良亜美

どんよりと灰色に覆われた空、吹き付ける北風。冷たさに思わずコートの襟を握り締める。雪でも降りそうだな、と考えていると隣から盛大なくしゃみの音が聞こえた。
「さむっ! 誰だよ、今年は暖冬だとか言ったやつ。」
そう隣でぼやく親友、古幡元基。
お前は授業のない時は基本エアコン完備のゲーセンに居るだろう。呆れ気味にそう言えば、衛だって似たようなものだろう、と笑いながら返された。
「俺はずっと室内って訳じゃないぞ。」
「え、今どこでバイトしてるんだ?」
あちこち多すぎて把握出来ないから一つに絞れ。いや、寧ろウチに来い。
……真剣に言ってるのか茶化して言っているのか、元基の表情からはいまいち判断がつかない。しかし俺からすると、いつ聞かれようが答えは決まり切っている。
「クラウンだけは嫌だ。」
「えー、良いだろ? 近いし、お前なら何でも出来るし。」
今、人足りてなくてさー。親父にぼやかれてんだよなあ。
そう言う元基の顔はなかなかに哀愁が漂っている。割と本気で勧誘していたらしい。
バイトリーダーと言うより、店長代理みたいな事やってるんだな。
……もしかしたら、社長の息子という肩書きは俺が思ってる以上に色々大変なのかも知れない。本人が何も言って来ない内は口に出すつもりはないけれど。
「俺がクラウンで働くと、うさこたちが入り浸るぞ。間違いなく。」
あ、と頭を抱える瞬間の顔は少し見物だった。
この場にうさこたちが居たら、二人して怒られそうだが。
「いや、最近みんな宇奈月の方ばっかりだから、来てくれるのは俺個人としては嬉しいんだけど……。」
俺が働くか働かないか、どちらの方がメリットが大きいか真剣に考えているようだ。腕を組んで唸っている姿が何だか面白い。
元基と同じ職場で働く、というのは正直興味があった。俺がただの貧乏学生で、お金が必要だからあちこち掛け持ちしてるならそれもありだと思う。けど、これでも色々考えて働いてるんだぜ。将来の事。
色んなことに興味がありすぎて絞り切れないから、経験していこう、ってそう思って。我ながら面倒臭い性分だ。
「衛がいると絶対集客増えるけど、それ以上にうさぎちゃんがヤキモチ妬くよなぁ……。」
元基までそう思うんだから大概だよな……。
別に嫌な気はしないし、そういうとこも可愛いと思うんだから俺も大分やばい。うん、多少自覚はあるんだ。
「実際、いつものメンバーで押しかけてきた事あるしな……。」
「バイト先に?」
「そ。ホテルのプールに。」
まこちゃんの修業を手伝うついでに、という建前で俺に会いに来たうさこを思い出す。いや、正直暑いし仕事はキツイしで、クタクタだったから来てくれたのは本当に嬉しかったんだけどな? 顔見ただけでその後の効率が変わったんだから、我ながら現金な話だよ。
「因みに今日、うさぎちゃんは?」
もしかして補習か? と続いた言葉に思わず元基を睨んだ俺を許して欲しい。うさこの素行を考えれば予想の第一位にそれが来るのは分からなくもないが。
初めて会った時に投げ付けられたテストの点数を思い出して頭が痛くなる。
「最近は赤点回避頑張ってんだぜ? ……一応。」
そう。頑張ってはいるのだ。欠点ギリギリの瀬戸際を行ったり来たりして…………。
色々察してくれたらしい元基は苦笑い。俺は大きく溜め息を吐き出した。
「今日は美奈子ちゃんに連れ出されてライブに行ってるよ。ほら、最近よく流れてる四人組のユニット。」
「へえー。珍しいな? うさぎちゃんなら、アイドルより衛の方を優先しそうなのに。」
元々そのつもりで予定を空けてたんだろ、とまあ、純粋な疑問というよりも、ほぼほぼ確信を投げ付けられてなんだか気恥ずかしい。元基はスリーライツが人気だった頃の皆の様子を知ってるから、余計にそう思うのかも知れない。
「クラスでも結構流行ってるらしくて、一回行ってみた方が良い、って言われたんだと。」
美奈子ちゃんに連行されていく時の、本当はデートに行きたいんだけど、と全身で訴えるうさこの姿が頭を過ぎる。助けを求める天使とは対照に、牽制を掛けてきた美奈子ちゃんの表情は悪魔のように見えた。そして隣で申し訳なさそうな顔をしていたレイちゃんに、俺の方が何だか申し訳なかった。
「じゃあ、いつもの五人で?」
「いや、亜美ちゃん以外の四人で。」
