良亜美
じっと曇天の空を見上げる。
降りしきる雨は止みそうになかった。自分だけならどうとでもなるが、一緒にいる恋人をずぶ濡れにする事は出来ない。長期戦になるな、と一つ息を吐くと、隣から鈍い音が聞こえた。
それはコンクリートの床の上に鞄を置いた、というよりは、まるで力が抜けて取り落としたようで……彼女らしくないという思いが浮かぶ前に、良は視界に飛び込んで来た光景に目を見開いた。
「なっ!? ……亜美さん!」
何を思ったのであろうか、亜美は傘も差さずに土砂降りの雨の中へ飛び出して行ったのである。慌てて荷物を放り投げ、まるでワルツのステップでも踏むかの様にクルクルと回る恋人の元へ駆け寄った。
普段の冷静さからは有り得ぬ奇行。益々勢いの強くなる雨は滝の側に居るのではと錯覚させる。
学生服というのものは、何故こうも吸水性の無い生地で作られているのだろうか。表面を滴り落ちる水で制服が肌に吸い付く。この量の雨を浴びる事を想定して作られていない事は勿論理解しているが、限界を超えた水量を留めた布は重く、はっきり言って気持ち悪い。それにこのままでは風邪をひいてしまう。
一体何を考えているのだろうか。
踊りながら己の眷属と戯れる亜美に違和感が拭えない。
「亜美さん!」
咄嗟に腕を掴み、動きを止める。しかし恋人は俯いたまま、良の方を見ようとはしなかった。
「……風邪をひきます。中に入りましょう。」
そっと肩を抱いて促せば、亜美は大人しく従った。だが直ぐに足を止めてしまう。
「亜美さん……。」
「私は平気だから……先に入ってて。風邪をひいたら大変。」
感情の篭らない冷たい声。
どうしようもない不安が心に沸き起こった。
下を向いたまま合わない視線。らしくないという言葉が浮かんだが、良はすぐさまその言葉を消し去った。
彼女らしい、彼女らしくないと言ってしまえる程、自分はまだ水野亜美という少女を知らない。
……そう、少女なのだ。たった17歳の……。
人とは一線を画した頭脳を、能力を持っていても。正義の味方は正義の味方という名の人種ではない。
忘れていた訳ではないが、この時ばかりはそれを思い出したという方が適切だった。知らず知らずの内に力が入り、殆ど亜美を引きずるように校舎に入る。
抵抗しようとはしていたのだろうが、普段良が強引に出る事がないからだろうか。それとも、雨に打たれていたいというのはそれ程強い意志ではなかったのだろうか。恋人を眷属達の中から連れ戻すのはそう難しい事ではなかった。男女の力の差も働いたのかと思えば嬉しいと思う事も否定は出来ない。
……近くに他の生徒の姿はなく、雨粒が窓に当たる音以外は静かなものだ。
念の為にと、鞄に予備のタオルを忍ばせていて良かった。
一枚で自分の頭を拭き首から掛けると、その場で動こうとしない亜美に気付く。こんな風に放心する彼女を見たのは初めてのことだ。何が出来るだろう、と考え、持っていたもう一枚のタオルを彼女に被せる。そして優しく髪を拭った。
「気休めかもしれませんけど、一応服も拭いてください。このタオルを使ってくださって構わないので。」
流石に服に触れるのは気が引けた。故に自分で、と促せば、亜美の手はゆるゆるとタオルに伸ばされる。表情は隠したままだが、少し安心した。ジロジロ見ているのもどうかと思い、自身も身体を拭く為に背を向けようとした、その時。
「え……?」
背中にとん、と走った衝撃。
濡れた服の上からではあるが、確かに暖かい。亜美に抱きつかれたのだと理解するまでに数瞬掛かった。
「……亜美さん?」
腹に回された手に己の手を重ねる。彼女の手はぎゅっと力が入り、そして震えていた。決して寒さの所為ではないだろうことは考えるまでもなかった。
「……気にしているんですか? ……昨日の事。」
言葉を発すると同時に亜美の身体が強張るのが分かる。
そして、やはりそうなのかと合点がいった。外れて欲しいと思ったが、それ以外に亜美がこうなる理由も思いつかない。
……先にも言ったが彼女はまだ少女なのである。
セーラー戦士ではある。愛と正義の美少女戦士を名乗ってはいる。それでも、ただの少女であるには違いないのだ。
例え前世では王女を守る役目を負っていたとしても。戦士としての訓練を受けていたとしても。
今生の彼女は水野亜美という名の、人より少し頭が良いというだけの、ただの女の子なのである。
