スタレ
鬱かもしれない
ひんやりと冷えきったコンクリートにもたれ掛かる。まだ息はある。嗚呼、生きている。このくそったれな地獄に。またこの部屋に戻ってきちまった。
足首には重苦しい鎖が巻き付き、部屋の半分も満足に動けない。くそだ、こんなの。死んでいるのと変わらねぇ。
「 」
誰かの声が部屋に響く。それが誰だかも思い出せないのに、勝手に身体が跳ねる。
身体が勝手に震える。怖い?いや、憎いか?なんでなのか思い出せないけど、その声の主に憎しみばかりが膨らんでいく。
「 」
「ははっ、おかえりなさい」
今すぐにでもそいつのド頭をぶち抜いてやりてぇのに、身体は勝手に動いて、猫なで声なんか出しながらそいつを迎え入れた。
お帰りなさい。何度も何度もそいつにすり寄り、機嫌を取る。そんなことしたくもねぇのに。なんでなんだよ。言うことを聞かない身体にイラつきながら、相手をただただ憎む。嫌悪感に身を焼かれ、何もかもがなくなってしまいそうだった。
そのまま手を引かれてベッドに連れていかれると、言われるがままに寝転がる。誘うように両手を広げれば、顔さえ思い出せない相手が覆い被さってきた。嗚呼、反吐が出る。
「 」
「あはっ♡ダーリン♡」
嫌だ。嫌だ。やめてくれ。身体を撫でられ、不快感しか無い筈なのに、どうしてか気持ち良くて……。脚を絡めながら、オレが勝手に笑う。
「 」
耳元で何かを囁かれ、ぞくぞくと鳥肌が立つ。気持ち悪い、気持ち悪いけど、気持ちいい。
「ダーリン♡早く愛してくれよ♡」
「 」
相手がふっと笑う。キスを求めながらすり寄り、自分から脚を開いた。
嗚呼、嫌だ。夢なら早く覚めてくれ。こんなの、狂う。
「嫌だ!」
はっと目が覚める。寝汗で身体はびっしょり濡れていて、服が貼り付いて気持ちが悪い。薄暗い部屋は暖房が付いていて暖かく、あのコンクリートが打ちっぱなしの部屋とはエラい違いだ。
「……ブートヒルさん、大丈夫ですか?」
横で寝ていたアルジェンティが俺の声を聞いて起き上がる。そこでようやっと、さっきまでのが夢だったのだと安心した。
「っ、悪ぃ、起こした」
「大丈夫ですよ。大丈夫、僕が護りますから」
ぎゅっと強く抱き締められ安心する。良かった、もう大丈夫だ。ほろりと涙が溢れ落ちて、止まらない。涙って、どうやって止めるんだっけ。わからなくってアイツにしがみつけば、背中を撫でられた。
「何も心配なんてないんです。貴方はここにいる。大丈夫」
アイツの声が身体に染み入るみたいにじわじわと温かくなって、さっきまでの寒さが消えていく。それでも、憎しみだけは消えなくて……。
「憎い。アイツが」
それが誰なのかなんて聞くこともなく、アルジェンティはオレを強く抱き締めた。
「ブートヒルさん……」
「相手の顔だって覚えてねぇのに、笑えるよな」
「大丈夫、大丈夫ですよ。ほら、温かいハーブティーでも淹れましょうか」
「……アルジェンティ、離れないで欲しい」
自分でも笑えるくらい、身体が震えていた。血が凍ってしまったかのように冷たくて、苦しくて、アルジェンティの服を掴む。
助けて、なんて言い掛けて、止めた。なんでかわからないけど、それは違う気がした。
「僕がずっと側にいますから、大丈夫。離れませんから」
「アルジェンティ、お願いだから愛してくれ。今ここが夢なのか夢じゃないのかわからねぇんだ」
アイツがハッと息を飲んだ。すぐに押し倒され、かさついた唇にキスを落とされる。骨が軋むくらい強く抱き締められ、胸がいっぱいになった。
「アルジェンティ、好きだ。全部忘れるくらい、めちゃくちゃに愛して」
「僕も好きです。愛しています」
