短編小説


 触れればわずらわしそうにする癖。腕を伸ばし、その首筋に絡ませたら。指を這わせ、その頬に充てがえば。瞳を見つめ、その唇に口吻を強請ねだれば。厭々に眉を歪ませて、眉間に皺を作るのに、最後はきちんと応えてくれる。そうやって、無自覚に甘えさせてくれる彼が好きだ。

「……っ、あ、」
「手を離すな」

覆い被さる彼、白色の首筋へ伸ばしたこの腕を。烈しさ帯びる体液の揺れに、故意なく離したならば。先まで絡みつく事すら厭がって居た彼の方から、離れゆく私の腕をしかと捕まえるのだった。捉えられた手首は、彼が自身の首元へと連れいざない、“此処に居ろ”、そう云わんばかりの視線が注がれる。再び絡まった首筋の白は、どちらの汗かなんて解らぬ程に。繰り返し、寄せては返す波に濡れ、捕まり辛くて仕方がない。

「ミハ、ミハ…、…嗚呼、ミハ、…」
うるさい、訊こえてる」
「―――好き」

どうして。細く冷たな瞳の奥から、熱を感じるのは何故だろう。滾る熱情を渡してくれるのは、何故だろう。瞬間、彼が深くこの身へ流れるのだ。私をきつく、きつく抱き締める固い腕は、何時いつ、どんな時でも。護り、愛を与えてくれる、特別な体温。身体の奥を圧迫する彼の物が、容赦なく私を貫く最中。短い吐息に紛れさせ、その低い声を。私の耳元へ届けるのだった。

「今のは………訊こえなかった、もう一度頼む」

先、名を幾ら呼んでも“煩い”と言い放った癖に、愛だけもう一度訊きたいなんて。私は飽きれでも、疑いでもない、ただ彼に対しての想いを胸に抱き。そうして何度でも、望む分だけ応えるだろう。―――矢先。愛を伝える為、開き掛けた唇は。彼のそれに塞がれる。もう一度、そう言ったのは、あなたの方なのに。






***





「ねえ、なにか飲み物が欲しいな」

 ぬるり、外した避妊具の口をきつく縛っては、ダストボックスへ投げ入れる彼へ。もう一歩も動かぬ身体を辛うじてベッドに起こし、一言お願いをしてみる。特段難しい事を言った訳じゃない、ただキッチンのダストボックス近くへ彼が立って居たのだ。ついでに何歩か歩いてくれたら、冷蔵庫の中に在るミネラルウォーターまですぐなのだから。しかしまあ、情事の際も大概。何か言えば眉間に寄る皺は、もうこの先ずっと、跡になって消えぬ事だろう。それを口にしてしまえば、余計な御世話だと言われそうだが。

「ミネラルウォーター、炭酸、マムシドリンク」
「あ、じゃあ、ミネラルウォーター……って、マムシドリンクなんてあった? ミハが買ったの」

厭々、厭々。額に深い皺を刻みながらも、最後は必ず私の声を訊いてくれる彼は。多分、無自覚に私を甘やかしている証拠。これも、口にしたら機嫌を損ねそうなので、言わない。

「こんなのに頼るかよ」

長い溜息の後、彼は冷蔵庫からミネラルウォーターを二本手に、寝室へと戻ってくるのだった。この火照った身体に冷たな水を流し込めば、幾分熱は引くだろうが。繋がりに湧いた体温を冷ますのに、何だか勿体ない気もして。

「この前、ヤンが来た時」
「嗚呼、成る程。きっと面白がって置いて行ったのね」
「迷惑ったらないぜ……」

ヤンが愉しみの笑顔を浮かべ、冷蔵庫にドリンクを忍ばせる様子が想像に容易い。多分、次に私が部屋を訪れた際に驚きを与えようとたくらんだ事だろう。全く。そんな飽きれのあと、彼が厭々持って来てくれたペットボトルの水を受け取るのだ。しかし、先の情事でどれほど体力を奪われのか。指先に込める力の限りを以てしても、蓋はぴくりとも動かない。それを横目、彼は当たり前に蓋を開けては、同じくややに火照りを帯びた身体全体を。冷たな水で醒ましていくのである。―――駄目だ、どうしても開かない。

