短編小説
赤、黄色、山吹色。多彩な色合いを愉しむ季節―――秋。時期が少し早い事から、まだ緑の木々も混ざるため、より豊かな色彩に囲まれている。
「ごめんね、遠回りになっちゃった」
登山電車に揺られ約四十分。車であれば、渋滞に掴まらぬ限り十五分程度で着く所。そもそも免許のない二人であるから、交通手段の選択肢も狭まる。電車に同乗した賑やかな人たちは、いずれも観光客に相違ないと見えた。なにせ、急勾配の山を削るによう登っていく景色は実に圧巻で。早々タクシーを利用し目的地へ向うよりも、観光気分を味わうに最適と言える。例え時間が掛かったとしても、観光客としてなら、私もそうするだろう。
「何で先輩が謝るんですか」
「だってほら、登山電車ってゆっくり進むでしょう、退屈しちゃわないかなって」
「退屈するもなにも」
夏の暑さも少しずつ和らぎ、朝晩は特に秋の空気を感じるようになったとある休日。いつも通り、部活終わりに家まで送ってくれる最中、何気無い会話の途中で「紅葉狩りがしたい」。そう呟いた事を覚えていてくれたらしい。そうして直近、終日部活のない休日を利用しては、私を彩り映える山へと声を掛けてくれたのであった。
「誘ったのは俺です」
彼の過ごした二年目の夏は、天を仰ぐものではなかった。それは、疲労と暑さの
「……でも君、さっきからずっとそわそわしてるんだもの」
「え、」
当たり前だ。例え部活が無い休日であっても。時間があれば、ランニングや、筋トレだってしたい所。しかし、真面目な彼の事だ。この夏は特に、恋人よりインターハイへと重きを置いた穴埋め、私の我儘を聞き入れようと最大限の配慮としてくれている。自己を犠牲にしてまで連れて欲しくはない、しかし折角の彼からの誘いと言う事もあり、こうして紅葉狩りへと山に脚を運んだ訳だが。どうやら彼の落ち着きのなさは、前述、私の思い描いたそれとは的が外れていたらしい。
「そわそわ……してますか、俺」
「ん、さっきからずっと。だからね、私の我儘に付き合わなくたって平気よ。時間があるなら身体、動かしたいでしょう」
登山鉄道を降りたのち、澄んだ空気に歩を進めながら。歳の割に随分と体躯の良い彼の身体を見上げる。途端、見上げたその先にあるは、彼の瞳と、奇麗に色づき始めた木々たちであった。―――紅葉狩りについて一説によると、それは平安時代に遡る。当時の貴族が紅葉を眺めることを“狩り”に例えたという話しだ。貴族にとって“歩く”ことは品を欠く行為とされていた為、狩りという名目上、紅葉の鑑賞を愉しんでいたとか。現地に到着する前に一通り調べた浅い知識だが、そう考えると、随分と高貴な事をしている気分になる。そうして、さらさら、さらさらと。秋の心地よい風に撫でられた木々が霞に揺れると同時。見上げた彼の髪の毛もまた、自然に揺れ帯びる。十分に重なった視線は、何故だろう。夏が過ぎたというのに未だ、熱い。後、少しの沈黙を経て、彼はその体躯に似合わない細い声を響かせるのだった。
「―――楽しくて」
「……」
「いや、あー、今日、先輩とデートだって思ったら、その、凄え楽しくて」
「……だから、そわそわしてるの」
「そわそわっつうのは自覚、ないんですけど。先輩がそう思うなら、そうなんだと思います」
過ぎた夏の暑さが、急にぶり返したように、熱い。彼が単純に、そう考えてくれていた事自体、嬉しが募るのに。普段、野獣のそれを思わせる視線を今だけは特別。優しさに細めてくれるのだから、無意識に心臓も駆け足になる。
「なんで、部活の連中には申し訳ないすけど。今は部活とインターハイ、一旦忘れて」
「………」
「先輩の事だけ考えてました」
「あり……がとう」
「うす」
そう、大漢が、はにかむ。―――嘘のない彼だ。きっと今、彼の頭の中を覗いたならば、私以外の存在は居なくて。他の何も考えず、私で溢れていると思うと、胸が静かに締め付けられる。直線に絡まったこの視線と、木々の揺らめく彩りの音たち。彼が私へ気を遣っている訳はないと理解し、安堵に肩が下りるも。心拍は上昇を続けている。すると、ふい、彼は今回の目的を思い出したよう、早々にその場へ腰を屈めるのであった。