手を組み合わせながら差し込まれた舌を受け入れる。温かい。ああ、安心する。ぎこちなく舌を絡み付かせながら、飲みきれない唾液が口の端からこぼれ落ちる。
「んんっ、ふぁっ」
アイツとは違う、温かい手が身体を撫でる。あれ、アイツって誰だっけ。誰なんだっけ。思い出せない。
「ブートヒルさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だから、愛してくれ」
「……ええ、任せてください」
アルジェンティが、オレの首に手をかける。ゆっくり体重をかけられて、気道が少しずつ絞まっていく。苦しくて苦しくて、でもそれがここを現実だと知らしめていて、やっと心から安心した。
「かはっ、ぐっ」
「嗚呼、ブートヒルさん。愛しています。これからもずっと」
意識が遠退いていく。ああ、なんでそんな悲しそうなんだよ。頼むから泣かないでくれ。
「だから起きたらまた笑いましょうね」
その言葉を聴きながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
真っ白い廊下を歩いている。後ろからかつかつと足音がして、振り向けば白衣姿の男がこちらに向かってきていた。
「ああ、これはこれは純美の騎士様。今日の彼はどうでしたか?」
「……、どうも何も、いつもとかわり無いですよ。……オスワルドさん」
嗚呼、彼は、彼こそはブートヒルさんが恨む相手だ。
「貴方も大変ですねぇ、ご友人があんな風になってしまって。心中ご察しいたします」
「……」
中身の無い言葉を無視して彼に近付き、思わず掴みかかりそうになるのをなんとか我慢する。
「貴方の言葉に僕の心は動かされませんよ」
「はは、そうでしょうとも」
オスワルドと呼ばれた男は、心底興味がなさそうに言うとそのままため息を吐いた。……行動ひとつひとつが気に障る男だ。
「でも、貴方は私を頼らざるを得ない」
だって、貴方のご友人は壊れてしまったから。彼はそう続ける。
そうだ。彼は、ブートヒルさんは壊れてしまった。記憶は散らばり、もう僕のことくらいしかまともに覚えてはいない。自分がサイボーグになったことすらあやふやになってしまった彼は、今幻覚の中で辛うじて生きている。
それなら苦しまなくて済むかとも思ったが、過去の火種は燃え続けて、未だ彼を蝕んでいた。現実とは違う、歪んだ形でだ。
「この世界で彼を引き留め続けるにはそれなりの技術が必要ですからね。まぁ、それも何時まで持つかわかりませんが」
そんな状況でも、彼を離したくないと思ってしまったのは僕のエゴだ。僕が彼を生かし続ければ続けるほど、彼は過去に苦しみ続ける。
愛さなければ……いや、殺されなくてはならないのは僕の方なのかもしれない。
「それでも、僕は彼に生きていて欲しい。世界には美しいものがあるのだと、知っていて欲しい」
「私からは何も言いませんよ。どうぞお好きにしてください。私は貴方の行く末に興味がある」
男はそう言って笑うと、背を向け歩き出した。
「純美の騎士様。貴方の歩む道に幸福があらんことを!」
「……僕は貴方のことを死ぬまで、いや死んでも許さないでしょうね」
ちりちりと視界の端が燃えている。僕を僕たらしめる物が、少しずつ削れていって、そのうちになくなってしまうのだろう。それでも僕は彼を愛することを選んだ。それに後悔なんて無い。
……また今日が始まる。悪い夢を見て怯える彼を宥め、また酷く抱くのだろう。それが、今の僕が彼に出来ることの全てだった。
狂っている。全てが。そう、ただ一言思えたら、どれだけ良かっただろうか。
「それでも、僕は貴方の隣に並びたかったんだ」
