モンブランのアレになる
✻✻✻✻✻
「クリィムパンパンパパパン捜査本部、本事件を担当する阿部だ! 大田、現場報告!」
警部の阿部が、喉が千切れそうな程に声を張り上げては、パイプ椅子が並べられた簡易の捜査本部室へと罵声を飛ばした。
「大田! 寝てんじゃねえぞ! 糞ボケ腑抜け!チンカス!」
頭ごなしに振り下ろされる大声は、下手したら鼓膜を突き破るほど。もしも破けてしまったら、迷わず労災扱いにしてやる。それくらい、部屋に詰め込まれた刑事皆の肩が一瞬で真っ直ぐになる大声は、凄まじく強烈なのだ。
あの夜、紅の蝶々を目にしてからと云うもの、白色のベッドに転がった二人の姿が、脳裏離れずにいる。現場を鑑識に任せたのち、最低限必要な報告をあげ、自宅へ戻っても尚。赤く染まった惨劇が、脳味噌を支配してならない。
「申し訳ありません、報告します」
別に寝ていた訳じゃない。巡った蝶々が脳に張り付き、他に余地を与えてくれずにいる、それだけなのだ。しかし、警部の阿部からは、顔を突っ伏して寝ていたように見えたらしい。まあ、ここで反論したはらば、さらなる罵声を飛ばされる事だ。大人しく従うが身の為だと、ここに集められた皆が思っている。俺は背筋を伸ばして立ち上がり、黒革の手帳を開いて読み上げるのだ。ふい、自分でも苦笑してしまうほど汚い文字は、幼少の頃から変わらずある唯一。自分の字が嫌いな為、パソコンという便利な代物が普及してからと云うもの、ペンを持つ事は無くなったのだが。どうも警察手帳だけは、そうはいかない。
「十二月ニ十五日、二十三時丁度。みなとみらいのホテルで、腹部を破かれた男女二人を発見。身元は既に割れており、ホテル近辺クイーンズスクエアで働く佐藤仁、同建物内勤務、河本涼子と判明」
「状況と死亡推定時刻」
「はい。破かれた腹部から飛び出したお互い大腸が、蝶々結びになった状態を柏原と共に発見。死亡推定時刻は、エアコンの暖房が効き過ぎていた所為で幅あり。十七時から二十二時の間との見解、以上です」
引かぬ冷や汗と共、報告を終え早々に自席へ腰を下ろすと、周りが一斉にざわつき始める。それもそうだ、まさかわざわざ聖夜を狙ってこんな猟奇殺人が行われようとは夢にも思っていなかったろう。そんなざわつきの中。幾声に交じって訊こえるのは、柏原に対しての声である。「柏原も現場に行ったのか」「相当やばい事件じゃねえか」そんな風に。小さな声でも、彼の耳には届いている事だ。其処でちらと横目、当人を覗いてみたのだが、特段、飄々としている様はいつも通り。
しなし、ざわめきの最中、皆を総一括にするのではなく、彼のみに罵倒が飛ぶのは、なかなかな理不尽で。
「柏原ぁ! チンポ切られてえか! 次、居眠りこいてみろ、二度と女抱けねえ身体にしてやるからな!」
阿部の罵倒もお構い無し。どこか掴みどころのない退屈そうな表情を浮かべ、瞼を擦る柏原ときたら、本当にいい度胸をしている。相当、刑事に向いているなと同僚として見習うべきだろうか。そうして、俺と視線が重なるや否や、彼は緊迫する空気を諸共せず、大きな欠伸をひとつして。気だるい様で微笑を覗かせるのだった。
「そういや思い出しましたわ」
「なんだ、報告漏れは阿部警部にどつかれるぞ。早めに言っておけ」
「いや、大田はん。いっちゃん好きな食べもん、クリィムパン、でしたわな」
「…………」
「ありゃ、俺の記憶違いでっか」
「……記憶違いだよ」
柏原は「そら、えらいすんまへんな」と視線を背ける、不敵な笑みをそのままに。――かつて、柏原が事件絡みで記憶違いをした事は一度もない。それが、この飄々と余裕に浸る、なんともふてぶてしい男が、数々の事件に駆り出される理由であるのだから。警部の阿部も、嫌々ながら彼を事件に配置するのには、相応の価値を見越しての事である。俺は、無意識に湧いた冷や汗をどうにか乾かす術を探った。背中にシャツが張り付いて、気分が悪い。
