。
小さな声でそう言ってノートを確認するミカに、ローエンは何も言わず口元を緩ませたのだった。
しばらくして、二人は記録していた地点に辿り着くと探索をはじめた。すると、昼間は見つけることのできなかった魔物の痕跡がものの数分で見つかった。どうやらこの魔物は夜間に行動が活発になっている可能性が高い。
ここからは慎重に進もうと、ローエンとミカはアイコンタクトを取り、先に進んでいく。その間ミカは終始記録を取ることも忘れなかった。
そうして、進んでいった先にあるのは大きな崖で、ミカが目をつけていた地形が変化している地点に到着したことになる。昼間とはあまり変化が見られないようだったが、よくよく目を凝らせば、地面には何かを引き摺ったような跡が残されている。ここで何かあったのは明白だ。
先行して進んでいたローエンにミカが報告をしようと近寄ったその時、ローエンは「見つけた」と一言残すと、間髪入れずに崖の先にその場で拾い上げた小石を投げつけた。
その小石に吊られるように現れたのは元素力を纏った飛行型の大きな魔物だった。それも一体だけではなく、二体。月光照らされた魔物たちはローエンの挑発に煽られるように迫ってくる。
まだ居場所が割れていないミカは後方からクロスボウを用いた援護射撃を行うが、その攻撃はどこまで効いているのかわからない。何せ魔物は自由に空を舞っては、地上に降りてを繰り返しているのだから。
それでも当のローエンは槍やナイフ、クロスボウを駆使し、すっかり戦闘に夢中になっている。彼の戦いの邪魔にはならないようにと、ミカ少しずつ魔物に接近しながら距離を測る。
——この距離からなら、いける。
ミカはそう意気込むと、魔物の翼に目掛けてボルトを複数打ち込んだ。強力な一撃とは言わずとも、これだけ打ち込めば空を自由に飛び回ることなどできないだろう。あとは地に落ちた魔物を好きに狩るローエンのサポートに回るだけだった。
……ローエンの実力があってのことか、ミカの起点がうまく働いたからか、あるいはその両方か、魔物の討伐は案外早く片が付いた。
しかし、ローエンは「なかなか手応えはあったが、時間をかけすぎちまったな」と満足はいっていないようだった。そのストイックさにミカは内心驚きながらも、小さな憧れを抱くものでもあった。
彼はしばらく倒した魔物を観察してだったので、ミカはその間に測量を行い、ノートにペンを走らせる。ようやくこれでちゃんと地図を完成させられるのだ。こんなに喜ばしいことはないとミカは他の言うことなどないと、すっかり良い笑顔になっていた。
そんなミカの傍に魔物の観察を終えたローエンが戻ってくる。
「翼に狙いを定めたのは良い判断だったな、ミカ。お陰でやりやすかったぜ」
「ありがとうございます……お役に立てて良かったです」
「地図の方はどうだ?」
「はい、測量もこれで完璧です」
これでこの辺りの地図は満足のいく完成品になります、とミカは満足そうな笑顔をローエンに返し、改めてお礼の言葉を添える。
「ローエンさんのおかげです、本当にありがとうございます」
「はは、こちらこそお役に立ててなによりだ」
——さて、日が明ける前には拠点に戻らねぇとな。
ローエンのその言葉にミカはハッとして空を見上げる。すっかり時間を気にせず測量に来てしまったが、遠くの空にうっすらと光が差しているのが見える。
任務でやむを得ず睡眠時間を削ってしまうことは多々あったし、どちらかといえば規則正しい睡眠など騎士団に入ってからはあまり気にしたこともなかったミカだが……今日ばかりはやはり少し悪いことをしているような気分になった。
帰り道も変わらず先行して歩くローエンがいなければ、きっとこの感覚をミカは知らないままだっただろう。
悪いことをしているような気分なのに、目的を達成して満たされて、それどころかこんなにやり遂げた高揚感まであるなんて知らなかった。