今日は一人だけ別行動だったらしく俺は顔を合わせていなかった。尤もあの子の場合は塾だったり、調べものがあったりであんまり珍しい事でもないんだけどな。
「意外にレイちゃんもそういうの好きだよね。」
「今回はうさこと二人で美奈子ちゃんとまこちゃんのストッパー役っぽいけどな。」
基本的に暴走するのはうさこと美奈子ちゃん。そしてそれを揶揄い半分、止めに入ったレイちゃんとうさこが言い合いを始めて、亜美ちゃんとまこちゃんが二人を宥める。
これがよくあるパターン。
だけど案外ミーハーな所もあるレイちゃんとまこちゃんが美奈子ちゃんに加勢して、うさこと亜美ちゃんが場を収める時だって少なくはない。
「で、彼女たちにハブられた腹いせに、俺を捕まえた、と。」
「人聞きの悪い事を言うなよ。」
お前だって暇してたんだろ、バイトもないし、レイカも帰って来てないし。意趣返しを込めて海外留学中の恋人の名前を出すと、元基はあからさまにむすっとした。
「衛はレイカ側だから送り出す方の気持ちは分かんないんだよ。」
「……やっぱり行って欲しくなかったのか?」
「そうじゃないけどさ。」
レイカが留学の件で悩んでいた時の一波乱を思い出す。あの時、元基は潔く彼女を送り出した筈だ。
「何年だって待ってるから、とか言って、うさこたちの前で格好良く決めてたのは誰だよ。」
「恥ずかしいから、真顔で言うな……。」
指の間から赤くなっている顔が見えた。
レイカとは俺も時々連絡を取っているし、それぞれから惚気を聞かされもするから上手くいってるのは勿論知っている。
知っているが、何だか煮え切らない様子を見せられると多少は心配にもなる。
「大切な人が夢を叶えようと頑張ってるんだから、応援しない訳ないだろう? けど、それとは別に寂しさとか不安も感じたりするんだよ、やっぱり。」
照れ臭そうにそう言った元基が、去年空港で俺を見送ってくれた時のうさこと重なった。
「詳しく知りたきゃ、うさぎちゃんに聞いてみろよ。」
俺が何を連想したかは、どうやらすっかりお見通しのようだ。そうだな、と言って肩を竦めると軽く背中を叩かれた。

不安が的中した、というべきだろうか。
漸く目的地に辿り着く頃には、辺りは薄ら雪化粧に包まれていた。頭や肩に積もってしまった雪を払い、館内へ入ると空調の温かさが身体に染みる。
勝手知ったる自習スペースでは、追い込みの学生が一心不乱にペンを走らせていた。この天気のお蔭か思っていたよりもその姿がまばらなのは幸いだ。
自分たちのスペースを確保し、書架から持ってきた資料を開こうとすると、対面に座った元基が何故か顔を寄せてきた。
「衛、あの二人。」
顔をしかめつつ、元基が指差した方へ視線を向ける。そこには高校生くらいのカップルが仲良く寄り添って机に向かっていた。
今どき図書館デートなんて珍しい。だがそれがどうした、と元基に言おうとして、俺はもう一度そのカップルを見た。思わず二度見した、という状況は今のこの状態の事だろう。
ショートカットの青い髪は見間違えようがない。恋人の親友である彼女とも、もう長い付き合いだ。
「亜美ちゃん、だよな? 隣の子、衛知ってるか?」
まさか彼氏、いや、そんな。と訝しげに二人を見る元基の顔は何処の兄か父親だ、と言いたくなるようなものだ。もっとも、中学の頃から知っている妹のような子だから、心配になる気持ちは分かるんだが。
「……そのまさか。彼氏だよ。」
天才少女の隣で優しい顔をしている学生服の少年。
数年前、敵として関わった忌々しい記憶の中の彼よりも随分凛々しくなっていた。あの頃は彼女たちとあまり変わらなかった背格好にも、はっきりと差が出ている。
身長が伸び、有体に言えば、男らしくなった。
かつて対峙した時、怯えの色を見せながらも真っ直ぐな目で射抜いてきた彼は、まだあどけなさの残る少年だった。
頼もしく成長した姿に嫌でも時の流れを感じる。
…………なんて。年寄りくさい思考だな、と自嘲して意識を元基の方に戻した。
「彼氏……そうか……亜美ちゃんにも……。」
机に両肘を立て、組んだ手の上に額を置く。影になって俺からは表情が見えない。しかし何を考えているかは分かる。
仲間内で一番純粋で男っ気の無かった、勉強の虫でもある亜美ちゃんにとうとう恋人が出来たというのが複雑なのだ。
それも恋に積極的だった美奈子ちゃんやまこちゃんよりも先に……それにしたって知り合いの子でこれなら宇奈月ちゃんは相当苦労してるんじゃないか?
