ギリシャ神話
「お部屋に花を飾ってもいいかしら?」
問うと、冥王はゆっくりと瞬きをした。そのまま表情を変えず、朗らかに笑う妃を真っ直ぐ見つめて彼は答える。
「自分の部屋なのだ。好きにするといい。貴女の力ならばそれも可能だろう」
母から地母神の素養を受け継いだ春呼ぶ芽吹きの女神たる彼女であれば、植物は呼びかけに応えるだろう。たとえ生命輝かぬ冥府の奥底であろうと、世界の三分の一を司る王の妻となったことで上がった神格を考えれば一季節部屋を花で満たすことなど造作もない。
しかしながら自分には関係ないと言わんばかりの夫に少女のあどけなさを残す冥妃は唇を尖らせた。
「わたくしの部屋ではなく、貴方のお部屋のことです!」
富める者、名高き者たる冥府の王は再び黒曜石の瞳を縁取る睫毛を揺らした。
そして微かに首を傾げ、静かに口を開く。
「……何故私の部屋を彩る必要がある?」
「わたくしのお部屋でもありますもの! 夫婦のお部屋でしょう!? ……それとも貴方はわたくしに一人で眠れと仰るの?」
星のように輝く正妃の瞳が王を射抜く。
共に在りたくはないのか、という意図は伝わったらしい。動揺とは無縁の筈の裁判官が目を泳がせ、僅かに顔を逸らした。
いつも夫婦で過ごすのはハデスが寝室として使っている部屋か執務室のどちらか。初めて冥府へ足を踏み入れて以来、ペルセポネに与えられた部屋にハデスは近付こうとしなかった。
どれほど望もうと共に在れるのは冬の間のみ。一瞬で過ぎ去っていく一年とはいえ、慕わしく思う相手と会えない期間は長く感じる。そんな僅かな逢瀬とも言える二人の時間を、孤高の王は積極的に作ろうとはしない。
暗闇の底へ縛り付けたことの自責の念か。幼い女神に飽いてしまったか。
花咲く王妃は夫に自身を見て欲しかった。
愛を囁いて欲しい訳ではない。
叶うならば、と思わないではないが、父神や兄弟のように口数の多くない冥府の王に無理強いをするつもりはなかった。
花を咲かせ、部屋を飾る事は苦ではない。しかし自分と侍女しかいない部屋を飾ったところで心は晴れない。満足のいくように誂えたとて、静寂に包まれた王の私室が頭を過ぎるに決まっている。
それが冥府にある時ならば地上にいる頃よりも一層、夫が恋しくなるだろう。
何より、基本的には理知的な、裁判官たる王に穏やかな一時を、と思うのは愚かな事だろうか。
コレーのままでは、この人を支え傍らに在ることなど出来ないと強く思う。例え彼自身がどんなにそれを望んだとしても。
問うと、冥王はゆっくりと瞬きをした。そのまま表情を変えず、朗らかに笑う妃を真っ直ぐ見つめて彼は答える。
「自分の部屋なのだ。好きにするといい。貴女の力ならばそれも可能だろう」
母から地母神の素養を受け継いだ春呼ぶ芽吹きの女神たる彼女であれば、植物は呼びかけに応えるだろう。たとえ生命輝かぬ冥府の奥底であろうと、世界の三分の一を司る王の妻となったことで上がった神格を考えれば一季節部屋を花で満たすことなど造作もない。
しかしながら自分には関係ないと言わんばかりの夫に少女のあどけなさを残す冥妃は唇を尖らせた。
「わたくしの部屋ではなく、貴方のお部屋のことです!」
富める者、名高き者たる冥府の王は再び黒曜石の瞳を縁取る睫毛を揺らした。
そして微かに首を傾げ、静かに口を開く。
「……何故私の部屋を彩る必要がある?」
「わたくしのお部屋でもありますもの! 夫婦のお部屋でしょう!? ……それとも貴方はわたくしに一人で眠れと仰るの?」
星のように輝く正妃の瞳が王を射抜く。
共に在りたくはないのか、という意図は伝わったらしい。動揺とは無縁の筈の裁判官が目を泳がせ、僅かに顔を逸らした。
いつも夫婦で過ごすのはハデスが寝室として使っている部屋か執務室のどちらか。初めて冥府へ足を踏み入れて以来、ペルセポネに与えられた部屋にハデスは近付こうとしなかった。
どれほど望もうと共に在れるのは冬の間のみ。一瞬で過ぎ去っていく一年とはいえ、慕わしく思う相手と会えない期間は長く感じる。そんな僅かな逢瀬とも言える二人の時間を、孤高の王は積極的に作ろうとはしない。
暗闇の底へ縛り付けたことの自責の念か。幼い女神に飽いてしまったか。
花咲く王妃は夫に自身を見て欲しかった。
愛を囁いて欲しい訳ではない。
叶うならば、と思わないではないが、父神や兄弟のように口数の多くない冥府の王に無理強いをするつもりはなかった。
花を咲かせ、部屋を飾る事は苦ではない。しかし自分と侍女しかいない部屋を飾ったところで心は晴れない。満足のいくように誂えたとて、静寂に包まれた王の私室が頭を過ぎるに決まっている。
それが冥府にある時ならば地上にいる頃よりも一層、夫が恋しくなるだろう。
何より、基本的には理知的な、裁判官たる王に穏やかな一時を、と思うのは愚かな事だろうか。
コレーのままでは、この人を支え傍らに在ることなど出来ないと強く思う。例え彼自身がどんなにそれを望んだとしても。
