ギリシャ神話

「……いきなさい」
父の言葉に、俯いたままステュクスは従った。側にいる子供たちは不安そうに母と祖父を見遣る。
「どうか、お元気で」
背を向けて、そういうのが精一杯だった。
家族を愛し、一族を見守る父が娘に決別を告げたのだ。
心中はどれほどの感情が渦巻いていようか。
「ニケ、クラトス。おじいさまにお別れを」
不安そうな顔で子供たちは大洋の神を振り返り続けた。
常は穏やかに微笑んでいる祖父が厳しい表情で自分たちを見送っているのだ。ステュクスが態々訊ねるまでもなく、何故共に居られないのか、と幼い二柱の顔には書いてあった。
勝利のニケ。力のクラトス。
この二人だけでも残していこうかとステュクスは逡巡した。熱意のゼーロス、勇敢さと暴力のビアーがいれば十分でないか。
……いや、それはダメだと首を振る。ニケを置いていっては、あの狡猾なゼウスは自分たちを受け入れはすまい。
父はそれを分かっているから四人を連れて行くように言ったのだ。
戦争はもう止められない。止まらない。
ティターンの長兄たる父に弟妹を見捨てることはできない。
されど、対するは末妹レアの愛する子供たちである。末弟たる王が我が子を愛していなかった訳ではないとも知っているのだ。
しかし時代は移ろいゆく。一族の長たるオケアノスはそれを理解している。
愛情深い大洋オケアノスが、一族を守る為以上に甥や姪を攻撃できる筈がない。
己が子が、家族が傷つく事を疎む彼の性質を家族は痛いほど分かっていた。ならばこそ、多くの者が彼に従い戦場へ行くだろう。
だが、それでは一族に未来はない。
故に愛娘とその子らを送り出すのだ。
勝利ニケなき陣営に完璧な未来はない。
……ニケを失ったティターンの陣営が勝利することはないのだ。
それを誰よりも理解していながら、父は送り出す。一族の存亡をかけて。娘と孫に未来を託すのだ。

――ティタノマキアの折、子供らと共に一早くゼウスのもとへ馳せ参じたステュクスは大戦後も特別な地位を与えられ、厚遇されることとなる。
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