黒煙に乾杯

―――世界の空は黒く燃え上がり、人は武器を手に取った。この日、第四次世界大戦が始まった。

 “第四次世界大戦”。簡潔、端的、明瞭に云うなれば、それ即ち、領土の取り合いにある。但し、平明、明快、簡明に云うとすれば、只の取り合いで無い事は大概、子供にも解る事だ。
 見渡す限りが青々しい空であれば、幾らもいいだろう。気分が良いし、なによりの幸福に相違ない。しかし、現実は違った。眼に触れる辺り一面が、薄暗い黒煙に覆われ。息を吸えば、喉奥と肺が否定を起こし、無意識に咳を吐く程に。そう誰もが、今起きている現実の終わりを望んでいる最中。此処に集う者たちだけは、灰色の空気に。塵が漂う汚れた空に、祝福の耀りを宿して居た。―――この四人だけは。

「呑気なもんねえ、うちの“フィクサー”は…」

 丘の上に在る洋風造りの一軒家。先日、実情の恐怖に駆られた一家が、飛び出すよう逃げて行った場を丸々好きに使用している。有り難い事、電気も水道も止めるのを忘れ出て行ってくれた物なので、大変便利であった。元々はきっと、青い芝生だったはずの中庭は。蔓延る化学物質により、とっくに焼け爛れている。もう、何色と云えばいいかすら、解らない。そんな中庭に在る白色の円卓。土埃を被ったテーブルなど、微塵と気にする素振も見せず。子供の誕生日用だったろうか、冷蔵庫へ取り残されたショートケーキを片手に鷲掴み。ピンカー・ホワイトデーは目一杯、口に頬張るのだ。目一杯。

「厭に甘ったるいわね、安物かしら」

食べて置きながら何を云うのだ、と。そんな事は誰も攻めやしない。後、同じく円卓を囲むヤスオミ・ナカムラは、テーブルに広がる灰の被り初めたクラッカーを指で摘んだ。そうして薄い灰を払い落としては、バターもジャムも付けず、そのまま口に運んでいく。

「我が古巣の海自も 最新鋭のステルス艦、くまのを進水させたと聞く」
「ああ、ヤスオミは日本生まれだっけ。あそこの海自装備は世界トップレベルだもんな」
「ああ、F三十五のステルス戦闘機も百五十機以上配備するらしい」

ヤスオミの言葉に驚いた ヤン・ファンは 思わず。片手に持っていたカップの紅茶をひっくり返すのだった。

「…ッ热的!…百五十って。アメリカと同等かよ。つうか、ピンカー、お前一応、心は女なんだろうが。ケーキくらい、フォーク使って喰えや」
「ふん、その歳になってもお漏らししちゃう ヤンに言われたくないわよ。それに、昔から ケーキは鷲掴みして食べる派なの、私」
「お漏らしじゃねえ!ティーが溢れた位置が 丁度 股間だったんだよ! てかお前の主義なんざ、知ったこっちゃねえんだよ!」

元々相性の良くないピンカーとヤン。女性らしい振る舞いを好むピンカーにとって、がさつで大雑把なヤンを受け入れる事は難しいのだろう。ヤンもまた、そんなピンカーに対し、なにを細かい事をと常、呆れの思いが在るに違いない。一触即発とでも云えよう、彼等二人の言い合いの最中。洋風の一軒家から、中庭へ、小さな足音が響くのである。

「待たせてごめんよ、僕のファミリー。電話、長引いちゃって」

其処には、まだ声変わりもままならない小柄な少年が居た。外見は、十二十、三歳といった所だろう。それでもどこか落ち着いているのは何故か。この世界の惨状、子供なら泣きながら母親に抱き着く所を彼は何故。全てを悟ったような面持ちでそこに居るのだ。

「あらフィクサー、ご機嫌如何?」
「嗚呼、空が黒煙で覆われてなければ、もっと最高だとも。ピンカー」
「頭首、先の電報はウクライナの…」
「ああ、そうだよヤスオミ。ウクライナにいる我がファミリー。ミハ・バレシウスだ。……作戦の前に、ヤンはズボンを洗濯した方がいいかな?」

瞬間、皆の視線がヤンの股間へ集中するのは当然で。在る者は、濡れている様を汚らわしい物を見て、また在る者は、やれやれと首を横に振りながらクラッカーを頬張る。視線を集めたヤンは、それは慌てた様子で、濡れた股間を仰いで見せるのだった。

「違げえます、フィクサー! これはティーが溢れちまってですね」
「全く面白いファミリーだな、君たちは」

―――静寂。昼間であると云うのに。真夜を思わせるほどの静けさ。酷く静まり返った丘の上で。“フィクサー”はその薄い奇麗な唇を開く。

「皆聞け。第四次世界大戦が今始まった。すなわち領土の奪い合い。但し、ただの奪い合いではない。…世界一九六か国を五か国まで 絞る、大戦争だ」

ヤンと口笛が鳴る。まるで、空を飛ぶ鳶。しかしながら、この黒色の空に鳶は飛ばない。何故なら、高い、高い空は既。動物が呼吸を出来る環境にないからである。とても、残酷な事だ。そんな中、どこか愉し気に瞳を細める少年は、続きを唱えるのだ。愉し気に。

「既に軍事力が強い五か国が有利となっている。アメリカ、ロシア、中国、インド、日本が最有力候補だが」

五か国になった暁には、一体。どんな世界が待っているのだろう。この空の黒に、また。青を視る事は出来るのだろうか。否、五か国に非ず。それは、この場で決まる。

「僕はこの世の全てを根本から正したい。五か国“も”残ったら第五次世界大戦なんて目前さ、猿でも分かる」

口元に付いた、ケーキ生クリームを拭き取り、ピンカーは全ての応えをここに晒す。そう。その応えに、フィクサーは満面の、快樂の、熱い、熱い、笑みを溢すのだ。

「私達は、どこの国にも属さない」
「それが答えさピンカー、五か国なんて生ぬるいのさ。さあ、僕たちで、世界を一つにまとめ上げようじゃないか」

熱い笑みは、この空を青くするだろうか。はたまたもっと。深い黒色に染め上げるのだろうか。彼の企みは既、着実に進んでいる。彼の頭の中で、着実に。ご機嫌なフィクサーを横目、ヤスオミが最後のクラッカーを手に取る。灰を被った、黒いクラッカーを。  

「その暁には、頭首がこの世界の皇帝。顔立から勝算があるようだ」
「ああ、僕はこの手で “エードラル世界国”を築き上げ、戦争のない平和な世界を作る。手はずは整った。あとは君たちの力を この腐った世界に、存分に見せつけるといい」

甲高い笑い声が、小さな丘上に響き渡った。鳥でもいたら、恐れて逃げ出してしまう所だろう。だが、この空に鳥は居ない、一羽も。どれも残らず屍を地に落としている。―――これは、世界一九六か国。どこの国にも属さない者たち五人が。全世界を制圧し、強制的世界平和を築き上げるまでの記録。

「ではフィクサー、ご命令を」

不気味な黒煙の空の下、少年は大いに笑った。丘の上は自由だ。

「レオ・エードラルが命ず!一ヶ月以内に 赤道下の国々を全て制圧!その後 ロシアにいるミハ・バレシウスと合流せよ!」

部隊のフィクサー、レオ・エードラルと、その部隊が。灰に覆われた空気を掻き分け、動き出した。
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