ポメガノン
カノンが意識を取り戻したのは十二宮を運搬されている時だった。
完全に記憶が飛んでいたため、ゆらゆら揺られながら移動していることに気が付いた瞬間、特大の叫び声が飛び出た。子供を抱くように抱えてくれていたミロは耳許で絶叫が轟いた驚きに足を滑らせ、カノンを放り投げる。
「す、すまん……」
ベシャっと石の階段に叩き付けられ、手足を投げ出していると引きつった声で謝罪の言葉が掛けられた。
「……いや、今のは完全におれがわるい」
大丈夫か、と青い顔の戦友 に再び抱えられたところで、教皇の間からの帰りだと認識が至った。
「女神や教皇は何か言っていたか?」
「ポメガは自然に戻るのを待つしかないし、心配は要らんとだけ」
ああ、やはりそういうものなのか、とカノンは思った。生まれてこの方、自分と同じ体質の者に見 えたことなどない。
人の姿に戻れる事は経験と感覚で知っていた。しかし正直なところ、早く戻る方法はないかと僅かに期待してもいた。あわよくば、"こう"ならぬようにならぬかと。女神や教皇や老師がないと言うならないのだろう。そういうものであるなら、やはりこれは一生付き合わねばならないのだ。
道すがら、蠍座 が投げる好奇心の塊のような問いを適当にあしらい、ようやっと双児宮へと辿り着いた。
「手伝うことあったら何でも言えよ?」
「おう。ありがとな、ミロ。手間かけて悪かった」
気にするな、と朗らかに笑う同胞 が小さくなるまで見送り踵を返す。
徹夜した痕跡ばかり残る、散らかった自分の部屋は見なかったことにして通り過ぎた。
とりあえず水が飲みたい。
いや、飯が食いたい。
もふもふの頭と前脚で何とか扉を開け、カノンは勝手知ったる双児宮のダイニングをうろうろトコトコ歩き回る。
しかし普段なら遥か眼下にある筈の家具は頭上の彼方。自然と溜息が溢れた。
キッチンになら何かあるだろうと冷蔵庫の前に立ってみるが、今の姿では野菜室を開けるのも一苦労だ。仕方なく流し台に飛び乗り、シングルレバータイプの蛇口を頭で押し上げた。後で怒られる気がしないでもないが、冷蔵庫に入っているミネラルウォーターのボトルを開けるよりは現実的である。蓋は開けられても、飲む時に零す。断言する。自分も周囲も水浸しになるに違いない。そうなっては目も当てられない。
この姿で小宇宙が使えない訳ではない。テレキネシスを使えば大体の事はなんとかなるのは分かっている。だが極力使いたくはなかった。
……昔、姿を転じたままサガと喧嘩をしたことがある。カノンの小さな体躯にサガが遠慮しているのを良いことに、カノンは全力で攻撃し暴れた。普段ならどうということのない兄弟喧嘩だ。流石に必殺技は使わなかったが、飛んで殴って蹴ったし、テレキネシスで物をぶつけようとはした。しかし尽くをサガに防がれた挙句、疲れようがない程度の動きでその場にへたり込んだ。
あまりの怠さと衝撃に唖然としたが、自分以上にサガが目を丸くしてショックを受けていた。
その時以来、半身たる弟の――自分の影となり、いざという時には双子座の聖衣を纏う予定の――カノンの絶対的な弱点をサガは恐れるようになった。
「なぜお前だけが、こんな……」
モコモコの仔犬を抱き締めて、幼かった兄は泣いた。
カノンとしては時偶 不便なこと以外、大した問題には感じていなかったのだが、愚かしいほど生真面目な兄にとってはそうではなかった。
「……まさか倒れるとはなぁ」
心身共に丈夫なカノンは滅多なことでポメガの姿になることはなかった。とはいえゼロではなく、姿が転じる度にサガは心配し過保護に接した。もう十数年も前のことだ。
スニオン岬の岩牢を出て海界に拠点を置いてから、カノンが姿を変えることはなかった。正直なところ、自分の特異体質をこの十年忘れて過ごしていた。
