黒煙に乾杯

「人間か、改造人間、か」

 ふむ、と悩みながら。爽やかで、どこか儚げな顔つきの青年は、チェスの駒に手を伸ばす。戦中静かな場所は、きっと。この施設内、地下に限られるだろう。駒の音さえ、少しの雑音に紛れる事なく、耳に響くのだから。

「…それは、くだんの戦争ですか」

 白衣を着た研究員の男は、おずおずと考え 同よう駒を進める。ゲームの状況は、少しばかり厳しいようだ。駒から手を引いたあと、ちらり、目の前の青年に視線を配ると。なにやらチェスとはまた別の考え事をしているようで。

「それはそうだけど。どちらの方が幸せなんだろうね」
「はて…」
「人間には寿命があり、子孫を残すために、また新しい人間が生まれる。その度に色々な思想が生まれ、衝突し、戦争に繋がる。世界は馬鹿みたいに、これを繰り返してる」

青年は、早々、新たに駒を進めると。雪崩れるよう、気怠い様子で椅子に背を預けた。恐らく、既にこのゲームの結末が見え、ほとほと飽きているに相違ない。そうして一つ、細い溜息をつくと同時。とある人物を頭に描いたのなら、先の呆れはもう何処。目の前のチェスよりも、激戦の炎よりも、もっと、愉快に。それは、思わず笑いがこみ上げるほど。

「この四次世界大戦で、世界はきっと一つになるよ」
「あなたと言う人は………本当に、末恐ろしい」
「そんな事ないだろう。一つになった地球上の皆を改造人間にするだけさ。そうしたら、もう人間はこの世から消える。新しい思想を持つ者は居なくなり、戦争が終わる。世界は平和になる、簡単だろ」

青年は、再度チェスを手に取ると、置き場の決まったそこへと目配せする。もう、空いている所は、他にない。

「なに、戦争が大嫌いなだけなんだ。俺は平和主義でね。きっと、この頭に想い描く素敵な世界を我が“弟”が築き上げてくれるよ」

 ゆっくり、青年の持つ駒が落とされると。彼の言葉に研究員は、慌て。瞳に焦燥の色を浮かべていく。幾分、地下で涼しいし、心地良いと言うのに、額には大量の脂汗を流しながら。椅子に座っているにも関わらず、膝は恐怖に負け震えて始めていた。

「な!…まさか…“レオ・エードラル”を」
「ふふ」
「ミ、ミスター・ネオ!実験はまだ未完成です!記憶抹消の開発に時間が欲しいと伝えたじゃありませんか!」 
「いやあ、何事も待てないタチでね。愉快、愉快!」

大笑いを続けるネオに、研究員は居ても立ってもいられず、腰を上げた。膝の震えはそのままに。ただ逃げなければ、と言う脳内指令から、爪先は自然と出入り口へ向かっていた。

「……ひ、被害を被るのはごめんです!今後一切、私は手を引かせてもらいます!」

そうしてとうとう、行き場のないチェスの駒が、有るべき場所へ落とされるのだ。―――静寂に響くは、駒の音と、脂汗が床へ滴り堕ちる、水滴音。地下は、静かだった。

「笑止、チェックメイトだぞ。ボードゲーム上も、貴様の命もな」

瞬間、静寂を切り裂くよう、地下室に銃声が響き渡った。逃げ出す手前の研究員は、膝から崩れ、撃たれた頭から鮮血を垂れ流し床へ倒れる。その彼が向かうはずだった出入り口に姿を現した、大柄の男。男は銃口を床へと下ろし、青年に歩み寄るのだった。

「遅くなりやした、フィクサー・ネオ」
「背後で銃を突き付けられているのに、気付かぬとは、とんだ愚か者だな! 嗚呼、実に愉快!」

呑気に椅子に座り、腹を抱えて笑うネオを見、大男はやれやれと呆れた素振で首を横に振る。

「いいんですかい、ネオ。こいつがくたばっちまったら、かなり面倒になりやすぜ」
「ほっとけ、すぐに仲間も送ってやるさ」
「全く、俺のフィクサーは、とんでもねえサイコパスだ」
「なんか言ったか」
「いえ、なんでも。さて、このあとのご指示を」

大男は片膝を着き、青年に忠誠を誓う。血生臭さと、銃の煙が立ち込める冷たい地下室。青年は、愉快は笑いを押し込めて。酷く冷淡な口調で言い渡すのだ。

「ネオ・エードラルが命ず。我が弟、レオ・エードラル隊にスパイとして潜入。バレシウスの居るウクライナへ先回りしろ」
「承知」

大男が地下室から姿を消した後。青年は、シャツの中に大事としまい込んで居るペンダントを取り出す。そうして、見開きのロケットペンダントに映る、小さな写真を覗くのだ。それは、とても愛おしそうに。

「俺が造った愛しのレオ。また、“お兄ちゃん”って呼んでくれるよね」
3/3ページ