アークナイツ
「ねこちゃん触らせて」
昼時、ドクターが自室を訪ねて来たかと思えば、開口一番これだ。
「……、ドクター。食事は摂ったのか?」
「そう言われると思ってサンドイッチ貰ってきたんだ。勿論、貴方の分もね」
そう言って、彼は紙袋を揺らした。良いと言う前に部屋に入ってきた彼は、ソファで丸まっている雲獣を見付けると、起こさないよう気を付けながら横に座る。
「にゃあ」
「あ、起きちゃった?」
今日は珍しくフェイスガードを付けていない。と言うことはオフだろうか。仕事中毒の彼は、オペレーターが気にしないと休もうとしないから、恐らくは誰かしらに公務室を追われた後なのかも知れなかった。
「ほらウァン、食べちゃおう。卵と野菜があるけどどちらが良い?あ、君も食べるかい?」
ラップに包まれたサンドイッチを手に、彼は雲獣に話しかける。奴は返事をするように「にゃあ」と一鳴きすると、ドクターの膝の上に飛び乗って擦りよった。
「なら、ドクターの食べない方を」
「じゃあ野菜ね」
手渡されたサンドイッチを受け取って、対面に座る。彼はサンドイッチを一欠片千切ると、雲獣にくれてやった。
最初こそ警戒していた雲獣であるが、最近は慣れたのか擦りよってみたり、こうしておこぼれを貰ったりと随分甘やかされているようである。
「本当は殲滅作戦の処理をしようとしてたんだけどさ。休憩してきたらって追い払われちゃった」
「……隈が酷いぞ。何徹目だ?」
「うーん3かな」
つまりこの男は、前回私が秘書を担当した日から寝ていないと言うことになる。溜め息を一つ。仕事中毒め。
「倒れるぞ」
「そしたら点滴でも入れるさ」
本当に、どうしようもない。命を削るようなその生き様はあまりに苛烈で。普段は気さくな変人だが、戦場に出た時の彼の近寄りがたさを思い出す。
「私、ショートスリーパーなんだ」
「ショートスリーパーなんて物は大概が勘違いだと言うが?」
「遺伝子的には確かにあるんだよ。まぁ、私が必ずしもそうとは限らないがね」
そも、ショートスリーパーとは言え睡眠は取った方が健康のためである。まあ、説教は他のオペレーターが散々口にしているだろうから敢えて言わないでおくが。
会話に挟まるように、差し出したサンドイッチの欠片を食べ終えた雲獣が「にゃあ」と一鳴きした。そうして彼の膝の上でそのまま丸くなる。彼はそれをよしよしと言いながら撫でた。
「ウァンは寝れている?」
「嗚呼、お陰様で」
「少し顔色が良くなったね」
彼はそう言ってふっと微笑むと、サンドイッチの残りを口に放り込んだ。
「ウァン」
「なんだ、ドクター」
「ロドスの生活は楽しいかい?」
答えは決まっていた。ここは些か騒がしいが、悪い気はしない。代理人達も居着く訳だ。
「願わくは、ここが貴方の帰る場所の一つとなればと思うよ」
酷く穏やかな顔だった。慈しむような微笑みを湛え、彼は雲獣に「君もそう思うよね」なんて語り掛けている。雲獣は答えるでもなく、ドクターの顔をじっと見詰めていた。
「ここにいる内は囲碁の相手だって事欠かないよ。あ、それとも囲碁教室でもやるかい?」
「ごめん被る」
「あは、だよねぇ」
彼はそう言って笑うと、雲獣の喉を擽った。ぐるぐると喉を鳴らす音が部屋に響く。
酷く穏やかな時間が流れている。己には似つかわしくない平和さだと思った。
「ウァン」
「どうした?」
「私さ、誰かがいないと眠れないんだ。特に騒がしければ騒がしい程いいのだけれど……」
「……眠いのか?」
「うん」
「ならば寝ておけ」
立ち上がり、膝の上の雲獣を持ち上げる。寝台の縁に腰掛けると、彼を手招きする。
「いいの?」
「その為に来たのだろう?」
