CPなしの小説

聖衣の修復を終え、顔を上げたムウは息を吐く。
いつもなら直に聞こえてくる賑やかな声はせず、シンと静かな空間が目の前に広がっている。遣いに出した貴鬼はまだ戻っていないらしい。
固まった身体をぐっと動かし、ムウは白羊宮の外へ出た。
まだ陽は高いが辺りには人影がない。行儀の悪いとは思いながら暫くその場に腰を下ろして蒼く澄んだ空を見上げた。そしてふと、上へ続く十二宮の階段が目についた。
「……アルデバランも今は不在でしたね……」
そう呟いたムウは常よりもいくらか重い足取りで階段を登っていく。
旧友が預かる金牛宮を過ぎ、双児宮へ辿り着くと巨蟹宮への階段ではなく宮殿の奥へと続く通路に足を進めた。

双児宮の主が表向きには消息を絶ってから久しいが、手入れは行き届いている。宮主の居住用スペースについては定かではないが、少なくとも目的の場所へ至るまでの通路は神域の中枢に相応しい清廉な姿を留めていた。
守護すべき主が現世を去ったことで迷宮と化すこともなく、ムウの進む足音以外には何の気配もない静かな空間。その最奥にひっそりと安置された聖衣箱。
ムウが近付き、手を翳すと聖衣箱はひとりでに開いた。そして中から黄金の輝きを放つ聖衣が姿を現す。
正当な持ち主の二面性を暗示するかのように、マスクの側面に二つの顔があしらわれている双子座の黄金聖衣。
聖域では双子は禍の証とされている。
そしてその言葉に偽りはないと証明するように、双子座の黄金聖闘士には不穏な逸話や伝承が少なからず残されていた。
かつて、幼いムウたちは所詮過ぎ去った過去のことだと思っていた。これまでその傾向が強かったからと言って、これからもそうとは限らない。
まして神の化身と慕われ、黄金聖闘士最強の一角であったサガならば尚のこと。幼い彼らはそう信じて疑わなかった。
兄のように、母のように、厳しさと慈愛を持って幼い候補生を指導し、非戦闘員や下位の聖闘士たちにも穏やかに声を掛ける。そんな姿をすぐ傍で見ていたのだ。他の黄金聖闘士が彼に全幅の信頼を置くのは当然のことだった。

13年前、サガの失踪と師であるシオンの死という衝撃な出来事が続き、ジャミールへ籠ったムウは酷く消耗していた。そんな中、教皇は変わらず玉座にあり、執政を行っているという。
……そんなことはありえない。師は死んだのだから。何者かが教皇に成り代わっているのだ、という困惑と怒りが渦巻いた。その者がシオンの命を奪ったに違いない。
弟子として、牡羊座の黄金聖闘士として何が出来るだろう。何を為すべきだろう。
他の黄金聖闘士を頼るべきだろうか、と考えた頃。射手座のアイオロスが女神を弑虐せんとし誅殺されたという報を聞いた。
そんな馬鹿な。というのが最初の感想だった。何故、皆して消えてしまうのかと呪詛を吐いた。誰を頼ればいいのかと。
幸い五老峰の老師がそれとなく気にかけてくれた。老師との対話の中、状況を整理し思考する中で、無慈悲な現実に気付くまで然程の時間はかからなかった。
師の命を奪い、アイオロスに逆賊の汚名を着せ、教皇を僭称している男が行方を眩ましている双子座のサガその人であると理解することに。