「そうだ、そういや、栞が欲しいんですよね」
「え、ああ、そうなの。本に挟む栞代わりに、綺麗な紅葉を拾いたいなって」
「んじゃ、早速、探しましょう。何色がいいんでしたっけ」
「そうねえ」
それは可笑しなくらい、自分の事のように真剣と。栞代わりの紅葉を一つずつ拾い上げては、これでもない、あれでもない、と探してくれる様。いつだってそうだ。何気なく溢した一言を決して忘れずいてくれる。例えば新作のお菓子の話しをした際。発売日をすっかり忘れていた私に対し、登校前にコンビニへ寄り買ってくれていたり。例えば愛用のリップが底を尽きそうな際。何でもない日にプレゼントと称し、同じリップを可愛らしい包装で渡してくれたり。それは本当に気が利いて、それでいて自然で。だからきっと。栞として長く使えるような綺麗で立派な紅葉を、私より真剣に見つけようとしてくれている姿は。思わず、思わず、外だと言うのに。きつく抱き締めたくなってしまう程に。嬉しくて、堪らなくなる。彼の姿ばかりを目、半ば自身の用事だと言うのにただしゃがみ込む私に視線を配った彼は、その眉間に浅い溝を作るのだった。
「いやちょっと、あんたの栞を探しに来てんすから。ちゃんと探してくださいよ」
「やだ、ごめんね、つい」
指摘の後、絨毯のように広がる落ち葉たちへ手を伸ばそうとした、そんな瞬間だった。木々をすり抜けた風が細く吹き、辺りの彩りを散らしていく。咄嗟、目に入らぬよう瞼を閉じ、風の音が過ぎ去るのを待っては。そうして恐る恐る瞳を開けるのだ。すると、目の前に居る彼の姿に思わず、小さく吹き出してしまう。
「なに、どうしたんすか」
「君、髪に落ち葉がたくさん絡まってる」
「うお、今の風か、くそ、」
慌て、乱暴に頭を掻いてみせる彼だが、どうも上手く取れていない。その様子にさえまた笑ってしまいたくなったが、ここは一つ堪え。
「ねえ、ほら、動かないで。私が取るから」
「…すんません」
大人しく落ち葉の絨毯に胡座をかき、瞳を閉じて静かにしている様子は。なんだかまるで、キスを待つ仕草に似ている気がして。そんな事を頭に巡らせた所為、意識せずとも肌に熱が籠もっていく。駄目駄目、ここは外なんだから、と深呼吸を繰り返しては。彼の髪に絡まった落ち葉たちを丁寧に解いていく。赤、黄色、山吹色。ふと、最後の一枚を手にした時だった。
「これ……これがいいも」
「なんですか」
「あ、髪に着いてた落ち葉、全部取れたわよ」
「あざす。それで、なにが“いい”んですか」
瞼を上げた彼に向かって、私は手に持つ赤色の紅葉を見せるのだ。彼もまた、私の言いたい事を察してくれたようで、『いいのが見つかってよかったっすね』と、目を細めて笑ってくれる。偶然に手にした綺麗な紅葉は、彼が見つけてくれたと言っていい。帰ったらラミネート加工を施して、さっそく本の栞に使うとしよう。いい、想い出の栞になりそうだ。―――それはそうと。
「そうだ、今度は君の行きたい所にデートへ行きましょうよ」
「俺の」
「そう。今日は私の希望で紅葉狩りに来たでしょう、だから次は、君の番。勿論、部活優先で、君の都合が着く時に、ね」
「俺、来年、車の免許取ります」
「え、」
聞き返えした矢先、彼の大きな掌が、私のそれを捕まえる。固いのに、温かくて、落ち着く手。まるで、先に拾った赤色の紅葉みたいに。するり絡まった指先が繋がると、互いの巡りが伝わる気がした。本当に、なんて温かい。高鳴る躍動を胸、彼と視線を合わせると、それは―――確かな誓い。
「だから、次は俺の運転で、先輩とまた。ここに来たいです」
「来年も、一緒に居てくれるの」
「お、俺は………勝手にそのつもりでしたけど」
「………嬉しい、」
―――次の年。マニュアル車の免許を取った彼が、約束通り私を迎えに来るのだ。しかし、わざわざオートマ車をレンタルした理由を問えば、それは実に嬉しさ余る物で。オートマ車であれば左手が空くのだから、助手席に座る私の右手をずっと。ずっと離さず隣に居れる、そんな理由。全く、私の恋人は本当に。変わらず嬉しさばかりを与えてくれるので、困る。