ひんやりと冷えきったコンクリートにもたれ掛かる。まだ息はある。嗚呼、生きている。このくそったれな地獄に。またこの部屋に戻ってきちまった。
足首には重苦しい鎖が巻き付き、部屋の半分も満足に動けない。くそだ、こんなの。死んでいるのと変わらねぇ。
「 」
誰かの声が部屋に響く。それが誰だかも思い出せないのに、勝手に身体が跳ねる。
身体が勝手に震える。怖い?いや、憎いか?なんでなのか思い出せないけど、その声の主に憎しみばかりが膨らんでいく。
「 」
「ははっ、おかえりなさい」
今すぐにでもそいつのド頭をぶち抜いてやりてぇのに、身体は勝手に動いて、猫なで声なんか出しながらそいつを迎え入れた。
お帰りなさい。何度も何度もそいつにすり寄り、機嫌を取る。そんなことしたくもねぇのに。なんでなんだよ。言うことを聞かない身体にイラつきながら、相手をただただ憎む。嫌悪感に身を焼かれ、何もかもがなくなってしまいそうだった。
そのまま手を引かれてベッドに連れていかれると、言われるがままに寝転がる。誘うように両手を広げれば、顔さえ思い出せない相手が覆い被さってきた。嗚呼、反吐が出る。
「 」
「あはっ♡ダーリン♡」
嫌だ。嫌だ。やめてくれ。身体を撫でられ、不快感しか無い筈なのに、どうしてか気持ち良くて……。脚を絡めながら、オレが勝手に笑う。
「 」
耳元で何かを囁かれ、ぞくぞくと鳥肌が立つ。気持ち悪い、気持ち悪いけど、気持ちいい。
「ダーリン♡早く愛してくれよ♡」
「 」
相手がふっと笑う。キスを求めながらすり寄り、自分から脚を開いた。
嗚呼、嫌だ。夢なら早く覚めてくれ。こんなの、狂う。
「嫌だ!」
はっと目が覚める。寝汗で身体はびっしょり濡れていて、服が貼り付いて気持ちが悪い。薄暗い部屋は暖房が付いていて暖かく、あのコンクリートが打ちっぱなしの部屋とはエラい違いだ。
「……ブートヒルさん、大丈夫ですか?」
横で寝ていたアルジェンティが俺の声を聞いて起き上がる。そこでようやっと、さっきまでのが夢だったのだと安心した。
「っ、悪ぃ、起こした」
「大丈夫ですよ。大丈夫、僕が護りますから」
ぎゅっと強く抱き締められ安心する。良かった、もう大丈夫だ。ほろりと涙が溢れ落ちて、止まらない。涙って、どうやって止めるんだっけ。わからなくってアイツにしがみつけば、背中を撫でられた。
「何も心配なんてないんです。貴方はここにいる。大丈夫」
アイツの声が身体に染み入るみたいにじわじわと温かくなって、さっきまでの寒さが消えていく。それでも、憎しみだけは消えなくて……。
「憎い。アイツが」
それが誰なのかなんて聞くこともなく、アルジェンティはオレを強く抱き締めた。
「ブートヒルさん……」
「相手の顔だって覚えてねぇのに、笑えるよな」
「大丈夫、大丈夫ですよ。ほら、温かいハーブティーでも淹れましょうか」
「……アルジェンティ、離れないで欲しい」
自分でも笑えるくらい、身体が震えていた。血が凍ってしまったかのように冷たくて、苦しくて、アルジェンティの服を掴む。
助けて、なんて言い掛けて、止めた。なんでかわからないけど、それは違う気がした。
「僕がずっと側にいますから、大丈夫。離れませんから」
「アルジェンティ、お願いだから愛してくれ。今ここが夢なのか夢じゃないのかわからねぇんだ」
アイツがハッと息を飲んだ。すぐに押し倒され、かさついた唇にキスを落とされる。骨が軋むくらい強く抱き締められ、胸がいっぱいになった。
「アルジェンティ、好きだ。全部忘れるくらい、めちゃくちゃに愛して」
「僕も好きです。愛しています」
