ポメガノン

この姿で食事を取ろうとすれば、どう足掻いたところで散らかる。
そう思い至ったカノンは早々に探索を諦めた。項垂れながら肺の中の空気を一気に吐き出し、先に運び込まれた兄の寝室へ向かう。
床を蹴って扉に飛び付いた勢いのまま、カノンはレバータイプのドアノブを下げた。握り玉式のノブでなくて良かったと心底思う。
重い扉を何とか押し開け、隙間から身体を捻じ込んだ。誰が見ているわけでもないが、スタッと着地した瞬間はキメ顔にならざるを得ない。
「……ワンチャン起きてるかと思ったが」
起きていればカノンの気配を察して先に扉が開いただろう、と思い直す。
サガは私物をあまり持たない。……別室に蔵書の類はそこそこあるので、ミニマリストとやらではないのだが、必要最低限の家具しか置かれていないこの部屋は酷く殺風景に見える。
なんのかんのと現代の文化を持ち込んでいるカノンの部屋とは違い、生活感がない。
部屋の主が目覚めていないことも理由の一つではあるが、静まり返った部屋に心なし肩が下がった。カノンは嫌な空気を振り払うように身体をぶるぶると震わせる。
……その仕草を誰かが見ていたなら「完全に犬だな」と言ったに違いない。
てこてこと寝台に近付いたカノンは木枠やシーツに爪を引っ掛けてよじ登った。起こさないように、とは思ったがどうしても衝撃は起こしてしまう。普段のサガならば絶対に目を覚ます筈だった。
しかしサガの瞼は閉ざされたまま。よく見ると目の下にうっすら隈がある。
「……また徹夜したな……」
この朴念仁のワーカホリックめ、と呟いた言葉は空中に溶けた。
ベッドに腰を落ち着けて、自分と瓜二つな兄の顔を見る。この距離で真っ直ぐにサガを見るのは何年振りだろうか。
離れていた13年間、鏡を見る度に同じように成長している筈の片割れを思い浮かべた。実際に顔を合わせれば多少違っているかと思いきや、期待ハズレというべきか、あくまでも誤差の範囲内のことだった。
殆ど同じパーツ。同じ顔。違うのは僅かな色合いと、過ごした環境や性格故の髪や肌の痛み具合である。逆に言えば、それがサガとカノンは別の人間なのだと思わせてくれた。他者から見れば分からないだろう些細な差だが、それが嬉しいと感じる。感じるが、今の自分の姿を考えてこんなに違うのに、とも思う。
「我ながら面倒くせぇ……」
実に煩わしい。兄の性分も、ぐだぐだと考え込んでいる自分自身も。
生まれ持った性質はそう簡単にどうにかなるものではない。折り合いを付けながら長い人生を付き合っていくしかないのだ。
……目覚めたサガと何を話すべきだろうか。
転じたカノンの姿を見て卒倒したくらいだ。この姿は兄のトラウマに違いない。きっと人の形に戻ってからの方が冷静な話が出来るだろう。
尤も事の顛末を話した暁には、長々とした面倒な説教が待っているに違いないのだが。ねちねちとカノンの生活の乱れを指摘するサガの姿など容易に想像がつく。とはいえ、部屋で1人目覚めたサガがどんな顔をするかも何となく分かってしまうのだ。
……目覚めたサガの反応も面倒だが、今から自室に戻るのも煩わしい。何よりこの姿で散らかった部屋の片付けなどしたくない。
なるようになれ、と思考を放棄したカノンはベッドにだらんと身体を投げ出した。


控えめなノックの後、キィ、と扉が開く。
「カノン? サガ?」
常なら主に名を呼ばれた双子は即座に応える。いや、女神が部屋を訪ねた時点で自ら扉を開いて出迎えるだろう。だが、今は返事すらない。
「入りますよ」
心配そうな顔をした女神がそっと部屋に足を踏み入れた。後に続いたアイオロスは部屋のベッドに寝ているサガとカノンを見つけて息を吐く。
「……眠っているようですね」
寝顔を見たとか怒られるだろうなぁ、と顔に書いてある射手座サジタリアスに沙織はくすりと笑みを溢した。
「……大丈夫とは言いましたが、こうして休んでいるのを見て安心しました」
横になっているサガの肩に身体を寄せるように丸くなっているポメガ姿のカノン。少し耳を澄ますと穏やかな寝息が聞こえてくる。
静かにベッドへ腰掛けた沙織はカノンの青い毛並みに手を伸ばした。
至高の女神に撫でられるという栄誉にあって、双子座であり海龍である男は目を覚ます気配がない。人の姿ではあまり見ない安心しきったような表情は、黄金聖闘士最強格の男をぬいぐるみのように見せた。
「徹夜していたとミロが言いましたが、カノンは聖域と海界の橋渡しとして各界を行き来してくれています。冥界への派遣もついつい任せてしまいますし、本人も気付かぬうちに疲れが溜まっていたのでしょう……」
サガは言わずもがなですし、少し調整せねばなりませんね、と言って女神は一回り以上歳上の男達に慈愛の笑みを向ける。
「今日明日は2人とも休ませましょう。……サガには後で文句を言われそうですが」
まあ、なんとかします。
ベッドに横たわる無二の戦友を見ながらアイオロスは眉を下げた。その顔は困っている、というよりも友人に隠し事をされて拗ねた幼子のようにも見える。
「ふふ、頼りにしていますよ。アイオロス」
揶揄うようにアイオロスを見て、女神は立ち上がる。そしてもう一度カノンの毛並みを撫でた後、そっとサガの目元に触れた。
「私たちは貴方方の味方です。今はゆっくり休んでくださいね」
暖かな小宇宙が双子を包む。二人の表情が微かに緩んだのを見て満足げに頷いた女神はアイオロスの手を取って踵を返した。
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