短編小説
一雨降りそうな空だった。朝から予報の雨も、夕方まで持ち堪える様子を見るに、もういつ降って来てもおかしくはない。――……ロードレースは常に過酷だ。プロトンの中で常に起こる順位争い、アタックに有利なポジションに居るか、寸分のそれに素早く反応出来るか。補給のタイミングにメカトラブル、そして突然の気候変動。様々な環境に順応し、辿り着く先で両の手を空に掲げた、たった一人が勝者となる、残酷で、過酷なスポーツ。こうした悪天候になり得る日も、彼らにとっては。
「“主将”か。高校時代が、懐かしいや」
ふと、雨の匂いが鼻を
「こんにちは」
「おいおい、何も走って来なくたって」
彼女の事だ、朝の天気予報通り、折り畳み傘の一本くらいは通学鞄に忍ばせているはず。未だ空からは、一粒も雫は落ちていないし、土砂降りでもないのだから。そんなに慌てて駆けて来なくも、雨宿りには十分間に合うというのに。すると、閉めようと思っていた店のドアは、白く細い指により静かと締め切られ。何度目かの深呼吸から、息を正したあと。彼女はその柔らかな笑みをこちらにくれる。
「早く、会いたくて」
ただの短い言葉、特別甘い物じゃない。それでも、心臓へ直接届いては、鼓動を早めさせるに十分過ぎる程。身に纏う制服だってそうだ、少し前まで自身が通っていた見慣れた高校の女子服。本当に見慣れていたはずなのに。瞳に映るそれは、駆り立てる理性を鎮めるに、ほとほと神経を使う。
「どうも」
照れ隠しがばれないよう、苦笑を溢し。近くに適当と投げて置いた駄菓子の箱を開ける。しまった、先程口へ放った分で最後だったらしい。そんな、微かに肩を落とした俺の姿に、彼女は控えめに笑って見せたあと。弾みで何かを思い出したかのよう、通学鞄を漁っては、売り切れた箱と同じ菓子を取り出すのだ。
「はい、帰りに買って来たの、あげるね」
「こら、寄り道しない」
「妹扱いは、禁止って、この前も言ったでしょう」
続き、聞き取れるか否かの小さな声で「彼女なんだから」と付け加えられる。きっと、外が土砂降りなら聞き逃してしまっていた事だろう。――…彼女が高校を卒業するまで、密にある二人の関係を
「……それにしたって、短くないか」
そうして、彼女が帰り道で買って来てくれた 駄菓子の箱を受け取り、ビニールと共、パッケージを開けていく。勿論、視線の先は菓子では無い。一際白が浮いている、その肌だ。あまり見過ぎるのも良くないが、どうしたって瞳に映ってしまうのだから仕方がないと言える。
「ええ、もっと短い子なんて沢山いるわよ」
頬を膨らませた彼女が「それに」と加え、何だか意地の悪い瞳を向けてくる。いつの間にそんな目を覚えたのだ。
「喜んでくれると思って」
「へえ、揺さぶるねえ」
あくまで、余裕と。菓子を口にしながら答えるも、内なる鼓動の駆け足は止まらず在るがまま。大体、俺が喜ぶのなら、他の男も大概喜ぶに決まっている。やれ過保護だ、子供扱いだ、なんて散々言われるが、勘違いもいい所。自分の女の肌が、外に晒されて良い気になる男が居る物か。もしも居るならば、そいつをここに連れて来いと声を大にして言いたい。
「嬉しくないの」
「さて、どうでしょう」
大人の余裕なんて、言葉だけで中身は空っぽ。
「おいで」
反応してしまいそうな下半身を隠す為、腰掛けた椅子。立っているより、こちらの方が幾分ばれ
「ね、キスしたいな」
揺れる髪が頬に充たれば、先程の匂いがより一層濃くなる。俺の、俺の好きで、好きで堪らない、俺だけの匂い。空気に揺れる毛先を辿り、彼女の髪を
「…ん…」
耳をすまさなければ聞こえない、触れる度に溢れる声。やはり、腰掛けて正解だった。しかし、安堵も束の間。互いの唇が、触れて離れて、また触れて。そんな事をしているうち、息継ぎの途中で開けた口へ 彼女の薄い舌先が伸びて来るのだった。
「――…、」
思わず細い肩を掴み、自身から引き離す。唇が離れると 透明の細い糸が、肌を繋いでいた。完全に油断していた、彼女からそんな事をしてくるなんて。予想打にしない、深く絡んだ濃厚なそれに、耐えていた下腹部の熱は一気に上昇。もはや座っていても、意味などない程に。ふと、彼女の口元に目を配れば、
「ねえ、」
「……」
垂れた髪を 細い指で耳へ掛けいく彼女は。また どこで覚えたのか分からない、躍動揺るがす瞳をして。
「嬉しい?」
視線の先で捉えているは、恐らく下腹部。なんて答えるのが正解かは分からない。それでも、既に見透かされた大人の余裕は、まるで意味など成さない事だろう。
「………ウレシイデス」
成長していない、脳内。ため息の先、彼女の髪が揺れれば。まだ乾ききらない濡れた唇が、次の余裕も消していく。