短編小説

 王道も王道。昼休み、学校の体育館裏、校舎の陰に隠れている数人の女子生徒。そして、眼の前に居る、赤面を覗かせる同級生。ここまで来ると、流石にどれだけ鈍感な奴だろうが、大概、察しは付くだろう。予想は覿面てきめん。緊張で上擦った声が、金木犀の香りと共に届く。一応、真面目に訊いているふりをして、嗚呼、そう言えばもう秋か、なんて。脳内じゃ上の空もいいところ。だって初めから、決まりきった応えしか持ち合わせがないのだ。だから、そんなに必死な顔をされると、正直、どうしていいか解らなくなる。そうして、金木犀の香りに鼻が慣れた頃。俺は、決まり文句とも言えよう言葉を眼の前の女子に投げ掛けるのだ。―――“悪い、好きな奴がいるから、付き合えない”。



***






「久保山、また女の子泣かせたって本当」

 どうやったら、こんなにも早く噂が広がるのだ。インターネットの海中で起きた話しじゃあるまい。拡散されるような文明の利器は無いはず。しかしふと、声を震わせ想いを告げて来た同級生の少し後ろに、数人の女子生徒が居た事を思い出す。あれか。と言うより、泣かせたとは、だいぶ話しが盛られているような気がする。せいぜい、鼻をぐずらせて居たくらいだろう。

「馬あ鹿、泣かせてねえっつうの」

 例の告白を受け、前述の返事で断りを入れたあとだった。午後の授業に間に合うよう教室へ戻ったまではいい。授業の始まりまで、まだ時間もある。遅刻にならず良かった、良かった。そう、安堵と共、自席に着いた瞬間これだ。何処から湧いて出たのか、気付けば彼女が俺の自席の傍に居て。そうしてわざとらしく、呆れを含んだ溜息をひとつ、零すのであった。

「訊いたわよ、連絡網で」
「なんの連絡網」
「男子禁制の連絡網」
「怖過ぎんだろ」

 何処のどいつだ、筆頭になってそんなもんを作った奴は。そのうち“女泣かせ”なんて格好の悪い二つ名でも付いたらどうしてくれる。第一、最後まできちんと話しを訊いた上で断ったのだ。言葉の端を折って、あからさまに嫌な態度を取った訳じゃないのだから、変な噂は流さないで欲しい。そもそも、その噂が彼女の耳に届く事自体、厄介極まりないのだから。

「いいから、席着けよ、授業始まんぞ」
「あと五分あるから、大丈夫」
「あのなあ」

まあいい。不本意だが、彼女と過ごせる時間が一秒でも引き延ばせるなら、少し。いや、結構、嬉しい。胸元に耳を充てられ、直接心臓の音を聞かれた訳ではないので、恐らく気付いて居ないだろうけど。俺は、彼女が好きだ。―――いつからだろう。あの頃も確か、金木犀の香りが印象に残っている事から、秋、だったろうか。部活へ向かう途中だった。見慣れた気紛れな黒猫が、あろう事か、へそ天を晒す姿を眼にしたのである。俺には全く懐かない癖、餌も玩具も無しに、腹を視せるなど、どんな奇術だ。驚き勝るところ、そこには一人の女子生徒が、手慣れた様子で黒猫と戯れていて。後、声を掛ける手前であった。俺の気配に気付いた彼女は、“あ、久保山 雪乃くんだ”そう、口にしたのである。驚いた。今まで大した会話すらした事がないにも関わらず、同じクラスと言うだけで、良くはっきり顔と名前が一致する物だ。しかもフルネームって。瞬間、驚きが可笑しさに変わり、俺は彼女へ、“長げえって、雪でいい”、そう伝えたのである。すると彼女は、まるで花のよう笑みで心地よく名を呼ぶのだ。


―――“雪”


 季節は秋なのに、雪。まだほんの少しだけ温かいのに、そう呼ばれ。名前に似つかず、身体の芯に燃える灯を感じた。多分、本当に、笑ってしまえる程。単純なんだろうけれど、一目惚れだったのだ。そう、思う。

「一体、雪のお眼鏡に叶う女子は、現れるのかしらね」
「さあな、どうだろ」
「やっぱり理想高いんだ」
「やっぱりってなんだよ。高かかねえよ、ただ、好きんなった奴が、タイプってだけ」