……今度、苦情が出ていないか聞いてみよう。うん。
「初めて見るけど、高校の同級生か?」
「転校生らしいぞ。あと、全国模試の成績上位常連。」
あー、と言って頭を抱えた後、元基は成る程な、と呟いた。
「やっぱ、そういう感じの子が好きなのか……で、彼の名前は?」
「本人に聞けよ。」
「いや、だって。」
やっと顔を上げたと思ったら、何が『だって』なのか。大の男が唇を尖らせたって可愛くなんかないぞ。
「別にあの子達ならそんな事で怒ったりしないさ。」
「分かるけど……分かるけどさ……やっぱり年頃だし、そもそも亜美ちゃんって、そういう事詮索されるの一番恥ずかしがりそうじゃないか。」
「分かってるなら諦めろよ。」
「……けど気になる。」
上半身を机に突っ伏したまま、元基は二人を睨む。
場所が場所だから会話は少なめ、距離はそこそこ。ぱっと見は真面目に受験勉強を頑張る学生、といったところだ。
 それでも時折隣に向ける視線、目が合った時の表情はしっかり恋人らしい雰囲気を醸している。
……やっぱり邪魔はしないようにしよう。二人きりの空間に他人が介入した時の気まずさと言ったらない。
未練がましく亜美ちゃんたちから――より正確に言うなら彼氏から――目を離さない元基を注意しようとした瞬間、聞き馴染んだ声が耳に届いた。
「衛さん!元基さん!」
驚いた様子の表情から察するに、俺たちに気付いたのは彼の方らしい。
元基はこれ幸いとばかりに机を移動する。俺は慌てて荷物を纏め、後を追った。
「ごめんね、デートの邪魔をしちゃって。」
元基はあくまでサラッと言っただけなんだけど、亜美ちゃんには『デート』という言葉が思いのほか刺さったみたいだ。
これでもかと顔を真っ赤にして狼狽えている。
「で、デートなんて、そんな……。」
違うんです、と続く筈だったんだろう。
けど思い留まった。
隣に、付き合い始めたばかりの恋人が居るから。
「デートじゃなかった?」
こう聞いてしまうのは酷く大人気ないとも思った。でも、俺自身、興味本位、というか悪戯心が勝ってしまったんだ。
「…………デート、ですけど、何も気にして頂かなくて大丈夫ですから……。」
ギリギリ聞き取れる位の小さな声。
驚いたのは元基だけじゃなかった。
ずっと、静かに優しい顔で恋人を見守っていた彼が、漸く表情筋を動かしたんだ。
随分と恥ずかしそうに、そして同時に、とても嬉しそうに。
「そっか……変な事聞いて悪かったね。」
二人の様子に安心して俺は口角を上げた。どうやら元基も同じ事を感じ取れたようだ。
と、そこで何かに気付いた亜美ちゃんが声を上げた。
「ごめんなさい元基さん、紹介が遅れました。衛さんも、こうして会うのは初めてですよね? 彼は、今学期から私のクラスに転入して来た浦和くんです。」
「初めまして。浦和良です。お会い出来て嬉しいです。」
何かと思えば、成る程。そう目で会話した俺たちは笑みを浮かべた。
「こちらこそ。みんなから話は聞いているよ。地場衛です。どうぞよろしく。」
「俺は古幡元基。大学三年。ゲーセンの方のクラウンでバイトしてるから今度遊びにおいで。」
さっきまでの敵意は何処に行ったんだ。元基め。すっかりいつもの気の良いお兄さんの顔に戻っている。
「実は先週、元基さんに会いにクラウンに行ったんですよ。」
「え? そうなの?」
「はい、でも丁度お休みの日だったそうで。」
それで紹介しそびれていたのだ、と聞いた元基の目が輝いた。そうか、そんなに嬉しいか……。
「皆、元基お兄さんに会いたかったって言ってたので、近い内にまたお邪魔しますね。」

一時間ほど四人で取り留めのない話をして、塾があるという亜美ちゃんと良くんは帰って行った。
「勤勉て言葉はあの子たちの為にあるようなもんだな。」
「幾ら学生の本分は勉強、って言われても図書館から塾に通うような子はそうそう居ないだろうからな。」
真面目過ぎるというか、何と言うか。どうしても乾いた笑いが出るのが抑えられない。
「けど、初々しくて良いカップルだな。」
窓の外を見ながら呟く元基。視線の先を追えば、肩を寄せ合い、同じ傘に収まる二人の後ろ姿が見えた。
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