だからこそ、これは悪いことなのだろうとミカは一人で思うことにした。この楽しさを覚えるのは少し危険かも知らない。けれど、ローエンとこういう時間を過ごすのは純粋に楽しいと思えたのだった。
ようやく拠点に辿り着いた時には、賑やかだった遠征隊のメンバーはすっかり眠りについて、拠点はとても静かになっていた。
仮眠くらいはとれる時間帯ではあったものの、ミカは経験のない楽しい夜を過ごした為に寝付けそうになく……しばらくはこのまま地図を書くことにすることにした。
ローエンはといえば、仮眠なんて好きないときに取れば良いからなと冗談めいたことを言い、ミカがさきほどまとめてきた測量結果を元に、地図を描いていく姿をそばで見ることにしたらしい。
誰かに見られながら作業をするのは少しやりづらさはあったものの、ただ地図を書いている姿を眺めてもきっと楽しくないだろうしと、ミカは必要以上に気にすることをやめた。
集中して地図を描くうちに、ローエンが隣にいることすら忘れ、ミカはすっかり作業に没頭していた。
だから、しばらく時間が経ったとき、まだローエンが隣にいたことに気づいたミカはそれだけでもとても驚いて……しかも彼が自分のクロスボウを手に取って眺めているとなると、その姿を見つめたままミカは固まってしまう。
その視線にローエンはすぐに気づいたようで、ミカのほうに視線を少しだけ向けるとにこりと取ってつけたような笑顔を返された。
「あんまし今は使われてない型だったから、つい、気になっちまってなぁ。少しだけ見せてくれ、メンテナンスもしといてやるからよ」
「ええ……構いませんけど。あ、いや、流石にメンテナンスまでしていただくのは…………あの、ローエンさん? 聞いてますか?」
ミカは何度か呼びかけたが、すっかりクロスボウに夢中になっているローエンからは返事はない。
「……性能面は問題ないし、素材のわりに耐久性もしっかりしてるな、悪くねえ」
ない返事の代わりにローエンは一人でぶつぶつ何か独り言を呟いていた。
そういえば、ローエンが腕につけている小型のクロスボウは自作のものらしいと以前騎士団のメンバーから聞いたことがあったとミカは過去の記憶を思い出す。だからといってここまで興味を持つだなんて思いもしなかったが。
しかし自作できてしまうくらいその筋に精通しているのであれば、当たり前といえば当たり前な気もする。
それにもしかしたら、自分の地図作りと少し似ていて、彼はこういう分野において職人気質な部分があるのかもしれない。
そう思うと、ミカはローエンとの共通点を見つけることができたようで嬉しくなってしまう。まるでそれは、仔細な探索の末に見つけたミカとローエンを繋ぐ新しい進路のように思えたのだった。
前まではあんなに距離が測れない相手だと思っていたのに、たった一夜でここまで距離が縮まるだなんて。何かの導きがあったみたいだとさえミカは思う。
こうして、会話すらせず、ただ傍にいて、お互いに好きなことに没頭している時間が心地よかった。
引き続き、地図を描き始めたミカの傍で、ローエンはクロスボウの細部までよく観察していた。
ミカが名前も知らない冒険者からもらったこのクロスボウは、弓職人の両親の元に生まれ、長いこと自身も弓作りをしていたローエンから見ても素直に良いと思える品だ。
シンプルな作りでありながら、使用者が欲しいと思う要素が全て詰まってきて、不必要な要素は取り払われているそれはローエン個人としてはとってまさに完璧と呼べるものだった。
いま作ろうと思う型ではないものの、しっかり要点を押さえているこの作りは、まさにローエンも昔から作成した覚えがあるものだ。
——これの製作者とは、本当に気が合いそうだな。
さて、ここまでくればいったいどこの誰がつくったクロスボウなのか、ローエンは純粋に気になって仕方なかった。
どこかに名前や工房名など彫られていないだろうか。大抵の武器職人はちゃんと残しているはずだし、曲がりなりにも弓職人の道を途中までは歩いていたローエン自身もすっかりそれが癖付いて、自分でしか使わないものにも名前を残すようにしているのだから。