双子座の聖衣の傍らに膝をつく。
今すぐに修復が必要なほどのダメージは負っていない。ただ一つ、ボディの左胸を覆う筈の場所にのみ、ぽっかりと拳大の穴が空いていること以外は。
他の細かな傷は自己修復機能に任せて問題ないが、この穴に関してはムウが手を入れない訳にはいかない。
佇む聖衣に手を伸ばそうとして、拳を握る。
早く治してやりたい気持ちと、触れたくないと思ってしまう気持ちが混ざり合っていた。
大破した青銅聖衣の修復を、他の装着者のいる聖衣を優先して。ずるずると引き延ばしてきた。
……嫌な心だと、唯一の修復師であり、黄金聖闘士であるムウは思う。けれどムウ個人としては、内に秘めることくらいは許されたいとも思った。
ずっと気にはなっていたのだ。けれど、怖さも感じていた。だから他の修復作業が落ち着いた今日、貴鬼の居ぬ間に一人でこの場に赴いた。
修復は聖衣に対峙し、一対一で対話する時間でもある。
こと、聖衣の声が聴こえるムウにとっては。
修復師に必ず求められる力ではないが、あって困るものでもない。ムウの持つ力は師であるシオンのように装着者の生涯を追体験出来るような、生きた記憶を読めるほど強いものではない。
それでも、破損した聖衣が主の最期を伝えるには充分すぎる力であった。
善と悪に揺れる主を守り続けた双子座の聖衣。
見たくもない仇の記憶だと思っている。けれど聖衣にとっては、己が選んだ守るべき者であったのだろう。触れる度、双子座の聖衣はムウに訴えかけてくる。あの男がどれほど苛まれていたか。悩み、苦しみながらも前に進もうとしていたか。
立派に育ったかつての同胞。聖闘士の最高位たる黄金聖闘士を撃ち破る奇跡を起こして見せた青銅の少年たち。真の女神の聖闘士たちに彼がどれほど安堵したか。
……そして逝かせてしまった己の不甲斐なさをどれほど悔やみ、嘆いているのか。守るべき主に何も伝える術を持たなかった自分を責めているのかを。
「……あなたのせいではありませんよ。あの人が弱かっただけです」
そうだ。彼は弱かった。愚かだった。
けれど誰よりも強かった。優しかった。
誰よりも気高く、役目に相応しくありたかった。
人であることを捨てても構わないとすら思っていた。
けれど只人でいたいとも思っていた。
愛と平和のために在りたいと何より願っていた。
そんな彼のために何かしてやりたいと思っていた。けれど、ただの聖衣である自分には何も出来なかった。……何も出来ないのであれば、ただ信じて守ろうと決めた。
女神が彼をお救いくださるようにと祈った。
「であれば、あなたの願いは叶ったでしょう」
ムウがそう言うと、聖衣は沈黙した。
ああ、違うのだ、と。
そう思っていることが嫌でも分かる。
理由は違えど、ムウも同じことを思っていた。
あの男ならばそうするだろうと理解はしていた。けれど、どうしても許容出来なかった。度し難かった。
13年間、「何故」と「許せない」を繰り返した。
復讐したいなどと思ったことはない。けれど罵るくらいはしたかった。誓って、あのような終わり方を望んだことは一度もない。
罪は白日の下に晒されるべきだと思っていた。自分はともかく直接的な被害を受けた者から糾弾されるべきだと思った。
それでも黄金聖闘士最強の一角には違いない。
聖戦を前に、麗しき戦女神が厳しい贖罪など課すはずもないという甘えも正直に言ってあった。
あの男ならば、戦い、守ることで償いの道を示せるだろうと。
きっと幼い頃の憧憬が残っていたのだろう。
肩を並べられるかもしれないと期待していたのだ。
それはもう永遠に叶わなくなってしまった。
サガは逃げたのだ。誰よりも人で在りたいと望みながら、人としてあるべき道から。
埋葬の後、墓前に拳を突きつけたアイオリアの言葉が忘れられない。
「俺はサガのこの選択こそを一生許さん」
失われた命は決して帰ってはこない。
なればこそ、聖闘士として全うして逝くべきだったと。大なり小なり皆同じ気持ちだったのだろう。生き残った黄金聖闘士は似たような表情をしていた。
「確かに彼ほどの者が、とは思う。しかし聖闘士と言えども、人とは弱きものだ」
そう呟いたシャカは懐から数珠を取り出して手を合わせた。
他の者は俯き、目を伏せて黙った。
ムウはただ墓石を見つめていた。

GOLD SAINT GEMINI SAGA

簡潔に刻まれた名は黄金聖闘士としてのもの。
女神は十二宮の戦いで死亡した聖闘士たちを全員聖闘士として葬り、弔うように命じた。
サガは勿論、彼に従っていた、デスマスク、アフロディーテ、シュラも。事情を知ってか知らずか、女神と敵対し、命を落としたカミュや幾人もの白銀聖闘士も。
それが正しいのか間違っているのか、正直ムウには分からない。ムウは幼い頃の彼らを知りすぎていた。彼らの罪を糾弾するには、“人”でありすぎた。聖闘士として女神の判断に従っているが、恐らく甘えていると言った方が正しい。
女神もそれを理解しているに違いない。
失うにはあまりに大きな存在だった。だが、あの場に居合わせたムウには彼の行動を止めることも出来なかった。
止めようと思えば止められた筈だ。しかしそのまま結末を見守っていることしか出来なかった。まだ幼い10代の少女の心に傷を残す形となったとしても。
女神の写し身はそのことでムウを責めはしなかった。寧ろ積年の苦しみと怒りを労ってくれた。……それが却って己の醜さを浮き上がらせるようで居た堪れなかった。
聖戦は近い。遠くない内に自分も戦場に立つだろう。生き残れるとは思っていない。
唯一の弟子が気がかりではあるが、あの子は強い。周囲にも恵まれている。人と関わることに煩わしさなど感じない子だ。きっと未来に希望を繋いでくれると信じている。
自身が師を失った時の感情を忘れた日はなかった。その時が来たなら、あの子も似たような思いをするだろう。そして同じように何とか折り合いをつけて前へと進んでいくのだ。貴鬼ならばそれが出来る。
ムウのように醜い感情を抱えるのではなく、希望の闘士として振り返らずに未来を生きてほしい。
……自分は意図せず、ある意味で復讐がなってしまった。望まぬこととは思いつつも憎しみ次第はあったのだから。
けれどこの胸に渦巻く感情は収まりがつきそうにない。サガに逃げ切られてしまったことで、決着をつける場所が無くなってしまった。
弟子には決して、そのような思いをさせるものか。
自分の果てがどこになるかは分からない。しかし遺恨を残す最期とならぬよう、戦い果てることが出来たならば。
それこそが聖闘士として、何よりも幸福なことではないのだろうか。
定まらぬ未来は往々にしてままならぬものだ。
ならばより良き希望を残せるように。
平和な時が出来るだけ長く続くように。
……志半ばで散っていった者たちへ、せめてもの他向けとなるように。
「地上の平和を思い続けた貴方たちの意志だけは、確かに引き継ぎましょう」
誰に言うとでもなく、静かに呟いたムウの言葉はその場にいた者たちにも届いた。それぞれに想いはあれど、その言葉に同意することに否はない。
振り返ったムウは、沈んでいた同胞の瞳に再び光が灯るのを見た。それに少し安渡して、そのまま慰霊地を離れた。

……ああ、そうだ。あの日、彼らの願いを引き継ぐと決めたのだ。
ならば悩むことはない。己が為すべき事は一つ。
いつか、この双子座の聖衣を纏う者が再び現れた時のために。
持ち込んだ修復道具を手に取り、ムウはムウにしか出来ない役目を果たそうと小宇宙を高めた。
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