測れない距離感





「ローエン副隊長、やっと見つけましたよ」

 息を切らした声で呼び止められたローエンは間をあけずに後ろを振り返る。振り返った先にいるのが誰なのかは既にわかっていて、どんな表情をしているのかも予想できていた。
 光のさす場所ではやけに明るく見える柔らかな金髪は慌てていたのか少し乱れていて、透き通った空色の瞳はもの言いたげにこちらをじとりと見つめている。つり上がりそうで上がりきらない眉なんて、ああ、まさに予想通りだ。

 ローエンは思わず出てきそうな笑みをなるべく装いながら彼に言葉を返した。

「何かあったのか? ミカ」

 我ながら、なんて白々しい態度だと思う。
 しかし、額面通りに言葉を受け取ってしまうミカは彼がとぼけているとはすぐに思い付かず、一瞬狼狽えた顔をした。それからすぐ「いやそんなわけがない」と言いたげに自身の首を小さく横に振るのだ。ローエンはこの姿をよく知っている。

 ローエンにとって年が近く後輩に当たる彼はとても素直で……いつの日か、騎士団の誰かも言っていたが、彼はとにかく顔に出やすいのだ。
 今もその様子からしてローエンは彼が口にする本題が何なのかわかっていたので、彼のペースに合わせて静かに次の言葉を待っていた。

 ミカは一呼吸おいてからこちらをじっと見つめ、ようやく口を開く。

「あの、また僕のノートを、その……と、取り違えてますよね?」

 ミカの声色や眼差しは疑いのものではなく、確認の意味合いが強かった。
 だからこそ、“取り違えた”なんて、ずいぶん優しい言い回しだとローエンは薄く笑む。


 ノートというのはミカが使用する統合型前進測量装置のこと。
 前進測量士である彼はその装置を駆使し、日々辺りの地形から魔物や敵の出没位置、鉱石などの資源……エトセトラの情報をノートに更新し続けている。普段の偵察はもちろん、遠征先では誰もが彼の世話になるだろう。
 そしてローエンもまた例外ではないのだが……彼の場合はその情報を“ノートの取り違え”という特殊な方法覗かせてもらっているのだった。

 ローエンが彼の集めている情報に目をつけたのは随分と前のことで、はじめの頃はミカから直接魔物や敵の位置情報を聞き出していたのだが…………勘のいいミカに独断で敵の密集地に一人で突っ込んでいることがバレて懸念されるようになってからというもの、彼はローエンに沈黙を貫いてばかりだった。
 そして彼のノートからも、ローエンを警戒するように魔物や敵の位置は隠されるようになったが、意図的に隠されているものを見破るのはローエンの十八番だ。ローエンは効率良く情報を見せてもらうために同じ部品から寸分違わず作られたノートを用意し、“取り違え”といった形で、彼のノートと自分のノートを入れ替えることで世話になることにした。ただそれだけのことだった。
 それでも、こういった一件からか、なかなかミカとは“仲良く”話す機会はなかったのは事実だ。

 ……さて、ミカのノートの取り間違えについて、こう言ったやりとりをするのはこれで何度目になるのだろう。
 ミカほど賢い人間なのであれば、ローエンの行動など予測できているだろうに、それを指摘するつもりはないらしい。

 ローエンは持っていたノートを取り出して、ミカが同じタイミングで取り出してきたものと交換した。

「悪いな。お前が気づく前に返そうと思ってたんだが」
「……いえ、お気になさらず。僕のものと本当によく似ていますからね」

 ——外から中身まで似すぎて、本当に、毎度びっくりはしますけど。

 小さな声で付け足された一言から察するに、やはりローエンの意図など見え透いているのだろう。それでもあくまで暗黙の了解として貫くつもりらしい。
 ここまれでくれば、彼のこれはお人好しとは少し違うのかもしれない。無駄な波風をたてることなく上手くやる、いわば彼なりの処世術といったところだろうか。

 無事に戻ってきたノートの中身を軽く確認したミカは、ほっと安堵の息を漏らして「返していただきありがとうございます」とローエンに柔らかな表情でお礼を言う。
 腕の中に大事にそうに抱えるそのノートに関して、本来ミカが礼を言う必要などなければ、むしろ感謝すべきはローエンのはずなのに。こういうところがまた律儀だと思う。

