モンブランのアレになる

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 渋滞が進まず、珈琲が温くなった頃。こんこん、と控え目に窓を叩く音で我に返った。先ほどから固い霙が降って来た事もあり、続いたノックに反応が遅れる。咄嗟、助手席側の窓に目を配ると、後輩の久保山が忙しないジェスチャーで「鍵を開けてくれ」と指を動かしていた。指先は、凍える寒さより既、赤紫が広がっている。俺が細い溜息をひとつついたあと仕方なく施錠すれば、瞬間、アウターに付いた雪すら払わず勢い良く助手席に飛び込んで来るので、思わず悪態をつく手前。飛び出しかけた舌打ちを無理やり喉奥へ押し込むのだった。

「雪くらい払え。それに、お前の為に停まっていた訳じゃない」
「いいじゃないっすか、固い事は言いっこなし、世の中助け合い、“愛”で出来てるんすから」
「馬鹿馬鹿しい」

 イルミネーションの所為。相変わらず進んでも鈍亀なパトカーは、未だ前進と停車を繰り返している。その間、歩きではあるが同じく巡回をしていた後輩の久保山に偶然遭遇したのだった。全く、歩きの巡回なのだから、車では融通の利かない繁華街や店中を注視して貰いたい所。そもそも、車なら一人で運転出来る、巡回のパトカーに二人も必要ないのだ。恐らくは、ただ暖を取りに来ただけと容易に想像できるが、さっさと持ち場へ戻って欲しい。聖夜で皆が浮かれ気な反面、警戒を怠りたくはないのだ。のち、俺は温くなった珈琲へ唇を充てながら、彼に促し掛けようと口を開いた時である。それは、突然。暖房の利いた車内が、まるで吹雪に晒されたよう、酷く凍えるほどに。身体の芯から、熱が奪われる感覚。

「そういや、殉職した柏原巡査長。もし生きてたら今頃、警視長になってたんじゃないかって、阿部警視が言ってました」

渋い顔でしたけど、と続けた久保山の言葉に、閃光のよう頭痛が走る。

「まあ、警視長は無理っすけど、いつか大田さんと並んで警部補くらいには、なんて」
「………“くらい”ってなんだよ。お前は万年、巡査だろ、久保山巡査」
「辛辣っすねえ。ま、キャリア積みたいとか思ってないんで良いんですけど。よし、お陰さまで暖まったんで、巡回戻ります」
「もう乗ってくるなよ」

 久保山は「それは約束できませんねえ」と意地の悪い笑みと白い歯を見せ、助手席から身を離してゆく。そうして閉められたドア。彼の居た座席には、外から舞い込んだ霙が残っていて。それは、車内の暖房により透明の雨粒に姿を変えていた。まるで、頬を伝って流れた雫のよう。悲しみの色を添えて。

「………柏原、俺は…。俺はどこで間違えたんだ、なあ、柏原、頼む…教えてくれ」

今ならば、助手席の雨粒に紛れ、瞳から雫を流そうが、誰も涙とは悟るまい。雨粒に擬態させた温かな雫で、目の前が霞んでゆく。先ほどの頭痛は、未だ治まる事を知らない。俺は、車のグローブボックスから鎮痛剤と謳うサプリメントを取り出した。――空腹では胃が荒れる為、通常の鎮痛剤は服用しない太刀なのだ。このサプリメントで、十分。十分なはずなのに。俺は一体、どこで間違えた。
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