ローエンはくまなくクロスボウを観察し、メンテナンスと称して本体を少しだけ解体をしていくと、ようやく小さく彫られた何かを見つけた。
「…………はは、まじかよ」
“Lohen”と彫られたその文字は、間違いなくローエン自身を指すものであり、癖のある名前の彫り方は身に覚えのあるものだった。
記憶にある自分の製作したものとよく似ているとは思っていたが……まさか本当に自分が製作したものだなんて、一体誰が予想できるというのか。
確かにここまで自分好みにカスタマイズされた状態で生まれたクロスボウが世の中にあるかと言われれば、その可能性は物凄く低いだろう。
ローエンは気分が萎えるようだったが、まぁそういうこともあるかと解体したクロスボウを元通りにしてからは気を取り直し、本当のメンテナンスを行うことにした。
事が判明すると、記憶も不思議と蘇ってくるものだ。このクロスボウは冒険者時代の気まぐれで、人にあげたもので間違いない。それはローエン自身も覚えていた。
……なるほどな、あの日気まぐれで助けたやけに正確な地図を作る少年が彼だったとは。よくよく考えれば、モンドでここまで地図作りに長けた人間が一人二人といるわけが無い、間違いなくあれはミカだったのだ。
彼からもらった地図には冒険者を続ける上でも、狩りをする際の地形把握にも、大いに助かっていた。実家の自室が片付けられていなければ、いまも冒険者時代の道具とともに保管されているだろう。
さて、ローエンがこのクロスボウを作成したのはもう五年以上前になるのだが、弦は何度か張り替えられた形跡がありながら弓部分の痛みはほぼ無いに等しく……劣化という劣化は見られない。
通常の弓と比べれば、クロスボウは耐久性に優れており、メンテンスを欠かさなければ十年以上使用することもできる代物ではあるものの、ここまで状態が良いのは珍しいことだった。それは、このクロスボウをミカが大切に扱ってきた証拠でもある。
物持ちが良いのは知っていたが、ここまでとはな。ローエンは無意識に柔らかな笑みを浮かべていた。
職人が出来るのはただものを作り売ることまでで、自分の作品がどのような扱い方をされるかは買い手に一任される。職人はそれを知る由もなければ、知る必要もない。
それでも、自分の作品がミカの手に渡り、ここまで大事にされてきた事実を目の当たりにした今、ローエンは素直に喜ばしいことだと感じていた。冥利に尽きるとは、まさにこういうことを言うのだろう。
隣でペンを走らせ続ける彼は、その性格からしてこのクロスボウの製作者がローエンだとはきっと気づいていないだろうし、ローエンがそう告げなければ、このまま知らないままだろう。
何も知らなくても、これを大切にしてくれるという確信さえ湧いてくる始末だった。
「もし教えたら、一体どんな顔をするんだろうな」
小さな声で呟いたそれはミカの耳には届かない。
製作者を教えてやる代わりに、ローエンはクロスボウの本体のちょっとしたすり減り具合から、彼の癖を導き出し、扱いやすいようにちょっとした細工を施すことにした。
製作者には気づかないミカでも、こういう細工には察し良く気づいてくれるかもしれない。その上で、わざわざお礼を言いにくるかもしれない。
そうしたら、そのときはまたメンテナンスをして、自分の作品の具合を見てやるのも悪くないな。
そんなやりとりが続く内に彼との縁が深まればもっと良いなどと考える自分がいたのもまた事実だった。
それでもしばらくこの気持ちは寝かせておくつもりだと、穏やかな未来を想像したローエンは笑みを濃くして作業に没頭するのだった。
結局一睡もせずに迎えた朝に、二人が顔を見合わせ笑うのは、数時間後の話。
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