短編小説


「……今、何時だ、俺は……何時間寝ていた」

 紛争の最中、激化した闘いで身を粉にし生き抜いた。生き抜いたのだ。しかし、心身共に酷い疲弊を招いた所為せい、彼が薄く瞼を開けたのは、激闘の終焉から二日と経つ頃に成る。辺りを見渡した彼は、ここが軍医の在る野戦病院だと悟ったようで。

「……まだ寝ていて」
「しかしだな」
「お願い、」
「…………解った」

起き上がろうと、枕から頭を離した彼を眼に飛び出した声は、優しさとはやや掛け離れ。私の表情を視、額に在る眉間の皺を覗いては。少しばかり間を置いた後、大人しく枕へ頭を戻すのだった。黄金色の細い髪が、白いシーツへ広がる。燐いた毛先は、柔らかで、穏やかだった。

「あ、そうだ」

そんな綺麗とは裏腹、疲労の溜まった肌へは、丸二日寝込むも未だ取れない、濃いくまが浮かんで。その様を手前、起き上がろうとする人間を止めない訳にはいかない。今は心身の回復が最優先なのだ。

「今日ね、初めて軍医のオリニクさんに逢えたの」
「オリニクに」
「ええ、あなたの事、とても心配していたわ」

以前だ、向かう戦地に軍医として友が居ると訊いたのは。粗方、オリニクの名を上げた時の彼と言えば、何とも怪訝な表情をする物だから、どんな物騒な男かと思ったが。先に耳にしていた人物像とはまるで別。戦闘で疲弊し寝込む彼の傍を 片時も離れず、ただに回復を祈る姿は。優しさ溢れる物だった。恐らく、何かつまらない意地でも張って、照れ隠しにちくちくと愚痴を言い放っていたのだろう。もっとも、彼らしいったらない。

「オリニクは」
「タオルを取り換えに洗面へ」
「そうか、」

今の今まで、適度に額のタオルを取り替えて居てくれたのだと悟ると、彼は気恥ずかしそうと眉を八の字にする。きっと、以前私に話したオリニク像について思い出しているに違いない。白色の肌に、僅かな赤が乗る。後、彼は少しと分が悪い様子で、星色の髪の毛を掻くのだった。思わず笑ってしまいそうになるが、ここは喉奥へ押し込んでおこう。

「素敵な友達ね」
「……そうだな」
「大切にしなきゃ駄目よ」
「善処する」  

そこは素直に首を縦に振ればいいものを。何の意地を張る必要があるのだ。四十二時間、眠り続けた彼を看病するオリニクを見て解った事は、二人の間に置ける信頼と信用。もしも逆の立場になった時は、彼も同じよう行動するだろう。それだけ、互いに気を許し気に掛ける存在であるという事実。それは、昇る陽の眩しさに良く似ていた。

「ねえ」
「どうした」
「私も、オリニクさんと同じくらい」

ぽつり、控え目に呟いた声。言葉の最後は、糸のよう細く頼りない物になっていた。例えば、時計が刻む秒針の音にさえ負けてしまいそうな程。―――不安が無い訳じゃない。彼の事は信用している。しかし共に過して解ったのは、時折感情の制御を忘れてしまう節がある所。その危うさは、まるで灼熱に燃ゆる太陽の如く。赫燿に散り、途端に冷え。予想もしない所で その長い睫毛を永遠下ろしてしまうのでは、そんな不安が胸を支配する。

「あなたの“大切”になれて居るかしら」
「………」

太陽が消えれば地球は死ぬのだ、先に置いて逝かれたりしたら、耐えられない。しかし、彼の中に大切な何かがあるのなら、きっと。瀬戸際で脳内を過ぎり、或いは、もっと自身を大事に出来るはずだから。それ故、大事な物は多い方が いざと言う時の抑制となっていい。

「困らせちゃった?」

随分と間が空く物だから、不思議になって彼と視線を合わせた。すると、白色の肌に乗った紅は、十分。血を通わせ生きる証明。ふい、彼の腕がするり伸びては 私の頬を撫でるのだ。薄い硝子を扱うような、そんな触れ方で。

「……彼に対する物と、君へ対する“大切”は全くの別物だ」

血を通わせ、生きている。太陽はまだ、熱く、熱く、燃えていた。私は頬にある彼の繊細な指先を辿り、仰向けに成るその胸へと肌を落とした。柔らかに伝わるは、時計の秒針よりやや早く、それでも一定に刻まれる確かな躍動。

「なら、どんな“大切”?」
「病み上がりに、随分と虐めてくれる」

苦笑が零れると同時、彼の指先は私の髪をすくっていく。
 
「心臓、凄く早い」
うるさいだろう」
「いいえ、心地良い」

存在する物には必ず寿命があって。哺乳類は、その種類によらず一生の心拍数は大凡おおよそ二十五億回と導き出されて居る。鼓動が早ければ早い程、限られた心拍を削る事となるのだ。先に逝かれては困るが、この耳に響く少しばかり駆け足な鼓動をもう少しだけ。近くで感じていたい、というのは自己の矛盾も甚だおかしな物である。

「参ったな、愛している、では。まるで足りないんだ」

後に名を呼ばれ、胸に落としていた頭を離す。そうして声の方を向くと、引力に寄せられるように。彼の薄い唇が、私のそれに触れゆくのだった。黄金色の髪の毛が頬をくすぐる、久しく感じた肌の熱は、徐々、安堵に変わり この身へ流れ込んできて。巡った体温が、このまま醒めないといい。太陽のように、熱く、ただ傍に居て、醒めないといい。――足りない分は、皮膚の熱を変わりとすればいいのだ。何度だって重ねては。命在る限り、不足分を埋め続ける。
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