「……あれは貴女のせいでは……。」
「分かっているの。」
良の言葉を遮り、亜美は力強く言い放った。
「大きな被害は出なかった。結果として上手くいったわ。けど、それは結果論でしかないのよ。」
もっと自分が上手く立ち回れていれば。先を予想出来ていれば。頭が回るからこそ、自責の念に囚われているのだろう。
「……だったら僕も同じです。」
そう言って良は恋人と向き合った。その表情を見れば、何を言っているのか、という感情がありありと読み取れる。
「あの時間、あの場所で戦闘が起こると僕が予知していれば、万全な対策が取れた筈ですから。」
儚げに微笑んだ彼に何を思ったのだろう。目を大きく見開き、亜美は口を開いた。しかし音が出て来る気配がない。
代わりに彼女は首を振った。
少々俯きながらも、自分の意思を伝えようと。必死に。
まるで幼い子供のように。
堪らず、きつく抱き締めれば驚きに身体が固まるのが分かった。
「同じことです。僕の言葉に貴女は胸を痛めてくれた。僕も、同じことを思っています。」
強張った身体から力が抜けたことを確認して、良は距離を取る。いきなり抱き締めた事を詫びると、亜美は惜しむように良の胸に額を預けた。
小刻みに震える肩、押し殺しきれていない嗚咽。
外は土砂降りの雨とはいえ、日没には少々早い。誰が来るかも分からないのだが、そんな意識はすっかり霧散していた。
幼子のように頼りない姿を、祈りを込めてかき抱く。何も言葉は発しなかった。これ以上掛ける言葉が見つからなかった。
だが少しずつ震えは収束していき、やがて背中に手が伸ばされる。今までに互いの体温をこれ程近くで感じたことがあっただろうか。雨に打たれ、冷えた身体に温もりが染み渡る。しかし離れがたいと思うのはそれだけが理由ではないのだろう。
……いつまでそうしていただろうか。漸く意識が現に戻って来たのは携帯の着信音によってだった。
すっかり雨音は聞こえなくなっている。
「……帰りましょうか。」
はにかみながら手を差し出すと、亜美もまた微笑みを返し、手を伸ばす。
見上げた空には、雲の切れ間から明星が顔を覗かせていた。
降りしきる雨は止みそうになかった。自分だけならどうとでもなるが、一緒にいる恋人をずぶ濡れにする事は出来ない。長期戦になるな、と一つ息を吐くと、隣から鈍い音が聞こえた。
それはコンクリートの床の上に鞄を置いた、というよりは、まるで力が抜けて取り落としたようで……彼女らしくないという思いが浮かぶ前に、良は視界に飛び込んで来た光景に目を見開いた。
「なっ!? ……亜美さん!」
何を思ったのであろうか、亜美は傘も差さずに土砂降りの雨の中へ飛び出して行ったのである。慌てて荷物を放り投げ、まるでワルツのステップでも踏むかの様にクルクルと回る恋人の元へ駆け寄った。
普段の冷静さからは有り得ぬ奇行。益々勢いの強くなる雨は滝の側に居るのではと錯覚させる。
学生服というのものは、何故こうも吸水性の無い生地で作られているのだろうか。表面を滴り落ちる水で制服が肌に吸い付く。この量の雨を浴びる事を想定して作られていない事は勿論理解しているが、限界を超えた水量を留めた布は重く、はっきり言って気持ち悪い。それにこのままでは風邪をひいてしまう。
一体何を考えているのだろうか。
踊りながら己の眷属と戯れる亜美に違和感が拭えない。
「亜美さん!」
咄嗟に腕を掴み、動きを止める。しかし恋人は俯いたまま、良の方を見ようとはしなかった。
「……風邪をひきます。中に入りましょう。」
そっと肩を抱いて促せば、亜美は大人しく従った。だが直ぐに足を止めてしまう。
「亜美さん……。」
「私は平気だから……先に入ってて。風邪をひいたら大変。」
感情の篭らない冷たい声。
どうしようもない不安が心に沸き起こった。
下を向いたまま合わない視線。らしくないという言葉が浮かんだが、良はすぐさまその言葉を消し去った。
彼女らしい、彼女らしくないと言ってしまえる程、自分はまだ水野亜美という少女を知らない。
……そう、少女なのだ。たった17歳の……。
人とは一線を画した頭脳を、能力を持っていても。正義の味方は正義の味方という名の人種ではない。
忘れていた訳ではないが、この時ばかりはそれを思い出したという方が適切だった。知らず知らずの内に力が入り、殆ど亜美を引きずるように校舎に入る。