「クリィムパンパンパパパン捜査本部、本事件を担当する阿部だ! 大田、現場報告!」
警部の阿部が、喉が千切れそうな程に声を張り上げては、パイプ椅子が並べられた簡易の捜査本部室へと罵声を飛ばした。
「大田! 寝てんじゃねえぞ! 糞ボケ腑抜け!チンカス!」
頭ごなしに振り下ろされる大声は、下手したら鼓膜を突き破るほど。もしも破けてしまったら、迷わず労災扱いにしてやる。それくらい、部屋に詰め込まれた刑事皆の肩が一瞬で真っ直ぐになる大声は、凄まじく強烈なのだ。
あの夜、紅の蝶々を目にしてからと云うもの、白色のベッドに転がった二人の姿が、脳裏離れずにいる。現場を鑑識に任せたのち、最低限必要な報告をあげ、自宅へ戻っても尚。赤く染まった惨劇が、脳味噌を支配してならない。
「申し訳ありません、報告します」
別に寝ていた訳じゃない。巡った蝶々が脳に張り付き、他に余地を与えてくれずにいる、それだけなのだ。しかし、警部の阿部からは、顔を突っ伏して寝ていたように見えたらしい。まあ、ここで反論したはらば、さらなる罵声を飛ばされる事だ。大人しく従うが身の為だと、ここに集められた皆が思っている。俺は背筋を伸ばして立ち上がり、黒革の手帳を開いて読み上げるのだ。ふい、自分でも苦笑してしまうほど汚い文字は、幼少の頃から変わらずある唯一。自分の字が嫌いな為、パソコンという便利な代物が普及してからと云うもの、ペンを持つ事は無くなったのだが。どうも警察手帳だけは、そうはいかない。
「十二月ニ十五日、二十三時丁度。みなとみらいのホテルで、腹部を破かれた男女二人を発見。身元は既に割れており、ホテル近辺クイーンズスクエアで働く佐藤仁、同建物内勤務、河本涼子と判明」
「状況と死亡推定時刻」
「はい。破かれた腹部から飛び出したお互い大腸が、蝶々結びになった状態を柏原と共に発見。死亡推定時刻は、エアコンの暖房が効き過ぎていた所為で幅あり。十七時から二十二時の間との見解、以上です」
引かぬ冷や汗と共、報告を終え早々に自席へ腰を下ろすと、周りが一斉にざわつき始める。それもそうだ、まさかわざわざ聖夜を狙ってこんな猟奇殺人が行われようとは夢にも思っていなかったろう。そんなざわつきの中。幾声に交じって訊こえるのは、柏原に対しての声である。「柏原も現場に行ったのか」「相当やばい事件じゃねえか」そんな風に。小さな声でも、彼の耳には届いている事だ。其処でちらと横目、当人を覗いてみたのだが、特段、飄々としている様はいつも通り。
しなし、ざわめきの最中、皆を総一括にするのではなく、彼のみに罵倒が飛ぶのは、なかなかな理不尽で。
「柏原ぁ! チンポ切られてえか! 次、居眠りこいてみろ、二度と女抱けねえ身体にしてやるからな!」
阿部の罵倒もお構い無し。どこか掴みどころのない退屈そうな表情を浮かべ、瞼を擦る柏原ときたら、本当にいい度胸をしている。相当、刑事に向いているなと同僚として見習うべきだろうか。そうして、俺と視線が重なるや否や、彼は緊迫する空気を諸共せず、大きな欠伸をひとつして。気だるい様で微笑を覗かせるのだった。
「そういや思い出しましたわ」
「なんだ、報告漏れは阿部警部にどつかれるぞ。早めに言っておけ」
「いや、大田はん。いっちゃん好きな食べもん、クリィムパン、でしたわな」
「…………」
「ありゃ、俺の記憶違いでっか」
「……記憶違いだよ」
柏原は「そら、えらいすんまへんな」と視線を背ける、不敵な笑みをそのままに。――かつて、柏原が事件絡みで記憶違いをした事は一度もない。それが、この飄々と余裕に浸る、なんともふてぶてしい男が、数々の事件に駆り出される理由であるのだから。警部の阿部も、嫌々ながら彼を事件に配置するのには、相応の価値を見越しての事である。俺は、無意識に湧いた冷や汗をどうにか乾かす術を探った。背中にシャツが張り付いて、気分が悪い。