彼は頷くと立ち上がってこちらへ歩んでくる。そうして寝台に身を沈めると、目を瞑った。手元の雲獣が暴れだしたので手を離せば、そのまま彼の顔の側で丸くなる。
「そこにいてね」
「嗚呼、寝付くまで見ておいてやる」
疲れの浮かぶ顔に触れて、子をあやすように撫でれてやればくつくつと笑い声が聞こえてくる。
「ふふ、なあに?」
その癖毛を雲獣を撫でる時のように撫でてやる。ちゃんと眠れるように祈りを込めて。
少しして、彼からすうすうと寝息が聞こえてきた。それをただ眺める。手を離そうとして、裾を掴まれているのに気付いた。その姿は、見た目には似つかわしくない、子供のようであった。
薄暗い部屋で、彼の頭を撫でる。寝付いてから二時間程経っただろうか?彼も雲獣も、どちらも起きる気配は無い。余程眠りが深いのか、それともそう言う性質なのか、彼は寝返りを全く打たない。そのままの形で、裾を掴んだまま彼は眠っている。雲獣の方はと言うと、気にする気が無いのか腹を出して時折何やら寝言を言ってさえいた。
ふと、あの気配を感じて身を強張らせる。何時もの痛みだ。源石由来の、発作のようなそれに思わず胸を押さえる。本体が感じている痛みと比べたら何のことはないそれではあるが、痛いものは痛い。特に、今回の発作は重いようで、寝ている彼らの隙間に身体を滑り込ませて横になる。
異変に気付いたのか、ドクターの瞳が開かれた。一瞬呆けていたがすぐに覚醒すると、私の顔を覗き込む。
「ウァン、身体痛い?」
「……すまない、起こしてしまった」
「大丈夫。それよりも冷や汗掻いてる。苦しい?水、持ってこようか?」
「いや、大丈夫だ」
目を閉じて、呼吸を整える。緩やかに去っていく痛みに、自然と身体が脱力する。様子を見ていたドクターは立ち上がると、ウォーターサーバーから水を汲んできた。促されるままそれを受け取って、ゆっくり飲み下す。冷えた水が食道を流れ、上がった体温を冷やした。
「ちょっと落ち着いた?」
「嗚呼、おかげさまで」
「はー、びっくりした。ねこちゃんも心配そうだよ」
雲獣が指先を舐める。その顎を擽ってやれば「にゃあ」と短く鳴いた。
「痛み止めが効いたら良いのに」
「この身体に現れるのは瞬間的な物だ。それに前例が無いのだろう?」
当たり前だが前例の無い事柄故に、痛み止め等が効くのかどうかさえわからない。まだ様子見の段階であるし、薬の類いで逃れられるとも思えなかった。
「それでも、貴方が苦しむのは見たくないかな。あ、だからって見てないところで苦しまれるのも嫌かも」
「……」
ドクターはそう言うと、再度顔を覗き込んできた。彼の温かい手が、髪を梳くように撫でていく。心地よくて目を閉じれば、彼がくつくつと喉を鳴らす。
「ふふ、ねこちゃんみたい」
「たわけ」
「もっと甘えてくれてもいいんだよ」
「……誰が」
「嫌?」
私から見れば子供と大差ないと言うのに。彼は微笑むと、そのまま頭を撫で続ける。思えば頭を撫でられるなんて何百年ぶりだろうか。それでも、不思議と嫌ではなかった。
「ウァン、生きてロドスに来てくれてありがとう。私はね、貴方に会えて嬉しいんだ。私達、良く似ているから」
「……そうだな」
誰かを探しているところなんか、特に。そう言って、彼は笑う。その横顔があまりにも寂しそうで、顔に手を伸ばす。
「なあに?」
顔の縁をなぞるように撫でれば、彼は擽ったそうに身動ぎをするとそのまますり寄ってきた。
今はお互いを慰め合う事しか出来ないけれど、きっと彼は諦めないのだろう。私がジエを諦めきれないのと同じように。
「ウァン、もう少し落ち着いたら晩御飯食べに行こうか」
「嗚呼」
この気持ちに名前はいらない。ただ、願わずにはいられないのだ。
彼の行く末が、良き旅であるように。全てに決着が付くことを心から祈っている。