抵抗しようとはしていたのだろうが、普段良が強引に出る事がないからだろうか。それとも、雨に打たれていたいというのはそれ程強い意志ではなかったのだろうか。恋人を眷属達の中から連れ戻すのはそう難しい事ではなかった。男女の力の差も働いたのかと思えば嬉しいと思う事も否定は出来ない。
……近くに他の生徒の姿はなく、雨粒が窓に当たる音以外は静かなものだ。
念の為にと、鞄に予備のタオルを忍ばせていて良かった。
一枚で自分の頭を拭き首から掛けると、その場で動こうとしない亜美に気付く。こんな風に放心する彼女を見たのは初めてのことだ。何が出来るだろう、と考え、持っていたもう一枚のタオルを彼女に被せる。そして優しく髪を拭った。
「気休めかもしれませんけど、一応服も拭いてください。このタオルを使ってくださって構わないので。」
流石に服に触れるのは気が引けた。故に自分で、と促せば、亜美の手はゆるゆるとタオルに伸ばされる。表情は隠したままだが、少し安心した。ジロジロ見ているのもどうかと思い、自身も身体を拭く為に背を向けようとした、その時。
「え……?」
背中にとん、と走った衝撃。
濡れた服の上からではあるが、確かに暖かい。亜美に抱きつかれたのだと理解するまでに数瞬掛かった。
「……亜美さん?」
腹に回された手に己の手を重ねる。彼女の手はぎゅっと力が入り、そして震えていた。決して寒さの所為ではないだろうことは考えるまでもなかった。
「……気にしているんですか? ……昨日の事。」
言葉を発すると同時に亜美の身体が強張るのが分かる。
そして、やはりそうなのかと合点がいった。外れて欲しいと思ったが、それ以外に亜美がこうなる理由も思いつかない。
……先にも言ったが彼女はまだ少女なのである。
セーラー戦士ではある。愛と正義の美少女戦士を名乗ってはいる。それでも、ただの少女であるには違いないのだ。
例え前世では王女を守る役目を負っていたとしても。戦士としての訓練を受けていたとしても。
今生の彼女は水野亜美という名の、人より少し頭が良いというだけの、ただの女の子なのである。
「……あれは貴女のせいでは……。」
「分かっているの。」
良の言葉を遮り、亜美は力強く言い放った。
「大きな被害は出なかった。結果として上手くいったわ。けど、それは結果論でしかないのよ。」
もっと自分が上手く立ち回れていれば。先を予想出来ていれば。頭が回るからこそ、自責の念に囚われているのだろう。
「……だったら僕も同じです。」
そう言って良は恋人と向き合った。その表情を見れば、何を言っているのか、という感情がありありと読み取れる。
「あの時間、あの場所で戦闘が起こると僕が予知していれば、万全な対策が取れた筈ですから。」
儚げに微笑んだ彼に何を思ったのだろう。目を大きく見開き、亜美は口を開いた。しかし音が出て来る気配がない。
代わりに彼女は首を振った。
少々俯きながらも、自分の意思を伝えようと。必死に。
まるで幼い子供のように。
堪らず、きつく抱き締めれば驚きに身体が固まるのが分かった。
「同じことです。僕の言葉に貴女は胸を痛めてくれた。僕も、同じことを思っています。」
強張った身体から力が抜けたことを確認して、良は距離を取る。いきなり抱き締めた事を詫びると、亜美は惜しむように良の胸に額を預けた。
小刻みに震える肩、押し殺しきれていない嗚咽。
外は土砂降りの雨とはいえ、日没には少々早い。誰が来るかも分からないのだが、そんな意識はすっかり霧散していた。
幼子のように頼りない姿を、祈りを込めてかき抱く。何も言葉は発しなかった。これ以上掛ける言葉が見つからなかった。
だが少しずつ震えは収束していき、やがて背中に手が伸ばされる。今までに互いの体温をこれ程近くで感じたことがあっただろうか。雨に打たれ、冷えた身体に温もりが染み渡る。しかし離れがたいと思うのはそれだけが理由ではないのだろう。
……いつまでそうしていただろうか。漸く意識が現に戻って来たのは携帯の着信音によってだった。
すっかり雨音は聞こえなくなっている。
「……帰りましょうか。」
はにかみながら手を差し出すと、亜美もまた微笑みを返し、手を伸ばす。
見上げた空には、雲の切れ間から明星が顔を覗かせていた。