だから驚いたことは間違いない。しかし酷く懐かしく思ったのも事実だ。子供の頃は大抵寝ていれば元に戻った。2、3日戻らないことも無いではなかったが、ポメガの本能か、戻れないかもしれないと不安に思ったことはなかった。
完全に記憶が飛んでいたため、ゆらゆら揺られながら移動していることに気が付いた瞬間、特大の叫び声が飛び出た。子供を抱くように抱えてくれていたミロは耳許で絶叫が轟いた驚きに足を滑らせ、カノンを放り投げる。
「す、すまん……」
ベシャっと石の階段に叩き付けられ、手足を投げ出していると引きつった声で謝罪の言葉が掛けられた。
「……いや、今のは完全におれがわるい」
大丈夫か、と青い顔の
「女神や教皇は何か言っていたか?」
「ポメガは自然に戻るのを待つしかないし、心配は要らんとだけ」
ああ、やはりそういうものなのか、とカノンは思った。生まれてこの方、自分と同じ体質の者に
人の姿に戻れる事は経験と感覚で知っていた。しかし正直なところ、早く戻る方法はないかと僅かに期待してもいた。あわよくば、"こう"ならぬようにならぬかと。女神や教皇や老師がないと言うならないのだろう。そういうものであるなら、やはりこれは一生付き合わねばならないのだ。
道すがら、
「手伝うことあったら何でも言えよ?」
「おう。ありがとな、ミロ。手間かけて悪かった」
気にするな、と朗らかに笑う
徹夜した痕跡ばかり残る、散らかった自分の部屋は見なかったことにして通り過ぎた。
とりあえず水が飲みたい。
いや、飯が食いたい。
もふもふの頭と前脚で何とか扉を開け、カノンは勝手知ったる双児宮のダイニングをうろうろトコトコ歩き回る。
しかし普段なら遥か眼下にある筈の家具は頭上の彼方。自然と溜息が溢れた。
キッチンになら何かあるだろうと冷蔵庫の前に立ってみるが、今の姿では野菜室を開けるのも一苦労だ。仕方なく流し台に飛び乗り、シングルレバータイプの蛇口を頭で押し上げた。後で怒られる気がしないでもないが、冷蔵庫に入っているミネラルウォーターのボトルを開けるよりは現実的である。蓋は開けられても、飲む時に零す。断言する。自分も周囲も水浸しになるに違いない。そうなっては目も当てられない。
この姿で小宇宙が使えない訳ではない。テレキネシスを使えば大体の事はなんとかなるのは分かっている。だが極力使いたくはなかった。
……昔、姿を転じたままサガと喧嘩をしたことがある。カノンの小さな体躯にサガが遠慮しているのを良いことに、カノンは全力で攻撃し暴れた。普段ならどうということのない兄弟喧嘩だ。流石に必殺技は使わなかったが、飛んで殴って蹴ったし、テレキネシスで物をぶつけようとはした。しかし尽くをサガに防がれた挙句、疲れようがない程度の動きでその場にへたり込んだ。
あまりの怠さと衝撃に唖然としたが、自分以上にサガが目を丸くしてショックを受けていた。
その時以来、半身たる弟の――自分の影となり、いざという時には双子座の聖衣を纏う予定の――カノンの絶対的な弱点をサガは恐れるようになった。
「なぜお前だけが、こんな……」
モコモコの仔犬を抱き締めて、幼かった兄は泣いた。
カノンとしては
「……まさか倒れるとはなぁ」
心身共に丈夫なカノンは滅多なことでポメガの姿になることはなかった。とはいえゼロではなく、姿が転じる度にサガは心配し過保護に接した。もう十数年も前のことだ。
スニオン岬の岩牢を出て海界に拠点を置いてから、カノンが姿を変えることはなかった。正直なところ、自分の特異体質をこの十年忘れて過ごしていた。
だから驚いたことは間違いない。しかし酷く懐かしく思ったのも事実だ。子供の頃は大抵寝ていれば元に戻った。2、3日戻らないことも無いではなかったが、ポメガの本能か、戻れないかもしれないと不安に思ったことはなかった。