「ミハ、ごめんなさい、蓋、開けて貰える」
「………」
「嘘じゃないわ、力が入らないのよ、あなたが烈しくするから、もう少しの力も残ってないの」
「俺を顎で使えるの、フィクサーかお前くらいだよ」
「そんなんじゃないわよ、お願いしてるの」
「さっさと貸せ」
「ん」

日頃の飽きれさえも混ざったよう、大きく肩を落とした彼は。それでも私に甘くて。甘くて、甘くて、とても甘い。無自覚なのが、これまた酷く甘さを助長さる程に。彼に手渡したミネラルウォーターは、それは簡単と蓋が外れて。私が“さすが”と嬉々して見せると、やれやれ、首を横に振る。そうして冷たな液体が全身に流れては、熱を蒸発させゆくのだ。思いの外、喉が乾いていたのだろう、半分ほど飲み干したあと。十分冷えた身体を再度、繋がり合ったベッドへ預ける。仰向けに転がれば背に感じる、少し前の二人の温もり。蘇る記憶が、醒めた身体に熱を灯した。後、彼もまた、私の隣へ身を寄せると。広いベッドだと言うのに、堪らず絡み付きたくて、仕方がなくなる。

「熱い」
「いいじゃない。ねえ、腕枕してよ」

まだ少しと汗ばんだ肌を互い合わせる。そうして強請ねだるよう、傍に在る彼の腕に触れるのだ。しかし、応えは即答、予想通りの物。

「却下」
「ええ、じゃあ、私が腕枕してあげる」
「もっと却下」

彼は、絡んだ私の身を半ば強引に剥がすのだが。それは代わり、目の前の瞳が教えてくれている。振り解かれた固い腕は、私の頭が落ちるのを確かに待つ様である。やはり彼は、本当に甘い。我儘を訊いて貰える事が何とも嬉しくて。浮かれ気と共、彼が伸ばしてくれたその腕に、頭をそっと乗せるのだった。―――なんて、なんて温かい。肌が近付いて、触れて、初めて解る。力強い躍動。少しだけ早いのは、先の烈しさの所為せいか。それとも傍に私が居るからか。後者なら、思わず口角が緩んでしまうだろう。

「嗚呼、幸せ。ミハの腕枕、凄く落ち着く」
「本当、よく飽きないな」
「幸せに飽きが来る訳ないでしょう」

頭を乗せた彼の腕は、無意識か。自身に寄せるようにして、私の髪をいている。愚痴愚痴言う癖、結局朝までこうしてくれるのだ。底が知れない愛の付与に、一体誰が飽きると言う。私は、彼の心音に耳をすまし、確かな時を刻んでいる事実を噛み締めた。すると、ふい、心地よい心音に紛れ。彼の声がこの耳に響くのである。

「全く、こんなにベタベタで。俺が居なくなったらどうする気だ」
「厭よ、きっと寂しくて、死んじゃうわ」

瞬間だった。彼の細い眼光に、冷えた光が過るのは。それは、きつくて、重たくて。どこか怒りにも似た、切っ先、そんな視線。後、少しの沈黙を経て、まるで子供にいい訊かせるよう、私に正回答を求めるのだ。

「いいか、約束しろ。もし俺が死んでも、追いかけるのは無しだ、絶対」
「貴方が闘いに負けるなんて有り得ないじゃない、だから、その心配は必要ないわよ」

―――この世に“絶対”なんて言葉はない。恐らく来るであろう明日でさえ、全てが不確かなのだから。だのに、それを解っているだろうに。敢えて言葉にすると言う事。それは。

「真面目な話し」
「………解ったわ」
「いい子」

私の出した応えに満足したのか、彼はこの身を抱き締めるので、私もまた。その背に腕を回し絡めた。―――心音が、先より早い。

「ねえ」
「どうした」
「私が死んでも、貴方は何とも思わないでしょうけど。もしもね、私がいなくなったら。その時は、少しだけ、悲しんでくれる?」

絶対なんて言葉はないけれど。もしも、もしも。不確かが確かなる物になるとしたら、私はこの胸に嬉々を宿すだろう。彼に連れ、私の心臓も駆け足になっていく。不確かな時の刻みの中で、一つでもいい。確かな事実が欲しいのだ。自分でも我儘だと、そう思う。

「その時は、一緒に逝こう。約束する」

耽溺は、不確かを確かとする。我儘だと、そう思った。
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