良亜美

放課後、しん、とした校舎の中を一人で進む。
すっかり人気はなく、窓から差し込む夕陽で白い壁がオレンジ色に染まっていた。
眩しさに目を細めながら階段を昇り、目的の階に到着すると、影法師が先を行く。
日が落ちるのが随分早くなったな、と思っていると、教室の方から声が聞こえてきた。

「いや、やっぱ愛野だろ」
「おれ木野」
「あー分かる。おれも木野」
「大阪もいいよなぁ」

とっくに全員帰宅しているような時間だ。騒いでいるとまでは言わないが、賑やかな声はコンクリートの廊下によく響く。
男子高校生特有の盛り上がり、というものだろうか。
女子生徒の名前ばかりが出てくる辺りに何となく察しがついて苦い笑みが漏れた。
わざと大きめの音が立つように扉を開け、何食わぬ顔で自分の机に向かう。
狙い通り、教卓付近に集まる彼らの喧騒は鎮まり、視線が良に集まった。 
「残ってるなんて珍しいな。帰らなくていいのか?」
軽口を叩いて、忘れ物を持ったらさっさと出て行く。シミュレートは完璧だった筈だが、現実はそう巧くはいかなかった。
「浦和、丁度良いところに来た!」
「は……?」
大きな声で叫んだクラスメイトに何が丁度いいのかと思う。しかし良が問いかける前に彼はニヤニヤしながら腕を肩に回してきた。付き合うしかないか、と仕方なく先を促す。
とても嫌な予感がするのはきっと気のせいではないだろう。
「うちの学年のTOP3、票が割れててさ。浦和の意見も教えてくれよ」
「TOP3……?」
胡乱げな目で黒板を見れば、同学年の女生徒達の名前と共に正の字がいくつか書かれている。
さっと全体に目を通した後、そこに名前のない水の女神について、聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気持ちが頭をもたげてきた。
「なーんて、浦和はやっぱ水野だろ?」
ニシシ、と効果音が見えそうな悪戯顔で他のクラスメイトが言う。まさに思い浮かべていた名前を出されて良の心臓は大きく跳ねた。
「天才少女だけに近寄りがたさはあるけどさ。普通に美人だもんな」
「お高くとまってる、って感じでもないし」
「たまに笑った顔はめちゃくちゃ可愛い」
「手足細いし、あれは着痩せするタイプと見た」
何気ない日常会話として、彼らはそれぞれに語る。しかし、良にはそこまで聞くのが限界であった。
ダン、と大きな音をさせて机を叩き、良はクラスメイト達を睨みつける。
「くだらないことを言ってる暇があったら、勉強したらどうだ? もうノート貸さないぞ」
普段の良とは異なる態度にクラスメイト達はたじろいだ。
自分が熱くなっている自覚はある。しかし戯言とはいえ、親しい人たちを別の友人が品定めする言葉だ。もし彼女たち自身が聞いていたら、と思うと拳に力が入った。
まったく気にしないかもしれない。けれど、怒りや恥ずかしさを感じるかもしれない。なんと返せば、と萎縮してしまうかもしれない。
直接自分が関係することではない。それでも、どうしようもなく腹立たしさを感じ、心がささくれ立った。
別に直接何かをした訳でも、しようとした訳でもない。ただ彼らが感じたままの、彼らにとっての事実を口にしただけ。良が彼らに何を言ったとて仕方がない。
だというのに、いま口を開いてしまえば感情に任せて何を言ってしまうか。良は考えたくもなくて唇を噛み締めた。

「あら、みんな残っていたのね」

ガラっとドアの開く音と共に、涼やかな声が教室に響く。
軽く息を吐いて彼女の言葉を反芻すれば、なんとか熱を引かせることに成功した。
「なんだよ、水野。また図書室で勉強か?」
呆れ半分からかい半分、といった様子の問いに亜美は笑って答える。
「そうよ。テストも近いもの。良くん、忘れ物は大丈夫?」
ごく自然と発された名前に視線がまた集まる。
ああ、そういえば。ここにいる彼らは良が亜美を想っていることは知っていても、亜美と恋人同士であるということは知らないのだった。
頭を抱えたい気分ではあったが、丁度いい。そう思うことにして、良は机から目的のノートを取り出し、亜美に近付いていく。
「お待たせしてすみません。行きましょう」
背後から学友たちの視線が自分を追っているのを感じる。しかしそれらは気にせずに、良は亜美の手を取った。
「……良くん……?」
もしかして今、自分は鬼気迫るような顔でもしているのだろうか。
戸惑いを見せる亜美に申し訳なさを感じつつも、そのまま教室の外へ足を踏み出す。
引き留めるような声がいくつも聞こえた。手を握る彼女も例外なく。
しかし止まらない。止まれない。
柄ではないし、明日の朝が大変だと分かっている。
それでも、一刻も早く彼らの視界から大事な人を連れ去りたかった。
何も言えず、少し強引に早足のまま廊下を行く。
亜美は困っているだろう、と思った。
情けなさすぎて顔を見れないな、と考えた所でぎこちなく手が握り返される。
瞬間的に振り返ると、気恥ずかしそうに俯いたまま自分に手を引かれている恋人の姿が見えた。
振り払う事だって出来るのに、そうせず、繋いだままで居てくれている。
それが嬉しくて、恥ずかしくて、情けなくて。
背中を追ってきた困惑と驚きの絶叫など聞こえず、良は表情を緩ませ
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