ここが、五限目の始まる教室じゃなければ、俺はなんて応えて居ただろう。勢い余って、気持ちを表していただろうか。ちらり、自席の傍に立つ彼女を見上げるよう、視線を配ると。―――違和感。それは、今まで眼にした事がない、彼女の新しい表情である。例えるならば、そう。昼休みに告白して来た、女子生徒とまるで同じ。そうして少しの期待と共、彼女の返答を待つ俺の心臓は、躍動を早めていく。もしかして、もしかしたら。彼女も俺の事を。

「…それ、私も同じ」

そんな都合の良い妄想を脳内で繰り広げていた矢先、頬を紅潮させる彼女の唇から響く声は、落胆。無理矢理にも、肩を降ろされた気分になる。

「へえ、じゃあなに。今いんの、気になる奴」
「……ん、気になると言うか、ずっとね、好きな人がいるの」
「ア………そう、なんだ」

やばい。これは、告白前に玉砕パターンだ。嗚呼、ここが教室じゃなかったら、勢い任せに大声で気持ちを言い放てるのに。どうして今なのだ。彼女の恋愛事情なんて、訊いた事などなかったのに、何故、今、ここで暴露する。大概、振られるのは、上等。ただ、告白くらいは、きちんとさせて欲しい。じゃないと、心にもやが残ったままになってしまうから。そんな気持ちの悪い環境じゃ、精神衛生上、何に幾らの影響が出るのか、全く予想すら付かない。だから、嫌なのだ。

「で、ちなみに、そいつ。どんな奴」
「どんなって」
「お前が好きな奴の話し」

この状況だ。告白出来ないのなら、せめてどんな男なのか訊いて置きたい。事実を知った上で、頷けるなら良し。頷けなければ、そんな奴は止めとけ、と。二人がくっつく前、少しばかりの時間稼ぎが出来るはず。すると、彼女は暫くの沈黙を経て、唇を開くのだ。五限目の始まりまで、あと三分。

「そうね、まあ、愛想は良くないかな」
「は?」

予想打にしない応えに、思わず眼をしばたかせた。どんないい奴かと思えば、開口一番“愛想が悪い”だなんて、とんだ事故物件じゃねえか。そんな俺の戸惑いを他所よそ、彼女はまたつらつらと。本当にその男が好きなのだと悟る。だって、少しの間を持たずに、その男の事を嬉しそうと話すのだから。それも、頬を紅に染めて。

「眼はキツイし、動物には好かれないし」
「おいおい」
「口は悪いし、態度も大きい」
「おいおい、おいおい」

―――何もかもが、事故物件過ぎる。

「でもね、すっごい………格好良いの」
「………」

「なんだかんだね、話す時は眼を視て、最後まで訊いてくれるし、たまに口調が怖いけれど、周りを考えての言葉だって、ちゃんと伝わる。あ、たまにちゃんと、笑うしね」

実際、好きになった奴がタイプなら。そこに俺が入る余地はない。そんな事、初めから解っているのに。駄目な所だけじゃなくて、ちゃんとそいつの良い所も見つけている辺りが、やはり。彼女らしいな、と思ってしまった。好きな奴には幸せになって欲しいけれど。だけど、ひとつだけ、我儘を言わせて欲しい。本当に、ひとつだけでいいのだ。

「止めとけよ、そんな奴」

単なる負け惜しみに過ぎない、解ってる。それでも、大声を出せない環境下である以上、これが精一杯。これが、俺なりの告白である。後、彼女と視線を結べば、ふいに。開いた窓の隙間からだろうか。何処からともなく、あの日香った、金木犀の香りがして。―――彼女に初めて名前を呼ばれた事を思い出すのであった。瞬間。

「雪」
「なに」
「ねえ、まだ気付かない」
「は…?」
「雪の事よ、今の、全部」
「……オ゙」
「モテるのに、本当、鈍感」

余りに咄嗟の出来事。勿論、脳内処理は追いつかない。ただひとつ。確かな事は、彼女があの日と同じよう、俺の名を。その優しい声色で呼んでいる。ただ、それだけ。
 五限目の授業まであと一分。混沌とする頭は、未だ異常なまでにぐるぐる回っていて。流石に彼女も、自席に戻る素振を視せた、折。淡い瞳の絡まりが、季節外れの始まりを告げる。

「でも、雪がやめといた方がいいって言うなら、そうした方が、いいのかな」
「いや、そいつにしとけば、いいんじゃね」

格好悪い、掌返しもいいところ。詳しい話しは、五限目が終わってから。今度は俺が君を体育館裏へ呼び出して、真似事でもいい。ちゃんと告白させてくれ。
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