「じゃあ、またな」
 
 話はこれで終わりだろうと、ローエンはにっこり笑ってその場を去ろうとした……のだが、話はどうやら終わりではなかったようで、服の袖を引いたミカに引き留められる。

「あの、っ、ローエン副隊長」

 名前まで呼ばれれば、留まる理由には十分だった。
 しかし、留まったところで当のミカは何かを言いたげにこちらを見つめては、口だけ開き、言葉を発しないまま迷うように目を逸らす。それだけでかれこれ一分は経過してしまいそうな勢いなのである。

「……えっと、」

 正直、言いたいことがあるのなら、なるべく手短に簡潔に聞きたいものだとローエンは頭の片隅で思う。少なくとも自分の部隊に所属する隊員であれば、“考えが纏まってから話しかけろ”などと冷たくあしらっていたところだろう。

 それでも、相手は普段から“ノートの取り違え”で世話になっているあのミカだ。普段利益を一方的に得ている相手を無下にするのはフェアじゃない。そう思えるくらいの良心はローエンにもあった。

 そうして体感二分は経たないくらいの時間をかけたミカはようやく声を発した。

「……良ければ、その、ローエン副隊長の好物を教えていただけませんか?」

 質問はその一つだけ。至ってシンプルな質問だった。あれだけ間を空けるのだから、てっきりノートについて、ここぞとあれこれ言われるのだとばかり思っていたのだが……ローエンにとってこれは予想外で、つい目を丸くして黙ってしまった。
 質問になにも返さない彼にミカは少し慌てて更に言葉を紡ぐ。

「突然の質問ですみません……ファルカ大団長からまだ伺っていないかもしれませんが、次の遠征でローエン副隊長の部隊に僕も同行することになりまして……せっかくなら用意するレーションの参考にしたいなと、そう思っただけなんです」

 いきなり過ぎましたよね、すみませんと繰り返し謝罪の言葉を並べるミカに、ローエンはようやく目を瞬かせてから、なんだそういうことかと笑顔を戻す。
 
「好物か、それなら辛いものだな……絶叫の唐辛子とか」
「絶叫……ああ、もしかして絶雲の唐辛子ですか?」
「あの辛さは絶叫並みだろ?」
「ふふ、確かに」

 ——ローエン副隊長は辛いものがお好きなんですね、覚えておきます。

 ミカはその場でメモを取り終えると、再びローエンをじっと見て、まだ何か言いたげな顔をする。言いたげというよりは、話をしたいだけのように見えた。
 
「そういや、お前と遠征に行くのは初めてだな。色々と期待してるぜ、前進測量士様」
「様!? そ、その呼び方は勘弁してください!」
「はは、謙遜することないだろ。……ミカの能力は、未開拓な場所でこそ生きてくるんだから」

 彼の能力を買っているのはもちろん本心だ、この点において決して煽ててるつもりはない。
 それはちゃんとミカにも伝わっているようで、彼は少し照れくさそうに、そしてとても嬉しそうに笑っていた。

「……はい、ありがとうございます、ローエン副隊長。お役に立てるよう精一杯頑張ります」

 そう言って小さな会釈したミカに、ローエンは今度こそこの場をあとにしようとして……ふと、その場の何気ない思いつきで彼を揶揄ってみたくなった。
 思いついたからには彼がどんな反応をするのか、どう答えるのか純粋に気になって、気づいた時には、今度はローエンがミカを呼び止めていた。

「堅苦しい呼称が嫌なら、ミカも俺に対してのその“副隊長”ってやつ、これからは禁止な」

 ローエンの指示にミカは目を見開いて何か言おうとするが、口元を人差し指で軽く抑えられ、言葉は閉ざされてしまう。
 代わりに、良い笑顔のローエンからは「ほら、試しに呼んでみろ」と言われては、ミカの逃げ道は封鎖されたも同然だった。
 すごく迷った顔で、また何度も口を開いたり、目を泳がせたり、ローエンのせいで困っているのに、ローエンに助けを求めるような顔をしたり。一人で慌てふためいては思い悩む小鳥の姿は庇護心と嗜虐心の両方を煽られるものだろう。

 散々時間をかけてから、ミカはぎこちない声でローエンを呼んだ。

「…………ローエン、さん……っローエンさん、これでいいですか……?」

 緊張からかはたまた羞恥からか、ほんのりと頬を染め、俯きがちにローエンの名前を呼ぶミカは口元を自分のノートで隠していた。

「さん付かぁ、まぁ悪くねえな」

 ——今後ともよろしくな、ミカ。

 揶揄って楽しげに笑うローエンの姿に、ミカは、やっぱり彼との距離感はなかなか上手く測れないものだと小さくため息をつくのだった。


 
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