エッセイ

 波はいつも 穏やかだ。押しては引いてを繰り返す一定の静音は、日常で感じる苛立ちや戸惑い、全てを優しく包んでくれる。潮の香りがなんて心地良いのだろう。肌を撫で、するりと抜けていく滑らかな風は幼い頃、泣きじゃくる私をあやすような優しい母の手に似ているような気がして。何とも言えない安心感がそこにはあった。しかし今、こうして瞳に映る海は、果たして以前の景色と同じだろうか。防波堤の先、心が締め付けられるのは、こんなにも容易たやすい。瞳に映る青。今や面影のない静寂なこの海は、かつて一変し、怒り狂ったかのように全てを飲み込んで行った。私は以前と変わらぬ奇麗な気持ちで、防波堤の先を覗けずにいる。私は、弱い。
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