モンブランのアレになる

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 腹を裂かれ、飛び出した大腸が互いに結ばれた聖夜。白色のシーツには、まるで紅い薔薇が二人を祝福するよう、赤黒い血液が盛大に散らばっていた。双方、顔は向き合い、少しでも動けば唇が触れてしまう程。距離を数えれば、男女の間柄を表すに、ほとほと十分過ぎて。まあ、ホテルで裸体を晒していたあたり、関係など火を視るより明らかなのだが。
 例の惨劇から丸一日が経った事を身に付けていた腕時計が教えてくれた。ちらと視線を向けるだけで心が休まるのは、多分、相当気に入っている証拠。この時計はディテールが細身で、少しばかり女性らしい印象があり、一見すると男性向きではない。他者に眼を配られる度、「恋人とペアなのか」、「彼女に拘束されたか」などと冷やかしを充てられたりする事もしばしば。それでも、容易に苛々を鎮められるのは、本当にこの時計のお陰であり、俺の宝物なのだ。ふい、無意識と腕時計へ視線を落とした時である。

「待て……何処で買ったんだ、これ」

 洒落た煌々を掻き集めたような、みなとみらい。きっと、そこら辺で購入したに違いない。違いないのだが、どうも上手く思い出せないのは何故だろう。先、“宝物”と称したのは自身であると云うのに。――曇天の空模様、気圧の所為か厭に頭が重い。そうして俺が、鎮痛剤を謳うサプリメントを取り出そうと、手をスボン後ろのポケットへ突っ込んだ所。その声は、相も変わらず飄々と掴みどころがない。

「大田はん、どうでっか、聞き込み」
「柏原…」

 煌く都市で起こった事件は、瞬く間に近隣住民を恐怖へ堕とし入れた。直ぐ様、阿部警部が率いる捜査一課が総力を上げ一斉に動きを成す中。その想いは、なかなかどうして人々へは伝わらない物。街中での聞き込み、勿論腹が減る訳なので休憩中にコンビニへ寄ろう物なら、冷たい視線を浴びる始末。態と訊こえるよう声で「仕事しろよ、税金泥棒」と啖呵すら切られる。しかし、特に気に留めたりはしない。住民の気の昂りは健全な反応そのものなのだから。ある日平和に過ごしていた自身の近辺で殺人が行われた。狂気的なだけに、マスコミの過剰たる煽りは、いよいよ住民らの正気を崩すのに十分過ぎるほど。

「収穫なし」
「俺もですわ」

 柏原は、のろのろと頭を掻きながら、胸ポケットにしまい込んだ煙草を取り出し火を付ける。そうして溜息と共、細い煙を曇天に乗せるのだった。

「おい、せめてコンビニか何処かの喫煙所で吸えよ」
「携帯灰皿持ってますんで、平気っすわ」

そう言う問題じゃないのだ。刑事がコンビニで菓子パンを買っただけで嫌味を垂らされる現状、煙草など吹かしてみろ、今度はジジイが杖で引っ叩いて来るかもしれない。全く。こいつのマイペースさには毎度呆れる。のち、溜息に乗せた煙が幾つか上に昇った頃。彼はふと思い出したかのよう、ぽつり、呟くのだった。

「そういや、ガイシャの新情報、訊きました?」
「佐藤仁と河本涼子か。いや、まだ情報が下りてない。不倫か何かか」
「――二人、面識ないそうですわな」

 心臓の躍動が早まる。心拍が、異常なまでに駆け足を始めた。脈拍は、正常ならば一分間に六十から百としているが。俺の心臓は、今どれくらいだ。咄嗟、脈を測るため腕時計を視る。映るは、少しのずれ無く働く秒針、燐めきを装う小さな装飾、そして。文字盤には、紅い、紅い、蝶々の印字。――可怪しい、この時計を視れば心穏やかになる所、どうしてだろう、動悸が収まらない。苦しい。そうして湧いた冷や汗を拭う途中だった。今にも遠退きそうな意識の傍で、彼の声が鼓膜を刺激する。

「大田はん、飲まんでええんですか、薬」
「え……」
「嗚呼、薬やのうて、サプリ、でしたわな」

 誰にも教えた事などないのに。何故だ。何故、お前は俺を知っている。
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