手を組み合わせながら差し込まれた舌を受け入れる。温かい。ああ、安心する。ぎこちなく舌を絡み付かせながら、飲みきれない唾液が口の端からこぼれ落ちる。
「んんっ、ふぁっ」
アイツとは違う、温かい手が身体を撫でる。あれ、アイツって誰だっけ。誰なんだっけ。思い出せない。
「ブートヒルさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だから、愛してくれ」
「……ええ、任せてください」
アルジェンティが、オレの首に手をかける。ゆっくり体重をかけられて、気道が少しずつ絞まっていく。苦しくて苦しくて、でもそれがここを現実だと知らしめていて、やっと心から安心した。
「かはっ、ぐっ」
「嗚呼、ブートヒルさん。愛しています。これからもずっと」
意識が遠退いていく。ああ、なんでそんな悲しそうなんだよ。頼むから泣かないでくれ。
「だから起きたらまた笑いましょうね」
その言葉を聴きながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
真っ白い廊下を歩いている。後ろからかつかつと足音がして、振り向けば白衣姿の男がこちらに向かってきていた。
「ああ、これはこれは純美の騎士様。今日の彼はどうでしたか?」
「……、どうも何も、いつもとかわり無いですよ。……オスワルドさん」
嗚呼、彼は、彼こそはブートヒルさんが恨む相手だ。
「貴方も大変ですねぇ、ご友人があんな風になってしまって。心中ご察しいたします」
「……」
中身の無い言葉を無視して彼に近付き、思わず掴みかかりそうになるのをなんとか我慢する。
「貴方の言葉に僕の心は動かされませんよ」
「はは、そうでしょうとも」
オスワルドと呼ばれた男は、心底興味がなさそうに言うとそのままため息を吐いた。……行動ひとつひとつが気に障る男だ。
「でも、貴方は私を頼らざるを得ない」
だって、貴方のご友人は壊れてしまったから。彼はそう続ける。
そうだ。彼は、ブートヒルさんは壊れてしまった。記憶は散らばり、もう僕のことくらいしかまともに覚えてはいない。自分がサイボーグになったことすらあやふやになってしまった彼は、今幻覚の中で辛うじて生きている。
それなら苦しまなくて済むかとも思ったが、過去の火種は燃え続けて、未だ彼を蝕んでいた。現実とは違う、歪んだ形でだ。
「この世界で彼を引き留め続けるにはそれなりの技術が必要ですからね。まぁ、それも何時まで持つかわかりませんが」
そんな状況でも、彼を離したくないと思ってしまったのは僕のエゴだ。僕が彼を生かし続ければ続けるほど、彼は過去に苦しみ続ける。
愛さなければ……いや、殺されなくてはならないのは僕の方なのかもしれない。
「それでも、僕は彼に生きていて欲しい。世界には美しいものがあるのだと、知っていて欲しい」
「私からは何も言いませんよ。どうぞお好きにしてください。私は貴方の行く末に興味がある」
男はそう言って笑うと、背を向け歩き出した。
「純美の騎士様。貴方の歩む道に幸福があらんことを!」
「……僕は貴方のことを死ぬまで、いや死んでも許さないでしょうね」
ちりちりと視界の端が燃えている。僕を僕たらしめる物が、少しずつ削れていって、そのうちになくなってしまうのだろう。それでも僕は彼を愛することを選んだ。それに後悔なんて無い。
……また今日が始まる。悪い夢を見て怯える彼を宥め、また酷く抱くのだろう。それが、今の僕が彼に出来ることの全てだった。
狂っている。全てが。そう、ただ一言思えたら、どれだけ良かっただろうか。
「それでも、僕は貴方の隣に並びたかったんだ」